主従はいかにして旅に出ることを決意したか
新郎の突然の乱心に放心していた人々は、頭上から降り注ぐ高音と圧力で正気に戻った。
頭上を見上げれば、セミクルーザークラスの宇宙船が一隻、無慣性状態で浮遊していた。
「ありゃ、うちの船じゃないか……」
初老の男が呆然と呟くのを聞いた出席者は、それが新郎の父親だと気付くのに数秒かかった。
その間に、衣装替えを済ませた新郎は駆け出し、ヴァージンロードを逆走して宇宙船の下へと突進していく。
「アルフォンス、おま、お前、なにをしとるんんだ!」
「すまねえ、親父殿! だが俺は行かなきゃならねえ!」
何の答えにもなっていない返答を返しながら、アルフォンスは懐から取り出したウィンチガンを宇宙船に向けて発射する。
「そのアホを止めろおぉ!」
発狂せんばかりの叫び声で正気に戻った警備員たちが、新郎に向かって突撃する。だがよりにもよって新郎相手にスタンバトンや麻痺銃を使っていいのかという困惑が彼らの動きを鈍らせ、結果素手で飛びかかろうとした彼らの手から、ウィンチに引き上げられた彼の身体はすんでのところですり抜けた。
「安心してくれ、必ず立派になって帰ってくるからよ! 心配しないで待っててくれ!」
満面の笑みで宣言しながら空へと昇っていくアルフォンスに対して、父親は爆発せんばかりの憤怒を、そして大多数の出席者たちはひたすらに困惑した表情で見送ることしかできなかった。
巻き取りが終わり、宇宙船――ロシナンテ号にとりついたアルフォンスは手袋と靴の機能で外壁に張り付き、四つん這いで器用に這い回ってハッチの一つにたどり着く。宇宙船側から操作されたハッチが開き、彼は内部へと滑り込んだ。
宇宙船内部は推進器、力場発生装置、燃料タンク、生命維持のためのゴチャゴチャした装置、その他諸々のあれこれが詰め込まれ、生活スペースは全体の半分ほどもない。そこを慣れた足つきで駆け抜けると、アルフォンスは宇宙船の心臓部……操縦室に飛び込んだ。
「はいどうも、ようこそいらっしゃいました」
ダブルシートの操縦室の片方には卵形のアンドロイドが鎮座し、表情インターフェイスだけを彼に向けて言った。およそ感情というものがカットされた、見事な棒読みの台詞だった。
「いいタイミングだったぜミーパー! 見てたか? 俺の華麗な脱出劇!」
「はいはい、ちゃんと見てましたよ。録画データ再生します?」
「それは後でにしよう! まずは旅立ちだ!」
もう片方の操縦席に飛び乗り、ベルトを締めたアルフォンスはビシッと彼方を――それはもう遙か彼方、彼自身どこを指しているのかわからない場所を指さし、高々と宣言する。
「ホントに行くんですか? 別に今日じゃなくてもいいじゃないですか」
「何言ってんだ? 今日を逃がしたらもう二度と旅になんて出られなくなろうだろうがよ」
「そりゃそうですがね……」
本気で何を言っているのかといった調子で聞き返すアルフォンスに、ミーパーは憮然と返した。
※
「ミーパー、俺は、旅に出るぜ」
控え室で逆光を浴びながら、アルフォンスは厳かにそう言った。何言ってんだあんた、とミーパーは思った。なので思った通りのことを返した。
「何言ってるんですか、あなた」
「いいかミーパー、俺には夢がある」
「何言ってるんですか、あなた」
「俺は……宇宙騎士になりたいんだ」
「何言って……いや、今なんて言いました?」
「俺は宇宙騎士になりたいんだ」
集音器の故障であってほしかった。
「いや宇宙騎士って……アル様、自分が何言ってるかわかってます? 宇宙騎士ってなんだかわかってます?」
「当たり前だ! この俺が、俺が宇宙騎士を知らないわけがないだろ!」
「まあ、そうでしょうね……」
自信満々に自分を指すアルフォンスに、ミーパーは衝撃を通り越し、なかば無気力になって返した。
宇宙騎士とは、かつて帝国の拡大期に活躍した冒険家達のことだ。未踏の宙域に進出し、人類の生存圏の拡大、新種の宇宙人との交流樹立、敵対的宇宙人の撃退等、帝国に大きな貢献をした個人にたいして皇帝が叙任する称号であり、一世代限りの貴族位でもある。
彼らの活躍は子供向けのアニメーションから大作ドラマまであらゆるメディアで紹介され、彼らを取り扱った書籍データも世にあふれかえっている。そしてアルフォンスは五周期ほど前から、その類の本に夢中になっていることはミーパーも知っている。
しかし帝国が安定期に入った50周期ほど前から宇宙騎士の叙任数は激減し、記録上最後に叙任されたのは40周期前。既に形骸化した制度と言ってよく、今更憧れる者など、ましてやなろうとする者などまずいない過去の遺物だ。
そんなものになりたいと言っているのだ。この男は。
「にしたって、今言い出さなくたっていいじゃないですか。これから結婚式なんですよ? 別に明日言い出したって……」
「わかってねえなミーパー。むしろ今しかねえんだよ!」
ばっと両手を広げ、アルフォンスはまるで演説でもするように朗々と語り始めた。
「いいか、俺は結婚する。そいつは俺も納得した話だ、異論はねえ。だがな、結婚するってことは家庭を持つってことだ。そうだろう?」
「そうですね」
「家長は家庭を守らなきゃならねえんだ。そこには否も応もねえ、責任があるんだよ。責任から逃げることは許されねえ」
「良いこと言いますね」
「だろ? つまりだ。結婚したなら、もう自由じゃいられねえってことだ。旅に出ることもできねえ。旅をしながらなら家庭を守ることはできねえんだからな。だから、旅に出るなら今しかねえんだ。結婚する前の今しかな」
さも重大な発見をしたかのような言い方に、ミーパーは呆れるしかなかった。並のアンドロイドならとっくに論理思考回路が焼き付いていただろうが、あいにく彼の回路はそんなヤワな鍛えかたをしていない。
「あー……えーと、それで――どうして今なんです? もっと前にこっそり抜け出すことだってできたでしょ。いや止めますけど」
「さっき気付いたからな!」
足があったら膝から崩れ落ちていただろう。もはや感情の出力も面倒になり、ミーパーは静かに麻痺銃のチャージを開始した。なに、最悪契約用のDNAがあればいいんだ。花婿の意識は絶対条件じゃない。駆動外骨格でも借りてきて、こっちから操縦して式に参加させればいいんだ。むしろその方がスムーズに式を執り行えるってものだろう。
一発で意識を刈り取るならば、狙うべきは眉間だ。多少脳の機能に障害が出るかもしれないが、そこまで使ってるものでもないしいいだろう。
「そこでだ、ミーパー。お前にも、その旅に連いてきてくれ」
などと考えていると、いきなりそんなことを言いながら振り返ってきたので、撃つタイミングを逃してしまった。
「はぁ? 僕が? なんで?」
「旅をする騎士には従者がいるものなんだよ。常識だぜ?」
「どこの常識ですか、それ。あ、いいです、聞きたくないです」
危うくペースに乗せられるところだった。気を取り直してもう一度麻痺銃を取りだそうとして、
「もちろんただとは言わねえさ」
その一言でフリーズした。
「……え、なんですか。ただじゃないって?」
「危険な旅さ。従者にも見返りがあって当然だろう? ガーヴェン卿の従者だったアンドロイドのクロイドも、卿が宇宙騎士に叙任されたときには莫大な褒美が出たんだぜ?」
見返り。褒美。アンドロイドとして製造されてこの方まるで縁のなかった言葉は、彼の電子頭脳を甘く痺れさせる。
「いや、でも……」
「だからな、俺は約束するぜ。俺が旅を終えたなら――いいか、どんな結果だったとしてもだ。俺は、お前に自由な身分をやる!」
さっきの言葉が甘い電流なら、今度の言葉は落雷だった。
自由な身分! それは、目的があって製造されるアンドロイドにとっては永遠の憧れであり、つまりは叶わぬ夢だった。どこに行き、何をするかも自分で決められる。かつてそれを得ることができたアンドロイドは数えるほどしかおらず、最初の自由アンドロイドとなったスパルタカスT-3000はその身を巨大構造体へと拡大し、その思考機能が停止した今もなお聖地として多くのアンドロイドが訪れているという。
電子頭脳の中の天秤が激しく揺れ始める。リスクとリターン、倫理と欲望が両側の皿に積み重なり、それは徐々に片一方へと偏っていく。
「……それ、本気で言ってます?」
「もちろん本気だ、騎士に二言はねえ! ……まだ騎士じゃねえけど」
「今の会話、ログに残しますからね?」
「んだよ、信用しろって。なんなら星を一つ任せたっていいんだぜ?」
マスターの言葉を無視して音声ログを保存し、ついでに改竄できないよう何重にもロックをかけてから、ミーパーは考える。仮にここで断ったとして、このマスターは一人ででも行くだろう。止めても絶対に行く。そうすると責任を問われるのはミーパーだ。今度こそ大旦那様の堪忍袋は大爆発を起こすだろう。そしてその怒りはその場にいないマスターではなく、ミーパーに向くことになる。実に理不尽だ。
それに何よりも、自由な身分という言葉は魅力的にすぎた。全アンドロイドの憧れ! バカのお世話をしなくていい自由!
リスクとリターン、長期的な見通し、理想と現実、リアルとフィクション。様々な関数が電子頭脳の中を飛び交い、天秤が徐々に傾いていく。
そしてついに、ミーパーは決断した。
長さが一定しないなぁ……もうちょっと安定した投稿をしていきたい所存。