◇3◇ なぜ、あなたが私の黒歴史を……(吐血)
「さっきの索敵魔法、詠唱なしで使えるんですね!」
何かと思ったら、ヴィクターがそんなところに食いついてきた。
「オレも、ゼルハン島ではあれに本当に助けられました」
「え? 良く知っていたわね?
魔法関係の本はこの国ではもう軒並み禁書になっているはずなのに」
「ああ、えっと……。
あの、小説に出てきたので、使えるようになりたくて。古文書で調べて、習得しました」
「小説?」
ヴィクターは足元に置いていた革の鞄から、1冊の古びた本を取り出して、私に見せた。
「…………!!!???」
ものすごく見覚えがあるその本に、私は婚約破棄されたとき以上の衝撃を受け、頭がくらくらとした。
「テイレシア様が書かれた、『鋼の乙女の英雄譚』です」
記憶から消したい、やたらお金をかけたその装飾。
まごうことなき、黒歴史!!!
(なんで、なんであなたがそんなものを持っているの……!?)
「ああ、懐かしいな、これ、テイレシアの――――」
「――――カサンドラ、喰いつかないで!!!」
「なぜ? よく覚えているよ。
特に3章から登場する勇者って、キミの好きな―――」
「わぁぁぁぁぁぁぁぁっっっ!!!」
私は貴族令嬢が絶対あげてはいけない声をあげて、カサンドラが本に伸ばした手を払った。
緊急事態だ。
カサンドラの記憶からもとっくに消えた黒歴史だと思っていたのに!
私は、薔薇を手にしたまま、本を持ったヴィクターの手を握り、その手に力を入れながら、極力有無を言わさぬように、言った。
「……ねぇ、ヴィクター。
今すぐ、うちの邸にいらっしゃい??」
「テイレシア、私も……」
「カサンドラは駄目ぇ!!!」
◇ ◇ ◇
『鋼の乙女の英雄譚』は14歳の時に書いた小説で、一言でいえば、お姫様が政略結婚から逃げ出し、騎士になって悪者をやっつけ、大活躍するお話だ。
とっても強くて、〈戦闘魔法〉もたくさん使えるお姫様。
いまから思えば、公爵令嬢で一応王位継承権も持つ自分を、美化して投影していた感はある。
(自分は剣一つ、まともに使えないくせにね)
書きあげた当初は本当にお気に入りで、だから、わざわざ自分のお金をはたいて、活字にしてもらって装丁も凝って、本にしあげたのだ。
百冊も刷った。
(どれだけバカなの?、と4年前の自分に言いたい)
とてもお気に入りだったのでカバルスの親戚にも送ったし、友達にもあげた。
ただ、アトラス殿下には見せないようにした。
これまでに、こっそり書いていた私の小説を、勝手に読んでは嘲笑ったり破ったりされたからだ。
だけど勝手に見られて、この小説には特にひどいことをたくさん言われ、気合を入れて製本までしたこの小説の存在が、すっかり恥ずかしくなってしまった。
記憶から消したい黒歴史。なのに。
「……どうしてあなたがこの本を持っていたの? ヴィクター」
「ええと、その、友人からもらって」
「正直に言ってくれる?」
「すみません、親が古書店で買ってきました……」
そう、やはり誰かが売ったのだわ。誰かなんてもう追求しないけれど。
邸では、婚約破棄宣言されてからたった1日半しかたっていない私が、アトラス殿下ではない殿方を連れて帰ってきたと、使用人たちが騒然となっていた。
サンルームにお茶とお茶菓子を用意させたけれど、使用人たちが気になる様子でそわそわとこちらをうかがう。
使用人のマナーとしてはダメなのだけど、一緒にいてくれた彼らなりに、心配はしてくれているのだと思う。
「……家にあって。読んで。面白くて。大好きで。
何百回、繰り返し読んでいました。
ゼルハン島で敵軍に囲まれていたときも、この本と一緒に」
目の前の、物語に出てくる騎士様もかくやというような美男子に、そんな風に言われると、恥ずかしいを通り越してごめんなさいと五体投地して懺悔したくなる。
「……もう、小説は書いていないの」
「そうなんですか?
もし続きを書いていたら、読ませてほしいなと思っていたんですが、だったら仕方ないです」
「それにしても、ペンネームで書いていたのに、どうして私ってわかったの?」
「あ、そ。それは……まぁ、そのいろいろ、人に聞きました!」
ヴィクターはそのまま、どの登場人物が好きかとか、この場面が好きとか、そんなことを語りだした。
セリフも一言一句覚えているらしい。やめて、死にたい。
4年前に帰って自分を止められたらいいのに……!!
……それで、私はしばし、うわの空になってしまっていたらしい。
「ありがとうございます。
来週、楽しみにしていますね!
日曜日、朝9時に迎えにきます!」
……はっ、いつのまに!!
たぶんヴィクターの言葉に言われるままに頷いていたのだろう。
気がつけば、私は、次の約束をしてしまっていた。
(あれ? そういえば、一昨日から私、全然泣いていないわ)
貴族令嬢として最大級に不名誉な婚約破棄というものをされて、普通なら傷心のど真ん中にいるはずなのに。
受けてきた教育―――政治学、帝王学、軍事戦略、宮廷作法、といったものたちもすべて無になってしまったのに。
いまや両親を亡くした私に、国内で後ろ盾になる人は誰もおらず、もっと絶望にさいなまれてもいいはずなのに。
おかしい。なぜだろう。
ヴィクターと話していると調子が狂って悩む時間がない。
もっと言えば、いつもの私よりも、きっと素直だ。
「でもね、あなた、これからしばらくは本当に気をつけて。
王子殿下の一世一代の舞台を壊してしまったのだから」
ただ、私には、ひとつ、どうしても彼に注意喚起したいことがあった。
「ぶたい?」
「ええ。おとといのあれはね、『アトラス王子とエオリア王女の運命の恋』を演出する最も大事な舞台だったの」