◇18◇ 彼と出会う前になんて戻れない。
「聞け。
あの男は、エオリア王女がこの国に来るように、おまえが婚約破棄されるように仕組んだんだ!!」
「……そんな力はないはずですが、いったいどうやって?」
「王妃陛下はじめ、王宮の貴婦人の多くは、エルドレッド商会から宝飾品を購入されていた。
ヒム王国との交易をしている商会は、王妃陛下に繰り返し、ヒムとの関係性強化を勧めたそうだ。
その影響で国王陛下、王妃陛下はエオリア王女との政略結婚をお考えになり、昨年、王女の留学が決定した」
「でも、……婚約破棄を最終的にお選びになったのは、アトラス殿下と国王陛下、ですよね?」
「し、しかしだ!!
エオリア王女ほどの好条件の姫君が現れなければ、おまえと婚約破棄などしなかった!!」
(好条件というか、見た目がアトラス殿下の好みど真ん中だったからでは?)
……と言いたかったけど、私は飲み込んだ。
婚約破棄の原因に、ヴィクターがかかわっているのでは、と言われて、動揺していた自分に気が付いた。
でも、ヴィクターにそんなことをする動機はない。
くりかえすけど、どうあれ結局、婚約破棄を選んだのは殿下だ。
――――というかアトラス殿下、こんな会話に、貴族の子弟を立ち会わせて大丈夫ですか?
「腹が立たないのか?
騙されていたと思わないのか??
自分で婚約破棄になるよう仕向けておきながら、ぬけぬけと言い寄ってきた男に」
確かにエルドレッド商会は、ヒム王国とも交易をしているはず。
だけど、さすがに政策そのものを動かすほどの力はない。
(交易をしている国と関係がよくなってほしい、というのは、商人としては当たり前の考え。
ヴィクター自身が関与していなくても、エルドレッド商会の方が、王妃様にヒム王国との関係強化をすすめることは、何も不自然ではないわ)
「……国家反逆の疑いとおっしゃったのは??」
「エルドレッド商会は、ヒム王室と取引のある商人ともつながっている。
留学や政略結婚にあちらが乗り気になるよう、働きかけることもできたはずだ」
『できたはずだ』つまり、証拠はない。
これについては単なる王子の言いがかりということだ。
「そもそも敵国ではなく、友好国ですよね?
商人同士、つながらなければ商売にならないでしょう?
それを、我が国を裏切ってほかの国に有利に動いているはずと疑うのは、かなり強引では?」
「まだあるぞ!! これが本命だ!!
あの男、ヴィクターが、戦功をあげたのは偶然じゃない。
平民の学校を飛び級で卒業して、王立官吏高等学院に進学予定だったのをやめて、不自然にもわざわざ、ゼルハン島のエルドレッド商会支部に行っている。
まるでそこに、官吏よりもうまみのある将来があると、わかってでもいたかのようにな」
……そんな話はきいていなかった。
ただ、家の手伝いでゼルハン島にいて、戦火に巻き込まれてしまったと。
物語に出てきたから覚えた戦闘魔法が、たまたま役に立ったと。
たまたま持ってきていた『鋼の乙女の英雄譚』の本が、大変な日々の心の支えだったと。ヴィクターはそう言っていた。
「それはつまり、殿下は……ゼルハン島への敵国の侵攻を、ヴィクターが事前に知っていたと、そうおっしゃりたいのですか?」
「そうだ!!
あの男は、この2、3年で大量の魔導書を個人で輸入した。
この国で魔法を身に着ける必要などどこにある!?
しかも、時間を見つけては戦闘訓練まで受けていたんだぞ!!
そこまで把握していたなんて、敵国と内通していた以外に考えられるか!?」
それは……物語に没入しすぎたから、では、言い訳できない。
ヴィクターが私に話していないことがある。それは予想していた。
なのに、アトラス殿下から突きつけられるなんて、嫌だ。
ヴィクターから聞きたかった。
……いずれは彼から聞けたの?それとも?
「よく聞け、テイレシア。
おまえは公爵令嬢で、財産も、王位継承権も持っている。
未来の王妃としての教育を受けてきた。王宮門外不出の帝王学も学んでいる。
悪いことを考える人間からすれば、利用価値がありすぎるんだ」
「ヴィクターが、何か良からぬことを企んで計画的に私に近づいた、とおっしゃるんですか?」
少し声が震えてしまったかもしれない。
アトラス殿下が私を、鼻で笑った。
勝った、という表情だった。
「鏡を見てみろ。
会ったことも話したこともない男から情熱的に求婚されるほど、いい女か? おまえが?」
……ダメだ、それは反論できない。
少なくとも、ヴィクターと自分では……。
(いいえ。いつもの、アトラス殿下の手だわ。
委縮しては駄目。冷静にならないと)
結局この場で決まるものは何もないのだから。
「……元婚約者を罵倒して、満足されましたか?
そろそろ、解放していただけないでしょうか?」
「泣きそうな顔だなぁ、テイレシア」
薄く笑いながら、アトラス殿下は立ち上がり、私のほほに触れようとしてきた。
「――――触らないでください」
殿下の手をとどめて言うと、「は?」と、アトラス殿下は何もわかっていないような顔で眉を寄せた。
どうしてわからないんだろう。
ヴィクターがどういう人間か、という話と、私と殿下の関係は、まったく別の話だ。
「……殿下は国王陛下承認のうえで私との婚約を正式に解消し、エオリア王女に求婚していらっしゃる。
そして、私は、ヴィクター・エルドレッドの婚約者です。
いまこの場でどんな話があろうとも、私たち2者の間の話。
もちろん、婚約を覆せるものではない。
だから触れないでくださいと申し上げました」
「……なんだと」
「アトラス殿下なら、おわかりでしょう?
私よりも先に、国王陛下と王妃陛下に婚約破棄の根回しを終えていらっしゃったアトラス殿下なら」
言い終えると、不思議と身体の芯がじんわりあたたかくなったような落ち着きに満ちてきた。
ヴィクターに守られている、と、感じた。ここにはいないヴィクターの存在に。
――――私、愛しているんだ、彼を。
「よ、良かれと思って言ってやっているのに、何だその言い方は!!」
「事実を述べたまでです。
このことについて、私はヴィクターと話します。
殿下は殿下で、エオリア王女とのことをお考えになっていればよろしいでしょう?」
「テイレシア……ここまで言って、おまえ、わからないのか?」
「何がですか?」
「よりを戻してやると、そう言っているんだ」
「…………?」
どういうこと?
エオリア王女との婚約がうまくいかず、もう一度私と婚約をと?
それとも、クロノス卿のお母さまのように公妾にでもなれと?
それにしても、『よりを戻す』という言い方は、ない。
だってアトラス殿下と私は、一度も、恋愛関係になんかなったことは、ない。
「私は――――」
戻れるわけがない。あの閉ざされた未来しかない、色のない毎日に。
ヴィクターがいてくれたから、私は未来に夢が見れた。
笑顔に救われた。
生きる希望を、彼はくれた。
彼と婚約する前になんか、戻れるわけがない。
もしもヴィクターが、本当は何か企んでいたとしても。たとえ破滅の未来が待っていたとしても、私は。
「ヴィクター・エルドレッドと結婚します」
ほほに激しい痛みが走る。
殴られた衝撃で、私は椅子から転がり落ちた。
◇ ◇ ◇




