第19話
夕食時に歳さんがやってきた。
訪問の時間帯がよろしくない。昨日の混浴発言といい、ちょっと株が下がっちゃうぞ。
「いやいや。機嫌を直してくれよ。由梨花ちゃん」
そういって差し出すのは雑誌だ。
昼間、私が買ったものと同じ。
ほほう。
歳さんもそれに気づいたか。
「ふっふっふー」
謎の笑いを浮かべ、私もちゃぶ台の下から雑誌を取り出した。
「おおっ!」
ひとしきり驚いたあと、二人で笑い合う。
「孔明と周瑜って感じにゃね」
さくらが言った。
なんだそのたとえ。
「三国志演義の名場面のひとつだよ。由梨花ちゃん」
きょとんとする私に歳さんが説明してくれた。
赤壁の戦いっていう一大決戦に際して、孔明と周瑜っていう軍師ふたりが、どうやってに戦うか存念を手のひらに書いて見せ合ったんだって。
で、どっちも火って書いてあった。
火攻めってことね。
見解の一致した彼らは、手を取り合って巨大な敵軍と戦ったんだそうだ。
うん。
さっぱりわからん。
すまんのう。孔明なんて羽扇子からビームを撃つ人ってくらいしか印象ないんじゃわ。
「それはゲームにゃ。一人で千人くらい倒せるやつにゃ」
「うん。やったことないけどね」
ちなみに、周瑜にいたっては、名前すらいま初めて聞いたレベル。
申し訳ない。
私、歴史物に疎くて。
明治維新っていうか、箱館戦争についてならそれなりに判るんだけど。
「あ、そういえば歳さん。刀どこにやったんです?」
つい気になって訊いちゃった。
彼は和泉守兼定って刀を使っていて、一振りは小姓に持たせて戦場を脱出させたんだけど、もう一振りが見つかっていないのである。
「さあ? 戦場の混乱で折れたかなんかしてなくなったんじゃね?」
「軽っ!? そんなんでいいの? 愛刀だったんですよね?」
「アイテムはアイテムさ。べつにこだわるようなもんじゃないよ。由梨花ちゃん」
大事なのは使う人間なのだと笑う。
まして刀なんて人を斬るための、どちらかといえばない方が良い道具なのだから、戦場に消えても惜しむようなもんじゃない、と。
榎本武揚の理想に賛同し、武士としての己を貫き、函館に散った男はわりと現実主義者だったでござる。
あーでも、彼ってそういう部分はあるかもね。
さっさと洋装に切り替えてるし。
「ふたりとも。話がそれてるにゃよ」
ぽむぽむと私の足を叩き、さくらが注意喚起する。
ていうか、さくらが最初にそらしたんじゃん。
こほんと咳払い。
三国志演義も箱館戦争も、いまは関係ないのである。
「サウナ、ですよね」
「ああ。もし『ねこの湯』に足りないものがあるとすれば、サウナだ」
頷き合う。
雑誌を読んでいて気づいた。
男はけっこうサウナが好きなのだと。
もちろん女だって好きな人もいるけど、たぶん男の方が好きっぽい。
なにしろ、男性専用のサウナ施設とかもあるくらいだから。
これが利用する男女の人数差を是正する秘策となる、かもしれない。
「まつりん。できる?」
私は祭を見た。
ここではじめて、話は技術論に移るのである。
豚肉の唐揚げをおつまみにウイスキーを楽しんでいたドワーフ娘がテレビの画面からこちらに視線を移す。
ちなみに、この豚肉は森町の特産なんだってさ。
ひこま豚って銘柄で、かなり美味しい。
「乾式ならサウナルームを作って、そこで石炭なり薪なりを燃やせば良いだけだから簡単だな。湿式だとボイラーから出る水蒸気を回すってことになるから、それなりの工事は必要になるさ」
さらりと答えが返ってくる。
どちらにしても、サウナルームは作らないと何もできない。
開業から二週間足らずで設備を増やすってことか……。
私は腕を組んだ。
「思案のしどころにゃね」
さくらの言葉に頷いてみせる。
もしいま増設するなら、ボイラーの強化も一気にやってしまいたい。
そして作るのは湿式サウナ。
薪で沸かしたお湯から出る水蒸気によって身体を温めるのだ。
霊的には、木と水の精霊力を浴びることになる。
健康効果もバッチリにゃ、と、さくらが太鼓判を捺してくれた。
人間の潜在霊力にも作用して、定期的に入ることによって肉体そのものを良い状態に保ってくれるらしい。
それをきいたら、湿式を選ぶしかないっしょ。
ただ、問題はお金と時間だ。
改装工事そのものは三日もあれば終わるってことだけど、開業から一ヶ月も経ってないのに休業は痛い。
釜を強化して、サウナルームを作って、そこに水蒸気が入るようにして、水風呂を作って、と、ざっと思いつくだけでもけっこうやることがある。
祭の試算では、総額二百五十万円くらいだってさ。
厳しい。
私がOL時代に貯めたお金は最初の改装費用に使っちゃって、あんまり残ってないし、仮に残っていたとしてもぜんぜん足りない。
となると借金しか方法はないんだけど、さて銀行は貸してくれるだろうか。
「まあ無理にゃね」
「ですよねー」
現在、売り上げは好調だ。
一般的な銭湯と比較して二倍以上の客入りだし、レンタルタオルやセレクトアメニティ、さらには自動販売機の売り上げだってかなり好調である。
しかし、そんなものは開店フィーバーだと一蹴されるだろう。
それが銀行ってもんだ。
彼らは将来性に対してではなく、実績に対して融資するのである。
この会社は伸びるかもしれない、伸ばしてやろう、とお金を出すのは融資ではなく投資だ。
で、『ねこの湯』が投資を募ったところで、いったい誰が出すんだって話。
最近はクラウドファウンディングっていって不特定多数から少しずつお金を集めるって方法もあるけど、あれだって上手くいったものばかりじゃない。
むしろ目標額に達しなかったものの方が多いんじゃないかな。
「お金を集めるってのは大変よねえ……」
「せちがらい世の中にゃ」
しょんぼりである。
このまま実績を積み上げて、たとえば一年くらい好調を維持できたら銀行も興味を持ってくれるかなってレベルだ。
不渡りを出す可能性が高いうちは、絶対に貸してくれないから。
比較的審査の甘い、地域の信用金庫でも、まだうちには貸してくれないべなー。
土地建物を担保にするったって、『ねこの湯』そのものにはたいして価値はないし。
「いや、金なら俺が出すけど?」
不意に歳さんが口を挟んだ。
「ええ!?」
「なんでとしが!?」
思わず見返しちゃったよ。
さくらなんて、驚きのあまりキャラ付けの猫語尾を忘れてるくらいだ。
「このあたりの霊脈を安定させるのに『ねこの湯』が必要なんだろ? なら最大限の協力はするさ」
なに当たり前のことを訊いてるんだって顔で答えられても……。
「大金にゃよ? とし」
「姐さんから受けた恩に比べたら、はした金ですって」
すげー信頼関係だ。
さくらと土方歳三の間に何があったのか。
「じゃあ、お言葉に甘えてお借りしますけど……」
「ああ。返済はある時払いの催促なしでいいからな。由梨花ちゃん」
それは貸すって言わない。
あげるって言うんだ。
ダメ、ゼッタイ。
「なあなあになっちゃいますから、ちゃんと借用書つくりましょうね。歳さん。内々のモノで良いですから」
「堅いなあ」
歳さんが柔らかすぎるんです。
お金のことって、ちゃんとしておかないと友情にも愛情にもひびが入るからね。
歳さんといい、美雪といい、みんな気軽に援助しすぎなんだよ。
ぶっちゃけ舞鶴女史かもそうだね。
ビジネスライクの関係というより、『ねこの湯』に協賛しているみたい。
そりゃあ、ありがたいことなんだけどさ。
ものすごく。
たださ、あんまりにもおんぶに抱っこってのは、気が引けるんですよ。
みんなとは対等な関係でいたんだよね。
私としては。
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