【37】南の大陸⑦
報告を終えギルドのに出てみれば太陽はもう頭上高く昇りきっていた。
クラス4の魔物が3体も出たとか、全部討伐したとか、廃坑が崩れそうだとか色々報告してたらそりゃ時間がかかるよな。あの廃坑はすぐにでも立ち入り厳禁になるだろう。
完遂手続きの合間にギルドの受付嬢から教えてもらったおすすめの宿に向かいながら、皆思い思いにこれからの予定を立てているようである。なんたって久しぶりの休日だ。
明日いっぱいまでは惰眠を貪るのもよし、街をぶらつくのもよし、依頼を受けるのも……流石にこれは微妙か。
とりあえず俺の場合、今日1日は睡眠にあてるとして、明日はぶらぶらとこの街の特産物を見てまわったり名物を食べたりしてみたいなんて考えている。
辿り着いた宿は、小さいながらも宿泊客への思いやりが詰まった感じのいい宿だった。
俺達が受付に向かえば、のんびり書き物をしていたご婦人が穏やかな微笑みを浮かべて歓迎してくれた。
彼女――コルディさんとご主人が道楽で営業しているこの宿は立地の関係もあり今の所宿泊客は俺達だけらしい。
スムーズに部屋を借りる事ができた俺達は、早速各々の部屋――男女別に4人部屋と3人部屋だ――に向かった。
部屋に入ってまず目についたのは向かいの壁に設置された大きな窓だ。そこから左右に目を向ければ、それぞれ壁際に2段ベッドとサイドデスクが設置されている。部屋の真ん中には談話用なのか、年季の入った丸テーブルが置かれていた。いずれにしても、手入れが良く行き届いていて居心地が良さそうだと思った。
「そういえば、屋外に風呂があるんだっけ?」
「露天風呂あるんだ」
「景色風呂ですよ、アルム」
「え、あー! そうそう、景色風呂だった」
アルム少年の焦り声を聞きながら窓の外を伺えば、色とりどりの花が咲き乱れる庭に混じって木の囲いが見えた。
おそらくあれが南の大陸独自の文化である景色風呂――ようは景色も楽しめる大衆浴場なんだろう。
いつでも入れるからってコルディさんも言ってたし、どうせなら寝る前に入りたい。
「なぁディア、入らねぇ?」
「……オズ、風呂で寝るなよ」
「流石に外でなんか寝ないっての」
「どうだか」
微妙な表情のディアを連れドミニクとアルム少年も巻き込んで意気揚々と景色風呂に向かったわけだけど……うん。結論から言うと、寝た。
汚れを落としていざ湯船の中へ――とわくわくしながらお湯に浸かって数秒で寝落ちした。
愕然としたわ。人間って数秒で寝れるんだな。
そのまま沈みかけたらしい俺は、隣にいたディアによって引き上げられ事なきを得た。
「……」
「ごめんて」
それ見たことかと言わんばかりに、ディアの冷ややかな視線が突き刺さってとても痛い。
「……」
「だからごめんて」
ディアの無言の圧力がしんどい。
さりげなく助けを求めてドミニク達を見たけれど、あっちはあっちで随分と面白いことになっていた。
俺達の視線の先には、顔を真っ赤に染めながら俯く純情貴族騎士ドミニク君の姿があった。
「リュネーゼさんってお肌綺麗ですよね!」
「ありがとうミュイちゃん。……触ってみる?」
「えっいいんですか! わ、すべすべしてるね~ルーチェ」
「ん、なめらか」
「ふふっ、くすぐったいわよ2人とも」
どうやら塀を挟んだ向こう側が女湯っぽくて、リュネーゼやミュイ嬢達の会話が丸聞こえなんだよな。
きゃっきゃうふふと戯れている女性陣で一体何を想像したのやら、ドミニクは面白い程動揺していた。
今はメガネを外しているというのに、思いきブリッジをあげようとして見事スカってしまっている。
耐性なさすぎだろ。
「なんでドミニクってあんなにウブなんだろうな」
「さぁな」
そんなこんなで俺達は貸切状態の風呂を心ゆくまで堪能してから上がった。
ぽかぽかと温まった体で部屋に戻った俺は二段ベッドの下段に腰かけ、息をつく。
風呂は気持ちよかったけど、同時に気も抜けてしまったのか疲労と眠気がどっときた。
「オズ、大丈夫か?」
俯きながら目頭を押さえていれば、心配そうな顔をしたディアが覗き込んできた。
――?
一瞬、ディアの姿に誰かの姿が重なった。
夜色とベリー色に影を混ぜたような澱んだ黒と暗い赤。
それらは強烈な既視感を俺に植え付けると、陽炎のようにかき消えてしまった。
思い出そうと記憶をたぐり寄せるかたわらで霞のようにほどけて消えて行く。
喉まで出かかった答えにあと一歩のところで届かない、もどかしさ。
「なんか、こう……いや……うーん」
あーー後ちょっと!ちょっとで思い出せそうなのに!ものすごく眠い。
「オズ、疲れているならもう寝た方がいい」
「あと、ちょっとで――」
ディアへの返事もそこそこに眠気に抗いながら瞬きをして――いや、正確にはしたつもり、だった。
目を開けば、入った覚えのないベッドの中。おまけに部屋は薄暗い。
体を起こして窓の外に視線をやれば、鮮やかだった景色は今は闇に覆われて何も見えなかった。そのまま壁面の常夜灯を頼りに部屋の中をぐるりと見渡すと二段ベッドのそのいずれもがこんもりと膨らんでいるのが見えた。
「やっちまった……」
寝落ちした俺をディアがベッドに突っ込んでくれて、そのまま夜までぐっすりだったようだ。
あまりの居た堪れなさに思わず頭を抱えた。俺は子供か。
起きるにはまだ早い時間だろうが、これ以上は眠れそうにない。
どうせならと荷物から便箋を取り出した俺はサイドチェストで日記をしたため始めた。
……そういえば家族は元気だろうか。
俺の故郷はもともと魔物が出やすいところだったから、魔王の影響でさらに魔物が増えていたらと思うと心配だけど……流石に任務地から手紙を出すわけにはいかないよなぁ。
ちょうどページの半分くらいを埋めたあたりで上のベッドがギシと軋んだ。
「いつものか」
ペンを動かす手を止めて上段を見上げれば、ひどく頼りなさげな表情で俺を見下ろすディアの姿があった。
「ごめん、うるさかったか?」
「いや、自然に目が覚めただけだ。…………隣に行ってもいいか?」
隣の場所をぽんぽんと叩けばディアは音もなくベッドをおり俺の隣に収まった。
何か話があるのかと思いきや、俯くばかりで特に会話は始まらない。
いったいどうしたんだろうか。怖い夢でも見たとかか?
「あっそうそう、ディアは明日1日どう過ごすつもりだ?」
「……オズと、一緒に居ては駄目だろうか」
か細い声に俺は心配になってディアの顔を覗き込めば、ゆらゆらと不安定に揺れるベリー色の瞳が俺を捉えた。
「構わないぞ。お前がいれば色々食べれそうだしな」
手帳に顔を戻しながらそう返せば、ディアの空気が少し和らいだような気がする。
そのことに少し引っかかりを感じながら、それから夜が明けるまでたわいない会話を続けた。
そういえば何かを忘れているような……なんだっけ。




