2 誤解と勘違いと思い込み
その時、ヴィヴィアンの大きな声でフランセスはハッと我に返り、正面の舞台に視線を戻した。
「人はどんなに過去を学んでも、同じ過ちを繰り返すものなんです。ですから、歴史などを学んでも意味がないんですぅ。
シェルさまぁ〜。古臭いしきたりや因習なんて捨てて、私と社会制度を革新しましょうよ」
喋り方と話している内容にギャップがある。この娘は見かけとは違って、本当は頭脳派なのか? その場に居たほとんど者達は一瞬そう思ったが、すぐに皆それを後悔した。
「何をどう改革したいんだ?」
王太子の問いにヴィヴィアンは泣くのを止め、にっこり笑ってこう言った。
「結婚は家同士で縁を結ぶものではなく、好き合っている者同士が自由に結婚出来るようにすべきですわ。私の両親のように」
「ほう。あとは?」
「くだらない妃教育なども必要ありませんわ」
「宮廷改革も必要だというわけだね? それでは君は、もしぼくと結婚したら一体何をしたいんだね?」
「何って、今では自由に会えなかったのですから、毎日ずっとお側におりますわ。愛称で呼びあって、一緒お食事やお茶を頂いて、宮廷の庭園でゆっくりお散歩をして、絵画を眺めて、楽団の演奏にあわせてダンスをしたいですわ」
ヴィヴィアンは幸せそうに夢見がちにそう言った。
周りの者達はため息をつきたいのをぐっと耐えているような雰囲気を醸し出してはいたが、それでもそれを顔には出さなかった。さすがだ。それに予想していたのか、王太子は全く動じず、変わらない顔でこう言った。
「君、革新という意味わかっているのか?
制度・組織・習慣などを改めて新しくしようという事だ。つまりは行政改革だ。わかるか?
組織や機能を改革したり、経費削減のために、要らぬ人材を配置転換したり、人減らしをすることだよ」
「えっ?」
ヴィヴィアンがきょとんとした。
「王族は国の組織の一員だ。故に無駄な人材は不要だ。司法、立法、行政、外交全てを行わなければならない。しかも少数精鋭で。
故に、外交ではなく個人的にのんびりお茶だの食事だの、演奏会、ダンスだのを楽しんでいる暇などない。それは王だろうが王妃だろうが、王子だろうが王女だろうが、男女関係ない。
近頃巷では女性の活躍が目覚ましいと聞くが、王宮においてはその昔から、その他貴族や庶民よりも女性の働きは重大なのだ。
その為に妃教育が重要なのだが、それをなくして君はどうやってその妃としての力を身につけるつもりなんだね?
先程の試験や資格の結果をみると、まだまだ妃としては、君は不十分だと思うのだがね」
「えっ?」
ヴィヴィアンは王太子の言った言葉の半分も理解していないだろう、とフランセスは思った。妹は言葉の意味を理解せずに上っ面を喋っていただけなのだ。
古臭いしきたりや因習・・・確かにただ慣習になっていて、今では無駄な事、くだらない事も多い。しかし、全てが不必要というわけではない。
そもそも妃教育は今王太子が言った通りで、これをやってもらわなくて困るのは妃自身である。妃がやらねば他に彼女の務めを果たしてくれる者などいないのだから。
愛妾ならば表に出る事はないので必要ないだろうが、現国王になってからは、側室や妾制度は廃止されている。跡取り問題があるので、側室から第ニ王妃と名を変え、夫人をもう一人娶る事は出来るが、その第二夫人も公人としての役目が与えられるため、妃教育はしっかり受けなければならないのだ。
妹は何か勘違いをしているのではないか? もし先程の述べた事がしたいのなら・・・
「君が先程述べた事を実行したいのならば、この国の王族では無理だ。
もちろん高位貴族の家でも、職務の他に領地経営や王都での家の管理で忙しい主に代わって、妻が働かなければならないのだから、頭の悪い女性では務まらない。下位貴族なら尚更だ。
ただ着飾って優雅に暮らしたいのなら、大金持ちの商人の愛人にでもなるしかないね」
王太子の言葉にヴィヴィアンは呆然として、暫く固まっていたが、今度は母親の方を睨みつけた。
「王妃様になれたらずっと、陛下のお側にずっといられるとおっしゃったじゃない。
ただの貴族ではお父様のように仕事が忙しくて、一緒にいられないし、一緒お食事やお茶を頂く事も、庭園でゆっくりお散歩をする事も出来ないって。どんなに愛し合っていてもなかなか一緒にいられない。だから貴族ではなくて、王太子殿下と結婚しなさいって」
ほう。フランセスは少しだけ妹を見直した。彼女は単に贅沢して優雅に遊んで暮らせそうだから王太子妃になりたかったわけではなさそうだ。
好きな人の側にずっといたいから王太子妃になりたかったのかと。彼女も父親が留守がちなのを寂しく思っていたようだ。確かに王太子妃になれれば、側を離れる方がかえって難しそうではあるな。ただし、のんびりとただ側にいる事は出来ないだろうが。
愛娘に責められ、母親のアンジェリナ=ハートウェル伯爵夫人は慌てた様子でこう言い訳をしていた。
「それはこの国がおかしいからよ。私の母国では国王と王妃はいつもいつも一緒にいられて、みんな楽しく暮らしているのよ。お母様もまさかこの国がこんな非常識な国だとは思わなかったのよ」
非常識な国・・・
ずっと冷静沈着を保っていた両陛下及びその他王族、側近達もさすがに無言ではあったが怒りの表情を現した。
『アウト!』
フランセスは顔を両手で覆いたくなった。これでハートウェル伯爵家も終わりだ。
ところが、王太子は相変わらずである。彼は平然とヴィヴィアンに再びこう尋ねた。
「これで君が勘違いしていた事がわかったろう? 君が王太子になっても君の望む暮らしは出来ない。それでもこの婚約を続けたいのか?」
するとヴィヴィアンは即答した。
「はい。もちろんです。私達二人の愛の力があれば、王宮の現状を変えられると思うのです。変えましょう。もっと人間らしい自由のある王宮へ」
「・・・・・」
さすがにシェルフォード王太子殿下は黙った。
なんなの、この娘は? 宮廷を改革するんじゃなかったの? 自分の欲望の為に、前世代の体制に逆戻りさせてどうするのよ!
フランセスは居たたまれなくなって妹の側に駆寄ろうとした瞬間、手首を掴まれて静止させられた。
左隣の魔道士ゴールドン卿の金色の瞳が、薄い淡い黄色に変化した。ノー、つまり行動するなという意味だ。
フランセスがどうしてよいかわからず戸惑いながら、再び顔を正面に戻すと、王太子と目が合った。表情はクールなままだったが、シェルフォードの瞳は彼女にいつも向けている優しいそれと同じであった。
王太子はヴィヴィアンに向き合うとこう言った。
「何度でも言うが、君は二つの大きな勘違いをしている。
一つ目。
王族は公人であり私情を挟まない。どんなに大切な相手の願いだろうが、私情に流されてはならない。公を優先する。それに反すれば王族であろうとも処分される。
二つ目。
ぼくは君を愛してはいない。ぼくはこの十年間君にそう言い続けてきたのに、何故それがわからないのかな?」
この王太子の言葉に、さすがのヴィヴィアンも驚きの表情して、彼を見上げた。
「そんな・・・だって、シェル様はオールポート公爵家のガーデンパーティーで私にひと目ぼれをなさって、我が家に婚約の打診をなさったのでしょう?」
「誰からそんな話を聞いたの? そういう婚約内定に関する情報は外に出ない事になっているんだけどね」
「えっ? だってブルーナ様がそうおっしゃっていたわ」
その場に居た人々の視線が一斉にブルーナ=オールポート公爵令息に向いた。
ブルーナは真っ青になっている。普段シェルフォード王太子同様冷静沈着な彼としては珍しかった。
それに対して、王太子は態度も口調も全く変わりなくこう訊ねた。
「ねぇブルーナ、確かに君とぼくは従兄弟同士で、幼い頃から仲が良かったとは思うけれど、君とは恋愛話をした事はないよね?
それなのに何故、ぼくがヴィヴィアン嬢を好きだなんて嘘を彼女に言ったんだい?」
「それは、うちで開いたガーデンパーティーでの様子を見てそう思ったんですよ。ずっと殿下は彼女を見つめていたじゃないですか」
「嘘は良くないなぁ。ぼくはあの日、ヴィヴィアンの事なんか見てやしないよ。彼女の存在すら気付いていなかったのだから。
あの日ぼくは、ある一人の少女だけをずっと見つめていた。そして君もそうだったろう? ブルーナ」
シェルフォードのその言葉にブルーナは目を大きく見開き、驚愕の表情でまず王太子を見つめ、その後ちらりと何故かフランセスの方を見たので、彼女は驚いた。
『えっ? 何故私を見たの? ええ、あの日にブルーナ様と会話をしましたよ。覚えてますとも』
彼に言われた言葉に衝撃を受け、フランセスの中の歴女が死んで、今のような過去を振り向かない前向き未来志向の女が誕生したのだから。
フランセスはブルーナに感謝していた。あの時気付かなければ、自分はただ過去を振り返っているだけだった。そして過去の知識自慢ばかりする嫌味な高慢ちきな女でしかならなかったと。
しかし、彼女は今はこうして、官吏としてより良い社会をつくるために微力ながらも貢献したい、という夢を抱けるようになった。
たとえ変わり者と陰口を言われようとも、貴族令嬢らしくないと罵られようとも、どんなに困難な道であろうと、自分の頭で考え、自分の人生の目標を持てるなんて、何と素晴らしいことか。
フランセスは感謝の気持ちを込めて、ブルーナを見つめて微笑んだ。ところが、ブルーナの方はビクリと肩を震わせると、首をすくめて王太子に向き直ってこう言った。
「シェルフォード王太子殿下、誤った情報をヴィヴィアン嬢に与え、彼女に誤解を与えた事をお詫びします。本当に申し訳ございませんでした。ただ言い訳になってはしまいますが、当時は私もまだ九つになるかならないの子供でしたので、ただ勘違いをしてしまったのです」
「勘違いですって!」
ヴィヴィアンが羞恥と怒りで顔を真っ赤に染めた。
「勘違い? いや、意図的だろう?
あの後ぼくに好きな人が出来たと気付いた周りの者達が、それは誰だと、まるで宝探しのような事をし始めた時、君は早々と侍従の一人の耳元で囁いたのであろう?
王太子殿下はハートウェル伯爵家のご令嬢をお好きなようですよと。後で違うとわかっても、それは誤解だった、知らなかったと言い逃れ出来るような物言いをわざとしたんだろう?」
シェルフォード王太子は一つ年下の従弟に、初めて憎しみの籠もった目を向けた。
「ご、誤解とはどういう意味ですか?」
「まだ誤魔化す気なの?
君はあの時既に知っていた筈だ。確かにぼくの思い人は、元々はハートウェル伯爵家のご令嬢だった。しかし、あの当時は既に彼女はモルガン侯爵家のご令嬢になっていたという事を」
「「えっ?」」
王太子の言葉に、フランセスとヴィヴィアンは驚きの声を上げた。
しかし、王太子はそれには反応せず、ブルーナを見つめたまま言葉を続けた。
「君が勘違いとか、思い違いなんて、そんなかわいい子供のような失敗をするわけがないよね?」
「・・・・・・・・・」
シェルフォード王太子とブルーナのやり取りにフランセスは混乱していた。
まさか、まさか王太子殿下は八年前は、私を思って下さっていたという事なのかしら? それなのに側近の方達がヴィヴィアンと勘違いして話を進めてしまい、その結果今の状況になってしまった、という事なのかしら?
しかも彼らが勘違いするように、ブルーナ様がわざと誘導したと言う事なの?
でもあの当時、彼はまだ九歳で、私達よりも年下だったわ、とフランセスは思った。だからこう尋ねた。
「それはどういう意味ですか?」
まだ九歳だった彼が自分の事をハートウェル家の人間だと思っても仕方ない、とフランセスはそう考えた。
あの当時、今もそうだが、モルガン家の養女になってからも、フランセスは実家であるハートウェル家へは、父親が帰国している時に度々呼ばれていた。
そして、仕えている者達からは、以前同様その家のお嬢様として扱われていたのだ。だから事情を知らない世間の人から見たら、自分はハートウェル家の娘だと思われていたかも知れない。
しかし、その彼女の想像をきっぱり否定したのは左隣にいたゴールドン卿だった。
「本来勘違いなどしようがないんだよ。あれは家の格式や大人の思惑を排除して、子供達を触れ合わせようという趣旨で催されたパーティーだったのだから」
「どう言う意味ですか?」
「君はあの日の記憶が曖昧だろうが、あのパーティーの参加者は本名を名乗ってはいけなかったんだ。だから子供達は互いに愛称とかセカンドネームで呼び合っていたんだよ」
「あっ!」
ゴールドン卿はフランセスに顔を向け、彼女だけに説明した。
本名を名乗っていないのなら、ブルーナがフランセスやヴィヴィアンの名前、もちろん家名も知っている筈がないのである。
フランセスの方はブルーナの顔を知っていた。王立図書館でよく見かけていたから。しかし名乗り合った事はなかった。たた、ガーデンパーティーの時、この家のご子息なんだとはわかったが。
正式に彼の名前を知ったのは、学園に入学した翌年に、彼が新入生として入って来た時だった。
そして彼はすぐに、フランセスやシェルフォード王太子のいる生徒会役員になったので、この五年間良き友人関係を築いてきたと思っていた。
しかし、自分は陰でそんな嫌がらせを受ける程嫌われていたのか。幼い頃のあの『歴女』だった高慢だった自分をまだ気に入らなかったのだろうか? 自分は頼りになる後輩だと信頼していのだが・・・
フランセスがショックを受けていると、彼女の考えている事を察したらしいゴールドン卿は、残念なものを見るような顔をした。
ゴールドン卿はフランセスの二学年上の先輩で、生徒会活動も一緒だったので、王太子やブルーナと共に付き合いは長い。そして何故か彼女の考えを読むのが得意だ。こちらの方は魔力を使っているわけではあるまいに。
「君もこれでわかったろう? ブルーナ様はあの日、本来なら君達姉妹の名前も関係も知らなかった筈なんだ。だから、王宮の侍従に王太子の思い人としてハートウェル家の令嬢だと告げられる訳がないんだ。
それに、ヴィヴィアン嬢に嘘を言った事だけを考えても、ブルーナ様はパーティーで出会う以前から君達姉妹の事を知っていて、計画的に事を進めたのは明らかだ」
「ウォルター、お前、裏切るのか? お前、自分のした事棚に上げて、よくそんな正義感ぶった事が言えるな! お前こそ大犯罪人のくせに宮廷魔道士だと! 笑わせるな!」
ブルーナが物凄い形相をして、ゴールドン卿に向かって叫んだ。
フランセスはそんなブルーナに瞠目した。いつも冷静沈着。時折シニカルな笑みを浮かべながらも、いつも自分を助けてくれていた後輩。
年下なのに物知りで、しっかり者で頼りがいがあった。そんな彼のこんな恐ろしい顔なんて知らない。
他人とは少し距離をとっていた彼が、自分にだけは心を開いてくれていると思っていたのに。自惚れていたのか・・・
フランセスは膝がガクカクして蹲りかけた時、シェルフォード王太子がサッと現れて彼女を支えた。
「殿下・・・」
「突然の事で驚いただろう。済まない。当事者の君には前もって伝えておきたかったが、卒業の今日のうちに一気に全てを終わらせるには秘密裏に進めなくてはならなかった。許してくれ」
意外な事実が次々に浮かび上がり、頭脳明晰なフランセスでもこの時点でもかなりアップアップしていて、まだあるのかと、正直気が遠くなりかけた。
しかし、彼女は自分はただの令嬢ではなく、官吏見習いなのだという事を思い出した。予想外の事があっても慌てる事なく臨機応変に対応できなければ、いざという時には役に立たない。そう指導された事を。
「申し訳ございません。大丈夫です」
フランセスはそう言うと、両膝に力を入れ直して背筋を伸ばした。シェルフォードは彼女を支えて立ち上がるのを手助けしながら、彼女の耳元でこう囁いた。
「全て済んだら、二人きりで話がしたい。だから明日、あの場所に来て欲しい」
あの場所・・・
それだけで何故かフランセスはその場所がどこかを察する事が出来た。
二人が初めてあった、小高い山の上にある城址公園。そう、大昔の城跡だ。
読んで下さってありがとうございます。