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The Book of Ctum 〜コアンタム・ドグマ〜  作者: 抹茶ラーメン
序章
1/11

罪深きもの

これは故郷を失った男と苦しみを背負う事が運命付けられた女の物語



かつてヴァースと人は一体であった。全てが高密度で溶けて混ざり合い、そこには形という概念さえ存在しなかった。思念という実態を持たない姿でしか存在し得なかった人は形ある存在となる事を乞い願い、その祈りによってこのヴァースに生まれ出た。


新たに形あるものとなった人はその喜びと、形あるものとなった弊害によって生じた無能さに苦悩し、幸せと苦しみの感情が人々の基盤をなす空と大地を創生した。続いて湧きあがった怒りが山を、悲しみが海を、恐れが森を、そして驚きが砂漠を形作った。

(コアンタム聖典より)


水滴が地面へと滴り落ちる音が聞こえた。石で構築された地下空間は冷んやりとした空気を漂わせている。


薄っすらとした黄緑色の光が暗闇に支配される地下を唯一照らしていた。


若竹色を反射する石の通路の先に広い空間を有した部屋が続いていた。その部屋から緑色の光の塊が宙を舞い、廊下へと漏れ出ている。


奥の部屋の深部には大理石で作られた女性の石像が鎮座していた。ベールを被った顔を上空に向けて何かを待っているような面持ちの女性の像だった。


その像の足元に蹲るような姿で一人の少女が両手を組んで像に向けて祈りを捧げていた。


敬虔な祈りを捧げる少女の周りを緑の色調を帯びた光体が飛び交っている。光体によって少女の姿がはっきりと照らし出された。


透き通るような白い肌とすらりと伸びた鼻。俯いた顔の多くは艶の帯びた灰色の髪が幕となる形で隠されていた。腰元まで伸びる長い髪の先は冷涼な床に触れている。


聖堂の後方から侵入したどんよりとした黒い煙が這うようにして少女に近づく。その煙は少女のすぐ後ろまで接近すると巨大な波のような形となって少女を飲み込んだ。


黒煙は締め上げるように少女の体を取り囲む。少女は黒煙の縄で縛られたかのように苦悶を漏らし、長い睫毛が伸びた薄墨色の目を見開く。


黒い煙は少女の目や鼻、耳といった穴から体の中へ無遠慮に侵入した。それでも少女は祈りの体勢を変えず、女神像の前で祈念を続ける。


暫く経つと黒い煙は姿を消した。


平静を取り戻した少女は何事もなかったかのように祈りを再開する。その祈りに連動するように緑色の光体が再び大気中から発現して少女の周囲を照らす。


光の球体は風に靡く綿毛のようにゆらゆらと浮遊し、廊下からその奥の階段の方へと進んでいった。




見上げるほどの高い城壁に囲まれて白を基調とした巨大な宮殿がその中央に構えている。


中央にある宮殿はまるで触手を伸ばすかのように敷地内に大小様々な建物を張り巡らせており、中央の宮殿の前には広い庭園が広がっていた。


石畳で作られた通用門から中央の宮殿に繋がるアプローチの間には存在感のある壮観な噴水が設置されている。全体的に丸みを帯びた宮殿の天井は異国調の雰囲気を醸し出している。


絢爛な作りとなっている宮殿内の通路の天井には有名な画家が描いた絵とシャンデリアが続く。細部まで彫刻がなされた柱も煌びやかな空気の醸成に寄与していた。


その宮殿の外朝エリア深部に政務の為の会議室が設けられている。その会議室から高い官職の者が集まって議論する声が聞こえていた。


「最近のブルートー共和国は強烈な勢いがある。アヴェルダの東の前線も徐々に押し下げられており、このままだと自治区のベリオールも突破されて我が国に侵略してくる可能性も出てきている。事態は火急だ。早く対策を打たねば。」


会議室の真ん中に広がる長方形の机を挟んで金色の飾緒の吊り下げた黒い軍服の男が声を発した。


「将軍の言う通り、敵が渡来させる異界の者は強力。サン・ミゲルの加護を受けた兵士によって何とか前線で食い止めておりますが、このままでは、、、」


黒髪短髪の若い男が焦燥感を露わにしながら周囲の軍人を見回した。


「やはりアヴェルダからも始祖の奏導士様を出すべきではないでしょうか。」


一息置いて黒髪の男が玉座に座る男に恐る恐る進言した。玉座に座る国王は口元に手を置き、目を閉じたまま進言を聞いている。


「ならん。」


玉座の男から見て一番手前に座っている白髪の中年の男が厳しい口調で突っぱねた。その声色に合致するような逆立った短髪の男は厳しい目線を黒髪の男に向ける。


「既に我らは1大元素を失っているんだぞ。これ以上失った場合は我らには崩壊あるのみだ。」

「しかしーーー」


語気を強めた白髪の男に対して黒髪の若い男は食い下がるように続ける。しかし彼の会話はその隣に座る丸眼鏡を掛けた男に中断される事となった。


「潰すのはホルストだ。」


良く通る声で丸眼鏡の男ははっきりとした口調で断言する。


「なぜホルストなんだ。」

「ホルストは連合国側について我々にも傭兵を送っているじゃないか。」


丸眼鏡の男の発言をきっかけに会議室にいる軍人から口々に困惑の声が漏れた。丸眼鏡の男はその様子を冷徹な目で見つめている。


「良い、理由を言ってみろ。」


国王はここで漸く目を開いて丸眼鏡の男を見る。口々に意見を述べていた重鎮達も国王の一言で口を閉じた。


「我々が長くブルートーと戦って来られてきたのはホルストの奏者を雇うことが出来たからに他なりません。しかし、戦力は変わっていないにも関わらず優勢であった我々が今度は劣勢に回っている。理由はホルスト側がアヴェルダに供給する奏者の熟練度を下げて戦況をコントロールしているからです。現時点で戦況は我々でもブルートーでもなく、ホルストに握られています。」

「なるほど、理には適っておる。続けろ。」


話に相槌を打って国王は続きを促した。


「ホルストは戦争が長引けば長引くほど儲かる仕組みになっている。故に戦争を終わらせたくないのです。我々が叩くべきはまずはホルスト。そして彼の国を従属して奏者を我らの支配下に置くのです。」


丸眼鏡の男は明瞭な口調で自身の考えを述べる。


「シュワルツ将軍、だがホルストの奏者は相当な強さだ。加護を受けた兵士でも圧倒する事は出来ない。どう戦うつもりだ?」


白髪の将軍がシュワルツと呼んだ丸眼鏡の男に問いかける。


「ジャン、有史以来多くの国が繁栄を極めてきたがそれは長くは続かなかった、それは何故か。力がなくなったからか?違う。富を失ったから?違う。それは運命を支配出来ていなかったからだ。」


白髪の将軍を制するように国王が口を挟んだ。すると議論の様子を見るように部屋の窓辺にいた青色の鳥が羽ばたいて玉座の手すりに止まる。


「力も富も運命の前では小事。選択を誤ったことで本日よりホルストが繁栄の運命を失う事になる。」


国王は手すりに止まる鳥を優しく撫でる。鳥を愛でる指使いと裏腹に国王の瞳の奥に潜む得体の知れない深淵の闇のようなものに重鎮達は恐怖に近い畏敬の念を感じた。じっと手のひらに汗がにじむ。


国王が撫でる手を止めると青色の鳥は手すりから窓辺に戻っていく。


ジャンの対面にいるフードを被った男に国王は視線を移した。その視線に気がついたローブの男は影で隠れているフードの中で不気味に笑みを浮かべる。


「シュワルツ、貴様の言う通りにしてやろうーーー金と宝石をすぐに用意しろ。」


国王は会議室の扉付近に待機している兵士に指示を出す。兵士は緊張したようにぎこちなく頷くとすぐに部屋を出ていった。


「本日は解散だ。ホルストに厄災が降りかかったと同時に攻め落とすとしよう。」


国王は会議室にいる重鎮達にそう言い残すと席を立って会議室を後にする。


『はっ。』


重鎮の軍人達は立ち上がると右拳を胸の前に当てて国王の言葉に対して返答した。




宮殿の空を不気味な黒い煙が取り囲んでいる。

黒煙は見るもの全てに本能的な畏怖を与えるような異様な様相を帯びていた。


黒煙は宮殿の上で発散と収束を繰り返しながら煙の濃淡を作り出す。


先ほどのローブの男とその部下と思われる何人かが宮殿のバルコニーで跪いている。

小声でまじないの言葉を唱えながら交差した指を掲げて祈りを捧げているようだった。その祈りに呼応するかのように宮殿の上空に黒い煙が集積して渦巻いていく。


空を飛行していた鳥がその煙に接触する。鳥は突如コントロールを失い、途端に庭園の上へと落下していった。


煙は時折その姿を人の顔のように形を変え、その顔は不気味な笑みを浮かばせているようだった。


ローブの男が呪文を唱え終えて視線を上げた。黒い煙は命が吹き込まれたかのように有機的に形を構成し始める。


宮殿の空を浮遊していたその黒い煙は東の空へと大きな巻雲となって動き始めた。すると黒煙の中からこの世の厄災を全て孕んだような断末魔のような叫びが響き渡った。


まだ正午を過ぎたばかりの空はその煙で漆黒に染まり、その先にあるホルストの未来を暗示しているようだった。

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