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第32話


 心の疲れは目に見えない。

 心の傷も目には見えない。


 だから、ないものとして扱ってしまう。

 人でも仙でもあやかしでも、あるいは神ですら。


 それは(おり)のように少しずつ少しずつ溜まり、心を蝕んでゆく。


「疲れてるな、ストレスが溜まっているな、と感じているなら話は難しくないがの」


 西王母が説明してくれる。

 怖いのは、自分でも気づかない疲れなのだそうだ。

 というより、自覚症状があるってのは、もうかなりヤバい状況なんだってさ。


 私も『ねこの湯』を始めるに際して、弁護士にいくつか相談をしたりもした。法令的な部分って、やっぱり専門家に訊くのが一番だからね。


 そのとき感じたのは、この人たちってよくおかしくならないな、ということだった。

 もっのすげー細かいんだよ。法令ってさ。


 過去にこういう事例があったとか、なまら大事だから全部調べないといけないの。

 あのときの裁判ではこういう判断がされた、とかね。

 このときの判例ではこうなっている、とかね。


 うぜー、しらねー、何十年前の話を持ち出してるんだよって思ったもんだよ。


 それでも私なんて『ねこの湯』一軒のことだからまだマシだけどさ。いろんな裁判とか手がけている弁護士は、人間同士のどろっどろした感情のぶつかり合いに絶えず晒されてるわけじゃん。


 考えただけでぞっとする。

 その先生に訊ねてみたら、じっさい鬱病になった人も、それを治療しながら仕事を続けてる人も少なくないって。


「つまり、そういうストレスを取り除いてくれるってことですか?」

「取り除くことなどできぬよ。由梨花や。それは本人の問題じゃでな」


 仙湯の効果は、心が負った傷を修復すること。

 外傷に傷薬を塗るようなものだという。


 劇的に回復するわけじゃない。それでも、少しだけ傷の治りを早くするし、傷跡も残りにくくなる。


「概念的なものじゃから、人間には判りにくいかもしれぬがのう」

「いえ、判るような気がします。なんとなくですが」


「霊力でも魔力でも良いが、ようするにそれらは心の力じゃ。傷を癒やす過程で、それも回復するということじゃな」

「なるほど。それは良いですね」


 私は大きく頷いた。

 心を少しだけ癒やすお風呂。

 まさに命の洗濯である。


「なんか色でもつけて薬湯って銘打っとけば、体裁は整うんじゃね? 女将」


 祭の雑な意見だ。

 けど、方針としては悪くない。


 じつは入浴剤を入れてる銭湯も少なくないしね。そもそも入浴剤ってもの自体が銭湯で使うために売り出されたのがスタートなんだよ。

 津村順天堂が作った『浴剤中将湯』だったかな。


 それから高度経済成長期に家庭用のお風呂が増えて、個人でも使うようになっていったのさ。

 だから『ねこの湯』で入浴剤を使っても、悪いことはなんにもない。


「心を癒やす仙薬風呂。これでいこう」


 ストレートなネーミング。


「豪胆な小娘じゃのう」


 西王母さまあきれ顔だ。

 まあ、仙薬なんて言ったって、信じる人間は誰もいないからね。

 そういう名前の入浴剤だろって思われるだけ。


 だったらべつに隠す必要なんかない。

 本当の効果と本当の名前を言っちゃう。


「色はピンクかな」

「アホか。青とか緑にしておきな」


 美雪によって一秒で切り捨てられた。

 ピンクかわいいのに。

 助けを求めるようにさくらを見たが、ついっと目をそらされました。

 かなしい。


「ともあれ、工事が終わったら呼ぶが良い」


 そう言って西王母がハンドバッグから携帯端末を取り出した。

 仙界って電波通じるの?

 今日のドライブでもパシャパシャ撮ってたけどさ。

 そもそも、なんで神さまが携帯端末もってんの?


「残念ながらどこの電話会社も仙界にはアンテナを立ててくれなかったでのう。妾の神力でつなげるだけじゃな」


 私の素朴な疑問にあっさりと答えてくれる。

 ていうか、どんな電話会社だって仙界に進出できないって。

 なので、自力でなんとか仙界(せんかい)。なんちてー。


「…………」


 息をするように内心を読んでくる西王母に、おもいっきり白い目で見られましたとさ。


 ちなみに彼女の電話番号は、絶対にどこにも繋がらないような数字と記号の羅列だった。

 こっちの端末が発する電波を、勝手に神力とやらで拾うんだってさ。





「やっと帰ったみたいだね!」


 翌日の営業前、愁也(しゅうや)と一緒に麻姑(まこ)がやってきた。


 仲良しである。

 むしろ、これで付き合ってないっていうんだから、笑止である。


 ま、愁也がヘタレで告白できないってだけなんだろうけどね。

 そんなんじゃ一生恋人なんでできないぜ。我が愚弟よ。


「姉貴から悪意の波動を感じる」

「気のせいよ。邪推よ」


 ぺいって捨てておいて、私は麻姑に向き直った。


「なんとか凌げたけど、新しい仕事が増えちゃったよ。やっぱり油断ならない人だったわ」

「だしょ? 気づいたら手玉に取られてんだよね!」


「うむー。あれはヤバい上司だ」

「がっつり押しつけてこないのか逆に怖いっていうね!」


 上司うぜー同盟で盛り上がる。

 一晩寝て思ったんだ。

 全部、西王母の手のひらの上だったんじゃないかって。


 私が一線を引いた態度を取るのも、条件闘争を挑むのも最初から承知で、こちらが有利になるような取引にした。


 これから間違いなくお客さんは増えるだろう。

 銭湯に加えて、仙湯まで営むことになるんだから。


 経営的には大きなプラスだ。

 貴重な仙薬まで融通してもらえるしね。

 でもその分、スタッフにかかる負担は大きい。


 つまりあれってそういう話だったんだろうね。いろいろ環境は整えてあげるから頑張って、とね。


「仙薬風呂、やることになったわよ」

「まじ!?」


 驚きながらも目を輝かせる麻姑。

 わりと上位の仙女である彼女にとっても、仙薬は高級品らしい。


「それってあやかしだけじゃなくて、仙も詰めかけるんじゃない?」

「たぶんね」


 じーっと麻姑を見つめる。

 そりゃもう、穴が空くほど。

 あんたが西王母に余計な情報を渡さなければ、こんな事態にはならなかったんだよ、という思いを視線に乗せて。


「う……」

「忙しく、なるだろうねぇ」


「…………」

「ところで麻姑ちゃん。『ねこの湯』ではバイトを募集していたりするんだよね」


 おもむろにスタッフを募集してみる。

 わなわな震えながら、女子大生仙女が口を開いた。


「時給いくらっすかね……」

「九百六十円だねー」


 安くて申し訳ない。

 北海道の最低時給だ。


「ああもう! やるよ! やらせてください!」


 地団駄ダンスを踊り始めた。


「さくらの言うこときかない仙とかもいるだろうし! あたしが治安要員やるよ!」

「助かるわー」


 よし。

 スタッフゲットだぜ。


 実際問題として、麻姑の言った部分が不安だったんだ。

 さくらは可愛いけど、そりゃもう世界で一番可愛いけど、仙としては最下級なんですよ。


 あやかし程度が相手ならにらみを効かせることはできるだろうけど、上位の仙人が相手となるとちょっと分が悪い。

 麻姑に抱き上げられたり、西王母の膝に乗せられたりしてるしね。


「え……島崎が働くなら俺も手伝おうかな……」


 なにやら愁也がごにょごにょ言ってる。

 就活生がバイト?

 ずいぶんと良いご身分ですね。


「あんたの部署なんかないわよ? 愁也」

「しょんな!?」


 膝から崩れ落ちる弟だった。

 そもそも『ねこの湯』は女の園なのだ。ヤローが入り込む余地はない。


「三井さんは!?」

「歳さんはスポンサーじゃよ。なんじゃ? おぬしも資金援助しくれるのかや?」


 愁也がぐぬぬ、とか唸ってるけど、ダメなもんはダメ。

 あんたは、まずちゃんと就職を決める。

 好きな子と一緒にバイトするんだい♪ じゃなくてね。


 その好きな子と一緒に暮らしていけるような仕事を、ちゃんと見つけることが、いまのあんたがやるべきことだよ。

 こんな説教がましいことは言わないけどさ。


「そもそも、女の園に入りたいとか、エッチすぎるよね」

「ねー!」


 上手く息を合わせてくる麻姑と一緒に、可愛いポーズを決めておく。


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