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お茶会は、王宮の中庭を使ったガーデンパーティーだった。
立食形式で並んだ色とりどりのお菓子と軽食。
ゆったりと座って食べられる席も用意されている。
色々な人と話して楽しむも、ゆっくり美味しい紅茶とお菓子を味わうも自由。
そんな雰囲気のなかで、多くの人に囲まれているのが、この催しのために来訪したエオリア王女殿下だ。
普段何かのイベントがあれば、女性たちの人気が集中するのはいつもクロノス王太子殿下。
だけど、さすがに今日はエオリア殿下を立てるように一歩引いているし、出席者もみんな場をわきまえているようだ。
そんなエオリア王女殿下を見て、私は、ヴィクターにそっとささやく。
「……お痩せになったわよね」
「そうですね、顔色も少しお悪い気がします」
さっきヴィクターと一緒にエオリア王女殿下にご挨拶した時に驚いた。
繊細なガラス細工のような、可憐な美少女ぶりは変わらないけれど、明らかにやつれている。
元々私よりも細い身体つきの方だったのに……ちゃんと食べているのか心配になるぐらいだ。
「やっぱりレグヌムとの外交問題の解決までが大変だったのかしら……」
レイナートくんは私にくれた手紙の中で、ヒム国王はともかくエオリア殿下の対応は信頼できるものであると褒めていたけれど。
「兄曰く、もともと政治的に対立していた有力貴族たちから、かなり突き上げを食らったみたいですよ。
アトラス王子との結婚話の責任を全部押し付けられたようです。
国が決めたことだから1人の責任じゃないはずなのに……権力闘争ってどこの国も醜いですよね」
「そう……」
生まれついての王女であるエオリア殿下が背負ってきた責任は、王太子の婚約者だった私以上のものだろう。
何も私が口を出す権利はないし、それどころか、いたわる言葉さえかけて良いかわからない。
少しでも彼女にとって状況が楽になるように祈るばかりだ。
そんなことは知らないだろう留学生たちが、エオリア王女の留学中のことをいろいろと質問している。
たくさんの人が手を上げるので、王女殿下の隣にいるマナガルム君が、毎度仕切って質問者を選んでいた。
「…………あの!
ベネディクト王国の王立学院では、ヒム王国と違って、男女が同じ学舎で学ぶのですよね?
やはり何か違いましたでしょうか?」
「そうですね……学舎は同じでも、授業は男女別学となっておりますの。
ただ、図書館などの共通の施設で〈紳士部〉の男子学生と交流することはありましたわ。
学ぶ内容も男女で異なりますから、とても刺激を受けたものです」
アトラス王子の話題には一切触れず、そつなくエオリア王女は答えていく。
彼女にとっても、さすがにアトラス王子はもう過去の人なのかな。
「王女殿下、留学生活はとても楽しいものだったと先ほど仰いましたが、もしもまたもう一度ベネディクト王国に留学される機会があるとしたら、何をなさりたいとお思いになります?」
続けて投げられた質問に、エオリア王女はしばらく考える。
「そうですわね……やはりたくさん勉強をすると思いますわ。
それから留学中に行けなかった史跡を見に行くことができたらとても嬉しいですわね。
……それと」
「それと?」
「もし存在すれば……ですけれど。
ベネディクト王国のとある小説に、続編があれば是非読みたいと思っております」
「続編ですか。何という小説ですか?」
「『鋼の乙女の英雄譚』です」
ゴブッ! 飲みつつあった紅茶を思わずカップに吹いてしまった。
ヴィクターが間髪いれずにカップを受け取ってテーブルにおき、ハンカチを差し出し、咳き込む私の背をさすってくれる。ありがとう優しい。でもそんなことよりも。
(なぜ……なぜ、そのタイトルがここで出てくるの……!!)
「留学中に、何人もの王立学園の学生の皆様がベネディクト王国の面白い本を贈ってくださって……その中にあったのです。
ヒム王国にも持ち帰り、今も大切に読んでおりますわ」
悲報。私の黒歴史、輸出されていた。
「『鋼の乙女の英雄譚』ですか。確かカサンドラがそんなタイトルの本を持っていたように思います」
思い出さないでください王太子殿下。
「そうなのですか? カサンドラ様が?」
「ええ。あいにく今は殿下と入れ違いにヒム王国におりますが」
「ありがとうございます。
もし続編をお持ちでしたら嬉しいのですけれど……」
「彼女が戻りましたら訊いてみましょう」
王太子殿下とエオリア王女殿下の間で話が進んでしまっている。
これは、まずい。
カサンドラに堅く堅く、口止めしておかなきゃ……。
「はい、質問です」……と思ったらヴィクターがすっと手を上げていた。
「何だ、エルドレッド」不機嫌そうにマナガルム君が声をかける。
「エオリア王女殿下は、その小説のどんなところが良いと思われたのでしょうか?」
(ヴィクターぁぁッ!?)なぜここで燃料投下しちゃうの!!
「はい……その、それは押し付けられた結婚から逃げ出して騎士になる姫君の物語なのですが……恥ずかしながら主人公にとても共感をいたしまして」
頬を赤らめながらエオリア王女は言う。
「留学し始めてまだ間もない頃、寂しい思いをしておりました時に、『鋼の乙女の英雄譚』を読んで、自由を得た主人公に自分を重ねて……そうですね、現実逃避をしておりました。とても楽しい現実逃避でしたわ」
(………………そんな風に、思ってくださっていたの)
「でも、現実逃避は夢まぼろしにすぎず、いずれ現実に戻らなければならないと教えてくれたのも、その小説でしたわ」
(………………?)私、そんなこと、書いただろうか。
「『鋼の乙女の英雄譚』では、主人公と想い合う勇者が出てくるのです。
けれど、主人公と勇者は最後は結ばれないのですわ。
主人公は姫としての義務を果たしに城へと戻り、勇者は市井の人々を助けつづける道を選びました。
互いに愛する人を諦め、自分たちの与えられた運命、義務に従ったのです。
そのエンディングに、王女として目を覚ませと叱られた気がいたしましたわ」
ふふふ、とエオリア王女は笑う。
違う、と、私は口の中で呟いた。
違う、そうじゃない。そんなつもりで私は書いていない。
「今もつらいときには『鋼の乙女の英雄譚』を読み返すのです。
わたくしは、最近ある大きな失敗をいたしました。
その失敗を経て、それから『鋼の乙女の英雄譚』を読み返して……王女としてひとつ決めたことがあるのです。王女という運命にしたがい、個人としての幸せはすべて手放そうと。結婚はせず、国に尽くそうと。
だからもし続編があるならば……主人公が姫として国を守る物語が読めるならば、と思ったのですわ」
エオリア王女の浮かべる微笑みはあくまでも美しくて、私はその美しさがどこか恐かった。
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次回8月20日更新予定




