第33話
「『ねこの湯』さん、大躍進ですね」
笹岡奈津さんが、やや改まった口調で言う。
「そうですね。近隣の方々だけでなく、ちょっと足を伸ばして来てくださる方もいらっしゃいます」
私の応えも、どことなくよそいきだ。
テーブルに置かれたボイスレコーダーに、ちらっと視線を走らせる。
『函館ダッシュ』の取材、二回目である。
北海道にも、遅くそして短い夏が訪れ、『ねこの湯』も開店四ヶ月目に突入だ。
来客数は右肩上がりに伸び続け、セレクトアメニティをはじめとする、物品販売もものすごく好調だ。
むしろ好調すぎて、早晩のうちに満員で入店できないって事態になるんじゃないか、戦々恐々としている。
「函館を代表する敏腕経営者、なーんて噂されているよ。由梨花」
「たった三ヶ月うまくいったくらいなら、ビギナーズラックだって。奈津」
インタビューが終わり、二人とも言葉を崩す。
歳が近いこともあり、いつしか私たちは互いに名前で呼び合うようになっていた。
数少ない同年代の友人である。
「逆よ。スタート三ヶ月ってのが一番難しいんだから」
ぴこぴこと指を振る奈津。
推理を披露する名探偵って風情だ。
お風呂屋さんのロビーには、あんまり似合っていない。
「そういうもん?」
「まず知名度ゼロからのスタートだからね。どんな商売も」
最初の一ヶ月は、開業まで貯めたお金でしのげたとしても、二ヶ月目三ヶ月目と苦しくなってゆくものなんだってさ。
お客さんがしっかりと入らない限り。
「飲食店でも他の商売でも同じでね。最初はさ、ご祝儀で来てくれんのよ。お客さんなんて」
でも、そういう人たちは常連にはならない。
そもそも経営者の友人や知人、縁者なんかを客層としてカウントするってのが、健全経営からはほど遠いだろう。
「でも『ねこの湯』はスタートから好調な上に、ずっと右肩上がりだからね。しかも好調なうちに、がんがん新しい企画を打ち出して」
「褒めすぎ。恵まれていただけだよ」
もともと『昭和湯』っていう箱があったわけだから、一から建築する必要がなかったし、店舗を借りているわけでもないので店賃がかからない。
それにプラスして、法律的な優遇措置だ。
これだけがんがん水を使っても上下水道料は格安で、へたしたら使用量の多い一般家庭と変わらない金額。
土地建物にかかる固定資産税も三分の二が減免。
これがどのくらい有利かっていうと、レストランとかでたとえたらメインになる食材が無料に近い金額で仕入れられるってことね。
銭湯の水、ステーキハウスの牛肉。ウェイトは似たようなもんだろう。
で、普通の店は店賃の分も値段に計上しないといけないから、ぎりぎりの価格で提供するってことはできない。
「銭湯は値段の上限が決められてるけど、仕入れにかかるお金も箱にかかるお金も格安だからね」
軽く肩をすくめてみせた。
それでも廃業を余儀なくされる銭湯が多いのは、経営者の高齢化や客そのものの減少、時代にマッチしていないなど、いくつもの理由がある。
「その流れをぶった切って、急成長させたじゃない。『昭和湯』が休業する直前くらいって、一日三十人も入ってなかったって聞いたわよ」
「そういう情報って、どこに落ちてんの?」
相変わらず謎の情報網だ。
お祖父さんが倒れる前後の経営状況なんて、私まったく知らなかったよ。
でも、三十人かあ。
たったそれだけのお客さんのために毎日掃除して、お湯を張って、火を入れて。
一人でやってたんだね。
そりゃ倒れるよ。
いくら重油のボイラーだといってもさ。
まったく。
どうして息子や娘たちは手伝ってあげなかっただろうね。
「それが、一日三百人近い来客数だよ。十倍成長って、ちょっと常識外だって」
「私は、恵まれていただけなんだ。これはほんとに」
スタッフにも恵まれた。
祭、イナンクルワ、麻姑、そしてさくら。
『ねこの湯』の誇る最強メンバーである。彼女たちがいるから、薪風呂も薪蒸気サウナも、メイクアップサービスも、仙薬風呂も回せるのだ。
そしてスタッフたちだけではない。多くの人々に支えられて『ねこの湯』はやってこれた。
薪となる廃材を融通してくれる歳さん。セレクトアメニティにシャンプーやコンディショナーを卸してくれるコスメ会社の人たちに、その間に立ってくれた舞鶴女史。釜の強化とサウナ製作を請け負ってくれたドワーフ職人たち。
そして、そのヒントをくれた井垣さん。
本当にたくさんの人たちの力を借りている。
もちろん、お風呂を楽しんでくれるお客さんも。
「私一人だったら、とてもここまでできなかったよ」
「ま、人は誰しも一人で生きてるわけじゃない。みんなに生かされてるってことさ」
エセ宗教家みたいな台詞を笑いながら吐いて、奈津がハンドバッグから何か取り出す。
封筒?
「試写会の招待状だよ」
手渡された。
え? なに? くれるの?
ていうか映画の試写会って、現実におこなわれてるんだ。
いやあ、話には聞くんだけどさ。都市伝説的ななにかなのかなって。
「井垣と行ってくればいいっしょ」
「くぁwせdrftgyふじこlp!?」
思わず吹き出す。
「その驚き方をする人間が実在するとは思わなかったよ」
アメリカーンな仕草で奈津が両手を広げてみせた。
ほっとけ。
ていうか、なんで井垣さんさ!
「気になってるんだろ? ちょっとデートくらい誘ってみればいいんでない?」
「ちょ、おま、なんてそんなこと……」
「むしろ、気づかれてないと思ってるのは函館であんただけだし、気づいてないのは井垣だけだと思うよ?」
苦笑しながら、事もなげに言う奈津。
なん……だと……?
「ていうかさ! ほぼ毎日『ねこの湯』に寄って帰ってるんだよ? 由梨花サンに気があるにきまってんじゃん!」
「いや、その理屈はおかしい」
ハイテンション仙女にちょっと話を振ってみたら、まったく役に立たない答えが返ってきた。
その理屈だと、歳さんを含めた常連さんは、みんな私に気があるって計算になってしまう。
どんだけモテモテだよ。
「そもそも、ゆりがあの眼鏡をどう思ってるかの方が大事にゃ」
ぴょん、と番台に飛び乗ったさくらが言った。
どうと言われてもなあ。
いい人だとは思うよ。
気取ったところもないし、穏やかだし。
あと、眼鏡かけてるし。
「比較的、好みではあるかなあ」
「だったら軽くデートしてみればいいにゃ。そもそもちょっと一緒にいて合わなそうな相手だったら、そのあと何したってダメにゃ」
なんか深いことを言ってますね。姐さん。
「そゆことそゆこと! どーだべーって悩んだって話は先に進まないからね! 今日きたときにでも誘ってみればいいんでない?」
麻姑もあっさりと言った。
さすが痒いところに手が届く天女だ。ズバズバきますね。
でもまあ、たしかに二人の言うとおりではある。
銭湯の女将と客、あるいは書店員と客、という立場のままで、相手のことを詳しく知れるわけがない。
外で会って喋ってみるのが一番だ。
それで相性が良くなかったら、それ以上の関係にはならない。
ただそれだけの話である。
誘ってみて、断られた場合も同じ。
最初から脈なしってことだ。
中高生でもあるまいし、きてくれるかなードキドキってなるような歳でもない。
「んだね。誘ってみますか」
よいしょ、と、私も番台に入った。
そろそろ開店時間である。
麻姑が、ててっと外へと駆けてゆき、玄関の引き戸を開放して暖簾をかける。こちらに向かって立てる指は三本。
開店待ちの行列は三十人という合図だ。
私とさくらは頷き合い、番台の中に五十円玉の塔を作っておく。
釣り銭用の。
「お待たせしました! 開店ですよ!」
麻姑の元気な声が木霊した。
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