9 思い出の場所での告白
お話としてはこれが最終話です。
次に登場人物の紹介をして完結となります。
シェルフォードは八年前に出会った日からの出来事を簡単にフランセスに説明した。
フランセスはシェルフォードの顔を見つめながら、頷きながらその話を静かに聞いていた。
どこまで記憶がもどったのかと最初に尋ねた時、ハイキングの日の朝、楽しみでワクワクしていた事から思い出したと言ったからだ。
つまり、自分との出合いを思い出してくれたのだと、シェルフォードは嬉しくて涙をこぼした。フランセスが自分を忘れてしまったと知った時の彼のショックは計り知れないものがあったのだ。
シェルフォードの涙を見てフランセスは頭を下げて謝罪した。
「先程宮殿では殿下に失礼な事を申し上げてすみませんでした。自分だけが被害者だとばかりに、殿下や側近の方々を非難し、酷い事を言ってしまいました」
「謝る必要はないよ。ぼく達が本当に悪かったのだから」
「いいえ。記憶を失っていた私より、忘れられてしまった殿下の方が何十倍もお辛かったはずです。その事に思い至りませんでした。本当に申し訳ありません」
「謝らないで。一度は忘れられてしまったが、学園でまた君と過ごせて僕は幸せだったのだから。ヴィヴィアンがいたから君とはただの同級生としてしか付き合えなかったが、それでもぼくは君の特別なんだって信じていたから。まあそうは言ってもブルーナには嫉妬していたけれど」
シェルフォードが困ったような顔をした。フランセスはそれを見て優しく笑った。
「私は貴方が妹の婚約者だとわかっていても貴方をお慕いしている自分に気づいていて、自己嫌悪していました。だからいわれのない悪役令嬢の罵りも甘んじて受けていましたわ。だって、妹の婚約者を好きになるなんて、まさに物語に出てくる悪役令嬢そのものでしょ?」
「すまない。君がそんな罪悪感を抱く必要なんて全くなかったのに。君はぼくの本当の婚約者だったんだから。それを言えなくて本当に悪かった」
「それは私を守るためだったのでしょう? 今ならわかります。それなのに、ゴールドン卿やスタンレー卿にも毒のある発言をしてしまい、後ほど謝罪しないといけませんわね。それからパウエル様にはお詫びとお礼を言わなければ」
シェルフォードは、一時期は自分もマックスやウォルターを恨んでいたのだから仕方ないよ、と笑った。
それでもフランセスは、パウエルが自分の進退をかけてまでシェルフォードを、そして彼女のために動いてくれていた事に感動とともに感謝の気持ちで一杯だった。彼の言葉がなかったら、シェルフォードは駄目王子に成り下がっていたのかもしれないのだから。
それに、パウエルが各種の検定試験の受験を自分と競わせたのは、役立つ官吏を育てたかったのではなく、妃教育をしていない自分がもし王太子妃になった時に困らないように、周りに批判されないようと考えてくれていたのかもしれない。
優秀な人だと思っていたが、彼の調整能力には脱帽したフランセスだった。しかも、クールに見えて、ハートが熱い人だと知って、彼への尊敬の念が高まった。
「生徒会活動は私にとって唯一の安らぎの場でした。殿下に大っぴらにお会いできたし、パウエル様やブルーナ様とは色々と意見交換を出来ましたし。それがまがいものだったのかと、かなりのショックを受けました。
でも、あの日々は偽りでは無かったとわかって、とても嬉しいです」
「ああ、本当に楽しかったね。
それと、言っておくけれど、王族は国の組織の一員で、司法、立法、行政、外交全てを行わなければならない精鋭でなければならないとか、
個人的にのんびりお茶だの食事だの、演奏会、ダンスを楽しんでいる暇などないとか、それは誇張表現で嘘だから。
女性の働きは重大だけと、過大するぎる要求は絶対にしない。プライベートな時間はちゃんとあるから、そこは誤解しないでくれ」
シェルフォードが突然物凄い勢いでフランセスに言い募ったので、彼女は一瞬キョトンとした。しかしその後で、クスクスと笑い出した。先程宮廷でヴィヴィアンに王太子妃になるのを諦めさせようと発した発言を、必死に訂正しているのだと気づいたからだ。
確かにいくら夫を愛していても、個人の時間が全くない生活は嫌だ。いくら天命だろうが、王命だろうが拒絶したい。実父ならばきっと味方についてくれるだろう。
しかしそんな事をしたら、ハートウェル伯爵家を継がせるために、わざわざ親戚から養子として来て貰った義弟に申し訳ないので、そんな事をするつもりはないが。
「それはわかっていますよ。それにもしそれが本当だったとしても、私が宮廷の構造改革をして変えてみせますわ」
フランセスの言葉にシェルフォードも苦笑いをしながら頷いた。
そしてそれから彼は立ち上がって一呼吸すると片膝をつき、崩れて低くなった石垣に腰を下ろしていた愛しい婚約者の手を握って、ゆっくりとこう言った。
「八年前、ここで初めて君に会った時に、ぼくは君に恋をしました。君とならどんなに辛い時でも乗り越えて行けると感じました。天の定めがどうとかではなく、ぼくの心と貴女の心が共鳴するのを感じました。今も貴女へのその気持ちは変わりません。どうかぼくの妻になって下さい」
フランセスは背中から春の夕陽を浴びていてたが、それでも頬が染まっているのがわかった。そしてスゥーッと一筋美しい涙を流すと、こう言った。
「はい。私も初めてシェルフォード様にお会いしてすぐに恋におちました。雷に怯える私の手を握って、側に居るよ、絶対に守るよ、と言って下さった時です。この方とならどんな時でも手を取り合って生きていけると私も感じました」
まるで男の子のような格好をし、ハイヒールを履くのが嫌だと発言した女の子を好きになって下さる男性なんて殿下くらいだわ。
ブルーナは私を好きだと言ったれど、あの時の服装を見たらきっと幻滅していたと思うわ。それに彼は気づいていないけれど、私を異性としてではなく、歴史オタクの大切な仲間と思っているだけよ、とフランセスは心の中で思ったのだった。
フランセスの答えを聞いたシェルフォードは破顔し、勢いよく彼女を抱きしめたのだった。
想いを伝え合った二人は、あの時と同じように手をつなぎながら城址公園内を歩いた。
「あの魔法部屋はどうなりましたの?」
「ああ、あそこはご先祖様がつくられた、いざという時の避難場所だったんだよ。城が敵や火災に襲われた時に百人単位の人間が短時間避難できるようにって。
ほら、あの部屋には清水が湧いていただろう? 人間にとって何より大切なのは水だからね。山の上にあんな大量の水が絶え間なく湧き出ているなんて奇跡だよ。
あの後すぐに整備したよ。公には発表していないけれどね」
「何故あの時床の入り口が開いたのでしょう?」
「壁の下の方に起動スイッチがあったんだ。それが微妙な高さにあってね、大人だとつま先や膝が当たる場所じゃなかったんだが、子供だったぼくの膝の高さにたまたまフィットしていたんだな」
「まぁ!」
「温故知新とはよく言ったもので、君が見つけた古代文字の本には、未来の子孫達へのお役立ち情報が満載だったよ。何故あんなに素晴らしい知恵が過去に伝承されなかったのかが不思議なくらいだよ」
「逆説的にいえば、過去において先進的な考えを持った方々が異端として受入れられなくて、せめて未来の子孫に役立って欲しいと願って、その書物を書かれたのかも。
その方々もブルーナ様のように転生者だったのかもしれませんわ。どんなに素晴らしい考えや知恵でも、多くの人々に受入れてもらえなければ役に立ちませんもの。お辛かったでしょうね」
フランセスの推察にシェルフォードも同意した。
古代文字で書かれた書物は二部構成になっていて、最初はこの国の成り立ちが記されていた。そして神の予言などが記されていた。
そしてその後半は同じ予言でも全くテイストが異なり、かなり現実的な内容だった。
そう、いざという時に禍から身を守るための方法などが具体的に書かれてあったのだ。そう、あの地下の避難所のような場所をつくれとか、保存食を常備しておけとか、洪水が起きないように治水工事をしておけとか、各地に井戸を掘れとか・・・
そして一番驚いたのはこの国の地図が描かれてあって、そこに鉱山の場所が記されてあった事だ。その印のうち、既に三分の二ほどが見つかっており、そのいくつかの山で現在も採掘されている。
その地図にはこう記されていた。
『地下資源は有限である。一度に山を開いて宝を掘り出してはいけない。そんな事をすれば、この国は遠くない未来に消滅するであろう。
それに比べて人の知恵は無限である。それを有効に活用してこの国を治めよ。そしてそれが厳しくなった時のみ、新しい山を開け。
人は弱い。簡単に楽な道を選ぶ。故にこの書を記した後に、この国の言葉を変える事にする。過去を学び、なおかつ未来を見据えるものだけが、この書に辿り着き、正しく活用できるように』
フランセスは瞳を大きく見開いて、シェルフォードの顔を見つめた。そして、尊敬の眼差しを彼に向けた。
「私があの本の翻訳をしたのは、第一部の半分ほどでしたわ。訳をしている途中で何故か、あの本を持っているべきなのは貴方のような気がしました。それでオールポート侯爵家のパーティーでお会いした時に、訳をしたノートと共に本をお渡したのです。でもそれは正解だったのですね。もし、他の方へ渡っていたらと思うとぞっとします。
最近の災害予防の政策や、新しい鉱山の発見は殿下のお力添えがあったのでしょう?」
シェルフォードは頷いた。そして
「ああ。ホールデン王国に有無を言わせたくない、という、私的な思いもあったんだけどね」
と笑った。
「ホールデン王国・・・
シェルフォード様、ヴィヴィアンはどうなるのでしょうか?」
「心配か? 彼女は叔父にあたるホールデン王国の国王に委ねる。彼女自身に罪はないから、そう悪い処遇は受けないだろう。ただし、彼女の素養では身分の高い家との縁は結べないだろうな。
それでも彼女に合う人間と出会えればそれなりに生きていけるだろう。あれだけ口が達者で逞しいのだから」
「そうですね。意味はわからなくても、ブルーナ様の言葉を一度聞いただけでそれを上手く使いこなしていましたから。あれは一種の才能かもしれませんね。もしかしたら宣伝か何かの仕事をすれば成功するかも知れませんわ」
「確かに。だだし、我が国は彼女には今後一切関わるつもりはないけどね」
「うふふ。正直私もそうです。
でも、ブルーナ様の事はどうなさるおつもりなんですか?」
ブルーナと口にしたフランセスに、シェルフォードは一瞬ムッとしたがこう答えた。
「ぼくは、元々ブルーナの事を疑ってはいないんだよ。他の者達とは違って。ただ君と仲が良いのが気に食わなかっただけで。彼の才能は認めているし、卒後は国のために働いて貰うつもりなんだ。
彼へのみんなの誤解はぼくが解くから、お願いだからフランセスは関わらないで。ぼくが妬けるから」
それを聞いたフランセスはまたクスクス笑って、それではお任せしますと頭を下げたのだった。
そして、夕陽が最後の光を放つ中、シェルフォードはフランセスの柔らかな唇に、そっと自分のそれを重ねたのだった。
その夜に宮殿の大広間で催された卒業パーティー。
卒業生及びその保護者達は、王太子がエスコートしてきた女性を見て驚いた。
彼は今までハートウェル伯爵令嬢と婚約しているという噂が立っていたが、社交場では母親の王妃か妹のローレン王女しかエスコートしていなかった。
それなのに、この場に今まで誰も見た事のない女性、しかも飛び切り美しい女性を連れていた。
身長はすらっと高く、艶のある濃いブラウンヘアに、輝くよくエメラルドグリーンの瞳。雪のように白い肌に、厚くも薄くもない、形のいい唇・・・ただ美しいだけでなく気品に溢れ、眩しいほど輝いている女性。
そしてその彼女をエスコートする王太子は、今まで人に見せた事のない、幸せそうで蕩けそうな笑顔をして、彼女だけを見つめていた。
やがて二人は中央で踊り始めたが、そのダンスの優雅で素晴らしい事といったら。大広間にいた者全ての目が二人に集中した。
しかし、そのうち女性達が何かに気づいてヒソヒソ話を始めた。そしてそのヒソヒソがザワザワに変わってきて、ついに誰かがこう言った。
「もしかして、あの方って、フランセス嬢?」
「そう言えば、フランセス嬢がおられませんね」
「あの美しいご令嬢、誰かににていらっしゃいませんこと?」
「ええ、さっきから私もそう思っておりましたの」
保護者のご夫人達が、チラッとハートウェル伯爵の方を見た。濃いブラウンヘアが若い頃のような金髪に戻り、髭をそっていたので、若かりし頃と全くといってよいほど変わらない美男子だ。そして、王太子のパートナーの令嬢は彼にそっくりだ。
確か、彼と前妻の娘であるフランセス嬢は、今はモルガン侯爵令嬢になっていたはずだ。
丸眼鏡をかけ、化粧もせず、流行遅れのドレスを無頓着に着て、ハイヒールではなく、平気でどこへでもペったら靴で済ませている、ダサいと言われている変わり者の天才令嬢。
「見て、あの方の靴! ローヒールだわ!」
その令嬢の言葉に周りの人々はただ茫然自失したのだった。
◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇
卒業から二か月後に王太子シェルフォード殿下とモルガン侯爵家のフランセス嬢との婚約が発表された。そしてこれは聖女様による予言ものであり、二人の婚姻によって、シュレースライン王国が間違いなく発展すると約束された!と大掛かりな宣伝をされた。
若い二人にとっては負担になる作り話だったが、近頃災害続きで暗くなりがちな国民にとっては、大変明るい話題であり、気運アップに役立つのであればと二人は覚悟を決めたのだった。
そう、二人であればどんな苦労でも乗り越えられると彼らは信じ合っていた。そして、助けてくれると信じている優秀な仲間達もいたから・・・
そして婚約して二年後に王太子と婚約者は結婚式を挙げた。
二人はかつて見た事が無い程美しいカップルだったという。そしてその二人の傍らで、花嫁にそっくりな美しい父親が号泣していたと大きく話題になった。
その噂はやがて隣国まで届いたが、とある商会長の若妻が、二回り年上の夫に甘えながらこう言った。
「噂って本当にいい加減だという事がよくわかったわ。シュレースラインの王太子妃が絶世の美女だなんて大嘘だもの。本当はただのダサい変わり者なのよ」
と。彼女は、元姉の素顔をついに知る事はなかった。しかし、それは彼女にとってはとても幸せな事だっただろう。
数年前、文科省だったと思うのですが、武田信玄や坂本龍馬などの教科書の記載を無くすという報道に驚いた事があります。学生時代覚えたものが必要ないと言われて。しかし、確かに、過去の人物だけ覚えて、現在の自分の住む近隣の知事も覚えていないのではまずいのでは・・・と思った記憶があります。で、その事が頭に残っていたのでこの話を書いてみました。
読んで下さってありがとうございます。