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第3話


 そりゃあ驚くよ。

 家に猫又がいたら。


 でも、驚きはすぐに喜びに上書きされる。

 さくらだもん。私たちに会うために、戻ってきてくれたんだもん。


「ぱぱ。まま。しゅう。ただいまにゃ」


 もうね。両親だけでなく、弟の愁也(しゅうや)も、おいおい泣きながらさくらを抱きしめたもんだよ。

 ぺろぺろと弟の涙を舐めとってやるさくら。


「しゅう。大の男が人前で泣くもんじゃないにゃよ」


 そして相変わらず、彼にはお姉さん風を吹かせるのだ。

 昔と変わらず。


 ますます男泣きに泣いちゃう弟だったけど、まあ気持ちはわかるよ。

 見て見なかったことにしておいてあげる。


「でにゃ。じつはみんなにお願いがあるにゃ」


 三十分ほどももみくちゃにされたあと、何事もなかったようにさくらが口を開いた。


 ぺろぺろと毛繕いして居住まいを正す。

 ぼさぼさになってた白い毛並みが、神々しいまでに真っ白に、つややかになってゆく。


 さすが猫又。

 さすねこ。


「お願いとは?」


 父が訊ねる。疑問形をとってるけど、表情はすでに了承していた。どんなお願いだってきいちゃうよーんって顔に書いてるもん。

 そしてそれは、母も弟も、もちろん私も同じだ。


 さくらの願いを聞き届けないなどということがあろうか。

 いや、ない。


 反語まで作っちゃうよ。


「おじーちゃんの銭湯を、なくさないでほしいにゃ」

『へ?』


 思わず家族四人が間の抜けた声をハモらせる。

 ちょっと繋がらなかったから。


 そもそも、さくらと祖父は面識がないはず。なんで彼の銭湯を守りたがるのか。


「説明するとちょっと長くなるにゃ」


 てしてしと顔を洗うさくら。

 にへらと顔を緩ませる家族。


 うん。

 もうちょっと真面目にやろうか。


 本来、仙籍を得たものが家族のもとへと帰るなんてことはありえないらしい。

 生前のしがらみから解き放たれる、というのも昇格の条件だから。

 しかし、さくらは私たちのところへ戻ってきてくれた。


「当たり前だけど、事情があるにゃ」


 右手でくいくいと手招き。

 招き猫みたいに。


 すると、ぽんって目の前に半透明の球体が現れた。

 まるで魔法だ。


「このへん一帯の、霊力の分布図にゃ。見て判るとおり、昭和(しょうわ)湯が霊泉の位置にあるにゃ」

「OK。見てもぜんぜん判らん」


 一同を代表し、私が異議を申し出た。


 球体の中に光る線とか図形とかいっぱいあって、それがにょこにょこ動いて、すんげー不思議できれいだけど、どれがなにを意味しているとか、さっぱり判らない。


 あ、昭和湯ってのは銭湯の屋号ね。

 昭和って町にあるからなのか、昭和時代に作られたからなのか、私には判らないけど。


「ゆり……」

「仕方ないじゃん。犬でも私でも判るように説明してよ。あと、残念な子を見るような目で見るな。八年ぶりくらいだけど、嬉しくなっちゃう」


「ようするに、昭和湯がなくなってしまうと、このへんの霊脈が乱れるにゃ。それは、いろいろと都合が悪いのにゃ」


 そもそも銭湯というか水場は、土地を霊的に安定させるために必要なものらしい。

 石の霊力というのは非常に揺らぎやすく暴走も起こりやすい。だから水によって治めるのだという。


「簡単に言うとにゃ、石を食べることはできないけど、水を飲むことはできるって話にゃ」

「そりゃあそうでしょうよ。石や土なんて食べられるわけないじゃん」

「けど、その土で育った野菜は食べれるにゃね」


 土の霊力が水に溶け出し、それを吸収することで植物は生育する。

 人間や動物は、それを食べることによって命を長らえることができる。


 栄養学的な話ではなく、霊的な話なんだってさ。


 水場を多く設けることで霊的な安定を図るってのは、けっこう大昔からおこなわれてきたらしい。

 そして、銭湯もまたそのひとつ。


「けど、それもどんどん減ってるにゃ」

「まあそうでしょうねえ」


 銭湯なんて、消えゆく産業の代表格といっても良いくらいだ。

 有名な温泉旅館だって廃業したところも少なくない。ましてや町のお風呂屋さんだもの。

 裸の付き合い、なんて言葉を聞かなくなって久しいしね。


「つまり、日本中で霊力が不安定になってるってことかい?」


 訊ねたのは弟だ。

 若いだけあって、霊力だの霊脈だのいう話にもしっかり付いてきている。


 両親はぽかーんだけどね。


「そんなことはないにゃよ。しゅう。銭湯がなくなっても水がなくなるわけじゃないにゃ。ちゃんと上下水道網が発達していれば霊脈は安定するにゃ」


 流れが生まれるから。

 上水だけでなく下水も非常に大切なんだってさ。

 霊的な意味での循環を暗示するんだそうだ。


 函館市民にとっては、大変に耳が痛いお話ですねえ。


 北海道第三の都である函館は、いまだに完全水洗化が実現されていない。

 ので、町中を汲み取りのバキュームカーが走り回っていたりする。

 観光客の方々とか、ぎょっとするんじゃないかな。あれは。


 人口が百人くらいしかいない田舎の集落ってわけじゃないのにね。


「銭湯が減り、噴水が減り、公園に池も作られなくなり、その一方で上下水道網は増えていかないにゃ。これで安定する方向に進んだ奇跡にゃね」


 言って、さくらがきょろきょろする。


 あ、はい。お水ですね。

 いっぱい喋ったから喉が渇きましたよね。


「愁也。さくら喉が渇いたって」

「はい。喜んで」


 一瞬で要望を察する私と、居酒屋の店員みたいな弟である。


 いやまあ私が汲みに行っても良いんだけど、実家とはいえ今はここで暮らしてないからね。台所を勝手にいじり回すのは控えたんだ。

 やがて運ばれてきたのは、お茶碗になみなみと注がれた水だった。


 こればかりは仕方がない。

 そくらが亡くなって八年。愛用の食器とかはさすがに処分されている。


「悪いにゃね」


 礼を述べて、ぺろぺろと水を飲み出す。

 美味しそうに目を細めるのは、きっと懐かしの我が家の水だから。

 ただの水道水なんだけど、気持ちはわかるよ。


「もともと函館ってのは、霊的にあんまり安定してないにゃ。だから神社や仏閣教会をたくさん建てて、土地を落ち着かせてきたのにゃ。で、これ以上不安定にするのも良くないから、銭湯とか温泉とかがなくなるのは避けたいって、お師匠さまが言ったにゃ」


 そこで、さくらが仙の一人として派遣された。

 廃業する可能性の高い銭湯の、経営者の血族と親しい間柄だったから。


「特例にゃ。こんなことは普通はないにゃ」


 すごい。

 特例万歳。

 さくらと再会できたんだ。最高の特例じゃん。


「ちなみに、誰も昭和湯を継がなかったらどうなるんだ? さくら」


 父が訊ねる。

 まあ、あまり簡単な話ではないのはたしかだから。


「強制はできないにゃ。名残惜しいけど、さくはあっちに帰るしかないにゃ」


 あくまでも銭湯を継続させるために、さくらは派遣されただけ。

 継続できないなら任務失敗ということで、神仙の世界に帰らないといけない。


「OK。俺、明日会社辞めてくる」


 きっぱりと言い切っちゃったよ。この大黒柱は。

 簡単な話じゃないって言った、私のモノローグを返せ。


「父さんがやめるのはまずいだろ。むしろ俺が大学やめるわ」


 うぉい長男。

 てめーまでなにを言い出す。


 そして母親よ。なぜ私を見る。

 いや、判るよ。

 判りますとも。


 父が会社を辞めるのも、弟が大学を中退するのも、そうとうまずいっすよね。

 その点、私なら容儀は軽い。


 東京の会社だって、べつに部下がいる地位に就いているわけではないし、退社は比較的容易だ。

 しかも、またさくらと暮らせるという余録までついてる。

 これに飛びつかない理由があろうか。


 先のことなんて、今考えても仕方がない。

 さくらを現世にとどめるのが最大の目的だ。そのための犠牲なんか、安い安い。


「私が函館に戻るよ。で、お祖父ちゃんの銭湯を継ぐ」


 にっこりと笑い、私はさくらの背中をなでた。


 


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