◇13◇ 思い立ったことは、すぐやってみようと思ったのよ。
「ところで、テイレシア様はオレに会いにきてくれたんですか?」
「ここ、図書館のなかなんだけど……」
「会いにきてくれたんですよね?」
ところで、ヴィクターの腕は引き続きがっちりと私を拘束している。
これは肯定しないと解放してくれなさそう。困る。
「あなたに渡したいものがあったのよ」
「渡したいもの?」
結局放してもらえないので、私は抱きしめられたまま、ぐいーっと伸びをして、机の端まで手を伸ばした。
指先で、手さげ袋をたぐりよせる。
「これ。食べて」
「え?」
ヴィクターが手提げ袋を受け取り、中に入ってるものを取り出す。
バターとアーモンドパウダーをたっぷり使ったフィナンシェと、ナッツの入った素朴なサブレだ。
今日、夜明け前に起きて、学園に来る前に焼いた。
「どうしたんですか!! これは!?」
「……昔、修道院で奉仕活動をしていたときに、つくり方を教わったのだけど。最近は、つくる機会がなくて」
貴族の娘はふだん厨房に立つ機会はないのだけど、こどもの頃はシスターから様々なお菓子のつくり方を習うのが楽しくて、亡くなった両親にも良く振る舞っていた。
つくらなくなったのは、……そのお菓子をアトラス殿下にあげたら
『貴族令嬢が厨房に?
下賎な趣味だな。
職人がつくるほど旨いものができるわけでもないだろうに』
と、罵倒され、さらに味についてダメ出しされ、心が折れて、お菓子づくりを封印したのだった。
「ただ、この前お呼ばれした時、ヴィクターもお茶菓子、結構食べていたでしょう。
お菓子はつくってきても迷惑じゃないかしら?って。
だから、思い立ったことは、すぐやってみようと思ったのよ」
それにヴィクターが食べたものは観察して覚えてきた。
少なくともお菓子に関しては好き嫌いはなさそうかなと。
「……あ、ありがとうございます」
喜ぶかな、と思ったのだけど。
何だかお菓子を手に持って呆然としている?
失敗したかな。何か苦手だっただろうか?
「ああ、それとね?」
沈黙に耐えられず、ポケットから、そっと持ってきたものを取り出した。
「あなたが、変なことを言うから、なんだか道端が気になっちゃって。
この石、あなたの髪色に似てない?」
受け取り、ヴィクターは笑い出した。
「ほんとに道端の石ですか!
でもカーネリアンっぽくて綺麗な色ですね」
「変なこと言ったのはあなただからね。
要らないなら返して」
「どちらも要るに決まってるじゃないですか。
……ありがとうございます。
こどもの頃、こういうお菓子にすごく憧れていました」
「そうなの??」
エルドレッド商会みたいなおうちなら、お茶会ぐらいありそうなのに。
「ええ。しかもテイレシア様に作っていただけるなんて」
「もし嬉しいのなら良かったわ」
よし、思い立ったらやってみる作戦は正しかったみたい。
彼が本当に喜ぶものを、一発で当てるなんて絶対無理だと思ったから、いろいろ数撃って、喜んでくれそうなものを探れば良い、と開き直ったの。
いろいろ試してみて、良かったことはまたやって、間違えたら二度とやらないようにして……。
「ところでテイレシア様」
「ん? なに?」
「オレも今思いついて、やっておきたいことがあるのですが」
「? うん、なに?」
聞き返した瞬間、ぐいっと腰のくびれを抱き込まれるように身体を引き寄せられた。
顔と顔がぶつかった、と、最初は思った。
ヴィクターの大きな手が私の頭を包み込んで逃がさなくて、男らしい真っ直ぐな鼻筋に私の鼻がぶつかって交差して、ヴィクターの閉じた目が、まつげが、至近距離にある。
呼吸しづらいと思ったら、唇がぴったり、みっちりとふさがれている。
柔らかいもの??
(………ん………?)
――――これは。
「ーーーーー!!!!!」
むに、と、唇が重なっている。正面から。ゼロ距離で密着している。
近い、近すぎる。
これは結婚式でやるべき、あれなのでは。
「………ぷあっ」
ヴィクターが顔と唇を離すと、私の口から、潜っていた水から顔を出した時のような声が出てしまった。
私の口が少し開いていたからか、彼のかたちのいい唇が、濡れている。
「テイレシア様…」
「笑わないでよ!!」
顔を見られるのが嫌で、彼の肩に顔を押しつけて隠した。
キスをされた。
キスをしてしまった。
唇と唇で。
「抱きついてくれるのは嬉しいですが、顔を見せてください」
「……いやだ、絶対」
「いきなりキスして、すみません。謝りますから、どうかお顔を」
「嫌だって言ってるでしょう」
恥ずかしい。彼の顔も見れない。
いまヴィクターの顔を見たら、たぶん私の心臓は砂糖漬けになって止まる。
小説じゃ、わからなかった。
こんな彼の体温も近さも、息ができないような甘さも、なんにもできないみっともなさも。
――――彼にしばらく駄々をこねたあと、ようやく私は、手を放した。
彼の服に、私がつかんでいた手が付けた深いしわがついてしまっている。
「顔、見せてください。一緒に帰りましょう? 送らせてください」
「……結婚式じゃないのに、急すぎると思うのよ、ちょっと」
「すみません。美味しくいただきました」
「私はお菓子じゃない!」
ヴィクターは私の額にチュッと音を立ててキスをした。
額や手と、唇。どうしてこんなに、違うんだろう。
「だって、思った時にやっておかないと、誰かに奪われてしまうじゃないですか」
「…………? 誰に?」
「誰にだって嫌です。貴女をとられるのは」
思い立ったらすぐ、なんて、言うんじゃなかった。私は自分の言葉を後悔した。
勉強道具を片付け、私がつくってきたお菓子とともに鞄にしまったヴィクターは、私の手を取る。
「帰りましょう、テイレシア様。
帰りの馬車の中で、暴漢に手を掴まれたときのはずし方をお教えします」
「……ヴィクター、ほんとにあなた、どこから起きてたのっ!!!???」
◇ ◇ ◇




