第24話
「で、あの女はどこ!」
ふんっと胸を反らして言い放つ麻子。
だから、あの女ってのはだれだよ。
彼氏の浮気相手を呼び出すような口調は、ぜひやめて欲しいところだ。
あれ?
もしかして美雪に用事とか?
彼女は何度もタウン誌に載ってるし、憧れてるとか?
それならよくわかる。
「なに騒いでるのよ? いったい」
女湯と書かれた暖簾を押し上げ、タイミング良く美雪が顔を出した。
バスタオルだけ身につけた格好で。
おいおい。営業前とはいえロビーにそういうスタイルで出てきちゃダメだって。
「みみみみみゆ姉!? 服! 服!!」
愁也も狼狽しちゃってる。
純情ボーイである。
「うひひひー、みたいー? みたいー?」
「やめれ!」
「どーして前屈みになってるのかなー? しゅーうちゃーん」
「だからやめれっ! 服着ろ! 脱衣所もどれ!」
大騒ぎである。
まーあ、初恋の相手がバスタオル一枚で現れたら、平静ではいられないよね。
知っててからかうんだから、美雪もなかなか性質が悪い。
「先客がいたのね! 大変失礼いたしました!!」
ぎゅんって勢いで麻子が頭を下げた。
お客さんがいるとは思っておらず、身内だけだから騒いでいた、ということだろうか。
よくわからん。
でも、美雪を探していたわけではないってことだけは判った。
「えーと、誰を探しているのか、さっぱり判らないんだけど」
「騒いじゃってごめんなさい。まさかお客さんがいるとは思わなくて。営業前だから」
なんか麻子がしおらしい。
なんだこれ?
そこに、ててて、とさくらが戻ってきた。
そして麻子の姿を見た瞬間、ものすごい勢いで逃げようとした。
しかし、敵も然る者ひっかくもの。
まさに飛燕の身のこなしで追いついた麻子が、さくらを抱き上げる。
この間、わずか一秒。
麻子とさくら以外、みんな指先すら動かせなかった。
あまりに二人の動きが速すぎて。
完全に棒立ちである。
なんなんだ。こいつら。
「さぁくらたん。かぁわいいでちゅねー」
顔に頬ずりとかしてる。
それだけ見ると、ただの猫好きの娘さんなんだけどね。
「うっとうしいにゃ。離れるにゃ」
そのほっぺを、さくらが肉球でぐいーっと押し返した。
『言葉言葉』
やや慌ていた声は、私と麻子の両方から。
『あれ?』
変な声も同時だ。
「ここには関係者しかいないにゃよ」
ぴょん、と、麻子の腕から飛び降りるさくら。
微妙に麻子から距離を取る。
「で? なにしにきたにゃ? 麻姑」
「遊びにきた!」
「そうじゃない可能性を一瞬だけ期待したさくが馬鹿だったにゃ」
ふうとため息をつき、さくらが番台にあがった。
「こいつは麻姑。仙の一人にゃ」
きょとんとしていた私に説明してくれる。
麻姑と麻子。字が違うらしい。
さらに、けっこうえらい仙女様なんだそうだ。
「ゆーて、『孫の手』の語源になった程度のえらさだけどにゃ」
「ほっとけ!」
なんか仙女が地団駄ダンスを踊っている。
シュールだ。
「なんで! 誰も彼も! あたしの爪を見て背中を掻くのに便利そうとか思うのよ!」
怒ってる。
そうなの?
「うむにゃ。麻姑はファッションとして、爪を長く伸ばしていたにゃ。きれーにネイルしてにゃ」
さくらが説明してくれる。
まあ、そんな人はいくらでもいるよね。
私は伸ばしてないけど、美雪は綺麗にネイルしてるし。
つけ爪もかなり長いやつだって売られてる。
日常生活で邪魔にならないか? って訊きたくなるレベルのやつね。
「現代社会じゃ、他人のファッションああだこうだと文句をつけるやつ減ったけどにゃ。西暦の一〇〇年代じゃそんなに理解はないにゃよ」
漢帝国の時代だってさ。
正確には後漢らしいけど、ぶっちゃけ私には違いなんかわかんないし。
ともあれ、そんな時代の人の世に行った麻姑は、わりと重要な役割を果たしたらしいんだ。
けど、なぜか役割よりも爪のファッションの方が目立っちゃって、その爪は背中を掻くのに便利そうだなーって思われたんだってさ。
うん。
そりゃまあ怒るよね。
いまのご時世だって、綺麗にネイルしている若い娘に、そんな台詞を吐いたらボコられますよ。
まあ、先進的すぎて後漢の人は付いてこれなかった、と。
「ちなみに、この説話が『孫の手』ってアイテムの語源になったにゃ。麻姑の手、にゃね」
背中を掻く棒だ。
すげえじゃん。アイテムにまで名前ょ残してるじゃん。
「嬉しくないからね!」
ぷんぷん麻姑ちゃんだ。
すごくえらい仙女様なんだろうけど、なんか親近感がある。
「島崎お前、仙だったのかよ……」
親近感で済まないのは愁也だ。
後輩として扱ってきたのが神仙だったら、そりゅもうびっくりですわ。
恋人でなかったのが不幸中の幸い?
「そうよ立花先輩! さくらが人間界にいったから、あたしも遊びにきたの!」
ハイテンションに応えている。
「いや、だってお前……歳が……さくらがきたのって二ヶ月ちょっと前で……」
混乱の小鳩が弟の頭上を舞う。
うんうん。
そのあたり理解するのは大変だよね。
麻子は十九歳だっていうから、いまの彼女が生まれたとき、前のさくらはまだ生きているのだ。
只猫として。
それなのに、仙のさくらと知り合いってのは、ものすごくおかしい。
「しゅう。仙界と人間界では時間の流れが違うにゃ」
「違うったって……」
「仙は人間界のどの時代に現れるのも、麻姑くらいの力を持った仙なら、お茶の子さいさいにゃ。麻姑掻痒にゃ」
万事が上手くいくって意味らしいよ。
慣用句にまでなってるんだね。
さすが八洞神仙のひとり。
詳しいでしょ?
いまさくらが教えてくれたんだ。
「ゆーて、あたしなんて下八仙で、しかも末席だけどね!」
「べつに序列はないにゃ。上八仙、中八仙、下八仙、どのひともえらいにゃ」
下八仙ってのは地上、つまり人間界のことを担当する地仙なんだってさ。
担当が違うだけで、だれが偉いってもんでもないらしい。
「判ったような……判らないような……」
しきりに愁也が首をかしげる。
人間が理解できる類のことではないよ。弟よ。
神様とか仙人の世界の話だもん。
「愁也。考えるんじゃない。感じるんだ」
「誰の台詞だよ……」
疲れたような弟でした。
ともあれ、麻姑が『ねこの湯』にやってきたのは、仙界の視察とかそういう面倒くさい話ではなく、ただの物見遊山らしい。
「もともとこういうやつにゃ。たいてい思いつきで行動するにゃ」
さくらが肩をすくめる。
「失礼な! ノリと勢いって言って!」
反論する麻姑。
どっちもおんなじだよ。それ。
呆れながら入浴グッズを渡す。
「これがタオルセットで、こっちの小瓶にセレクトアメニティを入れて使ってね。麻姑ちゃん」
「ういうい!」
さっそく機械に移動して、
「立花先輩! どうやって使うの?」
と、愁也を呼びつけている。
まあ、彼が唯一の浮き駒だからね。
美雪は脱衣所でイナンクルワに化粧を施してもらってるし、祭はボイラー室だし。
私とさくらは定位置の番台だし。
「ここに瓶をセットして、まずは好きなシャンプーを選ぶんだ」
「おおお! このシャンプーってなまら高いやつじゃん! デパートとかいかないと買えないやつ! あ、でもこっちは海外ブランドやつだ! 悩む!」
悩め。
それがセレクトアメニティの狙いのひとつじゃ。
楽しかろう?
「よし! きみに決めた!」
「いやいや。それ男性用じゃないか!」
「あえて! 自分で買うこと絶対ないもん!」
そうきたか。
頭皮の汚れをがっつり落とすと評判のやつだ。
毛穴に脂がたまって髪が細く薄くなってきたと嘆くお父さんたちにも、かなり評判が良い。
汚れを落とすという一点のみに絞れば、『ねこの湯』アメニティに中で最強だろう。
「からの! コンディショナーはこれ!」
海外ハイブランドのものを選んだか。アメリカのセレブたちも愛用しているという逸品だ。
しっかり汚れを落としたあとで、きっちりと補修と保湿。
なかなかやるな。
さすが仙界のファッションリーダー。
良いチョイスだ。
「ゆり、たのしそうにゃねえ」
弟とその友人がきゃいきゃい騒いでいるのを、微笑ましく見守っていた私に、なぜか呆れるさくらだった。
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