◇28◇ 勝負のとき。【ヴィクター視点】
◇ ◇ ◇
「美しく賢明なる我が婚約者、テイレシア。
君もわかっているのだろう?
私たちの婚約が、間違ったものであることを」
学園中の生徒が招待された、王子の誕生日のパーティーの夜、それは始まった。
カサンドラ様も予測はできなかったらしく、珍しくあわてた表情を見せている。
いよいよきたか、と、心臓が早鐘のように打ち始めた。
「聡明な君に、何ら落ち度はない。
だが、政治的都合だけで、ひとかけらの愛情もなく結ばれた婚約が、神の御意思にかなうものではないのは明白。
そして今、私は真実の愛に出会ってしまった」
――――愛情のない婚約の良し悪しに関してだけは同意する。
たとえ自分が相手でなかったとしても、彼女が選んだ人なら、まだいい。
そうですらなく、政治的都合だけでひとかけらの愛情もない結婚が彼女にこのまま押し付けられていたら……と思うと、寒気がする。
だけど、婚約破棄は貴族令嬢にとって最大の不名誉だ。
蒼白な顔でその言葉を受け止めるテイレシア様がいたましくて、胸が痛い。
(……というか、王子あんた、テイレシア様に事前に伝えていないのか?)
グッ、と、自分の制服をつかみ、心臓をおさえた。
一世一代の賭け。
どうか、落ち着いて、闘えるように。
――――こんな男なんかと、侮ってはならない。
もしも本心からそうだと思っていても、意識的に嘘をついていても。自分の愛こそは“真実の愛”だと、堂々とかけらも疑いなく信じぬいて、あるいはぬけぬけと厚顔無恥に言ってのけられる人間は、きっと手強いからだ。
「エオリア王女、どうぞ、こちらに」
アトラス王子が、後ろにいた華奢な少女の手を取る。
ヒム王国の王女、エオリア。
物語の挿し絵に出てくる美しいお姫様そのままのような外見に反して、彼女の存在は、この場の空気を誰よりも支配している。
この俺の賭けの、最大のキーパーソンだ。
「テイレシア。どうか、理解してほしい、この真実の愛を。君との婚約を破棄させてくれないだろうか」
「――――婚約破棄を、受け入れますわ」
国王が正式に認めていないとしても、ここで少なくともアトラス王子とテイレシア様の婚約破棄の意思が、この場の人間たちに認知された。
深く息を吸って、吐く。
一度も話したこともない、おそらく存在も認知されていないだろう俺が、最初の一言でテイレシア様の心をつかむなんてことはできないだろう。
ただ、危害を加える存在ではないと思ってもらうことが先決だ。
そして、たったひとりの平民である俺が、貴族を差し置いてでしゃばり、求婚することに、“反感”を持たれないこと。
それから……考えたくはないが、平民の俺がテイレシア様に求婚することで、
“婚約破棄によってテイレシア・バシレウス・クラウンの価値は下がった”
と周囲に感じさせてしまうことは、絶対にしたくない。
――――考えに考えた第一声は。
「はい!!
ハイ、はい!!!
じゃあ、オレ、平民ですけど新しい婚約者に立候補します!!」
“貴族社会のこともよくわかっていないバカな平民が、感情のままバカ正直に突っ走った”
そういう体だった。
◇ ◇ ◇
「……おはよう」
自分の悪戦苦闘と、彼女の反応を思い返しながらテイレシア様の髪を撫でていると、目を覚ましたらしい彼女がまだ半分寝ぼけた様子で言う。
「おはようございます」
羽布団のなかで抱きしめると、自分がいまどういう姿だったか思い出したらしい彼女はあわてたけれど、残念ですが遅いです。
すべすべで柔らかくて、ずっと抱きしめていたくなる。
「…………」
テイレシア様は恥ずかしがって、断固顔を見せないぞとでも言いたげに、俺の胸に顔を埋めている。
昨日のあれやこれやのあとではいまさらでもあるけれど、恥ずかしがる彼女がかわいいので、これはこれでいい。
そう思いながら、抱きしめながら、指で彼女の長い髪をとかした。
……まるで猪のように突っ走って勝ち取った恋だが、自分の愛が“真実の愛”かと聞かれたら、正直、自信はない。
相手のことをほとんどなにも知らないのに一目惚れしたし、再会までの間はある意味『鋼の乙女の英雄譚』に恋していたようなものだ。さらに性格を偽って求婚したうえ、かなり強引な手段の連続で身分差を埋めてねじこんだ。
もし俺が死んだときに、天使か誰かから、
『そんなものは“真実の愛”なものか!』
と一喝されたら、そうですねと素直にうなずいてしまうかもしれない。
ただひとつ、これは間違いないと言えることがあるとしたら、全身全霊すべてかけてすべて費やした、本気の恋だったということだけだ。
死がふたりをわかつまで。
この女性を、絶対に離さない。
「――――午後から、つつがなく結婚が終了したことを国王陛下に報告してきます」
「え、私も行くわ」
「テイレシア様はできれば今日は家でゆっくりしてらしてください。
一晩、無理もさせましたし」
「む、む、、、無理って!!」
身体を起こそうとしては、力が入らなくて俺の腕から逃げられない、そんな彼女の悪戦苦闘を楽しんだ。
――――3日前、テイレシア様のもとに届いた手紙のことが頭をよぎる。
何の手紙が届いたのか、そのときはわからなかったが、翌日の夜には、国境付近で情報収集を頼んでいた人間からのしらせが俺のもとにもきていた。
そろそろ伏せておくには限界の情報だ。
おそらく今日には、国王にも伝わるだろう。あるいは使者がもうやってきているだろうか?
「愛しています、テイレシア様」
手で柔らかいほほに触れると、条件反射のように彼女は顔をあげる。
もう少し、くっとあごを上向けて、逃がさないように、深く深くくちづけた。
◇ ◇ ◇




