第21話
臨時休業と定休日のあわせて三日間を、私は遊んでいたわけではない。
「知内でカキを食べまくったり、大沼で大沼牛を食べまくったり、厚沢部の温泉で中華料理を食べまくったりしていただけにゃよね」
おっとさくらさん。
それでは私が食欲魔神みたいではないですか。
やめてくださいよう。
「運転の練習も兼ねて遠出しただけじゃん。さくらだって楽しんでたじゃん」
「楽しかったにゃよ。ゆりとデートなんて、只猫のときにはできなかったからにゃ」
うむ。
いまのさくらは仙狸なので、人間に変身することができる。
そのため、レストランでも温泉でも一緒に入れるのだ。
ちなみに後ろ二日はイナンクルワと祭は同行せず、完全にさくらと二人きりだったから、デートという表現で間違ってない。
愛しのさくらだもの!
そんなこんなで、新装オープンの日である。
この日のためにSNSや新聞の折り込みチラシなどで宣伝をおこなってきた。
男湯の目玉は薪スチームによる湿式サウナ。
あ、もちろん女湯にも同じものがあるけど、読みとしては男湯の方が利用されるだろうと思ってる。
女性向けの目玉は、イナンクルワによるメイクアップサービスだ。
これは美雪がモデルとして協力してくれた。
お風呂に入る前のすっぴん状態から、お店に出るときのフルメイクへ。
まさに化けたのである。
この反響はものすごく大きかった。
SNSは普通にバズったし、一日四人限定で当日予約のみって判ったら軽く炎上しかけた。
いやあ、怖い怖い。
で、開店前に予約は埋まっちゃった。
たしかに当日だよ! そう言われたら断れなかったよ!
「システムの穴を突こうって人は、いくらでもいるもんさね」
イナンクルワに化粧を施してもらいながら、美雪が両手を広げてみせる。
時刻は午後二時半。まだ開店前だ。
正規の時間は予約で一杯のため、先にやっているのである。
一応、開店の一時間前には湯船にお湯が張られているからね。
モデルの特権といえば聞こえはいいが、まだ完全に湯気が回っておらず寒い浴室で慌ただしくお風呂に入るんだから、たいしてありがたくはないだろう。
「ただまあ、想像していたよりずっと話題になったのが驚きだよ」
私も肩をすくめた。
一番はやいお客さんで施術は午後三時半から。
正直、午後もだいぶ遅い時間だ。夕方近くだといっても良いくらいの。
こんな時間から化粧をするのは、自分たちのような水商売の人間くらいだと美雪が笑っていたほどである。
ただ蓋を開けてみたら、問い合わせはOLや主婦ばっかりだった。
これからデートとか、クラス会とか。
デートはともかくとして、クラス会だの同窓会だのでフルメイクが必要か? なんて思ってしまうけど、むしろああいう場の方が必要なんだそうだ。
懇意にしているご近所の奥さんが言ってた。
見栄張り合戦になるんだってさ。
とくに四十代の中盤以降になると、劣化したなんて絶対に言わせないために、そうとう気合い入れるらしいよ。
怖ろしいですねえ。
女は、いくつになっても女なんだよね。
綺麗と言われたいし愛されたい。
それを理解できずに、細君に「老けた」とか「女を感じない」とか「女房と畳は新しい方が良い」とか無神経な発言をしちゃう旦那さんは、熟年離婚とかの憂き目に遭うのさ。
釣った魚にも餌をあげ続けないとね。
「はいはい。お疲れ様でした。美雪お嬢さん」
「んん! 良い出来! ありがとうさっちん!」
そうこうしているうちに美雪のメイクとヘアセットが終わる。
登場したときのぬぼーっとした感じからは想像も付かない仕上がりだ。別人といっても過言ではないくらいに。
「ごめんね美雪。正規の時間にやってあげられなくて」
「良いってことよ。自分でメイクする面倒さに比べたら、一時間ばかり早く『ねこの湯』にくることくらい、なんてことないさ」
こういう言い方をすると、美雪という女は化粧が嫌いなのかと思ってしまうけど、ぜんぜんそんなことはない。
高校の頃から、けっこうばっちりメイクしていたしね。
好きでするメイクと仕事だからするメイクでは、やる気の度合いが違うって話である。
「五百円でこれはお値打ちだよ。マジで」
「ゆーて、化粧品もヘアケア剤も全部あんたのもんを使ってるからね」
提供するのはイナンクルワの技術だけ。材料はすべてお客さんの持ち込みってのが『ねこの湯』ルールだ。
「その技術料の五百円が安すぎるのさ。メイキャップアーティストが裸足で逃げ出すほどだってのに」
「あらあら。ありがとうございますねえ。美雪お嬢さん。十五分二十分でぱぱってやっちゃった程度なんですよお」
「二十分でこれができるってのを、まずおかしいって思え」
てい、と、美雪がイナンクルワに裏拳ツッコミを入れた。
まったくである。
自分でフルメイクしてヘアセットもするなんていったら、慣れてる美雪だって所要時間は一時間ってところだ。私だったら二時間はかかるぞ。
男湯の方も盛況だった。
サウナのついている銭湯というのはべつに珍しくないが、薪ボイラーからの水蒸気による湿式というのは、ちょっとこのあたりでは見当たらないだろう。
もちろん私は物珍しさで勝負するつもりはない。
このサウナのすごいところは、何よりもまず健康効果だ。
木の精霊力と水の精霊力を最も効率的なかたちで人間の肉体に取り込むことができるらしい。
さほど霊感のない人でも早朝の森林浴を心地良いと感じるのは、ようするに同じことなんだってさ。
機械工作に詳しいドワーフたちに、神仙であるさくらが知恵を貸して完成した装置である。
しかも湿式サウナってのは温度そのものは高くないため、ゆっくりと入っていられるのだ。
湿度百パーセント、室温五十度の空間で、じんわりと身体を温める。
新式のような、忍耐! という感じはまったくない。
体力に自信のない人でも大丈夫だ。
ちなみに乾式サウナの温度は八十から百度なので、比較したらぜんぜんラク。ただ、ぐわーっと熱くなりたい人には物足りないかもしれない。
ここはもう好みの問題なので、どうしようもないけどね。
『ねこの湯』の場合は、おおむね好評だった。
サウナ導入によって男性客の入浴時間が伸びたのも良い効果かな。女性のリラックスを主眼に置いてきたから、男女の入浴時間の不均衡って問題もあるにはあったんだよ。
単身のお客さんは良いんだけど、カップルや夫婦の場合、そこそこ男の人が待たされていた。
トラブルに発展するほどではなかったけどね。
何度も時計を確認してる男性もいたから、多少はいらついてたんじゃないかな。
サウナを導入したことで、男も女も、だいたいおんなじくらいの時間浴室にいるようになった。
下手したら相方より若干長風呂しちゃってる男の人もいたくらい。
で、奥さんか恋人か判んないけど、「遅い!」とか怒られてた。
うむうむ。
さすが北海道じゃのう。女性が強い。
『神田川』みたいにおとなしく待ってたりしないよね。
微笑ましく見守っていると、
「いやあ、盛況ですね。女将さん」
男性に話しかけられた。
すらりと背の高い青年だ。
んんー? どっかで見たことあるような……。
「僕ですよ。栄好堂の井垣です」
小首をかしげる私に、苦笑しながら眼鏡をかけてみせる。
おおう。
井垣さんじゃないですか。お久しぶりです。
眼鏡をかけてないとわかんないじゃないですか。やだもー。
そんな私の表情を見て、彼はますます笑いじわを深くした。
「……僕の本体は眼鏡じゃないんですけどね」
「まさか!?」
わざとらしく驚いてあげる。
ここはまあ、お約束だろう。
「相変わらず女将さんはアイデアマンですね。いきなり三日も休んだと思ったら、こんな仕掛けを用意していたなんて」
「井垣さんにヒントをいただいたんですよ」
にこっと笑ってみせる。
じつはこの人、歳さんよりタイプだ。
眼鏡かけてるしね。
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