後日談4:重要にして困難な、とある問題。【ホメロス公爵視点】
お久しぶりです。
全然ラブがありませんが、後日談1に出てきたホメロス公爵(宰相になってクロノス王太子を支えることになりました)から見たお話をふわっと書きましたので、よろしければどうぞ。
クロノスとカサンドラは出てきますが、テイレシアとヴィクターは出てきません。
続編『セクハラ貴族にビンタしたら社交界を追放されたので~』のネタバレがありますのでご注意ください。
◇ ◇ ◇
我がベネディクト王国が新しい王太子殿下を戴いてから約8か月。
冬将軍と1年の終わりが王都にも近づいていた。
高齢を理由に一度は引退した身の私は、ひょんなことから運命のいたずらで、もう一度宰相として王権を御支えすることとなった。
72歳、今からどれだけのことができるかわからないが、政治家としての知恵と経験を、孫のような歳のクロノス殿下に少しでもお伝えできたらと思う。
日中は王太子教育が急ピッチで行われ、夕方から夜は公務というお忙しい日々を過ごされている。
その合間の休憩で時折、王宮の談話室で紅茶を頂きながら語らった。前王太子アトラス殿下にはとことん嫌われた私だが、いまのクロノス殿下とは政策談義をよく行う。
クロノス殿下は聡明であるがやはりお若いゆえ、理想が高く、そしてあまりに清廉でもある。とはいえ殿下はそれでよい。清濁併せ呑む私はじめ周りの大人たちが軌道修正しつつ、殿下の御意思を現実のかたちに落とし込んでいけば良いのだ。
だが、この日はその談義に邪魔が入った。
「……失礼いたします。王太子殿下、ホメロス宰相閣下」
王太子殿下の義父であるウェーバー侯爵と同年代の、大臣の末席に名を連ねる男が、書類の束を持ち、談話室に入ってきた。
「どうされましたかな?」
「ああ、まずはどうぞこちらをご覧いただけますでしょうか?」
彼は王太子殿下にその書面をお渡しした。
殿下は、宝石のように美しいアイスブルーの瞳でそれをさっとご覧になり、すぐに私にその書面を渡された。私もそれを見る。
「これは……」
「はい。国内の、15歳から18歳の貴族令嬢の嘆願書と署名です。
可能な限り早く、王太子妃を選定・決定ください、と。
今年テイレシア様がご結婚され、国内には適齢期の王族令嬢は現在いらっしゃいません。
近隣国の年齢の合う姫君も、国にお戻りになったエオリア王女ぐらいでしょうか。
ゆえに王太子妃が国内の貴族令嬢から選ばれる可能性が高いと考えたのでしょうな。
といって、決定が遅くなるほど、いま年長のご令嬢ほど不利になりますから、焦って皆でこのようなものを出すことにしたのでは」
王太子殿下は、眼鏡を指で押し上げ、
「考えておきますが、それでも本格的に手をつけられるとしたら王太子教育が一段落してからでしょう」
と、淡々とお答えになる。
丹念に磨かれたダイヤモンドのような美しさを母君から受け継いだ殿下のご尊顔は、感情が出づらい。
だがこの話題は、王太子殿下にとってあまり快いものではないようだ、と私は見た。
先日話した若人の言葉を、ふいに思い出す。
『――――兄はああいう人なので、決められたなら、どんな相手であってもその人を好きになろうと努力をするでしょう。
でも、俺はそれだとうまくいかないと思います』
大臣は折れず、
「……やはり王権の安定のためには、少しでも早く婚約者を決定するべきではないかと思うのです」
と続けた。
「ですがこちらの署名にある貴族令嬢では、王権の安定という意味では難しいと存じます。やはり王族の女性が――――アトラス殿下の妃候補ではございましたが、ヒム王国のエオリア王女殿下はどうかと」
「いやいや……それは、あちらの王女殿下もお望みにはならないでしょう」
私は助け船のつもりでそう口を挟んだが、
「しかしですね、王太子殿下のような美男子と結婚したくない女性がこの世にいるでしょうか?
殿下はどう思われますか?」
と大臣はしつこく食い下がる。
殿下はゆっくりと首を横に振って、お答えになった。
「エオリア王女は半年以上かけてどうにか外交問題を解決されたようですが、いまさら政略結婚の失敗の責任を取らされ、冷遇されているようです。まだしばらくはあちらも大変かと」
「なるほど。
だからといって国内のご令嬢方は……皆どうしても、エオリア王女やテイレシア様と比べると見劣りしてしまいまして。
やはり誰でも良いわけではないでしょう。未来の王妃ともなると」
……そろそろやめておけ。
話題的にはいたしかたないが、そもそも王太子殿下は、女性を品定めする話がお好きではないのだ。
「ああ、いっそテイレシア様が例の平民と離婚してくださったら早いのですが、ハハハ。王族のお立場を考えてくださいということで」
王太子殿下のまなざしが一気に凍った。
私も驚いた。テイレシア様とヴィクター君の夫妻は当然いまも睦まじく、この前テイレシア様とお会いした際に惚気話をほほえましく拝聴したばかりだった……が、それが理由で驚いたのではない。
この男、軽率にも、王太子殿下が心から大切にしているものを、無神経に踏んづけた。
「――――どの立場で誰に何を強いようとしている言葉か、考えて物を言っていますか」
「あ、あの、ただ、その」
「冗談としてでも口に出して良いことと悪いことの区別もつかないのですか?」
大臣は蒼白な顔で、ぷるぷると震える。
貴婦人方がうっとりと見とれるほどの白皙の美貌のせいで皆忘れがちだが、殿下はお怒りになると恐い。
だが今のは、王太子殿下がいらっしゃらなかったら私が怒っていた。
「――――先ほどの言葉、以後、二度と人前で口にしないように」
身体の芯が氷点下までも冷えそうな声を残し、王太子殿下は立ち上がられた。そのまま速足に談話室を出ていかれる。
まだ小刻みにぷるぷると震えている大臣に、私は心底呆れてため息をついた。
下世話な冗談のつもりだったのだろうが、彼が自分より年若いテイレシア様に敬意を払っていれば、出てこない台詞だ。
どれだけクロノス殿下がテイレシア様の幸せを大切に思っていらっしゃるか知らなかったとしても、無神経すぎる。
「ほ、ホメロス宰相……」
「まったく大馬鹿者ですな。
ヴィクター君やレグヌムの国王陛下に聞かれたら、先ほどの殿下のお怒りどころではすみませんぞ。
カサンドラ嬢ならおそらく鉄拳制裁が――」
「私がどうしたんです? 宰相」
ひょい、と談話室に顔をのぞかせたのは、テイレシア様の親友にしてクロノス殿下の幼なじみのカサンドラ・フォルクス嬢だった。彼女は現在、王宮補佐官候補生として官僚を、そして将来の宰相を目指している。
彼女が武術を得意としていることを知っている大臣は、顔色がさらに青くなった。
「どうしましたかな、カサンドラ嬢」
「クロノス王太子殿下に至急ご報告をしたいことが」
「つい先ほど談話室をお出になられたので、執務室に向かわれたのでしょう。追いかければ間に合いますよ」
「ありがとうございます!」
元気な返事が小気味いい。
彼女を追って廊下に出て見てみると、カサンドラ嬢は、婚期の貴族令嬢らしくない機能的で動きやすいドレスで、廊下を小走りに駆ける。
そうしてあっさり王太子殿下に追いつくと、「クロ!待って!」と呼び止めた。
「どうしました、カシィ」
王太子殿下が足をお止めになる。カサンドラ嬢は、手元に持っていた書類を振って見せた。
「ドラヴィ河の治水工事、流域の13領主全員が了承したよ! 国からの資金提供の条件も飲んだ」
「こんなに早くですか。さすがですね」
「だろう? ただ、余裕のない領地からは相談もあがってきた。少し話したいから時間をもらってもいいかな?」
「ありがとうございます。では執務室で話しましょうか」
遠くからは表情まではわからないが、カサンドラ嬢と話されるときの殿下はいつも、ややお顔が和らぐ。
そのまま2人は、
「そういえば学園の弁論大会、ヘリオスが2位に入ったらしいね」
「義父から聞きました。がんばりましたね」
などと他愛のない話をしながら、執務室へ歩いていく。
姿が見えなくなったところで、私は、大臣に声をかけた。
「カサンドラ嬢に助けられましたな」
「で、殿下のご機嫌は直りましたでしょうか……。
しかし、カサンドラ様、王太子殿下にあの態度なのですな」
「人がいる場では、きちんとしていますよ」
「そうだとしても、驚きました……。
あの、宰相閣下。
まさか、カサンドラ様は王太子妃候補にはさすがになさりません、よね……?」
「むしろなぜ、彼女を抜かねばならないと?」
「いえその、ご身分的にはやはり高位貴族で、母君は同盟国の王女殿下でいらっしゃいますが……。
さすがにお考えが変わっているというか、お振る舞いが令嬢らしくないというか、慎みがないというか……」
王太子殿下の逆鱗に無自覚に触れすぎだが、今後大丈夫か、この男。
「そうですか。彼女は学生の身でありながら殿下を補佐し、また、重責を担う殿下の心の拠り所という意味でも、大変役立ってくれていますが」
「しかし、王太子妃や将来の王妃には、やはりあるべき姿というものがあるのでは……」
「もちろん最善の相手を選ぶよう尽力しますが、それでも、あれもこれもすべてのものをそなえた“理想の妃”など、現れないのが現実ですよ。神ではない、人間なのです。
先ほど引き合いに出されたテイレシア様とて、アトラス殿下の婚約者でいらっしゃった間には、中傷や権力闘争にさらされ、結局アトラス殿下の妃に“ふさわしくない”とされて、かの婚約破棄事件につながったのですからな」
……先ほどの若人の言葉を再び思い出した。
『――――兄は、深く知り合って信頼して精神的なつながりができて、それから初めてその相手を好きになる人だというのが俺の印象です。
だから、よく知らない女性と結婚させて“今日から愛しあえ”みたいなのは、他の人より特に苦痛が大きいんじゃないかと思います』
クロノス殿下の異父弟、ヘリオス・ウェーバー君はそう言って、
『政略結婚とかたぶん一番向いてないですね、兄は』
と締めくくった。
そうなると、いまのところ私も1人しか思い浮かばないのだが、その1人は果たして、宰相の道より王妃の道を選んでくれるだろうか?
いずれにせよ、完璧な妃などこの世に存在しない。そして完璧を求めることは時に、最善を選ぶ上で制約にさえなってしまう。
“誰でも良いわけではない”それは殿下にとっても同じなのだ。
「さて、仕事に戻りますかな。
あなたは次からもう少し発言に気を付けるように」
「は、はい……」
この先私がどれだけ長く見守っていられるかはわからないが、若人たちに幸せあれと、願わずにはいられない。私は大人としての役目をはたしていこう。
【後日談4 終わり】
公務終了後。
「――――ところで君は人の執務室で紅茶を何杯飲むんですか?」
「とか言いながら淹れてくれるんだから優しいな。ここでガイア様のクッキーがあるとさらに最高なんだけど」
「ありませんよさすがに。ナッツのキャラメルがけで我慢してください」
「ありがと~~!! すごい、私のすきなやつ! なんであったの!?」
「…………(カサンドラ用に準備していたけど調子に乗りそうだから言わない)………ああ、ヘリオスがくれました(ということにする)」




