4 王太子の困惑と心情
城址公園の地下室でフランセスが見つけた古代語で書かれた書物、その中に、この世界には過去の記憶を持ったまま人生をやり直している者がいる、という記述があった。
彼らは転生者と呼ばれ、過去や遠い他国の知識を持っており、それを元に人々に新たな知識を与えてくれる希代な存在である。
しかしその対処の仕方により、彼らは善にも悪にも成り得るので、くれぐれも彼らの取り扱いを注意する事、と記されてあった。
ブルーナはいつも苦悩しているように見えた。彼が元々悪人だったら悩む筈がない。それなのに、グレンや父親であるオールポート公爵、そして王族達は最初から彼を悪を成す人間として見ていたのであろう。そして素知らぬ振りをして側で見張っていたのだろう。一切彼に寄り添うとはせずに。
信用されずに見張られていたという点で、フランセスはブルーナと同類なのだ。
自分も変わり者だし、母親はいないし、実の父親とも離れ離れでさみしかった。しかし、自分は伯母一家に暖かく迎え入れて幸せだった。それに比べてブルーナは辛かったに違いない。
フランセスは大きくため息をつくと、最後にこうとどめを指した。
「シェルフォード殿下、八年前に私は城址公園内の地下室で、古代書を見つけました。私は古代語で書かれたその本を現代語に翻訳して、それを殿下にお渡ししましたよね」
場内にざわめきが沸き起こった。さすがにこの事は重鎮とはいえ、家臣には話していなかったのだろう。
フランセスはあっさりと国家秘密を暴露した。捕縛されようが投獄されようが、もうどうでもよくなっていた。これだけこの国の将来を嘱望されている者達をコケにしたのだから、自分にはもうこの国での未来はないだろう。それに間違ってもこの国からは逃してはもらえないだろうし。
フランセスは言葉を続けた。
「あの翻訳を読んでもベルーナ様の反逆を疑っていたとしたのなら、殿下の読解力リテラシーの無さにがっかりです。やはり金メダルは私が頂くべきでしたわね」
「・・・・・」
あんなにクールだった王太子の顔が真っ赤に染まった。
「「「無礼者!」」」
近衛騎士団がフランセスを捕縛しようと声をあげた瞬間、シェルフォードとブルーナが彼女の左右に立った。
「無礼者はそなた達だ!彼女は将来の王太子妃であるぞ!」
「「「えーっ!!」」」
シェルフォード王太子殿下のこの言葉に、フランセスとブルーナとヴィヴィアンはこの日一番の大声を上げたのだった。
特にヴィヴィアンはすくっと立ち上がり、ブルブルと怒りで体を震わせながら叫んだ。
「シェル様、お姉様が王太子妃だなんて冗談、こんな場所でされるなんて不謹慎ですわ」
ヴィヴィアンが怒りも無理は無いが、不謹慎なのは貴女も同じでしょ。お前が言うな!とフランセスは思ったが、とりあえず口にはしなかった。それにしても、王太子殿下は突然何を言い出すのだろうか。
「ぼくだって今このような場で発表するつもりなんてなかった! この不本意な婚約をきちんと解消してからするつもりだったのに・・・」
「酷い! シェル様! 浮気していたんですね!」
「浮気なんかするものか! ぼくは大切なフランセスに対してそんな不誠実な真似は絶対にしない!」
「妹の婚約者を奪おうなんて、なんていう悪女なの。まさしく悪役令嬢ね、フランセス!」
「私がそんな事するわけないじゃないですか! 入学以来殿下と二人きりになった事などありません! 手紙のやり取りさえした事ないですよ!」
「そうですとも。お二人は清廉潔白です。それはお二人を護衛してきた我々が証言します!」
「シェルフォード殿下にフランセス嬢を渡すわけがないだろう! ヴィヴィアン嬢、貴様が不甲斐ないから殿下に見向きもされないんだ、役立たずの能無し!」
サロンは騒然となったが、ブルーナの下品な発言によって一瞬でシーンとなった。
みんなあ然としてブルーナを見た。
「フランセス嬢、私は貴女を嫌ってなどおりません。いえ、幼き頃よりずっとお慕い申し上げております。殿下が貴女を知る前から貴女を思っておりました。
それなのに殿下が後からのこのこ現れて初恋だの好きだの城をあげて騒ぎだしたのです。王太子という特権を利用して。彼はただ貴女の優れた能力を欲しているだけです。無償で働かせられる優秀な官吏を手に入れたいだけです。
私はそんな悪の手から貴女の自由を守りたかった。ただそれだけなのです。
殿下との思い出を消したのも、歴史や古代語に興味を失くそうとしたのも、王家に利用されるのを防ぐためだった。彼らのように自分の都合で守りたかったわけじゃない!」
「無償で働かせられる官吏・・・」
フランセスがポツリと呟いた。
王族は国の組織の一員だ。司法、立法、行政、外交全てを行わなければならない。しかも少数精鋭で。
故に、外交ではなく個人的にのんびりお茶だの食事だの、演奏会、ダンスだのを楽しんでいる暇などない。
先程王太子はヴィヴィアンにそう言っていた。なるほど。王太子妃や王妃は確かに高級官吏職かも知れない。しかも無給で暇なし。自分の好きな事を自由に出来る時間もない。何が改革だ!
「「「違う!」」」
と、王太子や側近達は叫んでいたが、客観的に考えればブルーナの言っている事の方が正しい気がした。
彼らはフランセスを守りたかったというが、ただ彼女を自分達の役に立つ官吏にしたかっただけだ。
フランセスは法律学検定も経済学検定も一級に合格しているし、数か国の言葉を話せ、マナー検定も一級取得済み。その上王家では必須と言われる古代語をマスターしているのだ。こんな優秀な駒はそう見つからないだろう。容姿なんていくらでも誤魔化せるのだから。
そしていずれ妃にしてしまえば、給与も払わなくても済むのだ。愛情という名のエサだけ与えておけば。
「ヴィヴィアン、結局王太子殿下は一人で何人分も働いて、しかも無給、その上貴女と違ってドレスや宝石、贅沢や派手な事が嫌いでお金がかからず、無駄な出費をしなくてすむから私を望んでいるのよ。愛情なんかじゃないわ。
それでも貴女はこれから私に競り勝って、妃になりたいの? 妃になっても貴女の望む、愛する人とのんびり優雅に暮らす事が出来なくても?
私はごめんだわ。いくら国家のためだからって、自分の時間がなくなるなんて。ようやく記憶が戻ったのだから、またじっくり古代語の書物を読んでみたいわ」
「あっ!」
フランセスの問いにヴィヴィアンは固まった。そして彼女なりのスピードで、初めて姉の言葉を解釈しようとしているようだった。
王太子達はフランセスの誤解を解きたかったが、ヴィヴィアンとの婚約解消の為には、今何かを言う事は得策ではないような気がして、全員口を噤んだ。
やがて徐にヴィヴィアンが口を開いた。
「お姉様、今まで失礼な事ばかり言って申し訳ありませんでした。
お姉様なんてのっぽの寸胴でスタイル悪くて、ファッションセンス最悪で、眼鏡でダサくてシェル様に相応しくないと思っていたんです。だから、身の程知らずなお姉様に嫌がらせみたいな真似をしてしまいました。
でも、お妃様に必要なのはそんな事どうでもよくて、有能な官吏能力だったんですね。お母様の間違った情報のせいで勘違いしていました。
わかりました。謹んで婚約解消の申し出をお受けします」
「「「・・・・・・・」」」
『にっこりと笑っているけど、わざと私をディスっているわよね。
でも、本人が納得して婚約解消を受入れるのなら、世のため人のため、本人のためだわ。ただ、だからって私がその代わりになるのは絶対にごめんだけれど』
とフランセスは思った。
『くそっ、全く役に立たなかった。まあ、まさかあんなに馬鹿だとは思いもしなかったから、とっくに見切りはつけてはいたが・・・
だからといって、フランセス嬢をあれの身代わりには絶対させない』
とブルーナは思った。
そしてシェルフォードは長年の重しがやっととれてほっとしたのは事実だったが、それで安堵したわけではなかなかった。いやむしろ、彼はどん底に落ちた気分だった。
『ヴィヴィアンとの婚約を解消したら、フランセスと一から絆を築いていこうと考えていた。しかし、先程思わず彼女への思いを吐き出してしまった。清廉潔白な彼女の事だから、きっと自分を不誠実なけじめのない人間だと認識した事だろう。しかも妹から姉へ乗り換えるなんて。
何故こうなったのだろう? 最初から間違いだったこの婚約をずっと解消したかった。しかし、国としてのある思惑があったために、すぐには解消できなかった。自分に出来る事は今日この日のために、長年に渡って計画し、周到に準備する事だけだったなのに。
ああ、フランセスがまさかウォルターやマックスに対してあんなに悪感情を抱くとは予想もしなかった。生徒会で我々はとても仲良く、厚い信頼関係を築いてたと思っていたから。いや、信頼していたからこそ、嘘をつかれていた、騙されたと思って怒りを増幅させたのか。
それに、ブルーナの事をまさかあんなにも信用していたとは。彼女はこちら側の人間よりも彼の言葉に共感している。
確かに彼女の翻訳した古代書籍や、王族の歴史書を読んで、ブルーナが二百年前の王弟の生まれ変わりだと推察した時、彼を悪人だとは思えなかった。歴史書の字面だけだと、国家の転覆を図った極悪人だが、国王の方もかなり問題のあった人物だったと想像がつく。
時の権力者というものはいつの世も、自分に都合良く歴史書を塗り替えたり捏造する。それでも誤魔化し切れていないという事は、かなり問
題のある人物だったのだろう。
もしそうだとすれば、むしろ王弟は王族のため、国民の為に国王に反抗したのだろう』
オールポート公爵夫妻や執事のグレン=メイヤード、そして城の重鎮達とは違い、シェルフォードはフランセス同様ブルーナを悪人だとは考えていない。ただ、フランセスに思いを寄せているのが気に入らなかっただけだ。
ブルーナは公爵家の嫡男でありながら、側近以外には親しい者をつくらなかった。孤高の天才だと噂されていた。シェルフォードもブルーナがとても優秀で有能な人物である事はわかっていた。シェルフォードがフランセス以外で唯一ライバル心を抱くほど。
特に歴史に対する情熱と知識量と解釈能力には脱帽していた。そしてそんなブルーナがたった一人自分の横に居る事を認め、楽しそうに歴史談義をしていたのがフランセスだったらしい。
例の公爵家のガーデンパーティー以降、ウォルターによって記憶を消されフランセスは、歴女から正反対の歴史嫌いへと変貌していた。しかし、マックスからフランセスとブルーナがかつてはいつも図書館で楽しそうに歴史について語り合っていたと聞いて、心がざわついた。
フランセスもブルーナを好きだったのではないか。記憶が戻ったら、ブルーナの元へ行ってしまうのではないかと。
この八年間、シェルフォードは真心を込めてフランセスと接してきたつもりだったが、所詮、彼女にとっては、妹の婚約者に過ぎなかっただろう事はわかっていた。だからこそ辛かった。立場上彼はブルーナとは同じ土俵には立てなかったのだから。それ故に策略をめぐらし、自分をこんな目にあわせたブルーナが憎かった。
それなのに、フランセスはブルーナを思いやり、シェルフォードの事はただ彼女を利用している人間だと思っている。何故こんな事になったんだ。一刻も早く彼女の誤解を解きたいとシェルフォードは焦る気持ちを抑えながらも、彼は粛々と予定されていた残りの計画を進行させねば、そう自分に言い聞かせた。
そう。今日はまだ、夜の卒業パーティーが始まる前までにやるべき重要な事が残っているのだから。
読んで頂いてありがとうございます。
次章でまたどんでん返しがある予定ですので、続きも読んで頂けると嬉しいです!