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7.強襲(1)

 翌朝、ギルダスとリリーネの二人は連れだって『背徳の楽園』の門をくぐった。

 念のためにゼノの手下らしき姿がないことを確認した上で、店の場所を知っているリリーネが前を歩き、ギルダスがそれについていく。

 ギルダスは外套のフードをかぶって赤い髪が目につかないようにしているが、まだ朝早いこともあってか人通りは少なかった。

 警戒する相手もなく暇を持て余したギルダスは、拍子抜けした気分で足を進めていた。揉め事を期待していたわけではないが、それでも娼館を出ると聞いて身構えていたのだ。

 もっとも、前を行くリリーネはその限りではないらしい。さきほどからビクビクと肩を震わせて、盛んに周囲に目をやっている。

「……おい」

「は、はいっ?」

 見かねてギルダスが声をかけると、リリーネはなにか悪いことでもしたのかといった感じで振り返った。

「そんなにビクビクすんな。それじゃ帰って目立つ。普通に歩け、普通に」

「……はい」

 少し気を落として、リリーネは歩きだす。しかし数歩も歩かないうちに、また立ち止まってしまった。

「あの……少し訊いてもいいですか?」

 そのまま振り返って、上目遣いでギルダスを見つめた。

「なんだ?」

「最初に会ったとき、なんで私を助けてくれたんですか?」

 いきなりの質問に、ギルダスは虚を突かれた。

「なんでって言われてもな……」

……もしかしてこれが訊きたくて、娼館では俺のまわりをうろついてたのか?

 ギルダスは面倒に思い、いい加減な返事をする。

「そうだな。困っている奴を見過ごせなかった――ってのはどうだ?」

 途端にリリーネが、不満げな顔をした。あっさり嘘だと見抜いたらしい。

 抗議の眼差しを受けたギルダスは苦笑して、別の答えを言った。

「おまえが気にするような理由なんざねぇさ。強いて言えば……たまたまだな」

「たまたま?」

「たまたまムシャクシャしてて、ちょうど良くぶん殴っても問題なさそうな奴らを見かけた。で、たまたまおまえがそいつらに絡まれてた。――ま、そういうこった」

 リリーネが目を伏せる。本当なのかどうか迷っているような顔つきだった。わりと正解に近い理由を言っただけに、判別はつかないだろう。

 とはいえ、これ以上突っ込まれるのも具合が悪い。目を伏せたまま考えこんでいるリリーネに、ギルダスはさりげなく質問をぶつけた。

「ところで買いに行く物ってのは、なんなんだ?」

「あの……それは……」

 リリーネは口ごもって言葉を濁した。

 口止めでもされているのかと思ったが、そんな感じでもない。耳がほのかに赤くなっていた。

「なんだ? 言いにくいもんなのか?」

「えっと……はい」

 申し訳なさそうにリリーネは頷く。

「……ま、どうでもいいがな」

 話題を逸らされたことに気づいていないのか、リリーネはまたすぐに歩き始めた。

 それから少し経ってから、リリーネは足を止めた。

「あ……ここです」

 どことなくほっとした様子でリリーネが指したのは、一見どこにでもありそうな建物だった。商っていることを示す看板などは一切ない。なにも知らない人間なら、そのまま素通りするほどの素っ気なさだった。

「ここ……なのか?」

 リリーネは頷き、控えめに戸を叩く。まだ寝ているのか、反応はなかった。ノックの回数が十回を超え、ギルダスが本当にここなのかと疑い始めたころに、

「誰だい?」

扉を開いて、陰気そうな老婆が顔を出した。

 シワだらけの顔についてある目で、ぎろりとリリーネを見る。鼻を鳴らして、しゃがれた声を紡いだ。

「あんたかい」

 老婆の目が、後ろに立っていたギルダスに向けられた。

「こっちの坊やは? 初めて見る顔だね」

「あの……『背徳の楽園』で用心棒をしてくれている――」

「ああ、あんたが噂の……」 

 最後まで聞かずに、老婆は納得した様子で頷く。

 素性がわかって興味を失くしたのか、

「いつものだね。ここで待ってな」

老婆はそれだけ言って、さっさと中へ引っ込んでしまった。

「なんだありゃ? 愛想のないバアさんだな」

「でも、品質は確かなんです。今まで一度も量が足りなかったってこともないですし。それに無愛想に見えますけど、親切な人なんですよ。時々、私にも薬湯をごちそうしてくれます」

 控え目に、どことなく焦った様子で、リリーネが老婆のフォローをする。

 ほどなくして、再び老婆が顔を出した。その手には、小ぶりの袋が乗っている。

「無愛想で悪かったね」

 年のわりに耳はいいらしい。眼光鋭く睨みつけられたギルダスのかわりに、リリーネが慌てて頭を下げる。

「呑み方はいつも通りだよ。酒で呑んだら効果ないからね。ちゃんと水で呑むように言っときな」

「ありがとうございます」

「本当ならこんなもん売りたくないんだよ。あんたも早く今の商売から足洗って、こんなもん呑まないですみようになりな。こんな、子種を殺すような薬なんかね」

 言うだけ言うと、老婆はリリーネに袋を押しつけ、代わりに代金をひったくって、扉を閉めてしまった。

 ぎょっとして、ギルダスはリリーネの手に乗った袋を注視する。

「……おい、それって――」

「……赤ちゃんが、できないようにする薬です」

 消え入りそうな声で、リリーネは呟く。その顔は、真っ赤に染まっていた。

 ……道理で、教えたがらないわけだ。

 ギルダスは真っ赤になってうつむくリリーネの傍らで、ひとり納得していた。


「それで、あのマチルダさんっていうんですけど、あのお婆さんは変わり者で知られているんです」

 帰り道、リリーネは気恥ずかしさを隠すためか、いつもよりも饒舌じょうぜつだった。

「薬師としての腕は本当にすごいんですよ。この町の人はみんな認めてるし、けど、偏屈へんくつというか、気難しいところがあって、客の選り好みが激しいんです」

 娼婦たちが使う避妊薬も、実際に使う女には売ってくれないと言う。

「それで、あの、だから、私がいつも買いに行っているわけなんですけど……」

 焦るあまり、途中から自分でも何を喋っているのかわからないような有様だったが、

「初めて会ったときも、あそこに寄った帰りだったんです」

そこまで話すと、もう話すことがなくなったらしい。言葉を探して、結局は口をつぐんでしまった。

 ギルダスも会話をしたいわけではないので、自分から話題を振ることはない。

 代わりに、あることに気を取られていた。

――ただ歩いているだけなのに、さっきから注目を集めている。

建物の影から、あるいは家の窓から、自分たちを覗くように見る視線がそこかしこにあった。

『背徳の楽園』のサフィーナが、少年の用心棒を雇った――その噂はかなりの範囲で広まっているようだった。

 噂を知る者には顔を見たことがなくても、リリーネと一緒にいる少年――それだけで、ギルダスの素性は想像がつく。

 ……まずったか?

 このまま注目を集めれば、ゼノの手下を呼ばれる可能性がある。

「おい――」

 少し急がせようとリリーネに声をかけ、ギルダスはその判断が遅かったことを知った。

 いくつもの通りが交差する広めの空間。そこに行きついたとき、武器を持った男たちがわらわらと湧き出してきた。

「っ……!」

 怯えるリリーネの肩を掴んで引き戻し、ギルダスは視線を走らせた。

 ざっと見ただけで十五人はいる。全員がそろって武装していた。

「……チッ」

 リリーネを背後にかばいながら、ギルダスは忌々しげに男たちを睨みつけた。

 ……妙だな。

 集まるのが早すぎる。『背徳の楽園』を出てから、それほど時間が過ぎているわけでもない。それなのに、これだけの数が集められるものなのか?

 ギルダスが警戒しながら考えを巡らせていると、一人、後方で偉そうにふんぞり返っている男が、にやにや笑いながら声をかけてきた。

「よう。久しぶりだな」

「誰だ、おまえ」

 ギルダスの即応に、気まずい沈黙が訪れる。

 男は恥辱ちじょくに顔を紅潮こうちょうさせ、

「クソガキがっ……!」

ひねり出すような怒声をあげた。

「とぼけんじゃねぇっ! 前に『背徳の楽園』でてめえと顔を合わせた、レイゾ様だよ!」

「……ああ。そういやいたな、そんな雑魚」

 四人いたうちのリーダー格が、こんな顔だった気がする。どうでもいい存在だから、記憶から抹消まっしょうしていた。

「たしか、一番後ろにいて五体満足で済んだ奴だったな。今回も後ろから高みの見物か? ……ハッ、安全な場所で、偉そうにしてるんじゃねぇよ」

「て、てめぇ……!」

 レイゾは呻いたきり絶句した。

 怒りのあまり、まともに声も出なくなったらしい。

 ギルダスはリリーネ以外には聞こえないように、小声で話しかけた。

「おい。行きに使った以外の道はないのか?」

「ありますけど……かなりの遠回りになります」

 震える声を聞いて、ギルダスは舌打ちした。

 店に行く際に使った道には、五人の男が立ちふさがっている。

 他に道があるのなら、適当に男たちをあしらいながら『背徳の楽園』に向かおうと考えていた。

 あるいは、一人ならこの人数でも切り抜けられる自信はあったが、今はリリーネがいる。

 庇いながらの強行突破は、賭けになる。

 気を取り直したらしいレイゾが、安っぽい台詞を口にする。

「へっ……。余裕ぶってんのも今のうちだぜ。てめえらの帰る場所も、もうすぐなくなるんだからよ」

「……あァ?」

 ギルダスはすっと目を細めた。

「どういう意味だ、そいつは?」

 ギルダスが殺意をこめて睨みつけると、先日の一件を思い出したらしいレイゾは顔を引きつらせて後ずさる。

「さ、さあな?」

 上擦った声でとぼけるレイゾに、ギルダスは違和感を覚えた。

 ……こいつ、こんなに気の長い奴だったか?

 怪訝に思ってぐるりと見回してみても、男たちはすぐに襲いかかってくる様子がない。取り囲んでいるだけだ。

 これだけの人数がいるなら、数に任せて問答無用でかかってきてもおかしくはなかった。それになぜか、男たちがいるのは『背徳の楽園』につながる道と、そちら方面だけだ。

 背後は、がら空きになっている。

「っ……!」

 ギルダスの脳裏に、ひとつの可能性か浮かび上がった。

――まさか……!

 所詮は推測だ。確証はない。

 だが、ギルダスは自分の直感を信じることにした。

「戻るぞ」

「……?」

「こいつらは足止めだ。こいつら――ゼノの狙いは、『背徳の楽園』だ」

「えっ?」

 目を白黒させて、リリーネは固まった。

 だが、いちから丁寧に説明している時間もない。

「道を空ける。しばらく、動くな」

 言うなり、ギルダスはもっとも近くにいた男に向けて踏み出した。

魂精装具ソレスタ』の具現化は、慣れれば普通に剣を抜くよりも早く終わらせられる。

 肉迫し、斬撃の最中に曲剣の具現化を終わらせたギルダスは、剣を肩に担いだまま慌てている男を斬りつけた。

 ろくに反応もできないまま、男は肩から腹にかけて切り裂かれる。そのまま悲鳴もあげれずに仰向けに倒れた。

「テメェッ!」

 怒号と唸りが湧きあがり、男たちはギルダスに殺到した。

 一斉に気色ばむ男たちの中で反応が早い者を見極め、優先的に狙いを定めていく。

 体をかがめた状態から、跳躍。勢いのままに突き出した切っ先が、剣を振り上げた男の腹に突き刺さる。切っ先は簡単に肉を裂き、背中から突き抜けた。

 貫通した刀身を力任せに引き抜き、反動をそのまま後ろから斬りかかろうとしていた男に叩きつける。切り裂かれた男の首から血が噴き出て、髪を濡らす。

 これで三人。まだ、十人以上残っている。

 前と後ろから、同時に剣が突き出される。ギルダスは横によけて二本の剣をかわす。そのまま体を回転させて、剣を交錯させた男たちの胸と腹をまとめて切り裂いた。

「っ……!」

 さすがに回転しながら一閃で二人を斬り倒すのは無理があったのか、その体が斜めに傾く。

 それを好機と見た男の剣が振り下ろされる。だが、ギルダスは体勢を立て直さずそのまま地面を転がった。

 顔のすぐ横で、石畳に激突した剣が派手な音を立てる。

 起きあがりざま、膝をついての一撃は手を痺れさせた男の脚を断つ。痛みにもがく男の胸に刃を突き立て、ギルダスはその命を奪った。

 これで六人。

 リリーネを人質にする――そんなことを考えつく時間すら与えないほどの速攻だった。

 ギルダスはわざと酷薄な笑みをつくって、周囲を睥睨する。

 レイゾを含めてまだ十人ほど残っているが、そのほとんどは戦意が半減している。息を呑んで、ギルダスを見つめていた。

 立ちすくむリリーネの手を取って、ギルダスは駆けだした。道を塞ぐ男たちは、血に濡れたギルダスを見て腰が引けている。間合いの外から『魂精装具ソレスタ』を振るだけで大きく飛びのいて道を空けた。

「追ってくるなら殺すっ、それ以外は見逃してやる!」

 叫びながら、その間を一気に走りぬける。

 背後からレイゾの怒声が聞こえるが、脅しが利いたらしい。追ってくる気配はなかった。

 かわりに息を切らせたリリーネの声が、問いかけてくる。

「ど、どういうことですかっ? 『背徳の楽園』が狙われるって?」

「そのままだ。あいつらは足止めに過ぎねえ! 本命はサフィーナと、『背徳の楽園』の方だったんだよ!」

「でも……あそこは『聖域』で……」

 信じられないといった様子で、リリーネが呟く。

 ギルダスは歯ぎしりをしながら走り続ける。

 リリーネの盲信を、馬鹿にはできない。

 サフィーナに聞くまで『聖域』の存在すら知らなかったギルダスですら、漠然とその絶対性を信じてしまっていたのだ。

 たった数日間の安寧で緩みきった自らの思考を、ギルダスはあざけった。

 絶対に安全な場所など、存在しない。

『聖域』を『聖域』たらしめているのは、組織の権力者たちの力の均衡きんこうと利害が重なり合った偶然でしかない。

 力の均衡が崩れたら、あるいは利害などどうでもいいと考える、先を見ない馬鹿の暴走があったら――

『聖域』の存在意義は、その時点でなくなる。

 ギルダスの浮かべる笑みが、自嘲から獰猛どうもうなものに変わる。

「上等だ、クソが……!」

 手を引かれて後ろを走るリリーネの、息を呑む音が聞こえた。

 出し抜かれたのは認めてやる。だが――最後まで思い通りにはさせない。借りは返す、絶対に。

 そのためにも、自分たちがたどり着くまでは『背徳の楽園』には無事でいてもらわなくてはならない。

 だが、その点をギルダスは心配していない。

――あそこには、あいつがいる。

 一年以上の付き合いになる雇い主の無表情を思い出しながら、ギルダスはただ走り続けた。

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