後日談3:貴婦人たちの悪だくみ。後編【テイレシア視点】
◇ ◇ ◇
夜会の準備。侍女がキュリキュリと締めてくれるコルセット。私はぐっと背筋を伸ばしていた。
今夜のドレスは艶やかなワインレッド。胸元から、きゅっと締めたウエストにかけて薔薇飾りが並び、そのままスカートの裾へと続いていく。裾のビジューが、歩くたびキラキラと輝く。
選んだアクセサリーは、艶やかな真紅のルビーと透明度の高い大粒のダイヤモンドが並んだネックレス。さらにおそろいのティアラとイヤリングをつけた。
「すごくよく似合ってますよ。
今夜は一段と綺麗です」
ヴィクターはそう言って私の髪に触れながら、馬車のなかでキスをしてくれた。優しい。でも、私を綺麗だと言ってくれるヴィクターの方が今夜も本当に素敵。
(――――っと、油断しないで気合いを入れていかないと)
この人を誰にも取られたくない。
馬車のなかでヴィクターを見つめながら、その決意を新たにした。
◇ ◇ ◇
クロノス殿下の誕生日パーティーは御披露目も兼ねていたからか、盛況だった。
結婚後数か月の私たちも、いろいろな人と話す。
「ご結婚されてからというもの、夫人は日々お綺麗になられますなぁ。
エルドレッド君もこのお美しさに惹かれたのですかな?」
「ええ、毎日違った魅力を見つけられますね。でも一番はやっぱり、優しい笑顔に癒されます」
「テイレシア様のどのようなところに惹かれたんですか?」
「一言では言えませんが、思慮深く勉強熱心なところや、努力家なところ、ものの考え方もとても魅力的に思います」
「あら? この宝石はテイレシア様の瞳の色ですわね。もしかして奥さまからの……」
「そうなんですよ。
すごくセンスがいいでしょう??」
……好青年モード社交界版のヴィクターは、こちらを笑顔で誉め殺ししてくる。
ちょっと照れくさいな、と思った時、目の前の貴婦人が微笑みながら、
「ですが、テイレシア様がどんどんお綺麗になられると、夫としてご不安になることもあるのでしょう?」
(!)言われて、私はハッとした。
『不安』。私はヴィクターを信じているけれど、それでもクラリサたちのたくらみに不安になってしまった。
そんな気持ち、ヴィクターにもあるの?
彼の大きな手が、そっと私の肩を抱き寄せる。
「不安にならないことなんて、ありませんよ。それだけ魅力的な女性と結婚したと思っていますから」
うわぁ、と変な声が出そうになったのをギリギリ抑えた。
ヴィクターの甘い言葉は、心臓に悪い。まるで甘い蜂蜜のかたまりを不意打ちで唇に入れられたよう。
(でも、そうよね……信用してることと不安になることは別よね。
だとしたら、不安は口に出してもいいのかな?)
そんなことを考えていたら、
「ヴィクター様!!」
「エルドレッドさまー!!」
という声が私たちの背後から飛んできた。
(………………!!!)
心臓が、きゅっとなった。
クラリサたちだ。私たちの退路を断つように近づいてくる。
「お話ししたかったですわ、エルドレッドさま」
「わたくしたちもお話に加わらせていただいてよろしいかしら?」
「まぁ、お近くで見ると一段と素敵ですわ」
今日ずっと私がヴィクターから離れなかったからだろう。
妻がいるのにかまわず話しかけてくるなんて。
負けない。
お腹に力をいれて、私は笑顔をつくった。
「ご無沙汰していましたわね、クラリサ。夫に何か?」
「あら。そのとても素敵な旦那様とわたくしたちもお話ししたくて参りましたの」
「演劇の俳優にもなかなかいらっしゃらない美男子ですもの、憧れてしまいますわ。お声をおかけするのも駄目でございますの?」
「何をそんなにご心配なさっているの? 王族のご令嬢ともあろうお方が」
ヴィクターが(何ですかこの人たち?)という顔を一瞬だけ私にしか見えない角度で見せる。
「お顔だけではなく背も高くお身体もたくましくて、お若いのにクラクラするほどの色気……」
「この身が人妻でなければと、悔しく思ったほどですわ」
「貴族の世界のことはまだ、右も左もおわかりではないでしょう?
いろいろと、教えて差し上げますわ」
「――――……」
今日はクロノス殿下の誕生日パーティーだというのに、ちょっとこの露骨な態度はひどい。
ひそひそと、周囲の人々がこちらを見ながら話している。それに気づかないのか無視しているのか。
大事にして場を壊してしまったらクロノス殿下に申し訳ない。でも。
ここで私が言い返さなかったらヴィクターの名誉の方が傷つけられてしまう。
そう思った私が反撃しようと、手の飲み物をテーブルに置いた。
その時。
フワッと、いきなり身体が浮いた。
(!!!!????)
視界が高くなっている。気がついたら私は、ヴィクターにお姫様抱きのかたちで抱き上げられていた。
え、どうして?
……背の高いヴィクターが、朗々とした声で周囲に告げる。
「妻が気分が悪そうなので、失礼いたします」
そう言って、呆気に取られる皆を尻目に、私を抱き上げたまま歩き出す。
「ま、待ってくださいませんこと!? その、テイレシアは……」
クラリサが食い下がろうとすると、にこりとヴィクターは笑顔を見せて(あ、これ内心怒ってる時の笑顔だ)、
「ご理解ください。
他の誰よりも妻が大切なので」
と言い置いて、私を抱き上げたまま、かまわずグイグイと会場を突っ切っていく。
ちょっと奇策すぎる行為。注目を集めすぎている。なのに、場の空気をヴィクターが支配していて、私も言葉が出てこない。
ヴィクターのがっちりした腕の力の安定感に、大事に運ばれていく。
まるで聖典のなかに出てくる異国の海が割れたエピソードみたいに、周囲の人が気をつかって左右に分かれて道を開けてくれる。
クスクスクス、と笑う声、ささやく声があちこちから聞こえてきた。
私たちではなくて、クラリサたちに向けられている様子だ。
どうやら…………状況を把握していた人たちが、ヴィクターにわかりやすく『色目を使った』上に『袖にされた』彼女たちを笑っているみたい。
ちらっと後ろに目をやると、クラリサたちが顔を真っ赤にして恥ずかしさに震えている。
(……………………さすがに自業自得だわ)
会場を出ると、ヴィクターは、エントランスでそっと私を下ろしてくれた。
ヴィクターの手をとり、ふう、とため息をつく。
あの場を逃れられて、2人になれて、心底ほっとした。
「……ありがとう。ごめんなさい、きっと不快な思いをさせたわ」
「テイレシアが謝ることじゃないでしょう。
ああいう貴婦人や貴族の噂は聞いていましたから。
……大きな商人のところには、結構そういう、貴族の人に言えないような情報が入ってくるんですよ。むしろ貴族同士よりも詳しいぐらいです」
納得。
それでさっと対応できたのね。
「ただ、自分で言い返したかったなら、邪魔して申し訳なかったですが」
「うーん……自分で言い返したかったけど……きっと私の言うことをクラリサは聞かないだろうし。あのままだと私も感情的になって泥沼化したかも。
みんなの前でちょっと恥ずかしかったけど、やっぱり、ヴィクターがしたのが正解――――」
「ちょっと!!
どういうつもりなのよ!?」
私がヴィクターの向こうの、声がした方を見ると、顔を真っ赤にして怒ったクラリサがいた。
「あなたたち、ただで済むと思ってるの!? このわたくしに、あんな恥をかかせて!!
人前であんなに笑われたことなんてないわ!!」
「恥?
俺は、妻が気分が悪そうだと、そして俺にとって誰より大事だと、事実を述べたまでですが?」
「…………!!」
それは確かにそのとおり。ヴィクターは普通の人が聞けば普通に聞こえることだけを言っていた。
「だ、だって、わたくしたちの意図ぐらいわかったでしょう!?」
「俺の意図は伝わりませんでしたか?」
言いながら、ヴィクターは見せつけるように私の頭にキスをする。
「『こんなに魅力的な妻がいるので、他の女はお呼びじゃない』、という意図が」
「…………!??!?
な、なんですってぇ……!!??」
クラリサの握った拳がぷるぷる震えている。
「テ……テイレシアなんかが……」
「ご納得されないなら、一昼夜でも彼女の素晴らしさを会場のなかで語って差し上げましょう。
そちらもご友人やご主人を呼んできていただいて結構ですよ?」
「…………!!!」
青くなったり赤くなったり、クラリサの顔色が変化して、なにか言いかけて口をパクパクさせて、最終的になにも言い返せなかったらしいクラリサは、
「なによ、テイレシアの馬鹿ぁっ!!」
という捨て台詞とともに私たちの前から去っていった……。
ちょっと可哀想な気もするけど、できれば自分の家庭のことに集中してほしい。
たぶん火遊びなんてしたら、大火傷しそうだし、あの子。
――――それにしても。
「何ていうか、不安を吹き飛ばしてくれるわね、ヴィクターは」
「不安? 何か不安が?」
「いま、なくなったって言ったの。頼れる旦那様」
「光栄です。でも何か気になっていたことがあったのなら、今後は早めに言ってくださいね」
ヴィクターはもう一度私の頭にくちづけて言った。
「あの人たちの声を聞いた瞬間、一瞬顔色が変わっていましたね」
「うっわぁ……私、顔に出てたの?
恥ずかしい」
「安心してください。たぶん俺しか気づいていません」
公爵令嬢として将来の王妃として、相手への感情を人前で顔に出さないようにと教育されて、ずっと意識してきたのに。
恥ずかしさに顔を隠す私の手を、やんわりとヴィクターははずした。
「だから、信用してください?」
「…………はい」
……私はそんなに強い人間じゃないから、これから先も不安はたくさん出てくると思う。
だけど、隣にいるのがヴィクターだから、きっとどんなときも前を向いていける。
「――――さぁ、会場に戻りましょうか」
【後日談3 了】




