◇2◇ 立候補者を呼び出しましたが、反省の色が見られません。
◇ ◇ ◇
――王子の誕生日パーティーの2日後。
王立学園〈淑女部〉生徒会長室。
ここは〈淑女部〉の生徒会長を務める私の執務室だ。
「“成り上がりの平民、麗しの姫君に求婚!!”
“不敬なるこの恋は死罪の対象か!?”
いやぁ、てっきり王子とエオリア王女の禁断の恋物語でしばらく持ちきりかと思いきや、新聞の一面はキミだったな、テイレシア」
近年ようやく中産階級にも出回り始めた新聞を、私の鼻先に突きつけながら、美人の副会長は笑った。
「笑わないでよ、カサンドラ。
個人の色恋の話をわざわざ記事にするなんて、趣味が悪いと思うわ」
「そうでもないさ。
報じられたがゆえに、しばらくキミは注目の的。
王子の嫌がらせからはしばらく自由になるだろう?
これぞ権力の監視、というもの。報道がやるべきことじゃないか?」
「本音は、あなたの経営する新聞社も儲かっているから良し、でしょう?
あなたのところの新聞、挿絵で私を美人に描きすぎて気持ち悪いんだけど」
私の向かいに座る、〈淑女部〉生徒会副会長で侯爵令嬢のカサンドラが、ニッと、悪い笑みを浮かべる。
異国の姫を母に持つ彼女は、褐色の肌につややかな黒髪を後頭部でさっぱりとたばねた、眼鏡の似合う長身の美女だ。
私と同じ18歳だけど、貴族の重臣の家に生まれながら、恵まれた資本と人脈を生かして、いくつかの事業を成功させている。
この世界で起きていることを物語として切り出すなら、それらの物語は必ず、カサンドラやアトラス殿下のような人が主人公なのだろう。
身分以外は平凡な私は、ただ、彼女を見上げるばかりだ。
「結婚式4か月前に『ほかの女性と結婚したいから』っていう婚約破棄も、それなりに非常識ではあると思うのだけど、まあ王族の結婚ならばままあることじゃない? 誰が国益に適う相手かなんて時々刻々と変わるのだもの。
……さすがに、今回の彼の求婚は、その非常識を300倍ぐらい上回るわ」
「と、言いつつ、かの美男子の1年生に腹を立てている様子はないな?」
「! ……そういうわけじゃ」
カサンドラに言い返そうとしたら、
こん、こん。
ドアがノックされた。
「お入りなさい」
私が声をかけると、ドアが開き、その前には緊張した面持ちの、一昨日私に求婚した1年生が立っていた。
オレンジの髪は勢いよく燃える炎のように、目にまぶしい。
先日のパーティーの夜の彼の瞳は、貴婦人のネックレスにあるペリドットのように強くきらめいて見えたが、昼間に近くで見ると、エメラルドよりも深い森林の色に近い。似ている宝石は、グリーントルマリンだろうか。
「お時間いただき、ありがとうございます。
〈紳士部〉第1学年ヴィクター・エルドレッド、参りました」
カサンドラの言葉どおり、美男子だ。
確かに貴族たちの好みではないだろう。宮廷では、金髪銀髪や、瀉血したような白い肌、貴婦人のような優美さをそなえた殿方が美男子と讃えられる。
けれど、一昨日の私は彼を一目見て思った。生まれてから今までこんなに素敵な男性を見たことがあっただろうか、と。
要は、私の好みど真ん中の大好きな物語の勇者が本から抜け出てきたようで、それで思い切り動揺してしまったのだ。
―――私は、一昨日突然現れた求婚者ヴィクター・エルドレッドと話をするために、呼び出していた。
と言っても、未婚の貴族令嬢が、同じ学校の後輩であるとしても、紳士と2人きりになるわけにはいかない。
学園の中でも、男女は別学になっているのだ。
今回は、侍女ではなく、付き人でもなく、カサンドラに立ち会ってもらっている。
カサンドラが立って移動し、向かい合って平行に並ぶソファの、私の側に座った。
「お座りなさい」
声をかけると、彼が、私たちの向かいに座る。
寮ではなく自分の家の邸から通っているのだろうか、足元に、本の詰まった革の鞄を置いた。
「では、エルドレッド君――――」
「あ、あの!
どうぞ、ヴィクターとお呼びください!」
「……では、ヴィクター?
今回あなたのしたことが、新聞にまで載っているのだけど」
「はい! うちの家族はみんな、オレがテイレシア様のファンだと知っているので、大丈夫です!」
「ファン……?」
カサンドラが、こらえきれずに横を向いて、ぶっ、と吹き出す。
ヴィクター・エルドレッド。
私よりも2学年下の第1学年の16歳……という歳にはとても見えないほどの長身。
王族貴族だけが通うこの学園の中で唯一、平民の身分だ。
正確に言えば『貴族ではない』というだけで、裕福な商人の次男である彼は、中産階級の上位。
詳細は知らないが……15歳で戦火に巻き込まれ、多くの同胞の命を救った脱出作戦に貢献し、18歳になると同時に爵位を与えられることが決定。昨年の晩秋にこの学園に編入した……のだそうだ。
とりあえず、ハキハキした言葉や態度は、好青年風の若干天然ボケ。
こんな明るい態度でいられるのは、彼が平民といっても、だいぶ恵まれているほうだからだろう。
「好意を寄せてくれていること自体は、嬉しいわ。
でもあなたが一昨日したことは、かなり非常識なのよ。
それをしっかりとまず認識してもらいたいの」
「今回のことでテイレシア様にご迷惑をおかけしたのであれば申し訳ございません。
もちろん、ご無礼であることは承知の上です、ですが」
ヴィクターが顔を伏せた、と思ったら、私の鼻先に真っ赤な薔薇が差し出されていた。
「やっぱり、結婚してください!」
「どこに隠してたのその花?」
手品か。困ったけれど、薔薇に罪はないので受け取る。いい香り。つまり、ヴィクターに反省の色はまったくない。
平民だから非常識、だなんて言葉は貴族の傲慢だ。貴族社会と平民の生きる世界の常識が、まるで違うというだけだ。
ただ、私は貴族社会の人間。
私という人間にかかわる上でヴィクターが把握していないことが、きっと多すぎる。
今後、18歳以降の彼が貴族として生きていくために、先輩としてきちんと指導しなくては。
まず、何より。
「王族・貴族の結婚は国王陛下の承認をもって決定されるものなの。
だから一昨日の婚約破棄の話も、まだ承認がされていなくて、国王・王妃両陛下と宰相様と、皆さまが話しているところだわ。
いま、私は次の婚約の話をする立場ではないのよ」
「うーん……そういう話をすることも、立場上まずい、という理解でいいですか?」
「ええ。
それから、貴族の求婚は、本来は家長かその機能を果たす人物同士で決められるものよ。
今回でいえば、あなたのお父様から私の父……はもう亡くなっているから、後見人の国王陛下へ申し込みをして、それから私に話をするべきということになるわ」
「そうなんですね、申し訳ありません。
ただ、そういう意味で言うと誕生日パーティーで突然婚約破棄をしたアトラス殿下も相当ルール違反のような」
「え? ええと、それから―――
……〈透視〉」あることに気付いた私は、自分の瞳に魔法をかけた。
――この世界には魔法が存在する。
と言っても、およそ100年前、科学と魔法を天秤にかけて前者を選んだ我が国では、魔法はすでに貴族のたしなみ程度のものに成り下がっていた。
すでにそのノウハウは、王族貴族だけが独占している。
「……ドアの外で盗み聞きをしている皆さん、入っていらっしゃい?」
そう、声をかけると、慌てた様子の1年生男子たちが、部屋に入ってきた。いずれも社交界で見かけたことのある貴族の子弟だ。
「あ、あの!! すみません、このバカ、また粗相をしてしまいましたか!?」
「どうか、不敬罪の適用だけはご勘弁を! ほんっとうに、良い奴なんです。バカだけど!!」
「そうなのです、この男にはみんな助けられてるのです、バカだけど!!」
……みんなに好かれているのはわかったけれど、ご友人たち、バカを連呼するのはやめてあげて?
ちょっとヴィクターが泣きそうですよ?
「大丈夫、気になさらないで。
私は引き続きヴィクターとお話をしていますから。
でも盗み聞きはおやめなさい。私にはわかりますからね?」
にこり、と微笑んで見せると、友人たちはすごすごと下がっていった。
(……ヴィクターへのお説教の時間のはずだったのに)
どうも、ペースが狂わされてしまう。