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11月30日午後11時すぎ。
すでに冬間近の王都の邸の中は、暖炉の火が欠かせないほど寒い。
だけど私テイレシアは肌寒さも忘れて、自分の部屋で作業に没頭している。
もう5年近く前に私が作った本と同じ装丁の、世界で1冊の本。
表紙の革を丁寧に貼り付けていく。
(本当なら職人さんに綺麗に作ってもらうところだったんだけど……)
そうできなかったのは自業自得だ。
ギリギリまで中身に時間をかけすぎたせいで、本文の活字化と印刷、装丁の部品までを頼むのが精いっぱい。
それらが全部そろったのが今日の夜。
製本はこうして自分でやる羽目になってしまった。
壁の柱時計を見る。
日付はもうすぐ変わろうとしている。
(最後、ここを貼り付けて……)
「できたわ!」
本の完成に思わず声をあげた。
時計の針は?
ぎりぎり、12時よりも前。間に合った!
「ティールームにヴィクターを呼んでくれる?」
部屋の前で待っていた侍女に声をかける。
ヴィクターには、12時まで自分の部屋で待っていてほしいと伝えていた。
できたばかりの本を手に、私は足早にティールームに移動する。
(ヴィクター、喜んでくれるかしら。
外した時のために、一応予備のプレゼントも用意しているけれど)
ティールームに入り、ドキドキしながら夫を待つ……。
「────どうしたんですか? テイレシア」
しばらくしてヴィクターがやってきて、ティールームの中を覗いて、あ、と声を漏らした。
時計の針はちょうど12時。
もう12月1日だ。
私は蓄音機の針をレコードに落とす。
彼の好きな音楽が流れ始めた。
「17歳のお誕生日おめでとう! ヴィクター!」
飾り付けたティールームには、スパークリングワインを用意していた。
あっけにとられた様子でヴィクターはそれらを見つめる。
「ありがとうございます!
でもどうしたんですか。
パーティーは明日……いえ、今日の夜じゃ?」
「ええ。でも先にプレゼントは渡しておきたくて」
「プレゼントですか?」
私は背中に隠していた本を、ヴィクターに差し出した。
「『鋼の乙女の英雄譚』2巻よ」
「……!」
「あなただけのために書いた、世界で1冊の本。
まだ糊が乾いていないから、気を付けてね」
「俺のために書いてくれたんですか…!?」
ヴィクターは顔を紅潮させ、本の表紙を見つめる。
◇ ◇ ◇
『鋼の乙女の英雄譚』。
それは14歳の頃の私が、自分の好きなものを詰め込んで書いた冒険小説。
……とだけ言えば聞こえはいいけれど、
『昔の私、よく平気な顔してコレ書いたわね??』
と言いたくなるそんな要素が満載の黒歴史だった。
だけど私とヴィクターにとっては、出会いのきっかけになった特別な作品で、ヴィクターはこの作品の大ファンだ。
いつも私を大切にしてくれて、たくさんのものをくれるヴィクターのために、私も彼を喜ばせたい。
何をあげたら喜んでくれるかしら……と、あれでもないこれでもないと色々考えた。
そして、私と再会するまでの4年間『鋼の乙女の英雄譚』を大事に読み続けてくれていた彼のために、続きを書いてみよう!と思い立った。
……で、思い立ったはいいけれど。
続きを考えるために『鋼の乙女の英雄譚』を読み返すところから、私の試練は始まった。
(……待ってこの勇者、恥ずかしいセリフ言いすぎなんですけど!?)
(主人公!! ツンデレ通り越してツンしかない!! 勇者に突っかかりすぎ!!)
(うぐぐ……めちゃくちゃ14歳の時の私の願望が出てる……ダメこれ……激痛……)
ノリノリで書いていたかつての自分に対するセルフ突っ込みが止まらない。
14歳の頃の『私の考えた最強のお姫様』と『私の考えた最強の勇者』。
改めて読み返すと自分で思っていたよりも痛すぎる。
読みながらアトラス王子に言われた嫌なことを思い出したりもして、精神的吐血を繰り返しながらどうにか読みきった。
『鋼の乙女の英雄譚』のラストでは、世界を救った後、主人公の姫騎士は本来の自分の立場に戻り、勇者は名もなき人たちを救い続けるために、旅を続けることを選ぶ。
そこで続編では、主人公の国に災厄が降りかかり、一度は逃げ切った政略結婚を受け入れざるを得なくなった主人公を、勇者が助けに来るところから始めることにした。
とはいえ、もう私は19歳。
さすがに14歳の時と同じテンションでは執筆できない。
2人とも経験を積んで歳を重ねて大人になったということにして、少し性格を変えて、何とか続編を書ききった。
『一度綺麗に終わらせた物語の続きを生み出すのは、結構苦労するのね……』そう実感した。
◇ ◇ ◇
そんな汗と涙と羞恥心まみれになって書き上げた続編。世界でたった1冊の本。
だけど、ただ1人、読んでほしい人に喜んでもらえなければ意味はない。
さあ、反応はどうかしら?
しばし呆然としていたヴィクターは……まるでダンジョン最下層で見つけた秘密の魔導書みたいに本を受け取り、長い指でタイトルをなぞる。
結婚してからも大人っぽくカッコよさを増していくその顔に、まるで12歳の少年のような笑みを浮かべた。
「ありがとうございます……!!
俺のために、まるごと1冊書いてくれるなんて……。
『鋼の乙女の英雄譚』の続きが読めるなんて夢みたいです」
大丈夫そうかしら。
「喜んでもらえたなら、書いた甲斐があったわ」
「大事に読みます!!」
続編というプレゼントを選んでよかった。
ヴィクターに喜んでもらうことができてよかった。
私は心からそう思い、安堵した。
────ただ、この時の私は、読者というものを本当に理解してはいなかった。
というか、読者というものの熱量を甘く見ていたのだった。
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次回更新は8月16日の午前予定。




