【60】西の大陸⑨side:D&O
虚な目から赤い血を流す、鎧姿の男の姿。
間違いない、症状からしてこいつらは狂化状態の人間だ。
だから、殺せない。殺してはいけない。厄介なことになったと思わず舌打ちした。
以前狂化した野生動物を相手どったことはあるが、奴らは身体への負荷など構うことなくむしろ自分の身体を壊しながら脅威的な力を発揮するので厄介極まりなかった。
しかも最悪な事に奴らは気絶しないのだ。つまり意識を刈り取る事ができない。
狂化が解除されるか、己の命が尽きるまで文字通り狂ったように戦い続けるのだ。
そんな相手が一体今ここに何人いるのだろうか。
もう何度目かもわからない程振り下ろされた剣を躱しその手から剣を弾き飛ばす。
掴みかかろうとしてきたそいつを無理やり床に叩きつけると、死角から突き出された剣を紙一重で躱した。
すぐさまガラ空きの横っ腹を蹴り飛ばし、後退して息を吐く。
「……ぐ」
少し深く呼吸すれば、一番深い脇腹の傷がズキリと疼いた。
動き続けているせいで先程食らった傷が悪化したのだろう。
流石にこの人数は捌ききれず、かなり押されている状況だ。
抜け抜けと罠に嵌って身体中に傷を拵えた俺はあの魔物側から見たばさぞ滑稽だろう。
目元にかかる血を乱雑にぬぐいながら、思わず自嘲が漏れた。
自業自得の代物ではあるが、一方で俺がこいつらを引きつけている間はこいつらがオズ達の元へ向かう事はない。
そう考えれば、この状況も悪くないと思った。
また1人、切りかかってきた帝国兵を躱し、その懐に飛び込むと当身を喰らわせ投げ飛ばす。
ゴポリと込み上げてきた鉄の味に顔を顰めながら重たく感じる腕で剣を振るい続ける。
俺がいなくなった事はアルム達も気づいているだろうから、炎の守護者を救出した後にでも合流しようとしてくるだろう。
だから、とりあえずそれまで保たせればいい。
リュネーゼとルーチェがくればこいつらの狂化も解く事ができるだろう、そうすればこの終わりの見えない戦いが終わる。
……オズは、大丈夫だろうか。
こんな状況でも心配なのはオズの事だ。
できることなら、オズの元へ早く帰りたい。
だがオズならきっと彼らを放置して帰りはしないだろう。
だから、オズの元の帰りたいと叫ぶ己の心を、己の不安を、無理やり押し殺して剣をふるう。
武器を弾くか、はたまた手足を砕くか。取れる手段はそれくらいしかなかった。
切り落としてはまずいからと、守護者の力で作り出した刃を潰した剣をふるう。
弾き飛ばし、ふるう、躱し、ふるう——とにかく何も考えず、ひたすら攻撃を捌いていく。
どれだけ時間が経ったのかはわからない、疲労と出血とで息が上がる。
一瞬ぐらついた視界にまずいと思った時には、もう眼前に刃先が迫っていた。
「——ッ」
ブツリと肉を断ち切りながら右肩を貫いていく感覚の後、焼けるような痛みに思わず手から剣がこぼれ落ちていく。
しまっ――
*side:O
「——っと」
耳元の違和感に、俺は慌てて耳たぶを押さえた。
風に飛ばされないように握り閉めた手をほんの少し開いてみれば、いつも身につけているピアスが転がっていた。
どうやらキャッチがゆるくなって外れたらしい。
なんとなく胸騒ぎがして城を振り返った。
……まさかな。大丈夫だよな、ディア。
「おいオズワルトってば!」
「っ、なんだユース少年」
「ぼーっとしてんなよ、副リーダーが呼んでる」
その言葉を聞いて目の前のワイバーンに並走するように慌てて飛んだ。
「一通り飛んでみたが……結局誰も見つからねェ」
そう言ってラモックさんは表情を曇らせる。
「探してない所はあと城か家の中だけど……どうしたもんかね」
そう口にしながら、頭を過ぎるのは最悪の想定——ラモックさん以外は既に殺されている可能性だ。
皆あえて口にはしないだけで、その可能性に思い至ってはいるだろう。
俺だってあまり考えたくはなかったけど、ここまで見つからないとなるとその可能性もいよいよ視野に入れて行動しなければならない。
捜索を続けるか、それとも潜伏か。
なんにせよ、一度地上に降りて考えるか。
「オ、オズさんッ」
思考を掻き消すように発せられたミュイ嬢の悲鳴じみた声に、ハッと顔をあげる。
どうしたと問いかけようとして、蒼白な顔で一点を凝視するミュイ嬢の姿に気づき急ぎ視線を追いかけた。
その先にあったのは城門前の広場。
いつの間にか城壁の松明に火が灯され、広場と例の舞台だけが夜の中にぽっかりと浮かび上がり儀式めいた様相を呈していた。
ガラガラと夜闇に音を響かせて城門が開かれていったかと思えば、そこから現れたのは隊列を組んだ帝国兵。
そして――
「…………は?」
一瞬己の目を疑った。
その隊列の後、まるで罪人のごとく引きずられて現れたのは――ディアだった。
石畳に赤黒い線を描きながら無抵抗にその身体が運ばれていく。
身体の横では、力なく垂れた腕が無感情に揺れていた。
頭が真っ白になる。
脳が理解する事を拒む。
怪我をしないか、心配だった。
だけど勝利を疑った事はなかった。
ディアは俺の中で絶対的な強者だった。
なのに、目の前のこの状況は……どうし、て。
「お、おい……城のバルコニーにいるのって皇帝じゃねェか?」
その声に、ハッと我に返って城を見やる。
城のちょうど2階部分にある広めのバルコニーに置かれた華美な椅子——そこに、身なりのいい錆色髪の老年の男が腰掛けている。
その隣には目深くフードを被ったローブ姿の者が控えていた。
おそらくあれが魔物なのだろう。聞き及んでいた魔物の特徴と一致する。
皇帝が片手を挙げれば、ディアの身体が舞台の上へと引き上げられ乱雑に投げ捨てられた。
「ユース少年、俺が降りた後ワイバーンで上空に逃げろ」
「は!? 降りるって……何考えてるんだよお前ッ」
「何ってディアを助けるんだ」
「あんな大勢相手に無茶だ! 心中でもする気かよッ」
「……また失うなんてごめんだ」
「何言って——ああもう! だったらワイバーンの足であいつ掴んで離脱すればいいだろッ!」
「あんな鋭利なものでディアを掴ませるわけには――」
「だったらお前が足にでもしがみついてディアってやつを掴んどけばいいだろッ!」
「採用」
「とにかくお前を降ろすのは——ってわかった降りるから! ここで降りようとするなッ!」
「ロープ結んでくるだけだ」
「…………あ、あぁそう」
ぐでっと脱力したユース少年をよそにワイバーンと自分の固定具を外し終えると、ワイバーンの胴体を伝って慎重に足元へ降りていく。ワイバーンの方も困惑気味にこちらを見ていたが、ユース少年との会話は理解しているのだろう、掴まりやすいように体勢を変えてくれていた。……本当に賢い子だ。
ラモックさん達とミュイ嬢が何やらぎゃあぎゃあ叫んでいるが、耳元を走り抜けていく風の音で何言っているのかは聞き取れないわからない。まぁ大概俺の突飛な行為についてだろう。
ユース少年達を危険に晒すこの行為が正しいと思わない。だけど止めるという選択肢はなかった。
眼下で刻一刻と迫る親友の死に焦る気持ちを押し殺しながらワイバーンの足に縄をくくりつければ準備が終わる。
皇帝の言葉にディアを踏みつけた帝国兵が鞘から剣を引き抜くのが見え、頭に血がのぼった。
「行けッ!」
「キュオォン」
急降下。
煽るような風の中、ワイバーンにしがみつきながらブレる標準に目をすがめた。
剣を振り上げた帝国兵に向かって何発も魔銃をぶっ放して剣を弾く。
そして俺達は、ワイバーンの羽ばたきによる風圧で帝国兵をその場に押しとどめながら、広場へと降り立った。
ディアを助ける。
ディアに手を伸ばしながら、今の俺はただそれだけしか考えられなかった。




