【73】レントルの町②
2人分の温かいハーブティーを持って俺の部屋に入れば、椅子に腰掛け机の上の置物に首を傾げるディアの姿があった。
「それは魔除けの人形なんだ」
「魔除け……?」
「小さい頃、身体が弱かった時期があってさ。早く良くなるようにって父さんが買ってきたんだ」
「そうなのか。……効果はあったのだな」
「確かに。こうして元気なのはこいつのおかげかもな」
魔除けの人形をまじまじと眺めているディアにコップを渡してから、俺はベッドに腰掛けた。
石を集め終えたらと約束していたあの話をするならこの部屋がちょうどいいだろう。
もうしばらく帰っていない部屋だけど、いつでも使えるように整えておいてくれた母さん達には感謝しかない。
「それじゃあ聞いてくれるか、ディア」
「あぁ」
シスル青年の声が聞こえた事、感情が制御できなくなった事。
言葉に迷いながら話し終えるまで、ディアは真剣な表情で俺の声に耳を傾け続けてくれた。
今までだったら絶対に誰にも言わなかっただろう事を言葉にするのはなかなかに大変で。
だけど、話すたびに少しずつ心が軽くなっていくような気がした。
「俺が俺じゃなくなっていく感じがしてさぁ、怖かったんだよな。……ほんと、あれは一体なんだったんだか」
「瘴気じゃないのか?」
「南の大陸の神殿から聞こえたあの声もかよ?」
「それは……別のものかもしれないが。だが、そのどちらも治ったのだろう?」
「そうだけど」
「なら、手がかりがない以上考えても仕方がない。再び起きた時に一緒に考えればいい」
「……そうだな。ありがと、ディア」
「ん」
そう言って柔らかく微笑んだディアにほっとする。
気付かないうちに随分と凝り固まった身体をほぐすように伸びをした後ごろんとベッドに寝転んだ。
「お前ってやっぱりいい奴だよなぁ。後、強い上に美人だし」
「お前は本当に俺の顔が好きだな……」
「失礼な、顔以外も好きだわ」
「このタラシ野郎」
耳を朱に染めながら顔を顰めるディアのちぐはぐさがなんだかおかしくて、声をあげて笑った。
そんな俺の横にディアがボスンと寝転んでくる。
ディアの方を見れば、不貞腐れたような顔で俺を睨んでいた。
「何笑ってるんだこの馬鹿」
「ごめん、なんか気が抜けたっぽい」
「柄にもなく悩むからだ、馬鹿。また何か悩んだ時はすぐに俺を頼れ。なんせ俺は強くて美人で性格のいいお前の親友なんだからな」
「待った、性格がいいなんて言ったか?」
「お前それどういう意味だ?」
「どうって――ひゃはははっ、ひあっくすぐりやめれっ」
「ほぅ? 脇腹が弱点なのか」
にやりと笑ったディアに嫌な予感がしたけど、時すでに遅し。
結局、アンリが夕飯を告げにくるまで子供みたいにふざけ合っていた。
アンリが去っていった後ディアと2人顔を見合わせて——忍び笑う。
「ディアのせいでアンリに微妙な顔されただろ」
「いいや、オズのせいだ」
「……つーか決戦前に何やってんだろ俺達」
「本当に何をやっているんだろうな。でも、楽しかった」
「確かに。…………なぁディア」
「ん」
「無事に帰ってこいよ」
俺の言葉にディアは力強く頷いた。その表情に憂いの色は見当たらない。
「心配するな。俺達は負けはしない」
*
翌日。
心配そうな母さんとミュイ嬢に町の入り口で見送られながら、俺達は転移門へと向かう。
ここから先、ミュイ嬢は俺よりも一足先にここで留守番だ。
非守護者のお嬢さんがよくぞここまでついて来たと思う。
以前よりもぐんと増えた魔物を屠りながら森を抜けると、俺には馴染みの深い海辺が見えて来た。
もう少し進めば古めかしい祠が見えてくるだろう。
小さい頃、絶対に近づくなと何度も言われた事があった。
そういえば一度怖いもの見たさであそこに近づいた事があった、ような。
結局あの時どうなったんだっけ……思い出せない。
祠に近づくほど、だんだんと禍々しい気配が濃くなっていくのがわかった。
祠の前にたどり着く頃には冷や汗が流れるくらいだ。
禍々しい気配の元を辿ると、どうやら朽ちかけの黒い縄で雁字搦めに縛られた祠の扉かららしい。
時折カタカタと揺れ、今にも強そうな扉に、もうあまり時間が残されていない事を悟った。
もしこの扉が向こうから破られてしまったらどうなってしまうのだろうか。
「頼む、ルーチェ嬢」
「わかった」
ルーチェ嬢が祠に近寄りそっと手を翳せば、黒い縄が光の粒子となって消えていく。
これで1つ目の鍵が解かれたはずだ。
深く息を吸って吐いて、それからゆっくりと手を伸ばす。
次は……俺の番だ。
見えない膜のようなものを通り抜けた感覚を経て、俺の手が扉に触れる。
そのまま少し力を込めれば、ギィと軋み音を立てながら扉が内側に開いていく。
ひんやりとした感覚に扉の向こうを見やり、息を飲んだ。
黒、黒、黒。
一面の、漆黒。
扉の向こうに広がっていたのは——虚空。
その闇に触れた瞬間、ぶわりと鳥肌が立つ。この先に行っては駄目だと、直感でわかった。
慌てて一歩下がろうとして——何かに手を捕まれドクリと心臓が跳ねる。
見れば、虚空から伸びた何本もの黒い糸が俺の手首に絡まっていた。
ザザ、ザザ、と脳内にノイズが走る。
次の瞬間——。
祠からぶわりと闇が溢れてきて、理解する間もなく俺の視界を黒一色に染めていった。
『――――――タ』
闇の海に沈みかけていく意識の中、耳障りなノイズに紛れて聞き覚えのある声が聞こえた……ような気がした。




