【59】西の大陸⑧
一瞬、裏切りという言葉が頭を過ぎる。
だけどよく見れば、虚ろな表情で濁った眼から赤い涙を流すラモックさんは誰がどう見てもおかしかった。
「ありったけの浄化魔法だミュイ嬢!」
「はいぃっ‼︎」
そして、幸運にも、ラモックさんのその症状に心あたりがあった。
ありったけ――その言葉通りに結構な出力で放たれた浄化魔法の光が部屋に溢れ、目が眩む。
視界が白く染まる中、ラモックさんの輪郭がぐらりと揺れて崩れ落ちていくのがうっすらと見えた。
その直後、ガシャンと響く金属音。
光が収束した後、気を失ったラモックさんが床の上に転がっていた。
部屋が再び沈黙に包まれる。
「ユース少年、どこかに縄ないか?」
その沈黙を破ったのは俺だった。
「え、あ……持ってくる」
放心していたユース少年にそう尋ねれば、ハッと我に返った少年が弾かれたように隅っこの小棚へと駆けていく。
少し慌ただしい手つきで引き出しを漁り始めたその後ろ姿を一瞥した後、ふいに包まれたあたたかな気配に苦笑を浮かべた。
「ミュイ嬢、ありがとうな。もう大丈夫だから」
振り返れば、俺に杖を向けるミュイ嬢の姿。
眉にやたらと力がこめられ少し珍妙な顔になっているのは、大きな茶色の瞳に溜まった涙をこぼさないためだろう。
俺の情けない姿に随分と心配させてしまったようだと申し訳なく思いながら、その頭を軽く撫でた。
「ほ、本当にもう大丈夫ですか? どこか痛いところはないですか? 無理してませんか?」
「ミュイ嬢がたっぷり治癒魔法かけてくれたおかげでな」
「――おい、……これ」
「お、ありがとなユース少年」
ぐすぐす鼻を鳴らしているミュイ嬢に困惑しながらユース少年は縄を差し出してくる。
こちらも平然を装っているが、その瞳には色んな感情が渦巻いているように見えた。
無理もない、この短時間で仲間の死を目の当たりにして更にはその仲間から剣を向けられたのだ。
後者は明らかに様子がおかしかったとはいえ、そう簡単に受け止められるものではないだろう。
「ところでラモックさんは、その……」
「おそらく瘴気による狂化だろうな」
「えっあれ瘴気が原因なんですか!? あ、確かに浄化魔法で治りましたもんね」
「そ。まぁミュイ嬢が知らなくても無理ないかな。基本は上位の冒険者か騎士に回ってくる案件だからな」
高濃度の瘴気を一定量一気に浴びることで、理性が飛んで破壊衝動のままに暴れまわる——それを狂化という。
狂化状態の生物は自身の力を際限まで使用できるので脅威的な身体能力を誇る反面、その反動で自分の身体をも壊していくのだ。また、瘴気による体調不良とは異なり侵食も随分と早い。
「まさかとは思ったけど、狂化状態の人間なんて初めて見たぞ」
「え、そうなんですか?」
「基本的に素体側の知能が高い程瘴気耐性が高くなるらしいんだわ。俺は狂化した小動物くらいしか見たことないけど、それだって滅多に起こるもんじゃない」
それなのに、これだ。しかもまさかの帝都内。
どう考えても人型の魔物の仕業としか思えなかった。
ディア達、何にもなければいいんだけど。
むくむくと頭をもたげる不安に蓋をして、ラモックさんを縄でぐるぐる巻きにしていく。
目が覚めた時に暴れないようにする為だ。
今不安になったってどうしようもないのだから、それよりもできる事をやる方が建設的だろう。
見慣れた夜空の下、ラモックさんを引きずって外に出た途端感じたひんやりと冷たい空気に昂っていた感情が少しだけ落ち着いた。
「さて、さっさと起こして事情を聞くか」
「あっ私の出番ですか!」
「いや治癒魔法は——待て待て待て物理はやめてくれ。これを使うんだよ」
キリっとした顔で杖を構えるミュイ嬢を慌てて止めながら、ホルダー横のポーチから取り出したのは小さな小瓶。
揃って首を傾げる2人に差し出して見せながら軽く揺らせば中の錠剤がカラカラと音を立てた。
「なんですかこれ?」
「気付け薬だな」
ちなみに副都の副団長お手製の品である。
「そんなもん飲ませて大丈夫なのか?」
「安心しろって、安全性と効果は身をもって体験済みだ」
「どんな味がするんですか?」
「んー恐ろしく苦くて酸っぱい。後で試してみてもみるか? 半日くらい味覚が死ぬけど」
「それ本当に安全なのか?」
慎重に口の中に含まてから少しして、錠剤が溶け始めたのかラモックさんが思い切り顔を歪めてえずき、バッと勢いよく目を開けた。
「ォエ……クソまずッ……お、ア? ……ユー、ス? ッユース! お前どこに――は、おいなんの真似だ」
「不躾で悪いけどラモックさん、帝国兵の鎧来て俺達を襲ったの、覚えてるか?」
「襲うゥ? 何を言って――なんだこりゃ!?」
俺の言葉にぽかんと口を開けたラモックさんだったけど、ようやく自分の装いに気づいたらしい。
素っ頓狂な声をあげ驚くその姿はどうも嘘をついているようには見えなかった。
「なぁ、何があったんだ?」
「何がも何も……準備中にいなくなったそこの馬鹿を探しに何人かで大通りに出たんだ、が……そこからの記憶がねェな。他の奴らはどうしてる?」
「実は――」
城に乗り込んでいる事、アジトの死体の事、行方不明の人がいる事。
それらをかいつまんで説明すればラモックさんは少し目を伏せ、それから感情をぐっと押し殺したような硬い声で「そうか」と呟いた。ユース少年もそんなラモックさんの様子につられてか、また目を潤ませている。
両者共、変に思い詰めなければいいんだけどな。
「……それで、お前らはこれからどうするんだ?」
「まずは行方不明者の捜索だな。仮に全員が狂化状態ならできるだけ早く浄化しないと」
「でもどうやって見つけましょうか。帝都を走り回っていたら日が昇っちゃいますよ?」
「ならワイバーンはどうだ? 帝都がこんな有様なら、夜闇に紛れて上空飛ばしてもまぁ騒ぎにゃならねェだろ」
ラモックさんの一声で俺達の今後の行動が決まった。その上で懸念すべきはやはり魔王の側近の動向だろう。
そいつが今どこにいるか分からない以上、本当は空を飛ぶ事は避けた方がいいのかもしれない。
だけど人命がかかっている以上、やはり放置するわけにもいかなかった。
なんでもかんでも危険に飛び込むのはどうかと思うけど、危険を恐れすぎて色んなものを見捨てるのは流石に嫌だからな。俺達だって一応守護者一行なんだ。
とりあえず城付近には近づかないようにしつつ、気づかれない事を祈って迅速に事を済ませるのがいいだろう。
「ラモックさん、ワイバーンは今どこに?」
「近くの森に隠してる。この静けさならここからでも笛を吹きゃ呼べるぜ。ま、本来こんな事したら反逆罪で処刑もんだけどな」
縄を解いたラモックさんが取り出したのは手のひらサイズの枝のようなものだった。
それに息を吹き込めば、高くもなく低くもないぼやけたような不思議な音色が周囲に響く。
それから20秒程——。
「ほら、来たぜ」
ラモックさんの言葉通り、バサリと羽ばたきが聞こえ、同時に頭上から大きな影が落ちた。
ラモックさんの巧みな誘導により大通りには今、鞍付きのワイバーンが2頭降り立っていた。
俺達は今からこいつらに乗って行方不明者を探す予定なんだけど、そのことで困りごとが1つ。
ワイバーンの騎乗経験者がラモックさんしかいないのである。
挙げ句の果てに——。
「オズワルト、お前がもう1頭に乗れ」
「は!?」
まさかの無茶振りである。ぶっつけ本番で乗れと!?
養成学校で騎乗訓練は受けているし騎士となってからは遠征時にはよく乗っているから馬に乗るのはそこそこ慣れているつもりだ。もう一度言う——馬の、だけどな!
「馬に乗れるなら問題ねェ。似たようなもんだ!」
「そんな訳あるかッ!」
エストルミエの騎獣部隊が聞いたら怒り狂いそうな事を言ってのけたラモックさんを見やれば早々にミュイ嬢とワイバーンに乗っていた。俺達の中で浄化魔法を使えるのはミュイ嬢のみ。なのでワイバーンの騎乗に慣れているラモックさんと一緒に乗るのが組み合わせ的にもいいのだろう。それはわかる。
「いっそ俺達だけ街中走り回っても——」
「お前が何をそんなにためらってんのかわからんが、こいつらは俺達の言葉をある程度理解してくれるからそこまで難しいこたねェよ。横に俺達もいるし、ユースも乗り方は知ってるからいけるだろ」
「オズさん根性ですっ!」
「ほらミュイ嬢ちゃんにも言われてんぞ」
「ああもうわかった! いくかユース少年」
勢いに任せてワイバーンに近づけば、俺達に気づいたワイバーンが乗りやすいようにスッと身を屈めてくれる。
ありがとな、と背中を軽く撫でてから鞍に飛び乗った。ユース少年を引き上げた後、少し戸惑いながらも順調に固定具を嵌めていく。
……今更だけど、陸と空中ってだいぶ違わないだろうか。
弱気な考えを振り払うように頭を振って俺は城を見上げた。
ディアや皆は今、城に潜入して頑張ってるんだしな。
「よろしく頼むぜ、ワイバーン」
「キュオン」
「それじゃあ、飛んでくれ」
俺の言葉に呼応するようにワイバーンが風の魔法を纏った羽を広げる。
そして助走をつけると――巨体に見合わぬ軽やかさで大空へと飛び立った。




