第14話
女性用のシャンプーが八種類に男性用のが二種類。コンディショナーも同じ比率で、ボディソープは男女ともに五種類ずつ。
営業開始前日に、すべて整った。
貸し出し用のフェイスタオルとバスタオルも万端だ。
で、今日はプレオープン。
お世話になった方々を招待しての、お試し営業である。
「これ面白いですね。立花さん。想像していた以上です」
「ありがとうございます。舞鶴さん。手先が器用なスタッフが機材を自作してくれましたので、かなり安く付きましたよ」
「自作ってレベルじゃないですよね? これ」
うろんげな目をする舞鶴女史だ。ホームセンターで売ってる部材を使って半日で作ったなんて知ったら、ひっくり返っちゃうかもね。
言えるわけないので、曖昧に笑ってみせる。
「けど、デパートを抜けてまで入りにきてくれて、ほんとにありがとうございます」
「仕事の一環ですから」
番台で笑う私に、にやっと笑う女史。
仕事にかこつけて早退したんだぜ。きっと。
お風呂に入った後、デパートに戻るわけにいかないもんなー。
時刻は午後五時すぎ。
彼女の職場は当たり前のように営業時間内だ。
「使い方はポップにも書いてますし、従業員に訊いてもOKです。すごく簡単なんで、一回で判りますよ」
「そうさせていただきますね」
タオルと小瓶を受け取り、舞鶴女史が番台からセレクトアメニティへと向かう。
ちなみに、『ねこの湯』は昔ながらの銭湯のように入り口で男女に分かれているわけではない。
玄関は一緒。下足箱も共通だ。
さすがにこのあたりを分ける理由は見当たらなかったので、広々とした共有玄関にした。
そこを抜けるとロビーがあり、ここに番台やらセレクトアメニティやらちょっとしたソファセットやらテレビやらが設置されている。
配置には少しだけ気を遣った。
セレクトアメニティの装置は、女湯の入り口に近く。
ソファとかテレビは、男の入り口に近い。
というのも、男女の入浴時間ってけっこう違うから。
だいたいにおいて男性の方が短いから、カップルのお客さんは男が待たされることになる。
なので、待っている間、退屈しないようにテレビなどを置いてみたのだ。
気休めだけどね。
あ、もちろんWi-Fiも使えるよ。
さすがにテレビだけで時間を潰せってのは無理だろうから。
「『神田川』では、女が待たされてるのにゃ。時代は変わったにゃ」
膝の上でさくらが言った。
ここか、番台の上が彼女の指定席となる。
マスコットキャラという立ち位置だ。わかやま電鉄は貴志駅の「たま駅長」みたいにね。
「時代ってより、あの歌はすごい不思議だよね。洗った髪が冷えて震えがくるくらいまで待たされるって、どんだけよ」
小声での会話だ。
さすがに喋る猫ってのは名物駅長を超えちゃうので。
昭和時代に流行したフォークソングである。
同棲している男女が銭湯に出かけるのが一番の歌詞で、女が待たされるという内容だ。
まともに考えたら、女の方が入浴時間が長いのに、がたがた震えるくらいまで待たされるって、けっこー異常事態である。
もしかしたら女は、ちゃんと頭も身体も洗ってないのかもしれない。
「男を待たせたくない女心にゃよ」
「『ねこの湯』にはロビーがあるので、そちらで待っていただければ、と。夏は涼しく冬は暖かいですよ」
「誰に宣伝してるにゃ?」
ともあれ、ロビーまでは男女共有スペースだ。
巨大な猫のぬいぐるみとか置いてるけど、それ以外はたいして特徴はないだろう。
脱衣所も同様である。
できるだけ小綺麗に、こざっぱりとまとめたけど、昭和の銭湯って風情は消せなかった。
ぶっちゃけ大規模な改装をするお金もなかったしね。
ただ、浴室はちょっと違うよ。
薪で沸かしたお湯は柔らかく、しっとりと身体を包み込んでくれるように感じるし、薪ボイラーの匂いがかすかーに漂ってくるのも、また良い雰囲気だ。
たとえていうなら、ドラム缶のお風呂。
山奥で、そんなのに入ったら開放感がすごいでしょ?
でも、なかなか体験できない。
『ねこの湯』では、少しだけ味わうことができる。
ゆったりと湯船でくつろいで、お気に入りのアメニティで頭や身体を洗って。
至福のひとときを、お過ごしください。
なーんて。
「良いお湯でした。こちらも期待値以上です。立花さん」
あがってきた舞鶴女史の台詞である。
濡れた髪をタオルで包んだ湯上がり美人だ。上気した肌がちょー色っぽい。
「楽しんでもらえたなら良かったですよ」
「くつろぎすぎて、少々長湯してしまいました」
たしかに。
いまが午後七時過ぎだから、ざっと二時間くらい入ってた計算である。
少々というか、けっこーゆっくり楽しんでくれたっぽい。
「足を伸ばしてゆったり入っていると眠ってしまいそうです。誘惑に抗うのが大変でした」
「のぼせませんでしたか?」
「……少しロビーでくつろいでから帰ります」
OK。のぼせ気味なのね。
じつは、わりと良くあることだったりする。
ご家庭のお風呂はそこまで広くないし、家族がいるなら次に入浴する人がいたりするし、とことんまでのんびりするってのは難しい。
それで、たまに銭湯や温泉などに出かけたとき、ゆっくりと長風呂しすぎてのぼせてしまうのだ。
じつは実験的に入っていたとき、私も美雪も、それどころか両親さえも、同じことをやらかしているのさ。
だから気持ちはよくわかりますよ。舞鶴女史。
でもまあ、日常的に銭湯に行くようになると、スタンスも判ってくる。
お酒を飲み慣れると、自分の酒量が判ってくるってのと同じだね。
「……立花さん。この自販機、ちょっとおかしいようですが」
ロビーの一角にある自動販売機を、じーっと見つめていた舞鶴女史が、ぎぎぎ、と音がしそうな動作で番台を振り返った。
まじか。
昨日、業者が設置したばかりの機械に不具合とかしゃれにならない。
「今いきます」
「なんか、ビールがないんですよね」
「…………」
番台から浮かせかけた腰を、私はため息とともにおろした。
なに言ってんだ。この女は。
「アルコールは置いてませんよ。『ねこの湯』は」
「なんで!?」
この世の終わりみたいな顔をしてもダメです。
客層の一つとして高校生を想定している以上、アルコールの提供は避けるべきだし、当たり前のように全館禁煙だ。
湯上がりの水分を欲した身体には、スポーツドリンクで潤してください。
なんならアイスの自販機もありますよ。
「口惜しい……口惜しい……」
ぶつぶつと恨み言を言いながら、コーラなんぞを買っている。
特定保健用食品の、ゼロカロリーのやつだ。
ていうか、そういうのを好む人がビールなんか飲んじゃだめじゃん。
あれだって相当カロリー高いよ。
「そもそも、それ以前の問題として、舞鶴さんって車ですよね?」
「ええ。もちろん」
「もっとだめぢゃねーか」
「いやあ」
頭をかいてる。
褒めてないからね。判ってると思うけど。
うちのお客さんを飲酒運転で帰すわけにいかないっしょ。
「いっそ代行でもいいかな、とか」
グリップボトルの三分の一ほどを一気に飲み干し、ぷっはー、と、オッサンみたいな息を吐いた舞鶴女史が怖ろしいことを言う。
飲み屋じゃないんだから。
銭湯の帰りは運転代行で、なんて話は聞いたこともないよ。
そこまで楽しんでもらえたなら、こちらも幸せなんだけどさ。
ただ、『ねこの湯』はリゾートではないので、もうちょっと気楽に、気取りなく過ごしてほしい。
風呂上がりのビールは、家に帰ってからってことでよろしく。
ここで飲むと、居酒屋感覚になっちゃうからね。
「女将。今日も良い湯だったよ。薪の風呂はやっぱりたまらんね」
と、そのとき男湯の暖簾をくぐって歳さんが出てきた。
燃料となる廃材を融通してくれている、最も重要な関係者の一人だ。
今日のプレオープン以前にも、何度も入ってもらっている。
「ありがとうございます。歳さんも相変わらず良い男ですよ」
にこっと社交辞令で返しておく。
土方歳三の転生は、風呂上がりも色気ぷんぷんだ。
ソファからこちらを見る舞鶴女史の瞳も、なんかハートマークが浮かんでるし。
うん。
あなたも函館の女ですねえ。舞鶴女史。
※著者からのお願いです
この作品を「面白かった」「気に入った」「続きが気になる」「もっと読みたい」と思った方は、
下にある☆☆☆☆☆を★★★★★にして評価していただいたり、
ブックマーク登録を、どうかお願いいたします。
あなた様の応援が著者の力になります!
なにとぞ! なにとぞ!!