【78】封じられた地⑤side:A
玄関ホールを抜け、足音で静寂を切り裂きながら薄暗い廊下を駆ける。
廊下の突き当たりにある黒い両開きの扉を視界に捉え、腰の剣に手を掛けた。
守護者の力を打ち出して、強引に扉を押し開いた先には床も壁もおまけに調度品さえ黒一色に染められた大広間。奥の方に玉座が見えるのでおそらく謁見の間なんだろう。
そんな事を考えながら、オレは玉座の前でぽつんと立つ華奢な少女を見つめた。
濁りのない純白の長い髪を2つ縛りに緩く結んだ美少女。
ただしその肌と瞳はヴィシャスと同じ黒と赤。つまり彼女は——人型の魔物だ。
彼女についてはオレも兄ちゃんもよく知っている。
なんせ、ゲームでも魔王戦の前に戦う魔王の側近の1人だからだ。
その時は名前なんて出てこなかったからヴィシャスみたいな名前があるのかは知らないけれど。
彼女は敵であるオレ達を見ても花のような顔に聖母のような微笑みを湛えていた。
だけどその赤い瞳が何かを捉えた瞬間、彼女の表情が一変する。
先程とは打って変わって憎悪や殺意などドロドロと淀んだ感情を滲ませるその様子に、思わず剣を握る手に力が篭った。
『マタ、……オ前ナノデスカ……ッ、ルーチェ』
こんな台詞、記憶にない。
ゲームでは突然彼女が狂ったように笑い出して、戦闘に突入したはずだ。
いつでも剣を抜けるよう身構えつつルーチェを横目で窺えば、表情の乏しい彼女にしては珍しく困惑顔で彼女を見つめている。その口が「ライ、ラ?」と小さく動いたのを見逃さなかった。
女神の巫女と魔物の少女。
対極のよう2人の少女に一体どんな因縁があるのだろう。
『ナンデッ、ナンデオ前ガソコニイルノデスカ! オ前サエイナケレバ……ソウ、イナケレバ、キャハッイナケレバイナケレバイナケレバッ!』
狂ったように笑い始めた魔物の少女——ライラからぶわりと黒いモヤが溢れ出した。
『キャハハッルーチェッ! オ前ナンテイナクナレバイイッ! キャハハハハハッハハハッ』
赤い目がギランと大きく見開かれたかと思うと次の瞬間瘴気が数多の黒い触手を形取り、オレ達へ殺到する。
『キャハハッ! 押シ潰セ! 消エテシマエ!』
これが、ライラとの戦闘の始まりだった。
基本的な攻撃手段は蛇のように動き回る触手の締め付け、押し潰し、薙ぎ払い。
精度こそ高くないけど一撃一撃がひどく重い。くらえば骨が粉砕してもおかしくなかった。
加えて時間経過でどんどん触手が増えていくので戦闘が長引く程オレ達の危険も跳ね上がる。
極め付けは触手の先端から放たれる瘴気のブレスだ。威力もさることながら、浴び続ければ狂化しかねない危険もあるのでとにかく厄介だった。
縦横無尽に暴れまわる触手によって広間はもうめちゃくちゃだ。触手の攻撃に幾度もさらされた立派な調度品やカーテンは見る影もない。また一つ、頑丈そうなローテーブルが呆気なく粉砕されていく。それがまるで自分のもしもを暗示しているかのようで、気づけばオレの頬を冷や汗が伝っていった。
攻略法はもちろん、知っている。
数ターン毎に増える触手の相手をしつつライラを倒せばいい。
とはいえ現実で同じことができるかと問われれば無理だと答えるだろう。
触手がライラをすっかり覆い隠してしまっている状態でどうやって近づけばいいか分からなかった。
ゲームだったら強引に突っ込んで攻撃するとかいう手もとれたけど、リセットもコンテニューもできない状況で無謀を晒すのは正気の沙汰ではない。
というか、ライラを探す以前に皆触手を減らすので手一杯だ。
なんせ焼いても切っても次から次へと生えてくるのだ。
驚異的な再生力の前に、なんかもう焼け石に水感がある。
初めはライラの周辺だけだった触手は、今じゃ大広間の6割を埋めつくす程だ。
このままいけば直にこの広間を覆い尽くすだろう。難易度の高さに正直ちょっと泣きそうだ。
『オ前ノセイダ! オ前ガイルカラアノ方ハ苦シンダ!』
蠢く触手の海の中から、怒りを載せたライラの叫び声がまた、響く。
ルーチェに殺到する触手を光の壁で防ぎながら、やはり疑問に思うのはライラがルーチェを目の敵にしている理由だ。『あの方』と言われて多い浮かぶのは……魔王しかいない。
魔王と、魔王その側近と、そして女神の巫女。
関係としても敵同士であるから、ルーチェがいるから魔王が苦しんだっていうのはおかしい話ではない。
けど、なんか引っかかる。
何かを見落としているような、据わりの悪さ。
「ぼうっとするなアルムッ!」
うっかり思考が沈みかけたところで、カイゼスの怒鳴り声にハッと我に返った。
「――ごめんっ」
死角から迫ってきていた触手が炎で焼かれて炭と化していくのを尻目に眼前に迫る触手をまとめて切り刻み光で消しとばす。今は、考え事をしている時じゃない。
汗で滑る剣の柄を握り直し力を込めた時、魔物の少女がまた叫んだ。
『オ前ノヨウナ災厄ノ子ガイナケレバ』
その時、今まで黙々と浄化魔法を使っていたルーチェがポツリと、つぶやいた。
「私は、……災厄なんかじゃない」
淡い紫色の瞳が仄かに輝いたように見えた次の瞬間、ルーチェから放たれた閃光が広間を覆う。
「は?」
何が起こったのかわからないまま唖然としているうちに、あれだけ苦戦していた触手は形を保てず地面に崩れ落ちていく。
たった数秒。
それだけで、形勢逆転。
広間を埋め尽くしていた触手はほとんど消え、残るは奥の方で苦しげに膝をつくライラと数本の触手のみだった。残ったとはいえ触手はもう増殖する余力もないらしく、ヨロヨロと地面を這うばかりだ。
シンと静まり返った会場にコツンと足音が響く。
銀色の髪を靡かせたルーチェが、オレの横を通り過ぎていき……やがてライラの前で立ち止まった。
「久しぶり、ですね」
『何ヲ白々シイ事ヲ』
「本当の事ですよ。だって、ほんの今まで私の記憶はなかったんですから」
『……』
「ねぇ、ライラ。あなたを殺す前に、どうしても聞きたかったことがあるんです」
——私を殺して、兄さんは幸せになりましたか?
その問いに、息を呑む。
魔王となった先代守護者、既知の2人、災厄の子。
加えてルーチェが告げた言葉。
ここまで情報が揃えば、自ずとルーチェとライラの正体に見当がついた。
「魔王に堕ちることがライラの言う、兄さんの幸せなんですね?」
『……ゥ……ァ……ワタ、シ……ハ……ァ……ァアッアアアアアァァッァァアアアアアッチガウチガウチガウチガウイヤダチガウッ、ワタ、シ、ハ……ダッテアノ人ガ――』
パンッ、と光が爆ぜた。不自然に途切れた声と共にどさりとライラが崩れ落ちる。
目を見開いたまま声もなく口をぱくぱくと閉口させる彼女の胸部には大きな風穴が開けられていた。
「私は、兄さんを堕としたあなたを絶対に許しません。いい加減、大人しく浄化されてください」
『……ァ……シ、ス……、…………』
光がライラの身体を飲み込んでいく。後には古ぼけたボロボロのペンダントだけがただ1つ、寂しく転がっていた。
「兄さんの事はご心配なく。当代女神の巫女として、終わらせてみせますから」
今にも崩れてしまいそうなそれを、ルーチェは静かに拾い上げる。
「お前は――」
「私の事よりも、オズさんを取り戻すのが先ではありませんか?」
兄ちゃんの言葉を遮り、ルーチェは振り返った。
相変わらず表情の変化は乏しいけど、今までのルーチェとは確かに何かが違う。
意志の強さに気圧されて、流石の兄ちゃんもそれ以上尋ねる事はなく静かに口を閉ざした。
静かな広間にコツリとルーチェの足音が響く。
覚悟の滲む淡い紫の瞳が真っ直ぐ天井の向こうを見据えていた。
「急ぎましょう。……魔王が完全に現界する前に」




