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1,婚約破棄と投獄

おなじみ婚約破棄ものです。王妃教育を請け負っているセヴェーラ夫人が主人公です。

「侯爵令嬢アドロラート! あなたは私の婚約者である資格はない。よってあなたとの婚約を破棄する!」


 毎月行われている令嬢令息を集めたパーティ。そこでいきなり始まった、婚約破棄劇。

 いや、劇ではないのだろう。どう見ても劇風だが、当人たちは大真面目に見えるのだから。

 集まった他の令息令嬢にはいい迷惑だ。何かやるなら自分たちだけでやってほしい。そうは思うが、相手がパヴェント皇太子では文句も言えずに、茶番ともいえるその劇を見ているしかなかった。


 それらが終わってから、かれらはあれが茶番ではなく、本当の事だったのだと認識して、大騒ぎになった。


「アドロラート様が、何ですって?」

「ですから、パヴェント皇太子に婚約破棄されて、そのあとどうやら牢屋に投獄されたらしいんです!」

「何故、そんな事になるのです!」


 王城の後ろ、居住区域になっている大きな屋敷では大騒ぎになっていた。パヴェント皇太子の婚約者である公爵令嬢アドロラートが、不敬罪で拘束されたというのだから。


「すぐにアドロラート様に会いに行きます! 案内しなさい!」


 アドロラート嬢の教育担当者である伯爵セヴェーラ夫人は、伯爵であった夫と死別した後に、王妃に乞われてアドロラート嬢の家庭教師になった。それで伯爵家は夫の弟が継ぐことになり、家を出るならとアドロラート嬢の教育が終わるまで限定だが、居住区の端に部屋を貰う事が出来た。

 王妃教育は結婚前までだが、結婚してからも今度は皇妃の筆頭侍女になることが決定しているので、そのまま住み続けそうだが。


 セヴェーラ夫人は支度係や侍女ではないから、今日はアドロラート嬢に同行していなかった。それでも開催場所である王城に上がった時に、控室で服装チェックと声掛けはした。その時のアドロラート嬢はいつも通りだったし、周りには友人の侯爵・公爵令嬢ばかりで、静かながら和気あいあいとしていた。


 それが、何故不敬罪などで投獄されていると言うのだ。だいたい婚約破棄とは何事か。国王も王妃も、そんな事はなにも言っていなかった。


 セヴェーラ夫人は猛烈に怒りが湧いてきた。そしていつもよりは取り乱したままで、アドロラート嬢が居るという牢屋まで、近衛について乗り込んでいった。


「アドロラート様!」

「セヴェーラ夫人」


 セヴェーラ夫人は思わず淑女にあるまじき大声を出してしまった。

 だが仕方があるまい。普通上位貴族が何らかの理由があって拘束される場合は、上位貴族専用の牢屋に投獄される。広さ的には風呂場くらいのものだが、下には厚いじゅうたんが敷かれ、ベッドとティーテーブル、文机、ソファ、食事用テーブルが入ってもさらに余裕がある広さだ。さらには別室にトイレも完備されている。鉄格子が無ければ、ただの狭すぎる部屋だ。


 だがアドロラート嬢が今いるのは、貴族以外の王城関係者が入る牢屋だ。ただの石の床、かろうじてベッドはあるが、テーブルも椅子も何もない。トイレは衝立の向こうにあるが、鉄格子の場所によっては足くらいは見えるかもしれない。


 そこに着用していたドレスをはぎ取られ、平民のワンピースを着用しているアドロラート嬢がベッドに腰掛けて俯いていたのだ。そしてセヴェーラ夫人の姿を見て、立ち上がって鉄格子を両手で掴んだ。


「何と言う事! 近衛兵、今すぐお嬢様をここから出しなさい!」

「申し訳ありません、パヴェント殿下の命令で、ここからお出しすることは出来ないのです」

「ここは庶民用でしょう! 上級貴族用の牢へお入れしろと言っているのです!」

「私たちも殿下にそう進言したのですが、殿下がどうしてもここだと……」

「何を考えているの、あの殿下は!!」


 そう思わず叫び、その声が狭い石牢の中に響いた。3人いる近衛たちはその叫びを礼儀正しく無視しているあたり、彼らもこの処遇には不満があるのだろう。


「そもそも! アドロラート様、なんでこんな事になっているのですか!」

「わたくしも分かりません。いきなり殿下に、やってもいない嫌がらせ行為をしたと詰め寄られました」

「やっていないのなら、決然とはねつければよろしい!」

「もちろん、身に覚えがないと何度も伝えました。でも殿下は聞く耳を持ってくださらない状況で……」

「あなたの態度が弱々しかったからじゃないんですか!」

「それは……。いきなりパーティー中に参加者の前で言われたら、わたくしだって動揺いたしますから……」

「皇妃たるもの、いついかなる時も決然としていなさいと、あれほど申し上げたでしょう!」


 セヴェーラ夫人が叱ると、アドロラート嬢は鉄格子を掴んだまま項垂れたが、すぐに顔を上げた。


「セヴェーラ夫人、あの時の殿下はまるで人の話を聞いてくださらない状態でした。しかも新しい婚約者だとブルレスカ男爵令嬢を紹介されたのです」

「はあ? どなたですか、その方は」


 アドロラート嬢は首を横に振った。


「わたくしも存じません。初めてお目にかかった令嬢でしたのに、殿下はわたくしがその方に何度も嫌がらせをしたと……」

「……まったく。情けない」


 セヴェーラ夫人はため息をついた。そしてキッとアドロラート嬢を睨む。


「わたくしはあなた様をこんな場所に入れるために、7年もお教えしてきたのではありませんよ! それに王妃ともなれば、こう言った陰謀に巻き込まれることもあるはずだとお教えしましたよね! それなのに思い切りこんな事態に巻き込まれて! 対処すらできないとは! 情けないとは思わないのですか!」

「……申し訳ございません」


「皇妃が謝らない!」

「は、はい」


 セヴェーラ夫人はもう一度ため息をつくと、くるりと後ろを向いた。


「もういいです。こんなところであなた様と話をしていたって、埒が明かない。あなた様はこんな事を許してしまった自分を、反省していなさい!」


 そうきっぱり言うと、あとは後ろを振り返ることなく、足早に牢屋を出て行った。

 その為、後ろで崩れ落ちるようにしゃがみこんだアドロラートの姿には、気が付かなかったのだ。


**


「セヴェーラ夫人、こちらが、新しい私の婚約者のブルレスカ嬢だ」

「ブルレスカです、よろしくお願いします~」


 翌日、にこやかなパヴェント皇太子の隣で笑顔でカーテシーで挨拶をしたのは、話題のブルレスカ嬢だ。その後ろには、いつもは従者らしく表情を崩さないのに、珍しく嬉しそうな顔を見せるクーポも控えている。

 セヴェーラ夫人は怪訝そうにパヴェント皇太子を見る。


「これはご丁寧に。わたくしはセヴェーラ夫人と申します」


 セヴェーラ夫人がスッと披露したカーテシーは、ブルレスカ嬢とは比べ物にならないくらいに洗練されたものだった。だがブルレスカ嬢はニコニコ見ているだけだ。


「正式な婚約は、お父様たちが帰国後になるが、王妃教育は早い方がいいだろう。そこでセヴェーラ夫人にお願いしたいと思ってな」

「……わたくしは、わたくしの教育指導が失敗したのかと思っておりましたが?」

「うん? 何故そんな風に思ったんだ?」

「殿下はアドロラート嬢を、皇妃にふさわしくない行動を取ったから婚約を破棄したとお聞きしました。という事は、わたくしの教育は失敗したのかと」

「あれは、アドロラート嬢の性格が悪かっただけだ。まあお父様たちがどう判断するかは分からないが、僕はあなた以外の教育係などしらないからな。しばらくはあなたに任せる」

「……そう言う事ですか。分かりました、お引き受けいたします」


 セヴェーラ夫人は思わず両手に籠る力を隠しながら、少しだけ頭を下げて見せた。


「ブルレスカ、それじゃあセヴェーラ夫人から色々教わるんだよ」

「はあい。がんばります」


 ブルレスカ嬢は可愛らしくパヴェント皇太子に答え、パヴェントとクーポはそれに相好を崩して、それじゃあ頼んだよと言いおいて部屋を出て行った。


「それで、王妃教育って何をするのかしら?」


 二人が出て行くと、ブルレスカはスッとその笑顔を変えた。先ほどまでの甘さはなく、セヴェーラ夫人を品定めするような目つきをしている。それを見て夫人はこの娘はしたたかだなと思った。そしてそれは嫌いではない。この世界には深謀遠慮が渦巻いている。素直なだけでは生き残れない世界なのだから。アドロラート嬢にはこのしたたかさが足りなかった。だからこんな女にしてやられるのだ。


「最上級のマナーと振舞いが中心です。座学としては歴史、語学、数学、経済などがあります。それと王妃としての仕事の為の授業もございます」

「あの女は10年近くそれを学んでいたと聞いたけれど」


 侯爵令嬢を「あの女」呼ばわりとは。セヴェーラ夫人は思わずにらみつけそうになりながらも、無表情を装った。


「あの方が10歳から先日までの7年間でございます。それをブルレスカ嬢にもやっていただくことになります」

「ふうん。そんなに時間をかけなくても、私なら大丈夫よ。どんといらっしゃい」


 ブルレスカ嬢は好戦的な眼差しでセヴェーラ夫人を見た。しかしセヴェーラ夫人は表情一つ変えない。


「よろしゅうございます。今日は講師陣の用意が出来ておりませんから、講義以外のものを行いましょう」

「良いわよ」

 

 フフン、と顎を上げて、こちらを見下すようにいうブルレスカ嬢。セヴェーラ夫人の目がキラリと光った。



***


「殿下~~! あの教育係、酷いんですよ!」

「どうしたのだ? ブルレスカ」

「私のやることなすこと、すべてに文句を言うのです~」

「すべて? 例えばどんなことだ?」


 パヴェントは戸惑いながら、泣きながら抱き着いてきたブルレスカ嬢の髪を撫でる。クーポも後ろで心配そうにブルレスカを見ている。


「酷いんですよ、殿下がお部屋を出た後からずっと、立ち方が悪い、歩き方がなってない、椅子に座れば姿勢が悪いって。その後に字を書いてみろと言われて、書いたら字も汚いけれど、なによりその書いている姿勢がよくないって。もう、ただ座って立つだけでもずっと文句言われて!」

「そ、そうなのか」

「私だって男爵家の娘です。令嬢教育くらい受けてます、って言ったら、そんな下級の教育が通用すると思うなって言うのですよ! 私を馬鹿にしているわ!」

「そうか、それは酷いな。僕から注意しておくよ」

「注意!? いやよ、あんな女、代えてください! きっと自分が可愛がってきたアドロラート嬢を私が蹴落としたと思って、私に意地悪しているのよ!」

「しかし、僕はセヴェーラ夫人の他の教育係を知らないし。……クーポ、誰か手配できるか?」

「恐れながら、私も女性の教育に関しては管轄外でして……」

「クーポ様、私がいじめられてもいいと言うの!?」

「違います、しかし適任者を存じ上げないのです」

「クーポ様、酷いわあ~~!!」


 うわーんと泣きつくブルレスカ嬢を、二人は困ったように見下ろした。セヴェーラ夫人の言う事は間違っていないと、二人は分かっているのだ。


 ブルレスカ嬢は可愛らしいが、マナーという点では、長年王妃教育を受けてきた侯爵令嬢に敵うわけがない。しかしこのまま皇妃になったら、恥をかくのはブルレスカ嬢なのだ。

 それにセヴェーラ夫人は王妃が任命した教育係だ。それを勝手に代えると言うのは、王妃にたてつくことになる。パヴェント皇太子はこっそりとため息をつくと、ブルレスカの髪を撫でて言った。


「お母様が帰ってくるまでの辛抱だ。帰ってきたら代えて貰おう。それまで我慢してくれないか?」

「殿下は皇太子なのに、代えられないの?」

「お母様が手配された教育係だから、相談なしで代えると、お母様の心象が悪くなるかもしれない。だからもう少し我慢してくれるか?」

「ええ~! ……それなら、殿下も王妃教育に立ち会ってください~。そうしたら、私がどれだけあの人にいじめられているかわかるから」

「そういう訳には……」


 パヴェントはクーポと顔を見合わせた。国王夫妻がいない間の代理も務めているので、いつもよりも多くの書類仕事をさばいている。今だって周りに睨まれながら、ブルレスカと逢う時間を捻出しているのだ。この時間分、後で仕事をしなくてはいけない。それなのに王妃教育に立ち会う時間などない。


「殿下は、私がどんな目にあっているか知らないから、そんな悠長なことが言えるんです」

「それは……しかし、男が王妃教育に立ち会うわけには」

「講師には男性もいるし、護衛騎士だって男性じゃない!」

「そうだけど」


 ブルレスカは涙をためて、上目遣いでパヴェント皇太子を見た。その姿にドキッとする。


「殿下は私を守ってはくださらないのね? 私が王妃になってからもかばってくれないし、守っても貰えないのね」

「そんな事はない! 全力で守る!」

「それなら、今も守って! 立ち会って!」

「……分かった、短時間になるだろうけど、立ち会うよ」


 ここで押し問答している時間も勿体ない。パヴェントは渋々頷いた。


 

**


「ちょっと! なんなのこれ! アドロラートはどこへ行ったの!?」


 婚約破棄を宣言してから10日後。パヴェント皇太子とブルレスカ、それにクーポは、アドロラートを閉じ込めた牢屋に来ていたのだが、鉄格子の向こうにいるはずのアドロラートの姿かたちも無かった。

 パヴェントもクーポも呆然としている中、ブルレスカは猛然と後ろに立っていた警備員に食って掛かった。


「ちょっと、どういうことなの! あんたたち、見張って無かったの?」


 ここまで3人を案内してきた30代半ばくらいの警備兵は、いきなり令嬢が眼前に迫ってきたのに動揺しつつ、それ以上近寄られないように手でガードしながら答えた。


「そ、その、私もこのような報告は受けておらず、狼狽している所でありまして」

「狼狽だか老害だか知らないけれど、何で報告受けてないのよ! 警備してなかったんじゃないの!」

「そんな事はございません、しっかりと毎日巡回をしておりました」

「だったら何で居ないの! っていうか昨日は居たの?」

「そう、報告を受けております」

「ってことは、あんたは実際には見てないの!?」

「昨日は非番でして……」

「なら一昨日は!」

「……異常なしと、報告を受けております」

「あんたは見てないの!?」

「……はい」


 非番だったと伝えているのに分かってもらえない。両手を胸の前にあげて防いでいるが、ブルレスカに胸倉を掴まれそうな勢いだし、唾が顔にかかる距離だ。何とかしてほしいとパヴェント皇太子を見るが、彼は空の牢屋を見て呆然としたままだった。


「ちょっと! 殿下! 殿下もなんとか言ってよ!」

「あ、ああ……。最後に報告があったのはいつなんだ」


 金切り声で言われて、ようやくパヴェント皇太子とクーポは我に返った。


「その、今朝です」

「そこまでは確実にいたのだな?」

「そう、報告を受けております」

「その時の担当者をここに呼べ。早く!」

「そ、その、夜勤担当者でして、もう帰宅しています」

「すぐに呼び出せ! 今すぐだ!」

「は、はい!」


 今度はパヴェント皇太子が怒鳴りつける。警備隊長は部屋の入り口で青くなっている同僚に、すぐに連絡をするようにと言いつけ、その彼はすぐに走り去った。

 隊長は責任者としてそのまま青い顔でとどまる。


「殿下、確かに確認も大切ですが、今はそれよりも先にやることがあるのではないでしょうか」

「なんだクーポ、何をだ?」


 クーポは座った目で牢屋の中を見ながら、答えた。


「アドロラート嬢を捕まえる事です」

「そうよ! 早くあの女を捕まえて!」

「そうだったな、おい、いつから彼女がいないのかは、担当者たちに報告書類にして提出しろ。敷地内全部の目撃証言もだぞ! 僕たちは王城に戻る!」

「アドロラートはどうするのよ!」

「近衛と護衛騎士たちに行方を追わせる! その為にも王城の執務室に戻るんだ」

「近衛なら殿下の護衛でそこにいるじゃない! ここで命令すれば良いでしょう!?」

「あ、ああ、そうか……おい、アドロラート嬢が逃げた。至急アドロラート嬢の行方を追え! 多少乱暴にしてもかまわないから、捕まえてこい!」

「は、はい!」

「殺さないでよ! アイツは市中引き回しの上で、斬首刑にするんだから!」


 そう金切り声で怒鳴るブルレスカを、恐ろしいものを見る目で見ながら、命令された近衛の一人が走り去った。パヴェントたちも急いで王城に戻る事にした。


 侯爵令嬢による脱獄という不名誉に、警備隊長は下を向いて立ち尽くしている。その前をパヴェント皇太子とクーポが通り過ぎ、少しだけホッとした瞬間に、目の前にスカートが見えた、と思ったと同時にその頬に強い打撃を受けた。


 予想外の事によろけ、目線を上げると、目の前には悪魔の顔のようなブルレスカが立っていた。どうやら頬を叩かれたらしい。そのままブルレスカは、フン! と鼻息荒く立ち去りざまに、更に警備隊長の足をそのハイヒールのかかとでおもいきり踏みつけた。

 うっ、と声が漏れるが、隊長はそれだけで堪えた。それにまた面白くなさそうな表情をして、ブルレスカはさらに隊長の頭をひっぱたいた。


「ブルレスカ、何をしているんだ、早くおいで」

「この無能のせいでアドロラートは逃げたんですよ! 殿下、コイツも打ち首にしてください!!」

「打ち首?」

「ああ、斬首刑です! 職務怠慢でしょう!?」

「ああ……まあ確かにな」

「殿下、今は調査と追跡が先です」

「そ、それもそうか」

「ダメよ! ここの警備担当者、全員死刑よ! 罪人が脱獄しているのよ!? それにだれも気が付かないような役立たずの集まりなのよ! そんなの死刑でしょう!?」

「そ、それもそうか……ではここの担当者全員の身柄を拘束しておけ」

「はっ」


 近衛その2がその命令を受けてすぐさま警備隊長を拘束する。隊長も抵抗することなく押さえられた。それを憎々し気に見ていたブルレスカだが、パヴェント皇太子の腕を取って、引っ張るようにして歩き始めた。


「早くアドロラートを捕まえなきゃ! 行きましょう!」

「あ、ああ……」


 ずんずんとブルレスカは進む。腕をとられて歩きにくそうにしながらパヴェントが続き、その後をクーポが、さらに前後には近衛たちが守りながら、彼らは王城へと戻っていった。


 

 **


「どういうことだ、何故アドロラートが見つからないんだ!」

「申し訳ございません」

「謝ってほしいわけではない! なぜ見つからないのかを聞いているんだ!」

「そう言われましても……」


 アドロラートが逃亡してから2日、皇太子の執務室で、パヴェントが騎士隊長と警察隊長を呼び出して怒鳴っていた。


「逃亡の連絡を頂いた後に、すぐに王都への全出入り口を閉鎖しました。その時点では貴族家の馬車が出て行ったという報告はありませんでしたから、王都をくまなく捜索しておりますがまだ見つかっておりません」

「そんなの、アドロラートの侯爵家にかくまっているに決まっているじゃない! 調べたの?」


 ブルレスカが腕を組み、苛立ちの表情で警察隊長に食って掛かる。


「お言葉ですが、貴族屋敷への立ち入り捜査は警察では出来ません」

「罪人を探すのに貴族も何もないでしょう! 警察がダメなら騎士隊が行けばいいじゃない!」

「ブルレスカ様、騎士隊でも立ち入り捜査はその貴族の許可が無ければ出来ません」

「そんなもの! 殿下からの命令なら出来るでしょう!?」

「いくら殿下のご命令でも、貴族は異議申し立てが認められています。そして現在、王都のすべての貴族が、屋敷の捜査に対して異議申し立てを行っているので、この状態では協力してもらえません」

「たかが貴族が、王家に逆らって良いと思っているの!?」


 その状況を作ったのは、目の前の3人だ。アドロラートが本当にブルレスカに犯罪行為をしていたのかも怪しいのに、婚約破棄しただけでは収まらず、投獄した挙句に、裁判もなく斬首刑だと言い出した。

 それが貴族たちにパヴェント皇太子たちに不信感を抱かせた。あまりにもやり方が乱暴すぎたのだ。こんな強権なブルレスカを本当に皇太子妃、そして将来の王妃にしていいのか。 

 この国の殆どの貴族がそう思い、かたくなな態度に出ているのだ。このままでは貴族の中から皇太子に対しての反乱が起きかねない状態なのに、目の前の彼らは全く分かっていない。騎士隊長と警察隊長は胸の内でそう思ったが、顔には出さなかった。


「少なくとも当事者である侯爵家は拒否できるわけないでしょう? 娘なんだから、かくまって当然よね! 絶対に家にいるわ! 探し出して!」


 ブルレスカはパヴェントの前に出て、隊長に直接そう命令してきた。警察隊長が皇太子を見ると、腕を組んで頷いたので、警察隊長はため息を押し殺して言った。


「分かりました。侯爵家の捜査をします」

「使用人に変装しているかもしれないから、使用人だろうと家に居る人は全員調べてよ! 部屋も隅々までね!」

「……承知いたしました」


「それと同時に、王都の封鎖と王都外へ行った者の捜査もするように。貴族用馬車だけでなく、一般の馬車も時間と行き先と人数をすべて報告してください」


 そう言ったのはクーポだった。もちろんそれらはやっているが、今のは侯爵家捜索だけに集中するなという事だろう。王都の封鎖など出来ませんと言いたいところだが、いまのクーポにも何を言っても無駄だと警備隊長も警察隊長も知っている。


 以前はこうではなかった。いつも皇太子の側にひっそりと控えていたが、良く皇太子をサポートしていたものだ。少なくともパヴェント皇太子も、こんな風に権力をかさに着たような真似はしたことが無かった。逃亡したというアドロラート嬢も、ブルレスカ嬢のようにパヴェント皇太子の前に出たり、他人に命令したことなどなかった。

 

 この不信感が騎士隊、警察隊の隊員たちにも広まり、アドロラート嬢の捜索にも身が入っていないのも事実だ。


 なんにせよ皇太子の命令だ。捜索を続けるしかない。隊長二人は一礼をして執務室を去った。


**


 だが、侯爵家のどこにもアドロラート嬢は居なかった。報告を受けたブルレスカが、そんなはずはないと自ら侯爵家へ乗り込んで、使用人を全員集めさせて、変装しているのではと全員の髪を引っ張り、背格好が似ていると言ってはその頬を叩き、目つきが、態度が気に入らないと言っては男女問わずに服を破いた。


 それでもアドロラート嬢は見つからなかった。ブルレスカ嬢はイラつき、執務室で暴れていると噂になっていた。それをパヴェント皇太子は諫めもしないらしい。そしてクーポも、彼らを諫めるどころか、警察隊と騎士隊の働きに苦情を言ってくる。そして皇太子は通常職務を放置して、行政が滞り始めていた。


 そして婚約破棄から2週間。報告を受けて外遊を切り上げた国王が帰国をした。国王はすぐさまパヴェントを自分の執務室に呼び寄せた。

 執務室には近衛隊長、警備隊長、警察隊長、王妃、司法局長、そして王と王妃の側近が控えていた。

 

「パヴェント、お前とアドロラート嬢と婚約破棄をしたという一連の報告は受けているが、お前の口から詳細を聞きたい」

「はい、父上」


 パヴェントはアドロラート嬢のブルレスカ嬢に対する所業を事細かに語り、横で時折目尻をハンカチで押さえるブルレスカ嬢の肩を撫でながら、アドロラート嬢を婚約破棄こと、そのアドロラート嬢が裁判にかかるのを嫌がり逃亡したことを話した。


 じっと頬杖をつきながら聞いていた国王だったが、パヴェントが話し終わると、伏せていた目を開けてクーポを見た。


「クーポ。今の報告に付け足すことは?」

「ございません。アドロラートのブルレスカ嬢に対する犯罪行為の証拠書類はこちらにございます」

「そうか」


 クーポが差し出した資料を、国王の侍従が受け取り、国王に見えるように広げる。頬杖をついたままそれを眺めていた国王だが、ペラペラとめくる速さのそれが最後のページまで行くと、手を振って遠ざけさせた。

 それを確かめて、パヴェントが話しかける。


「父上、そこにありますように、アドロラートの行動は王妃としての資格がないものと判断いたしました。それゆえ婚約を破棄したのです」

「それでブルレスカ嬢とやらを庇っているうちに愛情が目覚め、婚約したいと言うのだな?」

「はい」


 そこでパヴェントとブルレスカは互いに見つめ合ってほほ笑んだ。どう見ても想い合っているほほえましい二人だ。

 だがそれをほほえましく見ている人物は、この部屋にはクーポ以外にはいなかった。


「父上、私はブルレスカと接しているうちに、ブルレスカの優しさとその心に惹かれました。そしてブルレスカ嬢は王妃にふさわしい人物であると判断いたします。どうか、婚約をお認めください」


 そう言って二人は頭を下げた。ブルレスカもつたないながら、カーテシーを披露する。それを国王も、隣の王妃も冷めた目で見ていることに、二人は気が付かない。


「息子よ。アドロラート嬢との婚約破棄はもうしてしまったのだから仕方がない。良しとしよう。だがそのアドロラート嬢は何故逃げ出したのだ」

「それが、罪の重さに気が付いたのか、逃亡したようで居所が分からず……」

「罪? 罪とは?」

「ですから、その資料にもあったように、ブルレスカ嬢に対する犯罪行為です」

「アドロラート嬢がそれをしたという証拠は」

「証拠は先ほどごライン頂いたものです。その場を目撃した者の証言もあります」

「ぬるい。物的証拠を出せ」

「それは……」

「例えば舞踏会の控室で破かれたというドレス。同じく控室でワインを故意に溢されたというドレス、壊されたという髪飾りにネックレス。それと階段から突き落とされた時の医師の診断書。これらならば提出できるだろう?」


 国王に言われて、パヴェントはブルレスカを見た。ブルレスカは青ざめた顔で首を横に振る。


「その、必要だとは思わなかったので診断書は貰いませんでした。それにドレスとアクセサリはすでに処分してしまいました。だって、見るたびにその時の恐怖が思い起こされて、体が震えてくるから……」


 目に涙をためて国王に訴えるブルレスカを、パヴェントは肩に手を添えて慰めた。だが国王は頬杖のままそんなブルレスカを見ている。


「ならば医師を連れてこい。診断を聞く」

「そ、それは……」

「クーポ、その医師の名は?」


 ブルレスカの動揺を無視して、国王はクーポに問いかけた。だがクーポも青ざめた顔で跪いた。


「申し訳ございません、そこまでは伺っておりません。ただ男爵家のかかりつけの医師だと認識しておりました」

「いつものお前ならそのくらいはきちんと調べたはずだがな。医師を連れてこられないのなら、証拠はないものと判断する」

「ち、父上、嘘などあろうはずがございません! 医者はすぐに連れて来ますから少々お待ちください!」

「いいとも。すぐに連れてこい。連れてこられるものならばな」


 すこし引っかかる言葉ではあったものの、国王の許しが出た。パヴェントはブルレスカの両肩を掴んで、目を合わせた。


「ブルレスカ、大丈夫だ。安心して」

「で、殿下……」


 うるうると涙を溜めた目で見あげられると、パヴェントは優しく微笑んだ。そして表情を真顔に戻してクーポに言った。


「クーポ、男爵家のかかりつけの医師ならば、男爵家に問い合わせればわかるな? すぐに呼んでくるんだ」

「かしこまりました」


 そう言ってクーポが席をはずそうとするが、そこに騎士隊長が近寄ってきた。


「その役目は私の部下が担いましょう。クーポ様はこのままここにいてください」

「し、しかし」

「そのくらいのお使いならば、馬を飛ばせばすぐです。クーポ様よりも部下の方が馬の扱いが上手い。クーポ様はここで殿下と一緒にいてください」


 二度もここに居ろと言われたら仕方がない。お任せしますと言って、クーポは引き下がった。

 騎士隊長の部下が走って出て行ったのを確認してから、国王は言った。


「さて、医師が来るまでに話を進めておこう。牢屋から逃げ出したというアドロラート嬢だが、お前はどのような扱いをしていたのだ?」 


 言われてパヴェントは困った。問答無用で牢屋に放り込んだのだ。だがアドロラートは国王夫妻のお気に入りだった。庶民用の牢屋に入れただけでなく、裁判にもかけずに処刑するつもりだったなどという訳にはいかない。


「逃亡防止のために、王城の地下で身柄を拘束しておりました」

「貴族用の牢屋か?」

「……はい」

「それが、逃げ出したと?」

「……はい」

「いつ、どうやって」

「……分かりません」

「城の牢屋からの逃亡を許しただけでなく、いつ逃げたのかも手段も分からぬとは。何よりも問題だなぁ」

「……はい」


 パヴェントは両手をきつく握りしめた。貴族用だろうと王城関係者様だろうと、一人で逃げられるわけがない。手引きをしたものがいるのだ。しかも警備員も逃亡に手助けをしていなければ逃げられるわけがない。


「お前も察している通り、協力者がいなければ逃亡など出来るはずがない。という事は、アドロラート嬢を助けたいと思ったものがいるという事だ」

「きっと!」


 ブルレスカが国王が話し終わる前に大きな声を出した。


「きっと、侯爵家が警備員を買収したんです! そしてどこかに匿っているのです!」

「息子よ。お前は侯爵家も強制的に捜索させたな」

「そ、それは、ブルレスカが言った通り、アドロラート嬢を匿っていると考えたので」

「しかしアドロラート嬢は見つかっていない」

「そうですが……しかし!」

「ここへ来てもお前はまだごまかせると思っているのか?」


 国王はようやく頬杖を止めて上体を起こし、おもむろに足を組んだ。


「お前が問答無用でアドロラート嬢を王城関係者用の牢に入れたのを知っている。食事を運ばないように命令したこともな」

「そ、それは……!」

「隠せるわけがないだろう。お前の行動はすべて報告されている。アドロラート嬢に婚約破棄を突き付けたことも遊説先で報告を受けているわ」

「……」


 少し考えればわかる事だった。だが一応、このことは国王夫妻には報告しないようにと関係者には伝えていたはずなのだ。


「まったく、お前は愚かだな、息子よ。この外遊期間、お前に国を任せたのは、お前に国王としての資質があるかを見定めるものだった。いわば帝王学の最終試験とでも言おうか」

「えっ?」

「私たちはしばらく前からお前がアドロラート嬢を邪険にして、ブルレスカ嬢とやらに執心しているのも知っていた。それをアドロラート嬢がどう対処するかが、彼女の王妃教育の最終試験だった。そう、この私たちの外遊期間は、二人に課した最終試験だったのだよ」


 パヴェントは混乱した。試験とは何だ。そんな話は聞いていない。


「アドロラート嬢は対処を誤った。だがそれ以上に、お前は落第だ。息子よ」

「落第!? ど、どういうことですか!?」

「自分で考えたってわかるだろう? お前はこの2週間、ほとんど仕事をしていない。どれだけの決済が溜まっていると思う?」

「それは、仕事量が膨大過ぎて終わらなかっただけで、ですが、そんなに溜め込んでいるわけではありません」

「現に国政に支障が出ているのだが?」

「そんなはずは!」


 そこで国王の後ろに控えている従者が合図をすると、部屋の隅にいた使用人が書類の束を抱えて出てくる。抱えている箱からはみ出さんばかりの書類を、4人で抱えている。


「お前には私の仕事も任せていたな。それらがほとんど放置されているという。どういうことだ?」

「そ、それは……。量が多くて、さばききれなくて……」

「普段のお前の分だけでも溜め込んでいるのに、これらが全くの手付かずだ。どれだけ急ぎの案件があるだろうな?」


 国王は足を組んだまま、不機嫌そうに言った。パヴェントは冷や汗が背中を流れるのを感じた。顔もこわばる。

 国王夫妻がいないという事は、しばし自由を味わえる、ブルレスカと好きなだけ過ごせる、羽を伸ばせる良い期間だとしか思っていなかった。隣のクーポも『少しは羽を伸ばせますね』と笑っていった。


「それだけではない。お前はアドロラート嬢を軽く考えすぎていた。お前だけが書類仕事をしていたと思っているのか?」

「それはどういう事ですか?」

「お前が将来国王になった時の為に、少しずつ国政に関する仕事をさせていたのと同様に、アドロラート嬢も将来の王妃として、王妃が担当する国政に関する仕事を手伝っていた。だがその後任を決めることなく、アドロラート嬢を牢屋に入れたら、仕事はどうなる?」

「そ、そんな事があるのなら、誰かが報告に来たはずです! しかしそんな報告は受けておりません!」

「いいや。報告している。だがお前は聞き流した」


 パヴェントは必死に記憶を手繰った。報告が来たのならば、アドロラート嬢を拘束した直ぐ後だろう。だがやはり報告を受けた記憶はない。ふとクーポを見るとただでさえ悪い顔色が、真っ蒼になっていた。


「クーポ?」

「申し訳ございません、確かにアドロラート嬢の教育担当のセヴェーラ夫人から、王妃教育の一環として仕事がある話は聞いておりました。しかしブルレスカ嬢にはまだ仕事をさせるわけにはいかないとも」

「何故ブルレスカではいけないのだ?」

「それは……」


 クーポの目が泳ぐ。しかし早く言えと言われて、仕方がなく口を開いた。


「そこまでの知識がないと言われました」

「ひ、酷いわ! 私がばかだとでも言うの!?」

「そういう訳ではありません、ブルレスカ様。しかし帳簿を確認したり、書類を確認する知識は王妃教育の中で行うもの。その教育を行っていないブルレスカ様には、それらが出来ないと……」


 言われてブルレスカも思い出す。暗号みたいにひたすら数字が並んでいる書類を見せられたが、それが何なのかさっぱりわからなかった。首をかしげていたらセヴェーラ夫人は無言で書類を変えた。次の書類には何やら産地がどうの、収穫がどうの、と書かれていたが、これが何? と聞くと、やはり無言で書類を取り上げられた。


「そういえばそんな書類を見せられたけど、何も言わずに見せられたって何をするのか分からないじゃない!」

「たぶん、それが帳簿であるとか、どこの地方の報告であるかがわかるかを見ていたのでしょう……」

「それならそう言えばいいじゃない!」

「ブルレスカ、お前は帳簿を付けられるのか? 付けた事はあるのか?」


 そこでブルレスカが『ちょうぼって何?』『お漬物?』と聞かなかったのは幸運だった。知らないけれど、ボケたらまずそうな雰囲気だと、そこは察したのだ。だが何だかわからない以上、あると答えるのは無謀すぎるとも判断した。


「ないけれど……」

「そうか、それは別に構わない。それをクーポが僕に報告しなかった方が問題だな!」

「そ、そんな。私は王妃教育を受けないと、ブルレスカ様が出来ない仕事があるらしいとはご報告いたしました!」

「だけど仕事をさせられないとか、王妃の仕事だとかは聞いていない!」

「それは、私も知りませんでしたから……」

「そうなのか? セヴェーラ夫人」


 国王の質問相手にそこにいた全員の目が向けられる。

 部屋の隅には名指しされたセヴェーラ夫人がひっそりと控えていた。彼女は指名を受けて使用人たちの列から前に進み出て、見事なカーテシーを披露する。


「恐れながら陛下、わたくしがクーポ様にお伝えしたのは、『王妃様には王妃様のお仕事がございます。アドロラート嬢も王妃様の手伝いをしていらっしゃいました。しかしながらブルレスカ嬢にはその知識がございません。いかがいたしましょうか』です」

「間違いないか?」

「一言一句、相違ございません」

「それに対するクーポの返答は?」

「『ブルレスカ嬢への王妃教育を早急に頼みます。仕事については殿下に聞いてみます』でした」

「なるほど。それでブルレスカ嬢への教育は?」

「初回こそ参加されましたが、すぐに逃げ出されまして、一度教育風景を見に来たそれを殿下も、それを容認されました。我々は毎日ご参加をお待ちしておりますが、ブルレスカ嬢はそれ以来一度も講義を受けにいらっしゃいません」

「ふむ。ブルレスカ嬢の王妃教育への適応は?」

「現在のところは皆無です」

「酷いわ! そうやって私を馬鹿にして!」


 ブルレスカが叫ぶ。それにそこにいるほとんどの人が眉を顰めるのに、ブルレスカは気が付いていない。


「念のために聞くが、ブルレスカ嬢とやらは王妃候補になりえるか?」

「今のままでは無理です」

「酷いわ! 分かった、あなた、アドロラートと繋がっているのね! だから私の事を蹴落とそうとして、そんな事を言っているのね!」

「セヴェーラ夫人、下がっていいぞ」

「はい」


 セヴェーラ夫人は一例しながら元の立ち位置に戻った。その間もブルレスカはパヴェントに縋りついて酷いわ酷いわと泣き、パヴェントとクーポが慰めていた。

 国王はそれを呆れたように見て、ため息をついてから姿勢を正した。パヴェントとブルレスカとクーポを除く全員が姿勢を正して注目する。


「では、国王として決定をくだす。息子パヴェントを能力不十分として、王位継承権の剥奪、および王族としての資格も剥奪し、公爵に降格。地方の領主になる事を命じる」

「……は?」

「ブルレスカはアドロラート侯爵家に対する無礼と、国王に対する侮辱、それに国家に対する反乱の扇動で、極刑に処す」

「ちょっと! どういうこと!? なんで私が!?」


 ブルレスカの金切り声が響き渡る。国王が顔をしかめ片手を振ると、すぐさま近衛兵がブルレスカをやんわりとであるが拘束した。しかしブルレスカが暴れるために拘束する力を強くせざるを得ず、結局ブルレスカは力尽くで両膝をつかされた。


「父上、一体どういうことですか! 何故僕たちがそんな処分を受けなければならないのですか!」「言ったはずだ。今回の私たちの外遊は、お前の帝王教育の最終試験でもあったと。お前はそれに救済も出来ないほどに落第点を取った。いや、点数すらない。これほどに見事な落第はこの国建国以来と言って良いだろう。いや見事なものだ。これが自分の息子でなければ、大笑いするところだ」

「ち、父上!」

「仕事は放置する、侯爵家というこの国にとって大切な存在を蔑ろにして怒らせ、その令嬢に冤罪をかけた上に虐待をした。これが2週間のうちに起きたと言うのだからすさまじい。何をどうやっても庇えない。いや見事なものだ。国家転覆罪だな。やはりお前も処刑が妥当か」

「父上、待ってください!」

「申し開きをしてみるか? 聞いてやろう」

「申し開きも何も、僕は罪など犯していません! 確かに仕事は多少遅れを出してしまいましたが、それは大きな問題になるほどではありません!」

「お前の分だけならば、確かに3日ほど貫徹してこなせば出来るだろうな」

「そ、そんなにはないと思いますが……」

「なければなんだ? 書類を積んで置いて良いと? 急ぎの案件があるかもしれないのに?」

「そ、それは……。申し訳ございません。ですが侯爵家に関しては、あちらが不義をしたのです。罰して当然です」

「アドロラート嬢はお前が言うような行動はとっておらん。ブルレスカに接触したこともない」

「そんなはずがありません! 先ほど資料を提示したではありませんか!」

「ああ、嘘の情報のな」

「う、うそ!?」

「嘘じゃないもん! 私、アドロラートにいじめられたもん!」


 国王の言葉に唖然とするパヴェントの横で、ブルレスカが泣きながらも叫ぶ。

 だが国王は首を横に振った。


「いいか? パヴェント、お前の行動が全て分刻みで報告されているのと同様に、皇太子妃候補として、アドロラート嬢の行動もすべて報告されている。そこにアドロラート嬢とブルレスカの接触記録はない」

「そんな!」

「嘘よ! 私アドロラートにいじめられたもの!!」

「大体考えてもみろ。侯爵令嬢と男爵令嬢が同じ場にいるわけがないだろうが」

「あ……」


 国王に言われて、パヴェントは今頃その事実に気が付いた。


 この国での身分制度は堅固だ。上級貴族と下級貴族が同じ場所にいる事は、まずない。舞踏会では両者が招かれるが、空間も、控室もきっちりと分けられている。いくら皇太子が気に掛けていても、その時はまだ一介の男爵令嬢に過ぎなかったブルレスカが、アドロラートと同じ侯爵令嬢たちのいる所に近付く事も、事件があったという控室に入る事すら出来ないのだ。


「であるから、舞踏会にてそこの女がアドロラート嬢にワインをかけられる事も、ドレスを破かれる事も不可能だ」

「違うわ! アドロラートが私がいる方の控室に入ってきて、それで!」


 パヴェント皇太子はそれを聞いて少しだけ胸をなでおろした。それならばあり得る事かもしれないと。

 だがすぐに絶望に襲われた。


「語るに落ちたな。侯爵令嬢が男爵令嬢と面会したければ、男爵令嬢を自身のいる部屋に呼び出すものだ。だが今お前は自分で『下級貴族用の控室に侯爵令嬢が入ってきた』と証言した。それはあり得ないという事は、この国の貴族ならば誰でも知っている。という事は、やはりアドロラート嬢は舞踏会などではお前には会っていないという事だ」

「ち、違うわ、そうよ、舞踏会じゃなくて、お城よ! お城に呼ばれた時に、やられたの!」


 二転三転する証言に周りが呆れているのにも関わらず、ブルレスカは必死に言い訳を続ける。


「愚かな娘だな。城の中ではアドロラート嬢には近衛が複数必ず張り付いている。彼女が家を出てから家に帰るまで、どこに行ったか、誰と会ったか、何をしていたか、すべて記録されている。その中でお前に会ったという事実は、ないと先ほど言ったばかりだろうが」


 ブルレスカが少なくとも貴族のマナーを受けていたら、その事実に気が付いて違う言い訳を考えられただろう。しかしそれすら知らない彼女は一体何なのだろうか。

 しかも近衛に関しては、皇太子の宣言のみの婚約者であり、国王夫妻の承認がない状態だったために、彼女用の近衛などは配置されていなかった。


 そしてパヴェントも気が付いた。ブルレスカが城に来た時は、そのほとんどの時間をパヴェントと共に過ごしていた。それはブルレスカがアドロラートに嫌がらせを受けないためだったが、だからこそ、城内でのブルレスカとアドロラートが接触していない証拠でもあった。


 パヴェントは呆然とした。少し考えればわかる事なのに、何故今までブルレスカの言葉を鵜呑みにしていたのか。同じように呆然としているクーポと目が合う。二人とも何故その事実に気が付かなかったのか。

 そして二人で同時にブルレスカを見ると、ブルレスカは必死に近衛を振り切って、二人にしがみつき、嘘じゃないわと訴えてきた。


 だが一度目が覚めると、もうだめだった。こんなに不敬を重ねるブルレスカに、何故あんなに魅力を感じていたのかすらわからなくなってきた。

 パヴェントは確かにブルレスカを婚約者と認めた。だが認める前から彼女は自分にベタベタと触ってきていたではないか。そんな事はアドロラートでもしなかった。もしブルレスカ以外がそんな事をしたら、不敬罪で近衛に連行させていた。なぜブルレスカには許していたのか。


 大勢の前、とりわけ王族の前で泣きわめくなどという、貴族の令嬢令息ならば絶対にしない不作法を、何故ブルレスカは恥ずかしげもなくしているのだろうか。その前に許可もされていないのに、先ほどから彼女は国王に話しかけている。自分は息子だから良いが、彼女にその資格はない。侯爵令嬢のアドロラートですらきちんと話しかけられてからか、伺いを立ててから話をしていたというのに。

 一つ疑問に思ったら、次から次へとブルレスカの行動への不信感が湧いてきた。思わず彼女の両腕を掴んで、自分から引き離す。


 泣きわめいていたはずなのに、いつも通り綺麗な顔が、不思議そうにパヴェントを見上げてきた。化粧一つ乱れずに泣くなど不可能だ。だとしたら今のも演技だったのか。


 パヴェントの背中をゾゾゾと悪寒が駆け上がる。それはクーポも同じだったようで、ブルレスカに名前を呼ばれると露骨に嫌悪の表情を浮かべて下がった。

 そんな二人を見て、またブルレスカは顔を覆って泣き始める。それを見ながら二人の頭は混乱を極めた。

 

「少しは不自然さに気が付いたか。だがもう遅い。お前たちはブルレスカの魅了魔法に操られていたのだ。だがそれにすら気が付かなかった自分の愚かさを思い知るがいい。そのような隙だらけのパヴェントなどに王位を継がせるわけにはいかない。そして皇太子に魅了魔法をかけるという行為は、国家反逆罪にあたる。よってブルレスカは処刑、パヴェントとクーポは領地に追放とする」


 国王の宣言が響き、その場にいた者たちは承諾の礼をする。そこには呆然としたままのパヴェントとクーポも含まれていた。

 ブルレスカだけは泣きわめいていたが、近衛によって取り押さえられ、牢屋に連行されたのだった。




 その後ろ姿をセヴェーラ夫人が表情も変えずに見送っていたが、いつもまったく表情を変える事のない夫人の、その口元は少しだけ口角が上がっているように見えた。

お読みいただきありがとうございます。その他の人視点の話へと続きます。

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