表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
22/40

第22話


「ところで女将さん。タウン誌に出てみませんか?」

「へ?」


 思わず間の抜けた返事をしちゃった。

 だって、井垣さんの言ってることがちょっと判んなかったんだもん。


 タウン誌って?

 出るって?


「いやあ、僕の知人が無料誌(フリーペーパー)をやってましてね。スーパーとかコンビニに置いてるやつ」

「あ、はい。判りますよ。何回かもらったことがありますもん」


 函館市の情報を発信してる無料誌だ。

 私の行動半径にも置いている店は多い。紹介されてる店で使えるクーポンとかも付いてるんで、けっこう重宝してる。


 たしか美雪が働いてるお店も紹介されてたはず。

 彼女が艶然と微笑んでる写真付きでね!

 私が男だったら間違いなく行くね。その店。


「ホットなネタをほしがってるんですよね」

「まあそうでしょうねえ」


 地域情報誌だもの。まさに情報が命だ。

 地元のホットな情報は、どんどん発信していきたいだろう。


 ちなみに無料誌ってのは広告収入で運営されているから、出るというのは二種類の意味がある。

 広告を出す、というのと、記事として掲載する、というの。


 この場合は、ほぼ間違いなく前者だろう。

 一定の効果は見込める宣伝戦略だ。


 函館って地域を限定して発行している分、SNSなんかよりもずっとダイレクトに届くだろう。お客さんになりそうな人に。


「けど、お金がないのですよ。井垣さん」


 ふうと私はため息をついた。

 改装工事をしたばっかりだからね。『ねこの湯』の。

 二百五十万円もかけて。


 聞いて驚け。うちの風呂釜はミスリル製だぜ。

 いやまあ言えないし、言ったとしても信用されないだろうけどね。

 くすりと井垣さんが笑う。


「女将さん。少し誤解があるようですね。広告を出しませんかって誘いじゃないですよ」


 なんで書店員の僕がそんな誘いをするんですか、と付け加える。

 ふむ。

 記事ってことかい?


「美人女将が経営する新しい銭湯、って記事をやりたいそうです」


 意味不明すぎる。

 私が美人かどうかは横に置いて。


 置いてよ?

 美雪なんかと比べられたら、悲しくなっちゃうんだから。


 ともあれ、『ねこの湯』を取材するというのはちょっと時期尚早だろう。

 開店から一ヶ月も経ってないんだから。


 海のものとも山のものともつかない、という表現が、ぴったり当てはまるわけで、すぐつぶれちゃうかもしれないのだ。

 もちろん私としては倒産するつもりなんかさらさらないけど、それと世間様の評価はべつものだったりする。


「普通は一年くらい様子見てから取材するんじゃないです?」

「様子を見ているうちになくなっちゃうかもしれないってことで、最近はすぐに動くらしいですよ。それが結局、地場産業を応援することになるんだそうで」


 有名店や、星をいくつももらっているようなレストランを取材するのは、大手出版社がやれば良い。

 函館にできた新しい店を紹介してこその地元情報誌だ。


 それが地域を応援するということだ。

 とまあ、そういう方針なのだそうである。


「へえ……」


 興味が沸いた。

 本気を感じる。

 この街を、この街に住む人々を応援しようという気概を感じる。


 話題に乗っかるのではない。

 自ら流行を作ってみせよう、と。


「どうです? 女将さん」

「取材はともかくとして、会ってみたくはなりました。顔つなぎをお願いしても良いですか? 井垣さん」

「さすが。そう言ってくださると思っていましたよ」


 笑い合う二人だった。






「ゆりは相変わらず眼鏡好きにゃね」


 周囲に人がいなくなったのを確認して、膝の上からさくらが話しかけてきた。

 高校生の頃くらいまで私の恋愛事情を、こいつは全部把握しているからなあ。


 片思いから成就したやつまでひっくるめて。

 こわいこわい。


「べつに、井垣さんが眼鏡だったから話を受けたわけじゃないわよ?」

「そんな理由で受けたならびっくりにゃ」


 私たち『ねこの湯』は、地域の産業としては新参だ。

 なのに地域に根ざした商売をしなくてはいけない。

 であれば、地域を応援しようって志を持った人に会ってみることは、けっして無意味ではないと思ったのである。


「アイデアマンのゆりと、気骨のあるタウン誌。どういう化学反応をするのかたのしみにゃね」


 にふふ、と笑う。

 面白がってるなぁ。

 まあ、私も楽しみではあるんだけどね。


 大手がやらないことをやる。口で言うのは簡単だけど実行は難しい。

 どうしてかっていうと、大手企業のやっていることは、利益が出るってことが判っていることだから。だから多くの会社もそれに追随する。


 で、下に行くほどうまみはなくなっていくわけだ。

 一次請け会社なんか右から左に仕事を流すだけじゃねーか、なんて言葉をよく聞くくらいにね。


 なのに、ほとんどの中小企業も、あるいは個人でさえもその環から抜け出せない。

 抜け出そうとしない。


 怖いからだ。


 報復がってことじゃないよ? ヤクザやマフィアじゃないんだから。

 彼らが怖れるのは失敗。

 それはおかしなことではなく、誰だって失敗は怖いのだ。


 自分一人だけならまだしも、従業員やその家族のまで路頭に迷わせるわけにはいかないもの。

 だから、勝負するってのはギャンブルであってはいけない。


 ものすごく無謀に見えて、勝負した人たちにはちゃんと勝算があったったことなんだよね。


「といっても、充分な勝算があったって負けるときは負けるんだけどね」

「身も蓋もないにゃ」


「そんなもんよ。最後は時の運になっちゃうから」

「運の要素を、ギリギリまで削っていくのが戦略や戦術にゃ」


 右手で顔を洗うさくら。

 どうでも良いんだけど、仙が化学とか戦略とかの話をして良いんだろうか。

 もっとこう、俗世から離れたところにいるんじゃないの? 神仙って。




 井垣さんの骨折りもあって、タウン誌『函館ダッシュ』の担当者さんとの面会はすぐに実現した。


 定休日である水曜日に『ねこの湯』を訪れたのは、笹岡奈津(ささおか なつ)さんという女性である。

 明るくしたショートカットが活動的な、やや痩せ型の美人さんだ。


 美雪といい舞鶴女史といい笹岡さんといい、なんで私の周囲には背の高い美人が集まるのか。


 あんたら、それぞれ三センチずつ私に身長を分けてくれ。

 そしたら夢の百六十台になれるから。

 頼むぅ。


「迷いませんでした?」


 お茶を差し出しつつ訊ねる。

 もちろん内心の叫びなんか声にも態度にも出さないよ。


「何度もきてますから」

「おおっと?」


「じみに常連だったりします。いいですよねえ。薪風呂」

「それは、なんというか。ありがとうございます」


 ちょっとだけハスキー声な笹岡さんの言葉に面食らってしまう。

 さすがにお客さん一人一人の顔はおぼえてないしなあ。


 しかもね、『ねこの湯』にくる女性客の七割くらいは、入るときと出るときで顔が違うんですよ。

 化粧を落とすから。


 男性諸氏よ。憶えておくが良い。

 女とは化粧で化けるモノなのじゃ。


「お客さんもずいぶん増えましたね」

「おかげさまで」


 にっこりと笑う。

 サウナとメイクアップサービスの導入後、客数は安定して伸びている。

 一日の平均入店数は二百四十。


 コアタイムにあたる午後七時台八時台は、だいたい七十席すべてが埋まっている感じだ。


 そこで席の奪い合いではなく、譲り合いになるのが銭湯の良いところ。

 誰かが身体を洗っているときは、ゆったり湯船につかっていれば良いのである。


 そもそも急いでバスタイムを終えようとする人は、銭湯になんかこないで自宅のお風呂に入るしね。

 席が空いてないなら、のーんびりと空くまで待つ。


「じつは、私が不思議に思ったのはそこでした」

「ですよね」


 頷き合う。

 じつは私だって不思議だったのである。

 なんで銭湯にきた人は、こんなにのんびりしちゃうのかって。


 さくらに訊いたら、水の精霊も木の精霊も人間をリラックスさせ、トゲトゲしてる気分を平らかにするからなんだって。

 もちろんこれを記者さんに告げることはできないけどね。


 そのさくらが足元にやってきて、にゃあと猫の真似をした。

 ぱあぁぁ、と笹岡さんの顔が輝く。


「か、看板猫のさくらちゃんですね! しゃ、写真撮っても?」


 声までうわずってるし。

 こやつ、かなりの強者ならぬ猫者とみたぞ。

※著者からのお願いです


この作品を「面白かった」「気に入った」「続きが気になる」「もっと読みたい」と思った方は、

下にある☆☆☆☆☆を★★★★★にして評価していただいたり、

ブックマーク登録を、どうかお願いいたします。


あなた様の応援が著者の力になります!

なにとぞ! なにとぞ!!

評価をするにはログインしてください。
この作品をシェア
Twitter LINEで送る
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

この作品はリンクフリーです。ご自由にリンク(紹介)してください。
この作品はスマートフォン対応です。スマートフォンかパソコンかを自動で判別し、適切なページを表示します。

↑ページトップへ