第22話
「ところで女将さん。タウン誌に出てみませんか?」
「へ?」
思わず間の抜けた返事をしちゃった。
だって、井垣さんの言ってることがちょっと判んなかったんだもん。
タウン誌って?
出るって?
「いやあ、僕の知人が無料誌をやってましてね。スーパーとかコンビニに置いてるやつ」
「あ、はい。判りますよ。何回かもらったことがありますもん」
函館市の情報を発信してる無料誌だ。
私の行動半径にも置いている店は多い。紹介されてる店で使えるクーポンとかも付いてるんで、けっこう重宝してる。
たしか美雪が働いてるお店も紹介されてたはず。
彼女が艶然と微笑んでる写真付きでね!
私が男だったら間違いなく行くね。その店。
「ホットなネタをほしがってるんですよね」
「まあそうでしょうねえ」
地域情報誌だもの。まさに情報が命だ。
地元のホットな情報は、どんどん発信していきたいだろう。
ちなみに無料誌ってのは広告収入で運営されているから、出るというのは二種類の意味がある。
広告を出す、というのと、記事として掲載する、というの。
この場合は、ほぼ間違いなく前者だろう。
一定の効果は見込める宣伝戦略だ。
函館って地域を限定して発行している分、SNSなんかよりもずっとダイレクトに届くだろう。お客さんになりそうな人に。
「けど、お金がないのですよ。井垣さん」
ふうと私はため息をついた。
改装工事をしたばっかりだからね。『ねこの湯』の。
二百五十万円もかけて。
聞いて驚け。うちの風呂釜はミスリル製だぜ。
いやまあ言えないし、言ったとしても信用されないだろうけどね。
くすりと井垣さんが笑う。
「女将さん。少し誤解があるようですね。広告を出しませんかって誘いじゃないですよ」
なんで書店員の僕がそんな誘いをするんですか、と付け加える。
ふむ。
記事ってことかい?
「美人女将が経営する新しい銭湯、って記事をやりたいそうです」
意味不明すぎる。
私が美人かどうかは横に置いて。
置いてよ?
美雪なんかと比べられたら、悲しくなっちゃうんだから。
ともあれ、『ねこの湯』を取材するというのはちょっと時期尚早だろう。
開店から一ヶ月も経ってないんだから。
海のものとも山のものともつかない、という表現が、ぴったり当てはまるわけで、すぐつぶれちゃうかもしれないのだ。
もちろん私としては倒産するつもりなんかさらさらないけど、それと世間様の評価はべつものだったりする。
「普通は一年くらい様子見てから取材するんじゃないです?」
「様子を見ているうちになくなっちゃうかもしれないってことで、最近はすぐに動くらしいですよ。それが結局、地場産業を応援することになるんだそうで」
有名店や、星をいくつももらっているようなレストランを取材するのは、大手出版社がやれば良い。
函館にできた新しい店を紹介してこその地元情報誌だ。
それが地域を応援するということだ。
とまあ、そういう方針なのだそうである。
「へえ……」
興味が沸いた。
本気を感じる。
この街を、この街に住む人々を応援しようという気概を感じる。
話題に乗っかるのではない。
自ら流行を作ってみせよう、と。
「どうです? 女将さん」
「取材はともかくとして、会ってみたくはなりました。顔つなぎをお願いしても良いですか? 井垣さん」
「さすが。そう言ってくださると思っていましたよ」
笑い合う二人だった。
「ゆりは相変わらず眼鏡好きにゃね」
周囲に人がいなくなったのを確認して、膝の上からさくらが話しかけてきた。
高校生の頃くらいまで私の恋愛事情を、こいつは全部把握しているからなあ。
片思いから成就したやつまでひっくるめて。
こわいこわい。
「べつに、井垣さんが眼鏡だったから話を受けたわけじゃないわよ?」
「そんな理由で受けたならびっくりにゃ」
私たち『ねこの湯』は、地域の産業としては新参だ。
なのに地域に根ざした商売をしなくてはいけない。
であれば、地域を応援しようって志を持った人に会ってみることは、けっして無意味ではないと思ったのである。
「アイデアマンのゆりと、気骨のあるタウン誌。どういう化学反応をするのかたのしみにゃね」
にふふ、と笑う。
面白がってるなぁ。
まあ、私も楽しみではあるんだけどね。
大手がやらないことをやる。口で言うのは簡単だけど実行は難しい。
どうしてかっていうと、大手企業のやっていることは、利益が出るってことが判っていることだから。だから多くの会社もそれに追随する。
で、下に行くほどうまみはなくなっていくわけだ。
一次請け会社なんか右から左に仕事を流すだけじゃねーか、なんて言葉をよく聞くくらいにね。
なのに、ほとんどの中小企業も、あるいは個人でさえもその環から抜け出せない。
抜け出そうとしない。
怖いからだ。
報復がってことじゃないよ? ヤクザやマフィアじゃないんだから。
彼らが怖れるのは失敗。
それはおかしなことではなく、誰だって失敗は怖いのだ。
自分一人だけならまだしも、従業員やその家族のまで路頭に迷わせるわけにはいかないもの。
だから、勝負するってのはギャンブルであってはいけない。
ものすごく無謀に見えて、勝負した人たちにはちゃんと勝算があったったことなんだよね。
「といっても、充分な勝算があったって負けるときは負けるんだけどね」
「身も蓋もないにゃ」
「そんなもんよ。最後は時の運になっちゃうから」
「運の要素を、ギリギリまで削っていくのが戦略や戦術にゃ」
右手で顔を洗うさくら。
どうでも良いんだけど、仙が化学とか戦略とかの話をして良いんだろうか。
もっとこう、俗世から離れたところにいるんじゃないの? 神仙って。
井垣さんの骨折りもあって、タウン誌『函館ダッシュ』の担当者さんとの面会はすぐに実現した。
定休日である水曜日に『ねこの湯』を訪れたのは、笹岡奈津さんという女性である。
明るくしたショートカットが活動的な、やや痩せ型の美人さんだ。
美雪といい舞鶴女史といい笹岡さんといい、なんで私の周囲には背の高い美人が集まるのか。
あんたら、それぞれ三センチずつ私に身長を分けてくれ。
そしたら夢の百六十台になれるから。
頼むぅ。
「迷いませんでした?」
お茶を差し出しつつ訊ねる。
もちろん内心の叫びなんか声にも態度にも出さないよ。
「何度もきてますから」
「おおっと?」
「じみに常連だったりします。いいですよねえ。薪風呂」
「それは、なんというか。ありがとうございます」
ちょっとだけハスキー声な笹岡さんの言葉に面食らってしまう。
さすがにお客さん一人一人の顔はおぼえてないしなあ。
しかもね、『ねこの湯』にくる女性客の七割くらいは、入るときと出るときで顔が違うんですよ。
化粧を落とすから。
男性諸氏よ。憶えておくが良い。
女とは化粧で化けるモノなのじゃ。
「お客さんもずいぶん増えましたね」
「おかげさまで」
にっこりと笑う。
サウナとメイクアップサービスの導入後、客数は安定して伸びている。
一日の平均入店数は二百四十。
コアタイムにあたる午後七時台八時台は、だいたい七十席すべてが埋まっている感じだ。
そこで席の奪い合いではなく、譲り合いになるのが銭湯の良いところ。
誰かが身体を洗っているときは、ゆったり湯船につかっていれば良いのである。
そもそも急いでバスタイムを終えようとする人は、銭湯になんかこないで自宅のお風呂に入るしね。
席が空いてないなら、のーんびりと空くまで待つ。
「じつは、私が不思議に思ったのはそこでした」
「ですよね」
頷き合う。
じつは私だって不思議だったのである。
なんで銭湯にきた人は、こんなにのんびりしちゃうのかって。
さくらに訊いたら、水の精霊も木の精霊も人間をリラックスさせ、トゲトゲしてる気分を平らかにするからなんだって。
もちろんこれを記者さんに告げることはできないけどね。
そのさくらが足元にやってきて、にゃあと猫の真似をした。
ぱあぁぁ、と笹岡さんの顔が輝く。
「か、看板猫のさくらちゃんですね! しゃ、写真撮っても?」
声までうわずってるし。
こやつ、かなりの強者ならぬ猫者とみたぞ。
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