◇15◇ おまえとだけは結婚させない。【王子視点】
――――テイレシアが笑顔だった、と聞かされ、俺は頭を殴られたような衝撃を受けた。
……何だって?
俺に惚れてたんじゃないのか?
あんなにも、俺に愛されようと健気で必死だったじゃないか!!
だからこそ、安心して、あのタイミングで婚約破棄してみせたのに!!
裏切られた。
それでいて、急にテイレシアの顔が目に浮かぶ。
明らかに彼女は美しくなった。
あいつのせいなのか……?
本当に、あの山猿を心から愛し始めたからなのか??
「………し、しかし!
お認めにならなければよろしかったのでは!?
相手は、平民ですよ!?」
「我が愚息が早々にエオリア王女との結婚を確定のものにできておれば、その選択肢もあったであろうがな」
陛下は、深くため息をつき、俺は深く傷ついた。
つまり、結婚するまでは、少なくともエオリア王女に結婚以外の選択肢がなくなるまでは、公妾をおくことはできない。
(相手は異国の王女。立場は対等だ。
すでに国内に愛人がいるなど先に分かれば、それこそ破談の可能性がある)
俺の結婚の確定が延びるほど、『婚約破棄された公爵令嬢』であるテイレシアの処遇を決めずに長く留めおき続けることになる。
それは誰が見ても不自然になる。
特に、テイレシアにすでに求婚した人間がいることを新聞に報じられ、皆に知られていれば……
「それでも!
やはり、よりにもよって、平民に……!!」
「そなたが学園で婚約破棄の発表をした直後より、立て続けに、テイレシアへの求婚の申し込みがある。
一番手は、クロノス。二番手はゲバルト公爵、我が母の弟だ。三番手以降の名も聞くか?」
「いえ……」
――――あの愛人の子、クロノス・ウェーバーが動いていたのか。
クロノスとテイレシアは、比較的身分が釣り合うことから、子どもの頃何度か婚約の話が持ち上がったらしい。
だが、傍系とはいえ王位継承権を持つテイレシアと、婚外子として王位継承権こそないが国王陛下の血を分けた子であるクロノスが結婚してしまえば、クロノスの立場をぐっと強くしてしまう。
母である王妃陛下は、あらゆる手を尽くしてテイレシアとクロノスの結婚話を潰し、最終的には、俺とテイレシアの婚約をまとめたのだ。
そしてそれは、俺の王位継承者としての立場をほぼ磐石のものにした。
たとえテイレシアの後ろ楯となる親戚の力が弱くなり、立場が弱くなったと言っても、それでも、クロノスにだけは奪われるわけにはいかないのだ。
しかし、テイレシアがそんなにも引く手あまただったとは……。
確かに身分は高い。財産も持っている。見た目はエオリア王女にははるかに及ばないまでも、まぁ悪くはない。
とはいえ、この俺に婚約破棄された女だぞ? 女なら何でもいい好色のゲバルト公はともかく、他の奴らは正気か?
――――いや。この俺もおかしくなっている。
実際、俺は、公妾はべつにテイレシアでなくてもよかった。エオリア王女の美しさに満足していたからだ。
なのにいま、テイレシアが他の男を愛していると認めざるを得なくなって、頭からテイレシアのことが離れない。
(…………クソが)
――――その後も、いやというほどたくさんの説教を食らい、精も根も尽き果てた俺は、国王陛下のもとから退出する。
「アトラス殿下」
謁見の間から出るとすぐ、待ち構えていたらしい王妃陛下につかまった。
その歳よりも遥かに老けて見える顔に、身体に有害と指摘されて久しい厚化粧をのせ、鶏がらのように痩せた身体。
王宮で苦労を積み重ねた女性ではある。
俺を間違いなく王にしようと、誰よりも奔走してきた人でもある。
だが、正直いま俺は、彼女と話したくなかった。
「……どうなのですか、テイレシアは!!」
「なぜエオリア王女ではなく、真っ先にテイレシアのことを聞くのです?」
「決まっているではありませんか!
貴重な王家の血ですよ!
……貴重な王家の血を、濃く保つことのできる、唯一の女性ですよ!」
「当初から、こだわっていらっしゃいましたね。
子ができるかどうか…に」
「ええ。どんな女性であれ、子を授かることができるか否かは、運しだい。神のみがご存じであらせられる。
であるなら、当然もう一人、“予備”はあるべき。
そしてそれは下賤の女などではなく、王家の血を引く女性であるべきでしょう?」
策略と権謀術数のるつぼである王宮で、心身をすり減らしながら生き残りをはかってきた王妃陛下は、とある、強固な確信をおもちになった。
一人の女性が必ず子を産めるだとか、そんなものは幻想なのだ、と。
そして産んだ子は、大人になるまで育つとは限らない、と。
大陸を支配する一神教が説いている一夫一妻制の倫理、そして、その神の教えにそって解釈された、嫡出子と婚外子との間の厳然とした区別。
これら唯一神の教えを過度に遵守しすぎれば『いつか王家は滅びる』と。
……本音は少し違うだろう、と、俺は思う。
『滅びる』のは、『あなたにとって有利な王家』『あなたが理想だと思っている王家』だろう。
そうして、あなたが本当に恐れているのは、俺に子が産まれず、クロノス・ウェーバーかその子に王位がいくことだろう。
嫡出子と婚外子の区別をなくすべきという建前を口にしたとしても、あなたの本音は、“下賤の女”が産んだクロノスは絶対に排除するつもりのはずだ。
……まぁ、もちろん、テイレシアの持っている莫大な財産が惜しい、というのもあるのだろうが。
王妃陛下と俺の目的が合わないわけではないので、とにかく余計なことは言うまい。
「……テイレシアのことは必ず手を打ちます。
ただ今は、エオリア王女とのことに集中したいのです。
ご理解をいただけますと幸いです」
「それにしても、テイレシアを口説いたのは、平民の、こどものような歳の男だというじゃありませんか……ええと…ヴィ……」
「ヴィクター・エルドレッド。
エルドレッド商会の次男坊とのことですよ」
俺は、忌々しいあの男の名を口にする。
「昨年の、ゼルハン島への敵国侵攻の折り、商会の傭兵や船乗りたちを指揮して、敵軍の包囲をすり抜けて我が国の民の脱出作戦を成功させたのだそうで……。
まぁ、大方、周囲の有能な誰かの手柄を横取りしたのが真相でしょうが」
「……エルドレッド……?」
「どうかされましたか? 陛下」
「――――いえ、確か、エルドレッド商会は……」
続いて王妃が語った言葉に、俺は目を見張った。
その言葉は長く続き、俺は、俺の中の『アホで直情的で猪突猛進だけどなんか眼光が恐い(あと16のくせに喧嘩強そう、平民だからか)』というヴィクター・エルドレッド像が、間違ったものだったことを悟った。
あいつ――――いつから、これを企んでいたんだ。
「国王陛下は、いま、完全にテイレシアとヴィクター・エルドレッドの結婚を許すおつもりでいらっしゃるのですね?」
「え、ええ!!」
「そのお心を覆せれば問題はございません。
今度は、テイレシア自身の意思で婚約破棄をさせればいいのです」
「そ、それが可能なのですか……?」
「ええ」
俺は、にまりと笑った。
なかなか尻尾をつかませないとおもったら、とんだところにおまえの工作の痕跡が残っていたぞ? ヴィクター・エルドレッド。
おまえの正体をテイレシアにさらしてやる。
そして。
(――――おまえとだけは結婚させない)
首を洗って待っていろ、と心中で俺は呟いた。
◇ ◇ ◇




