【84】封じられた地(11)side:A&D
「ほーん、お前今魔王戦?」
自室で銀英をプレイしていると、ひょっこり顔を覗かせた兄ちゃんが「お」と楽しそうな声をあげた。
「そう。今ひたすら殴ってるんだけど魔王堅くない? なんかここにきてヘルトの攻撃力落ちてるし」
「魔王に隠れ属性のせいじゃないかってもっぱら噂だぜ。だからヘルたんだけ当てにしてると勝てねぇぞ」
「うへぇ、兄ちゃんアドバイスー」
「俺に頼るならもう攻略サイト見ろよ。……あー、とりあえずスタミナやばくなっても3マス以上は絶対離れるな」
「なんかあるの?」
「特殊技が発動する。普通に食らえばまず全滅する全体必中技だから注意しとけよ」
「なにそれ初見殺しじゃん!?」
「スタミナフルでバフかけても8割削れるから発動させない事が今の所の最適解だな。それさえなければ後はひたすら——……」
***
間一髪。足元からオレの命を刈り取ろうと撃ち出された黒い槍は、しかし槍とオレを隔てるように現れた闇色の膜に弾かれて消滅した。
目前まで迫った命の危機に、遅れて恐怖が込み上げてくる。
――特殊技
かつての兄ちゃんが言っていた、全体必中技。
こんな全方位攻撃、確かに避けれる気がしない。
バクバクと激しく鳴り響く心臓の音を聞きながら、震える手足に力を込めて剣を握り直した。
まだ攻撃は終わっていないのだ。
黒い槍に視界を遮られて他の皆の姿は見えないので心配だ。
や、人の心配している場合じゃないんだけど。
今はまだ膜——多分ディアの力だろう——が防いでくれているけど、槍の強襲ですでにボロボロでいつ崩れてもおかしくない。
自分の周りに新しく力を張り巡らせて、深呼吸をする。
とにかく五体満足で耐え切るしかないだろう。ブツリと、ついに突き破られた膜に覚悟を決めた。
オレに押し寄せる黒々とした槍の群れを剣で薙ぎ払い、撃ち落とし、回避する。
あれこれ考える暇はなく、ただただ生きる事に必死だった。
気づけば槍の雨は止み、周囲には薄く砂煙が舞っている。
この大技の後だからだろうか、周囲の瘴気が格段に減っていた。
荒い呼吸を整えながら、額を伝う汗だか血だかわからないものを乱雑に拭って魔王を睨みつけていれば、ふと、視界に銀色が飛び込んでくる。
「アルム、お願いです。私をこのまま魔王の元へ——」
ルーチェを一瞥し――彼女を狙うように飛んできた槍を打ち払ってから、頷く。
彼女が何をするつもりなのかはわからない。
だけど薄紫色の瞳に色濃く滲んだ覚悟に気づけば、頷く以外の選択肢はなかった。
「行こう」
怪我もそのままで走り出したオレ達の体を優しい光が包みこむ。
軽くなった身体で襲いかかる触手を両断しながら一直線に魔王を目指し、駆けた。
ルーチェと共に、前へ、前へ。
もう力もそれほど残っていないから、力はなるべく温存だ。
回避に重点を置いて、まずいものだけ切り裂いて。
前へ。
ひたすら前へ。
接近するオレ達めがけてあちらこちらから飛んでくる、槍と触手と光線。
それらをどう回避しようかと思考を巡らせていれば、オレ達を守るように周囲に水膜と岩壁が現れた。
「あなたは前に進みなさいアルムッ!」
道を切り開くように、オレ達の前方を遮っていた瘴気が炎に焼き尽くされ、風の刃に切り刻まれていく。
瘴気とそれらがぶつかり合う中、仲間の援護を追い風に、オレとルーチェは駆けた。
前へ、前へ。
瘴気を切り裂いて、前へ。
ただ魔王だけを見据えて、突き進む。
眼前に迫り上がる分厚い瘴気の壁にぐっと剣を握りしめる。
さっきは超えることができなかった壁だ。だけど今、ここで止まるわけにはいかない。越えなければならない。
剣に力を込めて、込めて、込めて――。
溢れんばかりの輝きを放つ剣を振り上げ、勢いよく振り下ろした。
「いけッッッ!!」
拮抗する黒と白がギチギチと音を立て、やがて双方ともが弾け飛ぶ。
そうして崩れ落ちた壁の向こう、そこにいるはずの魔王へと視線を向けようとして——。
「――ッ」
目の前に迫る巨大な槍に喉の奥が引き攣った。
回避は? 間に合わない。
相殺は? 間に合わない。
食らうしかなかった。
視界いっぱいに広がる黒い槍がスローモーションに見えた。
死にたくはない、けど……覚悟を決めるしかないだろうなぁ。
痛みに備えて歯を食いしばる。
刹那——銃声。
オレの脳天を狙った一撃が光る何かに撃ち抜かれてバラバラに砕け散る。
何が起こったのかわからなかった。
銃、でも。この力、いや、まさか——。
「アルム!」
ルーチェの呼び声に、停止しかけたオレの意識が呼び戻される。
気を逸らすな。今は、とにかく前へ。
ルーチェを無事に送り届ける為に。
道を切り拓け。
魔王まであと数メートル。
いつの間にかルーチェの身体が光を帯びていた。
魔王の周囲からぶわりと瘴気が吹き上がり、オレ達を覆い尽くそうとする。
おそらくこれが、最後だ。
限界ギリギリまで力を振り絞り、一閃。
瘴気の中にぽっかりと開いた道を前に、叫んだ。
「ルーチェ!」
「——ありがとう、アルム」
ルーチェが纏う光がどんどん強くなっていく。
それと並行して、ルーチェの身体が少しずつ崩れていく。
1歩、2歩。
ぱらぱらと光のカケラを散らしながら駆けていたルーチェが——跳んだ。
そして。
魔王に触れた瞬間、ルーチェの身体が粉々に砕けて消えた。
次の瞬間、ルーチェのいた場所から激しい光と風が渦巻状に立ち上り、魔王もろとも周囲の瘴気を巻き込んでいく。
『一緒に逝こう、兄さん』
奔流の中、黒と白二つの光が何度もバチバチと激しくぶつかり合い、形を変えて混ざりあっていく。
だんだんと力を失っていったそれらは、やがて溶け合うように……消えた。
「……ルーチェ」
瓦礫と化した闇色の城も、北の大陸を覆っていた瘴気も、そして——魔王も。
最初から存在などしていなかったかのように消えて無くなった。
目の前に広がっているのは、一面の荒地だけ。
「おわった、のかな」
緊張が抜けたせいかドッと疲れを感じて座り込んだ。
これが、兄ちゃんが望んだハッピーエンド……なのかはわからない。
魔王はルーチェと一緒に消えていったから討伐って言っていいのか微妙だし、なによりゲームとは全然違う結末になったけど。
今はただ、脅威が去った事をかみしめていよう。
あれこれ考えるのは、また後で。
「あはは、もう主人公なんてこりごりだ」
目を閉じれば瞼の裏側に、グッと親指を立てて笑う兄ちゃんが浮かんで。
……少し泣きたくなった。
*side:D
瘴気によって形作られたものがサラサラと崩れていく。
……終わったのだ。
その光景を見守りながら、横でしゃがみ込むヘルトを見た。
「……よく頑張ったな」
ぼそりと小さな声で呟やいたヘルトの視線の先には、カイゼスとシュゼッタに支えられながら立ち上がるアルムの姿があった。
「伝えずに、このまま消えるつもりか」
「いいんだよ、これで。記憶としては残るから、消えるわけじゃ——っと、……そろそろ限界か」
ゆらりと体勢を崩した身体を咄嗟に支えてやれば、その身体からさらに力が抜ける。
アルムを守る為に使った力。その反動が今きているのだろう。
自らの内に入れた者の為なら平気で無茶をやらかすところに、図らずもオズとの繋がりを感じた。
「んじゃ、……さよなら、ディアたん」
「あぁ。さよならだ、ヘルト」
そのまま静かに眠ってしまったヘルトを見下ろして、なんとも言えない気持ちになる。
結局アルムとは碌に言葉を交わせないままヘルトはオズと融合することになるのだろう。
……その記憶だけ。
あいつは消えるわけじゃないといったが、人格が受け継がれない以上あのヘルトとして会えるのはこれが最期のはずだ。
それなのに果たしてこれでよかったのだろうか。
本当はアルムを連れてきて、強引にでも言葉を交わさせるべきだったのだろうか。
もう終わってしまった事だ。考えてもしかたがない。
それでも、考えずにはいられなかった。
「何が最適解なのか……やはり難しいな」
胸の内に渦巻く迷いと共に、ゆっくりと息を吐き出す。
——こんな時オズがいてくれたら
無性にオズが恋しくなって、眠るオズの身体をぎゅっと抱きしめた。
オズ。大事な親友。俺の唯一無二。
トクリ、トクリとオズの身体から聞こえる心音に少し心が軽くなる。
あいつの声が聞きたい。
あいつの灰色の瞳が見たい。
「あぁ、早くお前に会いたいよ——オズ」




