◇11◇ 大切なキミに、ほんのわずかな出来心を。2【カサンドラ視点】
「私は、カサンドラ・フォルクスだ。
キミの名は?」
「……ヴィクター・エルドレッド」
「最近急成長したエルドレッド商会と関係はある?」
「そこの次男です」
「そう。創業百年、裕福な中産階級だね。
ちなみに、キミが気になっている彼女は、王族かつ公爵令嬢。
こどもがさらって逃げるには、少し肩書きが重たいよ?」
「べつに、誘拐なんてしたいわけじゃ……!!」
おっと、こどもにとっては『さらう』と聞いたら人さらいの方を連想するらしい。
これは私の言葉の選択がまずかった。
「俺はただ。あの人がいつもつらそうな顔をしているのが気になっただけで。
どうしたら良いのか、わからなくて」
彼の言葉を聞きながら、私は深くため息をつく。
彼の言うとおり、アトラス殿下の存在は、テイレシアの顔を曇らせていた。
同じ学園に入り、長時間同じ敷地内にいるようになったアトラス殿下は、頻繁にテイレシアを呼び出してはいじめたり、取り巻きの男たちの面前で人格を否定するような罵倒をしたりしていたのだ。
「そもそも。王家が彼女を王子の婚約者として選んだくせに、彼女の両親が亡くなったことや、テイレシアの祖母の実家が凋落したとか代替わりで影響力が落ちたとかで、王家は彼女を軽視し始めた。
だから王子は、彼女に何をしてもいいとばかりに、酷い態度に出ているのさ」
無事結婚できたとしても、きっとアトラス殿下の態度は変わらない。
そしてこの国の王宮は、歴代の王妃となった女性に、激務と極度のストレス、その中での繰り返しの妊娠や出産を強いられる暮らしを与えてきた。
歴代の王妃には、心身に負荷がかかりすぎて精神を病まれた方や、産褥死、あるいは不審な死をとげた方もいる。
いまの王妃様も何度かの流産や産後すぐのお子の死を経験されている。
「それだけじゃない。
テイレシアという人がありながら、王家は、より国益に適う姫君はいないかと近隣各国探している。
現状、彼女は都合のいいキープ扱いだ」
国益は大事だろうが、婚約破棄された令嬢の名誉は地に落ちる。
さらには、それを避けてあげようということで王家が『温情』として、王位継承に関係しないであろう適当な結婚相手を押しつけてくるとも考えられる。
たとえば、現国王陛下の母上の実家の、50歳暴力癖ありの公爵あたり。
結果、テイレシアの未来は、
1、アトラス殿下の妃になるも地獄
2、婚約破棄されるも地獄
3、適当な結婚をさせられてもたぶん地獄
……という酷いことになっている。
「どうしたら、あの人を助けられますか?」
そう問われた私が答えるべきは『キミにできることなど何もない』だっただろう。
だが。どうしたことかその一瞬、魔が差した。
ふわりと、再び私の中に出来心が湧いてきた。
私は彼の顎に手を伸ばし、くい、と上を向かせる。
「――――〈予知透視〉」
私の左目が魔力を帯びて、彼が秘める未来の可能性を一瞬視認した。
2年半後の彼の顔――――いい男になるじゃないか。それだけじゃない。望んだものを引き寄せる力に満ちている。あと、犯罪には手を染めなさそうである。よし。
「…な、何、です?」
「キミ今、いくつだ?」
「13歳」
「学校は通っている?」
「はい」
「成績は?」
「王立官吏高等学院に進学予定です」
「かなり上位だな。運動は好きかい?」
「……? はい。」
「あと、最後のひとつ。キミ、好青年演じられる?」
「だからいったいなんの…!?」
いら立ち紛れに大きな声を出しかけた彼は、不意に悟ったように口をつぐんだ。
「……それは、あの人を助けるのに、何か関係ありますか?」
「頭がいいな、ヴィクター。でも今のは単純に、キミが彼女の好みの男に育つかどうか、だよ」
ガクッ、とヴィクターの膝のちからが抜けた。
「…………じゃあ、具体的に、あの人を助けるにはどうするんですか?」
「いまからの私の言葉は、何ら保証のない無責任なものだ。
もしキミが、私の大切な友人に、一生をかける価値があると思うなら参考にしてほしい。
しかし途中でやめても、私は絶対にキミをとがめない」
頭の中で、冷静な自分は
『こんな子供が大それたことをやれるわけがない、薄幸の姫君を救う騎士に憧れたって一時期のことさ』
とささやいている。
その一方で、一縷の望みをかけてもいる。
侯爵令嬢の身分を持つ自分にもできないことを、期待してる。
「彼女の婚約がもし破棄されるとしたら、殿下が卒業する年のことになるだろう。
そのときにもし、キミが彼女を救えるとしたら、やるべきことは3つ。
1つは、そのときまでにキミが、彼女に求婚できる身分になる。
次の1つは、キミが彼女の心をとらえる。
最後の1つは婚約破棄直後、とにかく可及的速やかに、求婚する。王宮は、他の結婚相手の目星をつけていたとしても、必ず婚約破棄からは間を空けるはずだ。その隙を突く。
国王陛下の許可なんかどうせ取れないだろう。早さが勝負だ」
目の前の13歳のこどもに、とんでもないことを要求している自覚はある。
だけど、私の話を聞く彼の翠の目は、本気だ。
「1つ目を叶えるには、貴族になれ。
しかし官吏経由だと時間がかかりすぎる。
金で爵位を買うとしても子どもじゃ相手にされない。
時間的に間に合いそうなのは、著しい戦功をあげること。
近年、中産階級から貴族に取り上げられる例は珍しくはない。キミなら、実家が王国中に影響力を持つ億万長者なことを考慮して、甘く査定してもらえるだろう」
そう言うと、少し嫌な顔をした。
さすがにこどもでもプライドが傷つく言い方だったか。
「すまない。なりふり構わず、実家を使えという意味だ。使えるものをすべて使って、それでも届くかどうかわからないものの話を、いま私はしているんだ」
「――――戦功……。
でも15歳にならないと兵士には」
「巻き込まれる、という手がある。
おそらくだが1年~2年以内にゼルハン島を狙っての敵国侵攻がある。
エルドレッド商会の支部があそこにもあるだろう。武器弾薬を貯めこんでおけば」
「たとえばですが――――魔法はありですか?」
「魔法?」
「ええ、たとえば。〈眠りし炎よ、目覚めて千々に砕け散れ――――〈噴火〉」
ヴィクターが上に向けた手のひらから、人の首ほどの炎の球がポンと出現し、ふいっ、と彼がそれを天に投げ上げると、上空で、大砲を撃ったような音と大きな爆発が起きた。
「驚いた。中級の爆裂魔法じゃないか! 貴族でもまともに使える人間はほぼいないぞ」
「『鋼の乙女の英雄譚』に出てきたから……レグヌムから魔導書を輸入して、勉強しました」
「国内は禁書になっているから、国外からか……」
口から、乾いた笑いがうまれた。
物語の中にでてきた魔法を、魔導書を輸入して手にいれて勉強してマスターしてしまったって?
たった13歳だぞ? どんな頭脳だ?
いや、ただ利口なだけじゃできない。利口なうえで、とんでもなく馬鹿な賭けに乗れる肚がないと。
私はなかなか危険な人物に、危険な未来をたきつけてしまったかもしれない。
ただ、賭けずにはいられない。
王子様でも騎士でも人さらいでもなんでもいい、テイレシアを幸せにしてくれる可能性があるのなら。
「2つめ。
彼女の理想の男性は、『鋼の乙女の英雄譚』第3章から出てくる勇者さまだ」
明るくて快活で周囲を幸せにする男。
私の見る限り、好きな女の様子が知りたくて学園の柵を登ってる少年とはまったく違うタイプだが、せいぜい演じてみせてくれ。
「3つめのタイミングは、彼女の近くにいる私が教えるよ。
彼女の名は、テイレシア。
公爵令嬢テイレシア・バシレウス・クラウン」
こうして私は、オレンジの髪の目つきの悪い少年……ヴィクター・エルドレッドに――――極めて分の悪いことを承知の上で――――自分の出来心を託したのだった。
◇ ◇ ◇