◇1◇ 王子に婚約破棄されたら、その場で新しい婚約者(候補)が出現しました。
「美しく賢明なる我が婚約者、テイレシア。
君もわかっているのだろう?
私たちの婚約が、間違ったものであることを」
貴族の子女が通う王立学園の卒業式、そして私たちの結婚を予定していた6月まで、あと4か月。
学園中の生徒を招待した、自分の誕生日のパーティーで、私の婚約者は、魅惑的な容姿と朗々たる声で皆を惹きつけていた。
それはあたかも演劇の一幕のよう。
我が国の第一王子アトラスは、私に語りかけていると見せかけて、その実、出席者に語りかけていた。
「聡明な君に、何ら落ち度はない。
だが、政治的都合だけで、ひとかけらの愛情もなく結ばれた婚約が、神の御意思に適うものではないのは明白。
そして今、私は真実の愛に出会ってしまった」
―――私は忘れていない。
『はぁ? “真実の愛”なんて、いまどき、嘲笑されてしっぺ返しを食らう愚者役の言葉だろ?
小説を書いてるくせに愚民どもの流行も知らないのか、おまえは』
そう言って私を笑ったのは、他でもない貴方だ。
「エオリア王女、どうぞ、こちらに」
アトラス王子殿下は、後ろにいた可憐な少女の手を取って、寄り添った。
私やアトラス殿下よりも2学年下の、隣国の王女、エオリア姫。
日差しにさえ溶けるような金髪に、アイスブルーの瞳。
物語に出てくるお姫様そのままのような美しい人だった。
悲しげにまつげを伏せ、それでいて嬉しさを隠しきれていない彼女は、これがお膳立てされた出会いであることを知らないようだ。
彼女は『第一王子アトラスと、隣国の王女エオリアの、運命の恋』の、演者ではない。観客だ。それも最前席で、うっとりと演劇に酔っている。
「あ、あの。
テイレシア様、申し訳ございません、わたくし……」
「エオリア王女。
責を負うならば、私一人で十分です。
テイレシアという婚約者がありながら、貴女への愛を抑えきれなかった私が」
王子と姫のその会話を、茶番だとは誰も思わない。
皆が皆、両者の容姿に魅入られ、そして涙を流す者もいる。
もしかしたら勘の良い誰かが、この作為に気づくかもしれない。
だけど彼らは口をつぐむだろう。
両親を亡くして後ろ盾のない公爵令嬢よりも、隣国の王女様のほうが、はるかに我が国に国益をもたらす女性だと知っているから。
「テイレシア。どうか、理解してほしい、この真実の愛を。
君との婚約を解消させてくれないだろうか」
結婚まで4か月ある。
結婚式のいろいろな準備をエオリア王女殿下のためにスライドさせ調整するには、ぎりぎりのタイミング。
サプライズのように演出はしているが、アトラス王子殿下のことだから、確実に国王陛下夫妻への根回しは終わってるはずだ。
それがわかっている私が返せる言葉は、一つしかないでしょう?
「――――婚約破棄を、受け入れますわ」
アトラス殿下の口もとに、わずかな笑み。
王女様にはわからないでしょう。それが酷薄な感情から出るものだとは。
このあと、きっとアトラス殿下は、この場でエオリア王女殿下に求婚するのでしょう。
ひとかけらの愛情もないけれど、本当に私はこけにされている。
だけど私がこの場を去ることは許されない。
アトラス殿下が口を開こうとした。
その瞬間。
「はい!!
ハイ、はい!!!
じゃあ、オレ、平民ですけど新しい婚約者に立候補します!!」
その場に響き渡ったのは、バカでかい、コントラバスよりも大きな声。
アトラス殿下の朗々とした声さえ抑えつける、とんでもない大声だった。
「何だ、キミは?」
「いま、王子殿下がお話をしようとして」
制止しようとした人間たちを振り払い、長身の殿方―――私たちと同じぐらいの年頃、学生の一人でしょう――――が走って中央に躍り出た。いいえ、その彼は、私の前にひざまずいた。
「何なんだ君は、どこの」
「かねてよりお慕いしていましたテイレシア様、下賤の身であるうえ、王子殿下が婚約者であるならばとあきらめておりましたが、千載一遇のこの機会、ぜひテイレシア様に求婚させてください!!!」
声の大きさを一切落とさず長広舌で王子殿下の言葉をさえぎったその彼を、改めて私は観察した。
ひざまずいた体勢のままで、思いのほか凛々しい表情。
野性味をのこしながら整った顔立ちが美しくて目を奪われる。
アトラス殿下よりも高い身長。
人目を惹く、赤みがかったオレンジの髪。
この場の主役を見事に奪い去ってしまった。
それもものすごい、力業と存在感で。
「なんて非常識な!」「これだから、平民は!」ざわざわと聞えよがしな声をあげた人もいたが、彼は一顧だにしない。
まっすぐな目で、こちらを射抜いてくる。
「――――あ、あの……」
観察はできたけれど、答えるべき言葉が出てこない。
私も相当混乱していた、のだ。
だから、あまりに素直な言葉が口から出てきてしまった。
「……どちらさま、ですか?」
誰かが吹き出した……のに釣られ、その会場の中は大爆笑に包まれてしまった。
◇ ◇ ◇