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◇8◇ マナガルム視点

   ◇ ◇ ◇


 年の暮れ。姉カサンドラに頼まれた所用を果たすため、俺はヒム王国の王宮に来ていた。

 所用自体は早々に終わり、俺は王宮のゲストルームに帰るべく、長い回廊を歩いている。



(…………あの人も今頃、大陸聖王会議の準備に追われている頃だろうか)



 これはただの一時の気の迷いだ。

 恋などという、愚かしい気の迷い。

 時がたてばきっと忘れられる。

 あの時の彼女の笑顔も、胸の中をかきむしりたくなるような想いも。


 そう思っていたのに、感情というのはどうにもままならなくて、いまだに俺はエオリア王女への想いを断ち切れずにいる。


 クロノス王太子殿下だったら……俺が幼い頃からずっと憧れていたクロ(にい)だったら、きっとこんな未練がましい感情はさっさと断ち切るだろう。



「――――あら、マナガルム様」



 廊下を曲がった瞬間、こちらに向かって歩いてきているエオリア王女殿下と顔を合わせてしまう。

 忠実な侍女たちを従え、柔らかく微笑む王女。


 ……頼むからそんな笑顔を向けないでください。

 俺が貴女に向けている感情は、花のように美しい貴女にふさわしくないのだから。


    ◇ ◇ ◇


 読書会で初めて王女殿下と顔を会わせたとき、まず俺が彼女に抱いていたのは反感だった。


 ベネディクト王国に来た当初から、テイレシア様の代わり――――アトラス王子の新しい婚約者候補だという噂は流れていた。

 その一方でエオリア王女の第一印象は、のほほんと、どこかぶりっ子で、大切に守られて育てられた花のようだった。

 テイレシア様のことは酷く扱うアトラス王子でさえ、エオリア王女には紳士として振舞うのだ。



(……テイレシア様がどんな思いをなさっているのか、きっと想像もしていないんだろうな、この人は)



 読書会のルールとして、互いに本を贈り合い、贈られた本は必ず読む、というのがあった。

 普段自分が読まないようなジャンルの本にチャレンジしてみるという趣旨である。

 もちろん性的な本や残酷趣味の過ぎる本は除くということになっていたが……。


 彼女に俺が『鋼の乙女の英雄譚』を贈ったのは、そんな反感の産物だった。

 冒険小説など絶対に読まないだろう王女さまが困ればいい、とか、王女さまにはテイレシア様のような小説なんて絶対書けないだろうという、今から思い返せばひどく器の小さい意地悪だ。


 ところが『鋼の乙女の英雄譚』を手にしたエオリア王女は、目を輝かせた。

 普段の可愛らしいお姫様を絵に描いたような笑みとは違う、綺麗な小石といった『たからもの』を見つけた子どものような笑顔で、思わず俺はその顔に見惚れてしまった。



『冒険小説ですか。

 どれぐらいぶりでしょうか……。

 わたくしも小さな頃、強くてかっこいい姫騎士に憧れたものですわ』



 いたずらっぽく言ってみせるエオリア王女。

 我ながら単純すぎると思う。その笑顔が、頭から離れなくなってしまった。


 読書会を通して知ったが、エオリア王女は高い知性の持ち主だった。

 可愛らしい少女のような振る舞いはどうやらその知性を隠してのことらしい。


 彼女がそう振る舞う理由はよくわからなかったが、エオリア王女殿下はベネディクト王国の次世代を担う俺たちをしっかりと観察し、かつ、心を砕いて良い関係を築いていった。

 それはまるで小さな外交だった。



(ああ、この人は今この時も王女としての仕事をし続けているのだ)



 同い年だというのに……苦手だろうジャンルの本を渡して意地悪しようとしていた器の小さい自分を省みて、恥ずかしくなった。

 彼女のことばかり、ずっと考えてしまうようになった。


 テイレシア様の敵のはずの彼女のことを……次第に、アトラス王子とばかりいるようになってしまった彼女のことを。


 そんな中起きたアトラス王子の婚約破棄事件、そして、ヴィクター・エルドレッドの求婚。

 王子の誕生日パーティーから締め出されていた俺は、諸々の顛末を翌日知ったのだが。



(急に現れたぽっと出が……貴様にテイレシア様の何がわかる)



 思わずエルドレッドのクラスに押しかけ、ふざけるなと言ったが、あいつは想定内の反応とばかりに飄々とした態度だった。

 同じように手が届かない女性に思いを寄せながら、俺は必死で我慢して押し殺しているのに。

 なんでこいつは、貴族の常識を無視して、堂々と求婚まで……。

 テイレシア様には、クロ兄しか釣り合わないのに。


 本当はうらやましかった。

 恋などという忌むべき感情を堂々と肯定してみせる平民の男が。

 貴族社会のしがらみにも王宮のパワーゲームにも真正面から闘いを挑んで、愛した女性に身一つで求婚できる。

 そういう男がうらやましかった。


 そしてそういう男だったから、エルドレッドがテイレシア様の心を捕えたのだろう。



(……俺は、あいつとは違う)



 フォルクス侯爵家や母の母国リュキア王国まで巻き込んで、貴族社会や王家と闘うことなんてできない。

 自分の個人的な感情で、国を背負う女性に想いを伝えるとは、そういうことなのだ。


 そうやってできない理由を探して自分を納得させようとしていた。

 想い人が破談になって、帰国しても。


 そのくせ再会してしまったら何かせずにはいられなくなって、血迷ってテイレシア様に無理をお願いしにいってしまった。


 自分でも、みっともないのは自覚している。

 この感情、どうしたら消えてくれるのだろうか。



   ◇ ◇ ◇



「……先日はありがとうございました、王女殿下。

 ヒム王国からの留学生の皆さんはその後、それぞれしっかり勉学に励まれているようです。

 王女殿下からの励ましが嬉しかったのでしょう」



 心を無にしようと務めながら、俺は王女殿下にそう返す。



「いえ、こちらこそ貴重な機会をいただいて、本当にありがたいことでしたわ。

 ……それと、あの、マナガルム様、ありがとうございました」


「何か、いたしましたでしょうか」



 と……急にエオリア王女殿下は距離をぐっと詰めてくる。

 いったい何を!? ドギマギしていると、なにやら背伸びをして、俺の耳元で話そうとする。


(内緒話か?)


 かがんで、王女の口もとに俺の耳の高さを合わせた。

 そんな王女のしぐさが可愛すぎて、決して俺などがしてはならないはずのことをしている背徳感に、息が止まりそうだ。



「『鋼の乙女の英雄譚』の件、テイレシア様にお話ししてくださったのですね」


「!?」


「先日、テイレシア様から、お手紙と1冊の本が届きましたわ。

 もちろん、テイレシア様が書かれたということは絶対に秘密にいたします。

 墓場まで持ってまいりますわ」


「その続へ……いや、本をお読みになったのですか?」



 続編と言いかけて、侍女たちの耳が気になり言い直す。

 先ほどから王女殿下の可愛らしさを至近距離で浴び、理性がぐらんぐらんと大きく揺れている。



「はい。とても……とても面白くて、それに、わたくしにとって嬉しいエンディングでしたわ。

 お礼のお手紙をお送りしたところですの。

 マナガルム様。本当に……『鋼の乙女の英雄譚』という作品に出会わせてくださって、本当にありがとうございました」


「そ、それならば、良かったです」


「きっと出会いにはタイミングも含めて意味があるのですね。

 ……いい意味で、少し肩の力を抜くことができましたわ。

 あの、マナガルム様にも、何かお礼をできればと思うのですけれど」


「お礼…………ですか」


「ええ。と申しましても、大したことはできませんけれど」



 舞い上がる自分。

 落ち着けと心の中で叱咤する。

 俺は何もしていない。

 テイレシア様が叶えてくださっただけなのだ。


 エオリア王女殿下に悟られないように、ゆっくり呼吸を落ち着ける。

 諦めたいはずなのに、心が快哉(かいさい)を上げている。

 想い人と関われる誘惑に捕らえられている。


 この想いは絶対に伝えてはならない。だが……もしも許されるなら。



「あの……では、王女殿下。もしよろしければ、私を────」



   ◇ ◇ ◇

次回で完結の予定です。

たぶん24日中更新。

25日になったらすみません。

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