8.強襲(2)
ギルダスたちが到着したとき、すでに『背徳の楽園』の前には数人の男たちが倒れていた。
その内の一人は、ギルダスの知った顔である。馬車の御者と門番をしていた老人だ。
「セバンさん……!」
「もう死んでるっ。行くぞ!」
止まりかけたリリーネを叱咤して、ギルダスは半開きになっていた入口から建物の中へ駆けこんだ。
中にいた三人の男たちが、ギョッとして一斉にギルダスの方を振り向く。
ギルダスは具現化していた『魂精装具』を構えたまま、その間を駆け抜けた。
「なっ、テメ――ぐぁッ!」
「おがッ!」
一人の男の胴を横薙ぎにした後、即座に振り返ってもう一人の男の背中を斜めに斬りおろす。
確かな手ごたえを感じて振り向くと、残った一人は慌てて上の階へ逃げだしていくところだった。
ギルダスも追おうとして、ふと立ち止まる。
完全に血の気を失い、立っているのがやっとという状態のリリーネを振り返って、
「おまえは隠れてろ。上には俺ひとりで行く」
そう言い置いて走り出した。
階段を昇るギルダスの耳に、激しい罵声となにかを叩きつける音が飛びこんでくる。
「ふざけんなっ、クソアマどもがっ!」
「こもってないで出て来やがれ!」
三階へ辿り着いたギルダスが見たのは、怒鳴り声を撒き散らしながらサフィーナの部屋のドアを叩き続ける男たちの姿だった。
ギルダスはふっと息を吐いた。
どうやら、サフィーナたちはあの中に立てこもっているらしい。ここに来るまでに一人も女の姿も見なかったことを考えると、うまく逃げこめたのだろう。
安堵するのもつかの間、息を整えるギルダスに男たちの視線が集中する。
二十対以上の目が、暴力と流血の予感に色を変えていた。
「ゼノさん。あいつが例のガキですぜ」
奥から、こちらを指し示す男の声が聞こえてきた。
話しかけられた男の風貌を見て、ギルダスは一瞬眉をひそめる。
……あいつが、ゼノか。
「……ほお」
男――ゼノが、薄く嗤った。そのままギルダスのいる方へ歩き始める。ゼノの足取りに合わせて、廊下を塞いでいた男たちが端へとよけていく。
やがてギルダスの前まで出てくると、ギルダスが手から提げているものを見て、愉快そうに体を揺らした。
「『精錬者』……外の人間で見るのは、初めてだねぇ」
逆立てた髪も、体の動きに合わせて揺れ動く。
蛇のような男だった。細身な体つきと、吊り上がった唇もそうだが、なによりその体から醸し出す雰囲気に、ギルダスはそんな印象を感じていた。
「おまえがここに来たということは……レイゾは足止めもできなかったと? つくづく使えない男だな、アレは」
言っている内容の割には弾むような口調で、ゼノは手をひと振りした。
「おまえたちは下がって見てなよ。この坊やは、俺がヤる」
それなりに腕に自信があるらしい。男たちも疑問は挟むこともせず、黙って後ろへ引いていく。
「来なよ、坊や。好きに攻めてくるといい」
「丸腰で余裕ぶってんじゃねぇよ、アホが」
返すのは、嘲笑。
挑発の効果は激的だった。ゼノの顔が一瞬ひきつり、次いで口端を吊り上げた。男たちがどよめき、さらに後ろへ後ずさる。
「……なるほど。死にたいみたいだねぇ」
その顔に浮かぶ嗜虐的な笑みは、免疫のない者なら一瞥しただけで体が凍りつく。ギルダスはそれをさらりと流し、言い放った。
「死ぬのはおまえだろうが」
それ以上の会話はなかった。
ギルダスが床を蹴り、がら空きの首へ曲剣を振り下ろす。
刹那、笑みを顔面に張り付かせたゼノの前に、大気中から湧きだした赤紫の粒子が集まり、
「――っ!」
必殺のはずの一撃は、甲高い音とともに受け止められていた。
無手だったはずのゼノの手には、毒々しいまでの赤紫の柄が握られていた。そこから伸びる刀身は、半円状に湾曲した刃。ショテル、という名のその武器は、その刃も柄同様に赤紫色だった。
キシィ――
刃と刃を噛みあい、軋み音が鳴る。
「……ハッ、そういうことかよ……」
「『精錬者』が坊や一人だというわけでもないのさ。ビックリしただろぉ?」
「別に。そういうことも、あるだろう……よっ!」
全身をバネにして、鍔迫り合いの状態から跳ね飛ばす。後ろによろめいたゼノの股下に、真下からすくい上げるような斬撃を放った。それは壁に張りつくような動作でよけられる。
「残念だったねぇ! これでひとつ、有利な点が消えたよぉ!」
「関係ねぇな!」
高い音が連続して響き渡る。『魂精装具』同士が打ち合わせられ、無機質な旋律を生んだ。
「ハヒィッ!」
ゼノが振り回すショテルを、ギルダスは曲剣で受け流す。隙を狙っての突きは、飛びのいたゼノまでは届かない。
開いた距離を、ゼノは時間を巻き戻すような跳躍で即座に埋めた。前に出る勢いのままに、右から、左から、絶え間なく斬撃の嵐がギルダスを襲う。
それを防ぐだけで、ギルダスは動きを封じられる。反撃はおろか、後ろに下がって距離をとることも許されない。
観戦する男たちが興奮して床を踏み鳴らす。ギルダスは早くも、防戦一方に追い込まれていた。
「辛いだろう? ここじゃあそんな長物、まともに使えないねぇ!」
「っ……!」
苛立たしげに舌打ちをしながら、ギルダスは左右に目を配る。
それほど広いとはいえない廊下では、ギルダスの曲剣は十全に力を発揮できない。壁が邪魔で、横の斬撃ができないのだ。
のみならず、ギルダスの剣の振り方――剣舞のような動きも、ここでは封じられてしまう。
一方、一騎打ちを挑むだけあって、ゼノの腕もそれなりのものだった。
一撃の力こそないが、手数で勝負するその戦い方はギルダスと重なるものがある。相手が格下なら、受けが間に合わずになます切りにされていた。加えて独特な形状の刃から身を守るために、防御の動作も自然と大きくしなければならなかった。
繰り返される左右からの連続斬りが、ギルダスを徐々に後退させていく。
「ハァッ! ソラッ! 口ほどにも、ないねぇ!」
連続する負荷に、ギルダスの腕が軋みを上げる。攻撃を受け止めるたびに、曲剣が大きく左右に揺れた。
交える刃の数が三十を超えたとき、
ガギィッ!
ギルダスの片手が、曲剣の柄から外れた。体の正面を守っていた刀身が、跳ね上げられる。 その瞬間――ゼノの細い目に、妖しい光が灯った。
「ハヒャア!」
「……フッ!」
――ギャリィ!
直後。
ゼノの胸から、血が飛沫いた。
「……へ?」
ヒュッ!
「あ……ヒャァア!」
追撃は当たらなかった。反撃を考えない動作で後ろに跳んだゼノに、ギルダスは舌打ちをする。
「な……なんで……?」
「アホか。単調すぎだ」
ギルダスは、冷淡に指摘した。
自身の攻めに酔いしれていたのか、後半のゼノの連撃はずっと同じパターンだった。
フェイントもなく、変化をつけることもなく、ただ単純に左右からの斬撃のみを繰り返していただけだ。反撃の手は、ずいぶんと簡単に思いついた。
斬撃の勢いで剣が保持できなくなったように見せかけて、大振りの一撃を誘う。弾かれた剣はその勢いを攻撃につなげて、ゼノの一撃を叩き落とすと同時に胸を切り裂く。
防御と反撃。ひと振りに二つの成果を求めたせいで反撃は狙いどおりにはいかなかったが、それでも浅手にはなった。
ゼノが見くびってくれたおかげで、最後まで劣勢のふりをしているのも気づかれることなく、ギルダスは策を成功させていた。
唖然として、起こったことが信じられないでいるゼノに、ギルダスは声をかけることもなく接近する。
「ヒッ……ヒャア!」
ゼノが、近くにいた男の腕を掴んで引き寄せた。
「え? ……アガッ!」
ギルダスがとどめのつもりで放った一撃は、盾代わりにされた男の体に喰いこんで止まる。
「……ひでぇ大将だな、てめえ」
崩れ落ちて痙攣する男に同情の眼差しを向けながら、ギルダスは曲剣を構えなおした。
顔を紅潮させて、ゼノが金切り声をあげる。
「うるせぇええ! 調子に……乗るなよおォ!」
叫びに合わせて、ショテルの赤紫の刀身が光を発した。その燐光を恍惚と見下ろして、ゼノが哄笑する。
「ヒッ、ヒヒヒ! 今度こそテメェは終わりだ! この俺の、“蛇使い”の力で、細切れにしてやるからさあ!」
「……あん?」
……すねいく・ますたーー?
「なんだおまえ? 『魂精装具』に名前なんかつけてんのか?」
ギルダスの呆れを歯牙にもかけずに、ゼノはけたたましく笑い続ける。
ショテルの刃が、その身を大きくくねらせていた。真っ直ぐに伸びたかと思えば、逆側に曲がり、また元の形状へと戻る。
グネグネと曲がりくねるその動きは、さながら蛇のようと言えなくもない。
――“歪曲”のソレスタ。
ソレスタの能力としては、さほど珍しいものではない。
だが、その使い手を選ばない凡庸性には定評があった。
刀身が使い手の自由に曲がるので、受けるのもかわすのも困難。刀身の根元から全方位が刃の届く範囲なので、鍔迫り合いなどもできない。こと接近戦においては、無類の強さを発揮する能力だった。
……というかなんであいつは、あの能力をいきなりバラしてんだ?
直前まで能力を隠しておき、近づいたら不意打ちをするという最も効果的な使い方を、ゼノは自分から放棄していた。それでいてその顔は勝利への確信に大きく歪んでいる。
「刻むよぉ、切り刻むよぉ。最初はどこがいい? 腕? 脚? 首は後回しにしてやるよ。最初から死んだらつまらないからなあぁ!」
狂的な台詞を口にするゼノを、ギルダスの冷めた眼差しで見ていた。端的に言うと、冷めていた。こんな奴に出し抜かれたのかという怒りすら沸いてこない。
……さっさと終わらせるか。
嘆息し、ギルダスは『魂精装具』に意識を集中させる。
曲剣が鈍色の光を放ち、ギルダスの望むがままの変化を起こしていく。
刀身を彩る斑模様の黒点が、波紋状にゆっくりと広がっていく。その波紋が刀身の縁に達したとき、それに合わせて刀身自体がわずかに揺らいだ。
この効果を、ギルダス自身は認識できない。だが、他人の目から見れば、その刀身が陽炎のようにぼやけて見えているはずだった。
狂乱状態から覚めたらしいゼノが、警戒してショテルを構えた。
「ホォ……“幻影”の能力かい? だがそれは最初から使っておくんだったねぇ。もう俺はおまえの『魂精装具』の長さを覚えてしまっているよ」
「……それで?」
つまらなそうに――心底からつまらなく思いながら、ギルダスは呟く。
ゼノの額に、青筋が走った。
「ヒ……ヒヒヒヒヒッ」
腹を抱えてゼノは笑う。その声がだんだんと高くなっていき、最高潮に達したとき、
「死ねェッ!」
その体がギルダスめがけて、突進を開始した。
ギルダスはその勢いを見極め、曲剣を振りかぶり――体ごとぶつける勢いで振り下ろす。
――バカめっ!
「ヒッヒャァッ!」
ゼノが急制動をかけて、突進の勢いを殺す。その体は、ギルダスの『魂精装具』の間合いのわずかに外――
「まずは、その腕から斬り落としてやるよぉっ!」
届くはずもない斬撃に、ゼノは防御もせずにほくそ笑んでショテルを持つ手を突き出し、
――ヒュッ。
「っ!」
熱いなにかを感じて、反射的に腕を引き戻した。驚愕しながら見つめる腕から、勢いよく血が流れ始める。二の腕に、深い創傷が刻まれていた。
「……な、なんで?」
先ほどと同じ反応で、ゼノは赤く染まった自分の腕を見る。
「誰が意味もなく出し渋るかよ」
ギルダスはその首に刃を横付けにして、冷酷に告げた。
「伸びるんだよ。俺の『魂精装具』はな」
――ギルダスの『魂精装具』の能力。それは、“幻影”だけではない。
無制限ではないが、“伸長”という刀身の長さを伸ばす能力も兼ね備えていた。
その能力のせいで、ゼノは斬撃の間合いを測ったつもりが、伸びた刃に利き腕を切り裂かれる破目になったのだ。
「ま、どっちにしても地味な能力には違いねぇがな。組み合わせれば存外に役に立つ」
「そ、そんな……卑怯……」
「……ああ、もういい。おまえ、死ね」
腕に、力がこもる。あとは勢いよく引くだけでその首は引き裂かれ――
「ま、待ちやがれっ!」
背後からの声に、ゼノの首に喰いこんだ刃の動きが止まる。
ギルダスはちらりと後ろに目をやり、わずかに目を見開いた。
そこにはいきり立つレイゾとその手下らしい男、そしてその男に拘束され短剣を突きつけられたリリーネがいた。
「剣を捨てろっ。でないと、このガキが死ぬぞ!」
「レ、レイゾ! よくやった!」
つい先ほどこき下ろされていたとも知らないレイゾは、ゼノの称賛を聞いて強張った笑みを浮かべる。対照的に苦しげな表情をしたリリーネが、閉じられたまぶたの隙間から涙を流した。
「ごめんなさい……」
かろうじて聞こえる程度の声で、リリーネが謝る。
居丈高な口調で、レイゾはギルダスに命じた。
「聞こえねぇのか! 剣を捨てろって言ってんだよ!」
「……捨てると思うか?」
暖かみ、というものを、まるで感じさせない声だった。レイゾの笑みが、かき消える。隙を窺っていたゼノも、ぎょっとしてギルダスを見つめた。
「こ、このガキがどうなってもいいってのか!?」
「俺が剣を捨てて、それでどうなる? てめえらがそいつを解放して引き下がってくれるのか?」
「そっ……」
「そんなわけねぇな。俺は殺されて、そいつもどうなるかわからねぇ。それがわかってて従うわけねぇだろうが」
「て、てめえ……」
レイゾの額から、汗が噴き出る。どうしたらいいのかわからずに、目を泳がせた。
迷うレイゾに、救いの手が差し出される。
「ひとつ、チャンスをくれてやる」
そう告げたのも、ギルダスだった。
「大人しくそいつを解放するのなら、おまえらは殺さないでおいてやる。ただし、もしそいつに傷でもつけたら、数倍にしておまえらに返す。かすり傷一つつけただけでもな」
「なっ……!」
「指を落としたら手を、手なら腕を切り離してやる。最悪殺したりなんぞしたら、ここにいる奴ら皆殺しだ。……おい、おまえ」
リリーネを人質にしている男が、雷に打たれたように全身を震わせた。
「おまえの動き次第で、おまえ含めてここにいる奴ら全員死ぬぞ。……どうするよ?」
「ハッタリだっ。そんなことができるわけ――」
「アホか。こいつを見れば、できないわけがねぇってことくらいわかるだろうが」
顎で指されたゼノの腕からは、変わらず血が流れ続けている。血止めをすれば死ぬまではいかないが、戦うこともできないであろう怪我だ。
彼らから見れば圧倒的な強者だったゼノを、ギルダスは傷一つ負わずに倒したのだ。これがいかにも強そうな古強者といった見た目をしているのなら、まだ納得できる。だが、ギルダスの中身はともかく、外見は年端のいかない少年である。
その落差がギルダスの言葉と相まって、言いようのない不気味さを強調していた。
「どうする? そいつを放して引き下がるか、殺して皆殺しにされるか。……俺はどっちでもいいがな」
今度こそ、レイゾは押し黙った。ゼノも、その他の男たちも、信じられないものを見るような目つきで、ギルダスを凝視している。
ギルダスの言うことは、これ以上はないというほど理屈的だった。
一人を助けれるかもしれない、という仮定だけを代償に、自分の命を犠牲にすることはできない。ギルダスはそう宣言したのだ。
だが、理屈は通っているにしても、こうまで酷薄にそれを言い放つその姿勢は、レイゾをはじめとしたこの場にいる者たちには理解できないものだった。
こんな状況で脅し返された経験など、彼らの誰一人として持ち合わせてはいない。
――実際には、それは半分以上演技であるとしても。
涙を零れさせるリリーネを見て、内心ではギルダスは歯を喰いしばっていた。
ギルダスに、リリーネを見捨てるという選択肢はなかった。リリーネを守ることもサフィーナの依頼には含まれている。それを最後まで放棄する気はない。なにより、ギルダスにはどんなに追い詰められようとリリーネを見捨てることはできない。根源的に不可能なのだ。やろうとしても、できない理由があった。
……クッ、ガ……!
軋むような胸の痛みを覚えながらも、ギルダスはそれを顔に出さないように取り繕った。
今やっているようなことだけでも、限界なのだ。実際に見捨てることを考えだしたら、『発作』はますますひどくなる。
「……っ」
こうなることも想定せずに、リリーネを置き去りしたことが悔やまれる。
……まだ、どうにもならないわけじゃねえ……!
心中を押し隠し、ギルダスは冷徹とした態度をとり続ける。
束の間の硬直状態が、静寂を生む。聞こえるのは、男たちの荒い息づかいと、ゼノの血が滴れ落ちる音だけ。
あそこまで言われて、実際にリリーネを傷つけようとする胆力の持ち主はここにいなかった。唯一怪しいゼノも、いまはギルダスに動きを抑えられている。
「どうする? 睨め合ってても俺は楽しかねぇんだがな」
皮肉気に口元を歪めて、ギルダスは答えを急かした。
提示した選択肢以外にも、レイゾたちに取れる手段はあった。リリーネを人質にしたまま引き下がられれば、ギルダスには手の出しようがない。
今の状態が続けば、頭が冷えて冷静になる者も出てくる。
だからギルダスはその方法を思いつかせる前に、わざと床を強く踏み鳴らした。
そしてそれは――期待とは逆の効果を生んだ。
「ひ……」
リリーネを拘束している男の喉から、ひきつれた声がこぼれ出る。その目は血走り、恐慌状態に陥っていることを物語っていた。
……まずいっ……!
リリーネの首筋にそえられた刃が一瞬離れ、
「ひぃいいいいいっ!」
その胸に振り下ろされた。