第1話
祖父が亡くなった。
それ自体は珍しくもおかしくもない。生きとし生けるものはみんな死ぬ。もちろん私だって。
ちょっと冷めてるかな。
でも、小学生の頃から飼っていた猫が死んだとき、なんとなく私の死生観も変わってしまったらしい。
いつかはみんな死んじゃうんだって。
だからこそ、日々を一生懸命に生きないといけないんだって。
「おじいちゃん……」
ぽつりと呟く。
数年ぶりに函館の空気に触れ、すこしセンチメンタルな気分になったようだ。
もちろん私は、祖父の死を悲しんでいないわけじゃない。
子供の時分には可愛がってもらった記憶もあるし、高校の入学祝いや就職祝いだってもらってる。
しばらくは疎遠になっていたとはいえ、べつに嫌っていたわけでもない。
普通に悲しいのだ。
にもかかわらず、いんすぱいとおぶ。
「その出迎えはどうかと思うんだよ……」
空港の到着ロビーに立った人影が、なにやらボードを掲げている。
「歓迎、立花由梨花」と書いているステキなやつだ。
観光客の出迎えかよ。
「いや、落ち込んでるかと思ってさ。ちょっと気分を上げてやろうかと」
しれっと応えるのは、篠原美雪。中学。高校と一緒だった、まあありていにいって親友だ。
明るい茶色に染め上げた髪にグレーのカラーコンタクト。ややスレンダーな体つきは、七年前からあんまり変わってない。
「これからお通夜なのに気分を上げてどーすんのよ」
あと、フルネームを衆人環視に晒すのはやめてくれたまえ。
いやまあ、私の名前を飛行機の乗客が知ったところで、どうという話でもないのだが。
「良いではないか、良いではないか」
悪代官みたいな台詞を吐きながら、なれなれしく肩に腕を回してくる。
「出迎えご苦労」
ぺいっとその手を捨ててやろう。
私にそっち方面の趣味はないのだ。
「では姫君、車はこっちだぞい」
「あいよう」
姫君なんて呼んでるくせに、荷物すら持ってくれない執事てきな親友に先導され、駐車場へと向かう。
どこの空港もそうだとは限らないが、函館空港というのはけっこう交通アクセスが不便な場所にある。
それで親友たる美雪に迎えにきてもらった。
自家用車がないと何にもできない、というのは田舎の現実だったりするのだ。
「悪いわね。手数をかけさせて」
「おとっつぁん。そいつは言わない約束よ。日中は暇だからね」
「いやいや。睡眠時間を削らせてしまって、まことに申し訳ない。これはほんのお詫びの品でござる」
「くっくっくっ。立花屋。そちもワルよのう」
アホなことを言い合いながらお土産を渡したりして。
高校の時からあんまり変わっていないスタンスは、けっこう心地良い。
お互いいい大人で、もうそろそろ結婚してる人もちょいちょい出てきてるんだけどね。
ただまあ、平凡なOLの私も、ホステスなんていう浮き沈みの激しい世界に身を置く美雪も、まだまだ独身生活を満喫したい感じっぽい。
あと四年くらいこのままだったら、きっと焦るんだろうけど。
「むしろお通夜に行けないのが申し訳ないよ。うちは」
「仕方ないよ。仕事だもん」
さすがに友達のお祖父さんの葬儀に参列するって理由では休みにくい。ましてホステスってのは日給制だから、休んじゃったらそのまま収入減だ。
「これ、香典」
「あいよ。あとで領収書とか持ってく」
軽自動車の中で、なんだか事務的にやりとりする。
だぶんこういうのにも慣れてきたってことなんだろう。お互いに。
女二十五才。なかなか無傷では生きられないのさ。
美雪が運転する軽自動車は、相変わらずの混雑をみせる産業道路を走り、私の実家を目指す。
函館の道ってのはどこもかしこも混んでるし、ごみごみしているし、狭いし、一方通行だらけだし、平行に走っていたはずの道がいつの間にか交差しているし、と、大変に迷宮じみているのだ。
何年住んでも道に迷うよ、とは、高校の時に付き合っていた男の子が言っていた台詞である。
彼は周辺の衛星都市の出身だった。
ともあれ、函館ってのはもともとが五稜郭を中心とした城塞都市だもん。
敵軍をまっすぐ走らせないようになっている。その上、非常にいいかげんな都市計画の結果として、ごちゃーっとした町並みになってしまった。
だからこそ函館の夜景は宝石箱をひっくり返したような、と、表現されるわけだ。
計算されない美しさってやつ。
これが、たとえば完璧な都市計画に基づいて作られた札幌市なんかだと、美しさの方向性が違ってくる。
碁盤の目のように整えられた町並みの夜景は、あれはあれできれいだけどねー。
んで、函館の道の混雑を解消するために作られた産業道路なんだけど、これが作られたことにより、産業道路を含めた周辺すべての道が混むという結果になった。
だめぢゃねーか。函館市。
「どうする? なんか食べてく?」
「賛成。実家に行っても、たぶんなんもないし」
美雪の提案にすかさず乗っかる。
葬儀の準備だのなんだので、たぶん実家には誰もいないんじゃないかな。祖父の家に詰めていて。
このあたりは、五年前に祖母が亡くなったときと同じパターンだろう。
で、さすがに実家とはいえ冷蔵庫のものを勝手にあさって料理をするのは気が引ける。
外食で済ますのが上策というものじゃて。
「牛丼でいい?」
「数年ぶりに帰ってきた親友と食いに行く飯が牛丼って、かなり微妙じゃない?」
嫌いではないけどさ。
もうちょっとなんかあるでしょ?
うら若き女性二人で行くのにふさわしい店って。
まだランチタイムの中なんだからさ。
「しゃぶしゃぶか、ステーキなら?」
「どんだけ肉食なんだよ。篠原くん」
「世の中は肉だよ。立花くん」
馬鹿なことを言って笑い合う。
結局、産業道路沿いにあるショッピングセンターに入ってるパスタ屋で食べることになった。
大変に無難である。
おいしかった。
やはりカルボナーラは神である。生パスタ最高。
「でもやっぱり肉が食べたかった。どうせチェーン店系にいくなら、肉系が良かったよ」
とは、肉食女の嘆きである。
「判った判った。あさってまでこっちにいるから、つぎは肉にしようよ」
「その誓約を破ったら由梨花を食う」
「やめろう」
食欲的な意味でも性欲的な意味でも危険すぎるわ。
富岡町にある実家まで送ってもらい、美雪と別れる。
滞在中にまた会おうと約束して。
直接祖父の家に行かなかったのは、たぶんそっちには親戚連中とかも集まっていて、着替えをする場所があるかどうか疑問だったからだ。
まあ、場所だけはたっぷりあるんだけどね。
銭湯だからさ。
脱衣所くらいはありますって。
でも、さすがにそこで喪服に着替えるわけにはいかないでしょ。
実家に立ち寄って身支度を調え、それから祖父の家に向かう、という手筈なのだ。
合鍵で錠を外し、懐かしの我が家へと足を踏み入れる。
ちりん、と、どこかで鈴の音が聞こえた気がした。
胸の奥に走る小さな痛み。
実家に帰るたびに思い出してしまう。
一緒に暮らしていた猫のことを。もうどこにもいないあの子のことを。
「さくら……」
呟いた言葉。
応えるものなど誰もいない。
いないはずなのに。
「ひさしぶりにゃ。ゆり」
応えがあった。
目の前には、雪のように純白な毛並みとサファイアみたいな青い目を持った猫。
ここまでなら普通だ。
そんな猫は、きっと世界中にいくらでもいる。
だけど、さすがに尻尾が二本あって、人間の言葉を話す猫はいないよ!
常識さん! 戻ってきて!!
ぺたん、と、私は、玄関に尻餅をついた。
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