◇4◇ “運命の恋”には演出が必要らしいです。
「一昨日のあれはね、『アトラス王子とエオリア王女の運命の恋』を演出する最も大事な舞台だったの」
そう言って、私は簡単に説明した。
第一王子であるアトラス殿下と、私テイレシアは、祖父が兄弟な親戚同士。
私の祖父は、同盟国であるレグヌムという国の王族の姫と結婚し、私もその血を引いている。
レグヌムは、文明・技術的には我が国の後塵を拝しているけれど、伝統的に魔法が強く、特に〈戦闘魔法〉に長けた軍事国家。魔法をほぼ捨てた我が国の弱点を補強する存在として縁を結んでいた。
アトラス殿下と私の結婚は、政治的に言えば、
・同盟国との絆をより強化する
・王位継承権持ちの私をアトラス殿下の妻にすることで、より彼の次期国王としての立場を強固にする
という意味合いが強いものだった。
だけど、時間が経てば国際情勢も変わる。
私の大伯父(祖母の兄)、レグヌム王国の王族で公爵だったバルバロス・マスフォルテ・バシレウス。その跡継ぎレイナートの母が宗教的異端者であったことが問題視され、レグヌムの中で、バシレウス家は影響力を落とした。
一方で、大陸全体で戦争が次第に減っていったこともあり、あくまで使う人間の才能に左右される魔法は時代遅れであり、魔法よりも科学技術の優れた国と縁を結ぶべきという議論が強くなった。
……何より、私自身も、才能がなかったのかたしなみ程度の魔法しか使えなかったし。
一方、技術力、といえば、我が国よりも先進の、隣国ヒム王国。
ヒム王国のエオリア王女はおそらく、最初から政略結婚のために我が国に留学をすることになった。
そうして、アトラス殿下との自然な出会いが演出される……。
「昨年末ごろ、うすうす私は国王陛下の意図に気付いたのだけど、そのうちに内々にお話があるのかと思っていたの。
まさか私に一切話がなく、パーティーの場で、さらし上げながらの婚約破棄とは思っていなかったわ……」
「その、演出?が必要だったのって、どういうことですか?」
「原因はね。そのテーブルの上の、ちょっとインクのかすれた紙の束よ」
従来、貴族階級のためだけにあった新聞は、近年、中産階級にまで広がっていた。
その新聞は、先代国王夫妻、現国王夫妻の夫婦仲の悪さが起こした宮廷内の混乱や暗殺疑惑について、恥ずかしいほど見事にすっぱ抜いて国民に伝えていた。
少し前まで、この国の王族貴族にとって、恋も愛も不道徳なものだった。
“王族貴族は家のために結婚しなければならない”
“恋や愛がしたければ、結婚してから配偶者以外に相手を見つけるべきだ”
『そのような考えが生んだ愛なき政略結婚、それが結局、王宮や貴族の家の中に大きな問題を産みだし、王政を乱しているのではないか?』
と、新聞は繰り返し国民に訴えていた。
「『政略結婚が悪いのだ。仲のいい、真に愛し合っている国王夫妻でなければ、真に国を守ることはできない』
そんな世論ができつつある今だから、政略結婚ではない、愛し合って結婚したのだという物語を見せる必要があるのよ。
……だから、私に相談が来るのだろうと思っていたのだけど、何もなくていきなり」
「……えーーー」
おもいっきり不満げな声をヴィクターが出した。
「結局それって、明らかに王子の不手際じゃないですか?」
「……不手際?」
びっくりした。
アトラス殿下にそんな言葉が添えられる日が来るとは思わなかった。
「……あなた、いま、アトラス殿下の不手際って言ったの?」
「一世一代の舞台なら、当然関係者全員、どころかオレたちモブまで根回ししとけよって話でしょう。
当事者不意打ちで、何を得ます?
テイレシア様にさえお話していなかったなんて、王子の手際が悪いですよ」
「そう、それは……」
「それに」
ヴィクターは、私の手に、そっと自分の手を添えた。
「……テイレシア様にそんな顔をさせるなんて、許せません」
私の手をすっぽり包めるほど大きな彼の手。体温高い。心臓に悪い。
そう、気づくのが遅れてしまった。
先ほど渡してくれた薔薇からは、棘がきれいに取られていた。
私が指を突いてしまわないようにだろう。
「続きの話をさせてくれるかしら。
いずれ同じ貴族どうしになるといっても、あなたと私の身分差ではほぼ結婚できないし……たぶんだけど、私の新しい婚約者はもう、国王陛下の中で目星をつけていらっしゃると思うわ。お身内の方で」
「……どうしてですか?」
「王家が手放すには、私の財産はそれなりに惜しいもの。
それに私の祖母の国レグヌムとの縁もなくなったわけじゃないし」
「そうじゃなくて、テイレシア様はどうしてそんなことを言うんですか?」
「え?」
「俺とは結婚したくなくて、その、まだ誰なのかわからない相手と、テイレシア様は結婚したいんですか?」
「………?」
私の手を握る力が、強くなる。
一瞬、さっきまで明るい好青年風だった彼の目が、16歳とはとても思えない鋭いものになったように見えた。
それはまるで深い緑の宝石が、意思をもって輝きを変えたような。
声も一瞬低くなりドキッとしたのは、恐かったからだろうか、それとも。
「……すみません。そう詰め寄りたいわけではないんです。
今は、テイレシア様のしたいことを、応援します。
だから、もう決まっているだろう、じゃなく、やりたいことを教えてください」
「やりたいこと……?」
『小説を書いているくせに流行りも押さえてないのか?』
『自分を投影しているのが、わかりやすすぎる! 読んでいる方が恥ずかしいな、こんなもの』
『演劇を見にいく? へーぇ、またくだらない恋愛小説の参考にでもするのか?』
『どうした、色気づいて? おまえにこんなドレスなんて似合いもしないだろうに』
「…………」
婚約者だということをいいことに、いままで、私の周りの細かいことを拾ってはねちねちといびって、私の自信をごりごりと削ってきたアトラス殿下。
ひとつひとつ思い出すと、今さらだけど、ものすごく腹が立ってきた。
あれ、私これ、殿下と王家にすごく怒っていいんじゃない?
彼にこれ以上傷つけられたくなくて、やりたいことをたくさん押さえ込んでいた。
今ぐらい、やりたいことをやってもばちは当たらないのでは?
目の前の、見とれるほど素敵な男性は、それを応援してくれるという。
そうだ、何を我慢しなければならないのだろう?
「……ヴィクター。これから先、私にひどい悪評が起こされても、問題ないかしら?」
「貴族社会のなかでは酷く問題になることは承知しています。ですが、それはオレも同じですから。
……いざとなれば爵位など返上して商売で稼ぎます。それでテイレシア様が良ければ、ですが」
ヴィクターの求婚に乗ったり、それを前提とした交際をしたら、きっと私も
『婚約破棄直後にすぐ次の男に乗り換えた。しかも国王陛下を通していない求婚を受けた』
という醜聞の的になる。
貴族社会で醜聞がおきてしまうことは貴族にとって致命的とされて、特に未婚の令嬢とその家族は、醜聞の的になることに恐怖している。
それは昔からのことだけど、そんな世界には、私は内心うんざりしていたのだ。
「国王陛下にお話しするわ、あなたのことを。もう先にご存じでしょうけど」
◇ ◇ ◇