◇12◇ 図書館は逢い引きの場ではありません。
◇ ◇ ◇
――翌日。
(……ていうか、ヴィクター、どこであんなに筋肉鍛えたのかしら)
そんなことを内心呟きながら、放課後の私は、ヴィクターを探していた。
2回抱きしめられて実感した。絶対この人と戦っても勝てない、と(いや、私そもそも戦えないけど)。
確かに、お会いしたご両親とも背が高かったし、ハルモニア・エルドレッドも身体の大きな女性だったとは聞いている。
だけど、商家の子息に、そんなに身体を鍛えるような機会があるだろうか?
鍛えるとしたら、剣術・槍術・馬術、それに格闘術あたり?
そういえば最近は、貴族のたしなみの中にボクシングが入りつつはあるけれど……まだまだ労働者階級の賭け試合の選手の方が強いような。
(そういえば、〈透視〉のことを索敵魔法って言ってたわね……)
『鋼の乙女の英雄譚』を見て、そこに出てくる魔法を調べて習得していたのなら、あの物語に出てくる勇者たちみたいに、身体のほうも鍛えたりしたのかしら?
でも、魔法は具体的な名前を出していたけれど、鍛え方なんて私はしらなかったし、当然小説のなかで書いていないのに。
(まぁ、機会があったら、聞きましょう。それよりヴィクターを探さないと)
私は、手元に用意した手さげ袋をあまり揺らさないようにしながら、学園の建物のなかを歩いていた。
心当たりはおおかた探したのだけど、あと1か所、学園併設の図書館だけは調べていない。
ヴィクターに、あまり図書館にこもるイメージはないけれど、勉強しているのかも。
足早に歩いていると、「テイレシア様」と背後から声がかかった。
この声には聞き覚えがあり、それでいて、あまり良い思い出のない相手のものだ。
私はため息をつき、ゆっくりとふりかえる。
「あのー……ご無沙汰をしております。クロノス卿」
銀髪にアイスブルーの瞳の美貌の持ち主が、眼鏡の奥から、こちらをクールに見据えていた。
私と同じ歳で〈紳士部〉生徒会長である侯爵家令息、そしてすでに伯爵の爵位持ちのクロノス卿だ。
……ということになっているが、お母上は元々国王陛下の公妾のお一人で、彼がアトラス殿下の腹違いの兄君なのは公然の秘密である。
アトラス殿下は、王妃様がお産みになった他のごきょうだいがみな幼い子どものうちに亡くなられている。
なので、殿下が、次期国王の座を奪われるのではないかと最も警戒しているのは、彼だ。
国王陛下よりは公妾だった母君によく似たクロノス卿の美貌は、王宮でも人気が高い。
(私はヴィクターの方がカッコいいと思うけど)
――――ただ、私は、彼と少しでも話すと、あとでアトラス殿下に酷い目に遭わされてきた。
公爵令嬢の私に気をつかってだろう、クロノス卿は近くに他の令嬢がいてもなぜか私に話しかけてくることが多かったので、そのあとのアトラス殿下が本当に恐かった。
だから決してクロノス卿が悪いわけではないのだけど、どうしてもこの美貌を見ると、いまだに条件反射のように胃が痛くなる。
「すみません、急ぐので」
「エルドレッド君は、図書館の奥にいましたよ」
「!?」
端的に必要な情報を告げるクロノス卿。彼も当然、婚約の件は知っている。
「ありがとうございます、では」
「――――ご案内いたしましょう」
「え!?」
いきなり長い手がのびてくると、空いている手をつかまれる。
手を取る、というのではなく、グッとつかまれている。ほどけない。
「待ってください、私っ」
婚約者のいる女の手を掴むって、品行方正なクロノス卿らしくない。
図書館の中にもほとんど人はいなかったが、こちらを見た学生はかなりぎょっとした表情をしていた。それはそうだと思う。
「……クロノス卿、離してくださいっ!!」
こちらの意思ではないんです!という表明のため、私は声を出してみるが、クロノス卿はまったく意に介さないように歩く。
「こちらです」
「!!」
確かに図書館の奥。
本棚に囲まれたような、他から見えにくい場所に、勉強机がある。
そこに、ヴィクターがいて……勉強の途中で寝落ちしたように、机に突っ伏して眠り込んでいる。
「あ、ありがとうございます」
「エルドレッド君は、最近は勉強時間がなかなか取れないようで、かなり深夜まで図書館に籠っていることも多いですね」
「へぇ……あ、ありがとうございます? で、もう大丈夫なので手を離してもらえます?」
クロノス卿はしばらくこちらを見てから、ようやく手を離してくれた。
「――――彼が眠っていて残念ですが」
「え?」
いや、明らかに、ヴィクターが眠っていなかったら大変だったんですけど?
という言葉を口にしたらややこしそうなので、そそくさと私はクロノス卿から離れ、椅子を移動させて、眠っているヴィクターの横に座った。
しばらく私たちの後ろで粘ってから?クロノス卿は立ち去っていった。
私は吐息を漏らす。
それから、机との間から垣間見えるヴィクターの寝顔を見る。
安心する体温。
もってきたものを、机の端に置く。
「……私との時間をつくるために、がんばってくれているのね」
この学園で勉強することは、ヴィクターにとってハンデが大きい。
他の生徒よりも、がんばらないといけないのだ。
無性にいとおしくなって、思わず髪を撫でる。
殿方にこちらから触れるのははしたない気もしたけど、ヴィクターの側からは触れてくるのだし。
机に突っ伏したまま、大きな身体が身じろぎする。
あ、何かしらこの、可愛い生き物。
そう思ったとき、ヴィクターの身体が、ぐらりと揺れた。
「――――!?」
私の側に倒れたその上体を、渾身の力で受けとめる。
ヴィクターの顔が、見事に私の胸に埋まる、寸前で止めた。
「……………!!!???」
そのまま、どうして良いかわからなくなって、でもこのままだと身体が落ちてしまうので、眠っているヴィクターを抱きしめるしかなかった。
おかしい。こんなにも綺麗に私にぶつかるように、椅子に座って眠っている人間が動くものかしら。
そんなことを考えていたら、ヴィクターの身体が、ぷるぷると震えているのに気がついた。
「…………??」
ヴィクターの吐息が、肩にかかっている。
笑ってる!!!
「ヴィクター!!
あなた、起きてるわね!?」
私がそういうと、ヴィクターは私に抱きついたまま、本格的に笑い出した。
腹いせに私は、彼の身体を受けとめていた手を離してやった。