第10話
そんなに美味しい話はなかった。
森町の鷲ノ木地区に湧出していた原油は、タールを桟橋の防腐加工に使った程度で、燃料として採算がとれるようなラインに達していたわけではないらしい。
ちなみにこれ、明治五年のことで日本で初めての防腐加工らしいよ。
その桟橋に使われた木は、未だに森町の海に残ってるんだってさ。
金鉱の方は、昭和十七年に軍の命令で採掘を止めてしまい、それっきりだそうだ。
まあ、一応終戦後も調査はされたらしいんだけど、採算ラインには達しなかったとか。
「……なんかおかしくない?」
ハンドルを握った美雪がぽつりと呟いた。
私もちょっと違和感がある。
さくらは、大地の力が集まっていると言っていた。それって採算ラインに達しないくらいのしょぼいパワーなの?
北海道って島のパワーってそんなもん?
「あらあら。おふたりとも、それ以上深く考えてはいけませんよう」
にこにこと笑いながらイナンクルワが釘を刺してくる。
むしろその笑顔がちょっと怖い。
「いいにゃ、さち。ゆりもみゆきももうこっち側を知っているからにゃ」
にふふ、と、さくらが穏やかにたしなめた。
こっち側というのは、仙とかあやかしの世界のことだろう。
「石油も金も、故意にたいして採れないってことにされたにゃ。この地に人が集まりすぎるのを避けるためににゃ」
もともと、森という場所は大変に豊かな土地なのだ。
内浦湾(噴火湾)ってのが、まず静かの海で、嵐でも荒れることはほとんどない。むしろそういうときに船が逃げ込むのに適しているような地形である。
海の町なのに海からの害がない。
そりゃあ縄文人だって住み着くよね。
ちなみに、両隣の七飯町や八雲町も条件は同じなんだけど、決定的な違いもある。
森町は雪が少ないのだ。
「もちろん北海道だから降るし積もるけどにゃ。それでも森は少ない方にゃ」
厳しい冬をもつ北海道で、この条件は破格である。
「温暖で暮らしやすく資源も豊か。なのにこんなに寂れている。それは故意に寂れさせているってことなのね」
「そうにゃ。日本の消費量を購ってあまりあるだけの石油が眠ってるとか、世界市場がひっくり返るだけの金があるとか、知られてはいけないにゃ」
さくらの言葉に、振った私がごくりと生唾を飲み込む。
森町やばすぎ。
なんなん? いったい。
「あらあら。人間がそれを求めれば、大地の民と戦争になってしまいますからねえ」
イナンクルワがくすくすと笑う。
またまた知らない単語が出てきたぞ。
これから会うのが大地の民らしい。
仙狸、土方歳三の転生、アイヌの妖怪ときたんだ。もう何が出てきても驚かないぞ。
「ようするにドワーフにゃね」
「斜め上! 予想の斜め上すぎる!」
なんで幻想種族だよっ!
驚いたよ!
私の負けだよ!
「一応訊いておきたいんだけど、トールキンのドワーフ? ソードワールド2のドワーフ?」
すげーどうでも良いことを美雪が訊ねた。
本気でどうでも良いな。
トールキンってのは『指輪物語』を著したJ・R・R・トールキンのこと。彼の作り出したファンタジー世界において、ドワーフとは男も女も髭があり、背が低く屈強で、頑固者な鍛冶の達人として描かれている。
ソードワールドってのはテーブルトークロールプレイングゲームね。
いわゆる和製ファンタジーで、この手のゲームだと男のドワーフはトールキンのものと類似している。
しかし女は愛らしい幼女である。
幼女である。
二回言ったぞ。
ちょっとぽっちゃりした幼女にしか見えない女が、バカでけーハンマーやバトルアックスを振り回して戦う、というのが一部の人たちに受けている。
「後者にゃね。女も髭が生えてるってのは、むしろトールキンのねつ造にゃよ」
「ねつ造て。そもそも創作じゃん」
「仙やあやかしがいるのに、なんでファンタジーの住人がいないと思うにゃ? ゆりは」
「それは……」
あっさり論破されてしまった。
もともとエルフもドワーフも、普通に地球に暮らしていたのだという。
ただ、人間の勢力があまりに大きくなってしまったので、姿を隠しただけ。
長寿の秘密とか、彼らの持ってる技術とか、間違いなく人間は狙ってくるから。
「戦争になったら、どっちも全滅するまで戦うっていう地獄になるだけにゃ。とくにドワーフは頑固だからにゃ」
人間が、人間以外の知的生命体と仲良くできるかって話だ。
人類同士での戦いすらやめられないのに。
差別や偏見もなくならないのに。
耳が痛いっす。べつに私は人類の代表ではないけど。
やがて、美雪の軽自動車は森町の市街地に入る。
イナンクルワの案内で。
山の中とかにいるのかなーと思っていた私は、ちょっと拍子抜けだ。
なんでも普通の人間に混じって生活しているらしい。
そして森町民の一部はそれを知っている。むしろ知っていて隠蔽している。
なんというか、世の中には私の知らない物語がいっぱいだ。
そして到着したのは、普通の一軒家だった。
表札には、吉住とある。
イナンクルワがチャイムを鳴らせば、とくに感慨もなく玄関扉が開いて人影が姿を見せた。
小学五年生くらいの女の子だ。
事前の説明に鑑みればこの子がドワーフで、しかも私や美雪なんかよりも年上のはず。
「なんだい。幸公じゃねえか。ひとんちを訊ねるときは酒瓶の一本も……」
笑いながら視線を巡らし、私の肩に乗っているさくらで停止した。
三秒ほど。
「げぇっ!? さくらの姐御!?」
そしてきびすを返して逃げようとする。
こけつまろびつ、という表現そのままに。
「待つにゃ。どこにいこうというのかにゃ?」
冷静に声をかける猫又さま。
あんたはどこの大佐だよ。ラストで目がー目がーってやるのかよ。
「ひぃ! 逃げてない! 逃げてないよ! ちょっとお茶でも入れようかと思っただけだって!」
苦しい言い訳だが、べつにさくらは咎めなかった。
「お茶はべつにいらないにゃ。頼みがあってきたにゃ」
「か、金ならないぞ!」
「まつりはさくをなんだと思ってるにゃ? かつあげするために函館から森くんだりまでこないにゃよ」
「函館……?」
「修行が終わったから人間界に戻ってきたにゃ。この子はさくの飼い主で由梨花にゃ」
「あ、よろしく」
「ひぃ! 飼い主さま!?」
軽く頭をさげたらおびえられました。
理不尽なり。
そして美雪が腹を抱えて笑ってます。
蹴飛ばしてやろうかしら。
まあ、紆余曲折はあったものの、全員が吉住家にお邪魔し、事情を説明することになった。
自己紹介もね。
で、彼女の名前は吉住祭。百五十七歳のドワーフだ。
小学生にしか見えないけど、こればかりは種族的特徴なので仕方がない。人間の感覚では私や美雪と同じ二十代の中盤らしい。
焦げ茶の髪と瞳で、おっぱいとお尻はけっこうわがままな自己主張をしている。トランジスタグラマーってやつだね。
これで身長が美雪くらいあったら、芸能界が黙っていなさそうだ。
「銭湯の薪風呂かい。たしかに最近じゃとんと見かけないね」
ぽんと膝を打つ祭。
大きな瞳は好奇心にらんらんと輝いている。
「それで、火の扱いに長けた人をスカウトしようと思って」
「皆まで言うな。風呂釜と薪の世話は、このあたしにどーんと任せな」
私の言葉を遮り、祭がどーんと胸を叩く。
ぷるんぶるんと揺れた。
肩こらないんだべか。あんなでかくて。
それにしても、ミントゥチもドワーフも迷いがないなあ。儲かるかどうかも判らない銭湯を手伝うなんて話に躊躇なく乗っかるって、勇気を通り越してるよ。
まあ、さくらを慕っていたり怖れていたりするって事情もあるんだろうけどさ。
「ありがとう。じゃあ給料とかの話を……」
「いらんいらん。寝床と食い物だけ保証してくんな」
こいつもそういうこと言うのか。
そういうわけにはいかんじゃろうが。
「細かいところは後から詰めよう。まずはよろしくね。まつり」
「まかしときなって。女将」
差し出した右手をがっしり握り返す。
わぁお。力持ち。
けっこう痛いや。
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