1 王太子妃不適格者認定
定番のようで定番ではない婚約解消もの。理論詰めで婚約解消をする予定だったのに、何故か論点がずれて、先がわからなくなってしまう、頭でっかちの王太子と初恋相手の話です。
ザマァは多分たいした事はないと思います。
「陛下、ぼくはヴィヴィアン=ハートウェル伯爵令嬢との婚約を解消したいのです。どうか、僕の願いをお聞き届け下さい」
学園の卒業式の後で、シェルフォード王太子殿下が国王陛下に向かってこう嘆願した。
「「えーっ!!!」」
と、ハートウェル伯爵夫人とその娘は驚いて声をあげたが、王族関係者並びに重臣達は誰一人驚く者はいない。皆冷静な顔付きで、眉一つ動かさない。
それはそうだろう。王太子はこの十年、ずっとこの婚約解消を訴えてきたのだから。
ちなみに彼らがいるのは学園ではなく王宮の中のサロンである。例年の卒業式は学園の講堂で行われるのだが、今年は王太子が卒業するので、両陛下及び重鎮達も出席するという事で、王城内で行われる事になったのである。
つまり、王太子はけして卒業生全員の前で婚約破棄劇を披露しているわけではない。
このシュレースライン王国の王太子であるシェルフォード王太子殿下は、この度首席で学園を卒業された秀才で、しかも真面目な常識人。大勢の人の前で、しかも国王陛下の許しも得ずに婚約破棄を宣言するような、後先考えない脳内お花畑の愚か者ではない。
「今日ここでそれを言い出したという事は、準備が整ったという事か?」
陛下がこう尋ねると、王太子殿下は大きく頷いた。
「準備?」
ヴィヴィアンが意味がわからず、母親に縋りつきながら、涙目で婚約者である王太子を見つめていた。
そしてそんな妹のヴィヴィアンをサロンの隅で眺めながら、姉であるフランセスはこんな事を考えていた。
『あんなにかわいくて、ナイスボディで、庇護欲そそる妹の事さえ婚約解消するなんて、王太子殿下って、理想が高過ぎるんじゃない?
でもまあ、正直この二人はないわよね。革新派の王太子殿下と、旧体制派のハートウェル家の組み合わせなんて。陛下も何を考えていらっしゃったのかしら?』
異母姉妹ということもあってか、フランセスとヴィヴィアンはあまり似ていない。
ヴィヴィアンは愛らしいストロベリーピンクのウェーブヘアーに、アクアマリンの大きな瞳のベビーフェイス。
そしてその顔とは真逆で、小柄ながらもボンキュッボンのメリハリボディを、最先端の流行りのドレスで包んでいる。
『それにしても、何故あんな品のないドレスを選んだのかしら? 王太子殿下はオーソドックスなシンプルドレスがお好きなのに、あんなハデハデが嫌がられるの、何故わからないのかしら?
まぁ、あの娘が周りに自慢したいが為に選んだのだろうけど、お義母様がちゃんと言い含めないと駄目じゃない。
ああ、相手に配慮しようなんて気配りは期待するだけ無駄か。なんたって、元が隣国の我儘姫だもんなぁ』
フランセスは心の中でため息をつく。
『それに一体いくらするのよ、あのドレス。半年前の洪水で領地の農作物に大きな被害が出て、今年の収穫は大幅な減少が見込まれるというのに。金は自然に湧いてくるわけじゃないのよ。能無し金食い虫め! ちっ!』
彼女は能面の下で舌打ちをした。
ケバい妹と正反対の一つ年上の姉フランセスは、王太子とは同級生で、今日学園を次席で卒業した。次席とはいえ、苦手な古代語と興味のない歴史以外の教科においては、全てぶっちぎりの一位だったのだが。
落ち着いた濃いブラウンヘアーを後ろで一本の編み下げにし、エメラルドの瞳の平凡(自己申告)顔には化粧もしていない上に、丸眼鏡をかけている。
そしてスラッと背が高いといえば聞こえがいいが、ただの寸胴である。
しかも服装には頓着せず、質は良いが数年前の流行りのドレスを着て、高身長なのを誤魔化すためか、ローヒールを履いている。これは、淑女として失格と言われても仕方ないレベルである。
そんな彼女が王侯貴族が集うこの場所に、何故そんな地味な装いでたたずんでいるのかといえば、王太子の婚約者の姉というより、卒業後は王宮の女官吏として内定していたために、その研修生としての立場であった。
故に、現在のフランセスの立ち位置が微妙である事は確かで、彼女は今自分がどう振る舞えばいいのかわからない。それ故に彼女は現実逃避をして、取りあえずくだらない思考を飛ばしていたわけである。
それに、同級生だった王太子殿下に対して、仄かな思いを抱いている彼女の心境は複雑だった。もっとも、思いがあったとしても、妹との仲を邪魔しようなどとは間違っても思ってはいなかったし、そもそも自分なんかが彼に相応しい人間だなんて考えてもいなかったが。
「婚約解消せねばならない理由はなんだね?」
陛下が静かに尋ねた。
「彼女が王太子妃、いや将来の王妃には不適格だからです」
王太子殿下も淡々と答えた。
するとハートウェル伯爵夫人はすぐさま反論した。
「殿下、失礼ではございますが、おっしゃっている意味がわかりませんわ。娘には幼い頃から私がきちんと淑女教育、妃教育をしてまいりました。その娘のどこがご不満なのでしょうか?」
「そもそも、その根本が間違っているのです。そんな事もおわかりにならないのですか?」
「どういう事でございますか?」
「ハートウェル伯爵夫人、貴女がヴィヴィアン嬢に教育なさった淑女教育や妃教育とやらは、貴女の母国ホールデン王国のもので、我が国のものではないでしょう? そんなもの役に立つ訳がないじゃないですか。我が国の外交相手はホールデン王国だけじゃないんですよ」
「ホールデン王国の淑女教育は世界的なスタンダードなものですのよ。妃教育も」
「貴女は、我がシュレースライン王国が大国ホールデンの属国で、そのマナーに従えとでもいうのですか? その発言は不敬罪、いや、反逆罪を問える内容だぞ!」
「ひっ! そんな、そんなつもりは毛頭ございません。お許し下さい。わ、私はただ基本はしっかり身につけさせましたので、最後の仕上げを王宮でしていただければ、と思っていると、そう申し上げたかっただけでございます」
「仕上げだと? そもそも王宮での妃教育に早々と音を上げて逃げ出した時点で、王宮では素質無しとみなされていたのだぞ。しかし、まだ年若いということで可能性も鑑みて温情を持って見守ってきたのに、その結果がこれでは・・・」
王太子殿下は宰相の息子で側近でもあるパウエル=サットンから、書類の束を受け取って読み上げた。
「この一年の定期試験結果の平均点が、53点、65点・・・」
「やめて下さい。その当日はたまたま体調不良が続いていたのです」
ヴィヴィアンが両手で組み、涙をこぼしながら弁解した。
「体調不良の割に、社交場には毎週末参加していたのはどうしてだ? 試験勉強も出来ない程体調が悪い学生に、社交場の出席を求める者など我が国にはいないぞ。
48点、63点、71点、57点・・・」
「やめてくださいぃ〜!!」
「刺繍検定不合格
洋裁検定不合格
お茶の入れ方検定不合格
マナー検定4級
外国語検定はホールデン語のみ3級
ダンス検定2級
エトセトラ・・・
そして、歴史検定及び古代語検定はそもそも受験さえしていない。これは何故かね?
我が国において歴史と古代語が重要だという事は存じているだろう? 妃となるつもりなら1級に合格していなければ話にならない」
四角四面の官吏のように冷静な言葉を紡ぐ王太子に、ヴィヴィアンは涙目でキッと睨みつけた。
「シェル様はさっきからなんなんですかぁ〜。私は家庭教師から勉強もダンスもマナーも刺繍もちゃんと学んでいますわ。検定資格をとったかどうかなんて大した問題ではないじゃないですかぁ〜」
『いくら婚約者とはいえ、公に準じるこの場で王太子殿下を愛称で呼ぶなんて、マナー違反、不敬罪もんだわ。それにあの言葉使い、一体誰にマナーを学んでいるんでしょう』
フランセスはヴィヴィアン母娘とは一緒には住んではいない。
フランセスの母親メリナが赤ん坊の頃亡くなり、父親が外交官で家を留守がちなため、幼い頃から母方の祖父モルガン侯爵家に預けられていたのだ。
そして、父親の再婚後一旦戻ったものの継母との折り合いが悪かったので、結局、祖父の元に身を寄せ、今では侯爵家を継いだ伯母夫婦の養女となっていた。
それ故に彼女の今現在の名前は、ハートウェルではなくモルガンである。フランセス=モルガン侯爵家令嬢。
そんなわけで、ヴィヴィアンが家でどんな勉強をしているのか、フランセスはよく知らないし、想像も出来なかった。
ただ成績が芳しくないのは嫌でも耳に入ってはきたので、フランセスは何度か勉強を教えようと申し出てはみたが、にべもなく断られていた。
しかし、留守がちとはいえ、父も何をしているのだろうか? あんなのを本当に王太子妃に出来ると思っていたのだろうか。娘可愛さに目が曇り、正しい判断が出来なくなっているのだろうか。末っ子跡取りの弟には厳しいのに。
「何度も言っているが、ぼくは君に愛称呼びを許可した覚えはないよ。敬称で呼びたまえ」
「何故婚約者なのに愛称で呼びあってはいけないんですかぁ?
革新派といっていながら、なんでそんな古臭い事いうんですかぁ?
それに、大体過去の歴史やもう誰も使わない古代語なんて覚えて何の意味があるんですかぁ? 人は過去より前を向き、未来の事を考えるべきですぅ」
妹のもっともらしい反論を聞いた瞬間、フランセスは『あれ?』と思った。これはどこかで聞いた言葉だぞ。
『ん?』
フランセスは首を捻った。妹のこの言葉は誰かの二番煎じだ。誰が最初に言っていたんだっけ? ふと、王族の末席に座っている若者に目がいった。
オールポート公爵家の子息ブルーナだ。普段年若い割に落ち着き払っていてる彼が、酷く動揺して視線を忙しく動かしている。
そんな彼を見た瞬間、まるでかけられていた魔法が解かれたように、彼女の脳内に幼い頃の思い出がパッとよみがえってきた。
そう、幼い頃、フランセスは歴史が大好きな歴女であった。毎日せっせと王立図書館へ通い、歴史書を読み漁っていた。そしてその知識をひけらかす、はなもちならない少女だった。
しかし十歳の誕生日の翌日、歴女フランセスは死んだのだ。そう、オールポート侯爵家主催の子供達のためのガーデンパーティーに参加したあの日に・・・
フランセスは一人の少年に我が国の騎士団の歴史について問われ、それについて滔々と語り終えた時に、一人の年下とおぼしき少年にこう質問された。
「ねえ、今の騎士団長の名前を知っている?」
「えっ? し、知らないわ。ごめんなさい」
「それじゃ、現在の騎士団の組織図は言える? 半年前に組織変更があったんだけど」
「えっ? そうなんですか? 存じませんでした。勉強します」
「お隣の大国ホールデン王国の宰相がお代わりになったんだが、それがどなたか知っていますか?」
「いいえ、知りません。勉強不足ですみません」
フランセスはその少年に謝った。まだ十歳になったばかりなのだからそんなことを知らなくて当然で、謝る必要など全くなかった。しかしその少年が今日の招待主のオールポート公爵家の子息のようだったので、一応失礼のないように、と子供ながらに思ったのだ。
するとその少年は、フランセスにこう言ったのだ。
「あなたはいつも古代語ができるとか、過去の歴史に造詣が深い事を自慢してますが、もう誰も使わない古代語なんて覚えて何の意味があるんですか?
過去の事ばかり覚えて、現在の事を何も知らないなんて恥ずかしくはないのですか? 人は過去より前を向き、未来の事を考えるべきです」
ブルーナの言葉にフランセスは衝撃を受けた。
そうだ。古代語で誰かと会話した事なんて今まで一度もない。古代語を話せるものは自分の周りにはいないのだから。それでもまあ、古代文字を読めた事で、一ヶ月程前、城址公園で地下室に閉じ込められた時には役に立ったけれど、あんな事はそうそうないだろう。
それに過去の英雄や支配者を覚えていても、今現在活躍している方々を知らなければ、何にもならない。本当だ。それなのに、自慢げにそれを人に語って悦に入ったなんて、なんて恥ずかしい。
今まで何故こんな無駄な事ばかりに時間を使っていたのだろう。
そう。あの日あの時、歴史好きだった『歴女フランセス』は死んだのだ。彼女は過去を学ぶ事を止め、今、そして未知の事柄を追求する事だけに邁進するようになった。
そしてそれは実の父親との繋がりを自ら切り捨てる事でもあったのだ。
フランセスが元々歴史が好きになってのは父親から、
『もし将来父様と一緒に外交の仕事がしたいなら、外国語と共に、他国だけではなくまず我が国の歴史を学びなさい。自国を真の意味で知らねば、外国と交渉事は出来ないのだからね』
と言われたからである。
離れ離れになっている父親の気を引きたかった。だから彼女は歴史を学んだ。別に 外国へ行きたかった訳でも、外交官になりたかった訳でもない。ただ、父親に認めてもらいたかっただけだ。
それに、歴史や古代語を学ぶ事はとても楽しかった。母親がいなくても、父親と別れ離れになっていても、歴史書を読んでいれば寂しくなかった。そして、辛い事や悲し事は古代語でノートに記しておけば、人に見られても心配をされず、優しくしてくれるモルガン侯爵家の人達を心配させずにすんだのだ。
しかし、おかしい。何故今の今までその事を忘れていたのかしら? あんなに歴史書を読み漁っていたのだから、試験では苦労せずとももっと点をとれただろうに。
しかも、ブルーナの言葉で歴史に興味が無くなったのはわかるが、何故古代語の事まで忘れていたのだろうか?
「◇○◁□☆▷♢・・・」
『これはおかしい・・・』と、フランセスは扇子で口元を隠して古代語で小さく呟いてみた。
その時フランセスの頭にある仮説が浮かび、ハッとして左隣りを見た。すると宮廷魔道士のウォルター=ゴールドンと目が合った。
彼は表情一つ変えなかったが、その目が意味意味ありげに見えた。
『貴方がやったのですか?』
フランセスは少しだけゴールドン卿に口元を向け、周りからは扇子で見えないように口パクをした。すると、彼の金色の瞳の色が少し色濃く変化した。これが、魔道士ゴールドン卿のイエスの意味だという事をこの研修で学んでいた。
宮廷勤めの一部の上級官吏や騎士達は言葉以外の意思伝達法をそれぞれに持っているのだ。
何故まだ見習いに過ぎない彼女にそんな重要機密を教えたのか、フランセスはそれが不思議だった。
しかし、今日のこの婚約解消は前もって決まっていたのであろう。そして、その事に彼女がなんらか、いや大きく関わるのだろう。ヴィヴィアンの姉としてだけではなくて、フランセス自身が。
自分の歴女だった頃の記憶を消したのは、十中八九、今隣に立つ天才魔道士ウォルター=ゴールドンだろう、とフランセスは思った。
彼は十三歳の頃に魔力検査で最大レベル十を軽く上回ると診断され、即宮廷に召し抱えられた。しかし彼の父親はオールポート公爵家の執事だった。
その為、ウォルターも幼い頃から、執事長の息子だったグレン=メイヤードと共に、公爵の子息であるブルーナの側近としていつも一緒に行動していた。
八年前のオールポート侯爵家主催の子供達のためのガーデンパーティーに、彼がいたとしても不思議はない。いや、いたと考えた方が自然だ。
あの時、ゴールドン卿はまだ十二歳くらいだったと思うが、十三の時には魔力十を超えていのだから、その時既に魔力で記憶操作が出来たとしても不思議じゃない。百年ぶりの天才魔道士だと言われているくらいなのだから。
もっとも、たとえまだ子供だったとはいえ、人の記憶を操作して良い訳にはならないが。あれは禁呪に近く、国王陛下の許可なくして使用してはならない筈だ。
そんな禁呪を使っていながら、いま平然と王太子の側近の一人になっているとは、なんと図太いのだろう。羨ましい。
いやいや違う。そもそも何故そんな大罪をあっさりと認めるんだ。しかもこんな場所で。
問い詰めたいが今ここではできない。疑問に思ったら即知りたくなる性分のフランセスは、必死でムズムズを抑えた。
読んで下ってありがとうございます。続きも楽しみにして頂けると嬉しいです。