◇10◇ 大切なキミに、ほんのわずかな出来心を。1【カサンドラ視点】
◇ ◇ ◇
「似合うじゃないか。
ヴィクターかい?」
王立学園〈淑女部〉生徒会長にして、我が聡明なる美しき友人である公爵令嬢テイレシアは、執務机に向かい粛々と仕事中である。
そんな彼女を、いつもより一層美しくしていたのは、彼女に似合うように編み込まれた髪と、それに合わせて留められた髪飾りだった。
「うん、さっき中庭でヴィクターがしてくれたのだけど……何だか注目を集めて恥ずかしいわ」
「髪飾りがいいね。まさにキミのためにあつらえたような」
「そうなの? どんなのかしら。
今日はずっと外さないでってヴィクターに言われているから、夜に外したときに見てみるわ」
「ヴィクターの瞳の色と同じ緑だね」
「うわぁ!
それでだわ。
なんだかみんなに見られてると思ったら!!」
顔を覆い、恥ずかしがるテイレシア。ああ、なんて可愛い乙女なんだろうか。
「何だか、ヴィクターと距離が近くなったようだね?」
彼女が心をときめかせるものなんて、長年、物語か絵の中にしかなかった。だけどいまそれは、現実世界に存在する。
「そうね。。。。
もう我慢しない、んですって。
本当のあなたが見たい、とか、私が偉そうなことを言ってしまったから。
そういうことじゃなかったんだけど」
「本当のあなた?」
「………ああ、やっぱり、忘れて?」
顔を両手で覆って、ふるふると首を横に振っていたテイレシアだったけれど、
「教えて、テイレシア」
と私が近づいて耳元で言うと、あきらめたように両手を顔から離した。
「たぶんヴィクター、わりと無理してるのよね」
「!? な……なんでそう思った、の?」
「私に合わせて、好青年の演技をしているのだと思う。
お茶会や夜会で『理想的な公爵令嬢』を演じて『殿方を楽しませる会話』をしている合間に、ふっと鏡を見たときの私と、近い表情をしているときがたまにあるのよ、ヴィクター」
「…………」
「裏表のない人間なんてほぼいないと思うし、それでもよかったのだけど、つい、口にしちゃったの。もう少し楽にしていいのに、と思って」
「そうか……」
さすがに、14歳のときの好み、そのままではなかったか。
「ねぇ。もし、そうだとしたら、テイレシアはヴィクターを嫌いになる?」
「いいえ。
だから、言わなきゃよかったって、思っていたのよ。
どういう自分でありたいかなんて、本人が決めることなのに。
真実の、とか、本当の、なんて、他人が決めつけることじゃないのに」
「そう、良かった」
「カサンドラ?」
「大丈夫、ヴィクターは良い奴さ。
キミは心配しなくていい」
そう言いながら私は、テイレシアの頭をなでた。
本当に『良い奴』かは、私には明言できないけれど、少なくともヴィクターが『すごい奴』なのは、重々知っていたから。
◇ ◇ ◇
――――2年半前の、10月。
私たちが学園に入学して1か月と少し経過した頃。
学園を囲む高い塀をよじのぼっている『不審者』に私が声をかけたのは、完全に出来心からだった。
「久しいな、不良少年」
私が下から見上げながらそう声をかけると、オレンジの髪の少年は、いまの彼からは想像もできない鋭い眼差しでこちらをにらんだ。
身なりは良いのに、やっていることは野生児そのままだ。
良い服とは裏腹に、郵便配達のこどもが肩にかけているような、ななめがけの鞄をぶら下げているのは、両手をあけたいからだろうか。
「そんな恐い顔をするなよ。
良く見つけたなぁと感心してるんだ」
「……あの時、あの人と一緒にいた」
「私の連れに会いに来たのか?
とりあえず、警備の兵に見つかる前に降りて、私の知り合いのふりをすることをおすすめするよ。
こどもが銃殺されるのは見たくないからね」
そう声をかけると、存外素直に彼はおりてきた。
というか、普通の人間なら骨折不可避だろう高さから、すとっ、と降りて、ふわっと着地する。
身長1.15パッスス(約170cm)の私よりは低いが、それでも見覚えのあった背丈よりはだいぶ伸びていた。
「……2年?
いや、そんなにたっていないな。
1年半、ぐらいか。あれから」
少年は、ごそごそと鞄から本を取り出した。私は目を見張る。
凝った装丁のその本は、私の大事な友人が書いた小説にして“黒歴史”、『鋼の乙女の英雄譚』だった。
「あの人が、忘れていった本を返したくて。
でも、あの人は俺を見ても、わからなかった」
なるほど、彼はもう、外で一度テイレシアを待ち伏せたのか。
変声期になろうとしている、高いけれどかすれた声。
髪は手入れがなっていなくて傷んでいるが、前髪の下に見える顔は、ぐっと成長している。
「まぁ、一度きりしか会っていない相手で、しかも1年以上たっていれば、普通はわからないだろうね。
私は特別記憶力がいいから」
少年は、私に本を差し出す。
「あの人に、あなたから、返してもらえませんか」
「あー……ええと。
悪いんだが、その本。
実はあの時、棄てるつもりでいたものなんだ」
「え?」
「彼女が書いた物語で、最初はお気に入りだったんだけど、婚約者に罵倒されて、からかわれてね。
泣きながら手元にある分を焼き捨てた。
これは、彼女が焼ききれなかった、最後の1冊だったんだ。
だから、私とふたり、邸の外に出て棄てようとした。
その時、キミに会ったんだ。
ねぇ、だから」
私は、ぐい、と、彼の手元に、その本を押し戻した。
「もし邪魔じゃなかったら、キミが持っていてくれると嬉しいんだが」
しかし少年は本を意地でも引っ込めようとしなくて、しばし、私と少年との間で、力比べが発生した。
均衡を破ったのは、少年の声だった。
「……あの人は、結婚するんですか?」
「婚約者って言ったから?
学園を卒業したらね。
あと2年8か月だから、すぐだけど。
……なんでそんなことを聞くんだい?」
「誰と?」
「この国の王子様。
ほんとうだよ?」
「だったら、あの人の顔が、いつも暗いのはなぜ?」
私は数秒言葉に詰まり、
「……覗きすぎだろう、少年」
と、茶化した返し方しかできなかった。
浮かべた笑みも、きっとひきつっていただろう。
少年はこちらを、軽蔑するように見る。
「考えすぎだよ。
王子様との結婚なんて、それこそ、国中の女の子が夢見てしかるべきだぜ?
それだけ、彼女にプレッシャーがかかってはいるだろうが」
「……あなたは、本当にそう思ってるんですか?」
とどめを刺すように問われ「……思ってないよ」と、私はようやく本音を言った。




