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4.赤髪の用心棒(4)

『さっさと出せって言ってんだろがっ!』

――ギルダス・ソルードは寝起きが悪い方ではない。

 むしろ、周囲で異音がしたらすぐに目を覚ましてしまうし、起きたばかりでも意識ははっきりとしている。長年、傭兵として働いた習い性だった。

 とはいえ、寝起きが良いことと、目覚めたばかりの機嫌は関係ない。

 気持ちよく寝入っているところを起こされれば機嫌も悪くなるし、しかもその原因が野太く耳障りな怒声とくればなおさらだった。

『背徳の楽園』――その三階のある部屋のドアが、乱暴な勢いで開けられた。のっそりと部屋に入った少年の口から、誰が聞いても不機嫌とわかる声が出る。

「ここは、こんな時間から開いてんのか?」

 乱れた赤髪を掻き回しながら、ギルダスは雇い主の立つ窓辺へ歩み寄っていった。

 すぐ後ろには、リリーネがいた。ギルダスを起こしに部屋を訪れて、そのまま後についてきたのだ。

「まさか。ここはお昼から深夜までの営業よ」

 そう答えるサフィーナの身だしなみは、寝ていないのではないかと思うほど整っていた。長い髪に寝癖はなく、服もシワ一つ見当たらない。

「じゃ、ありゃなんだ?」

 窓から門を見下ろすと、外には数人の男たちがいた。揃って屈強な体つきと凶悪な人相をしているが、頭もあまり良さそうには見えない。

「あれがお客さんに見える?」

「……見えねぇな」

 男たちは門の前をうろつきながら、怒鳴り声を張り上げている。まだ早朝で近所迷惑もいいところだが、文句をつけようという住人は現れなかった。

 うんざりしながら、ギルダスは男たちの声に耳を傾ける。

 男たちの言っていることは、単純だった。

 ここにいるはずの赤い髪のガキ――ギルダスを出せと要求しているのだ。そんなことを言う時点で、男たちの正体は明らかである。

 そうなると、ギルダスのやることも決まってくる。

 寝起きの体をほぐしながら、ギルダスはサフィーナに問いかけた。

「いま思いついたんだが……門から出た途端、大勢に取り囲まれるってこたぁないよな?」

「だとしたら、また中に戻ってくればいいと思うけれど、そこまで心配する必要はないわ。ゼノもあなた一人にかかりきりというわけにもいかないでしょうから」

 いつ出てくるかもわからない相手に、それほど多くの手下を割けないということだろう。ギルダスは納得して頷いた。

「それもそうか……。それじゃとっとと片付けてくるが、殺した方がいいのか?」

「さすがに死人が出たらゼノもムキになると思うし……それに片づけもあるから、できるならその手前で抑えてもらえるかしら?」

「まあ、できるだけな」

 あくびを噛み殺しながら、ギルダスは気軽な調子で答える。散歩に出るような足取りで部屋を出ていくその姿は、これから殺し合いにいくとはとても思えない。

 実際、当の本人にそんな意識はなかった。


 ギルダスの姿が見えなくなっても、リリーネは不安そうに開けられたままのドアを見つめていた。

 珍しいことではない。この少女は、いつもなにかに不安を覚えているような顔をしている。だが、それが外部の人間に向けられたことはなかった。

 微笑を浮かべたサフィーナが肩に手を置くと、リリーネは驚いたように振り返る。

「心配?」

「……いえ、でも……」

「彼の強さは知っているのでしょう?」

「あのときは……なにがなんだかわからないうちに、終わってたから……」

「大丈夫よ。少なくとも、あの程度には負けないわ。私の見立てではね」

 サフィーナが外を見ると、鮮やかな赤い髪が門の方へ近づいている。

「お手並み拝見ね」

 その声は、確信に満ちていた。


 ギルダスが外に出ると、正門の覗き穴から御者をしていた老人が外の様子をうかがっていた。

「何人だ?」

 老人が振り返り、片手を上げる。指は四本立っていた。

「四人か。思ってたより少ねぇな」

「大丈夫なのか?」

 拍子抜ひょうしぬけしたように呟くギルダスに、老人が低い声で尋ねてきた。こんな状況にも関わらず、怯えている様子はない。

 改めて見ると、年齢を感じさせない引き締まった体つきで、眼つきも鋭い。若い頃には相当な修羅場しゅらばをくぐってきたことが想像できた。

「あの程度ならな」

 老人の不信の眼差しは変わらない。ギルダスも、口先だけで信用されるとは思っていない。ここに来るまでに向けられた娼婦たちの眼差しにも、はっきりと不安がこめられていた。

 それなら、結果を見せつければいいだけだ。

「……開けるぞ」

 老人が片側の門扉に手をかけた。ギルダスが頷くと、大きな門がゆっくりと開かれていく。

 罵声ばせいが止み、代わりに悪意のこめられた視線が集中する。

 ギルダスは男たちの視線を浴びながら、悠然と『聖域』の外へ踏み出た。


 門から出たギルダスを迎えたのは、男たちの下卑げびた笑い声だった。

「本当にガキじゃねえか」

「こんなのにやられたのかよ?」

 あからさまに見下した口調で、男たちは嘲笑あざけわらう。

 特に警戒した様子も見せないその態度は、自分たちがこんなガキにやられるはずがないという、根拠のない自信から来るものだった。

 ギルダスは冷めた目で、男たちの手に握られた剣を見る。

 人数は以前に叩きのめしたときより一人増えただけだが、男たちはみな剣で武装していた。手入れが行き届いているとは言えないが、人を殺すには十分すぎる機能をその剣は備えている。

「……なるほどな」

 最初から、やる気ってことか。

 ギルダスの目に、剣呑けんのんな光が宿る。

 朝早くから起こされ、戦働きもしたことがなさそうな男たちに見下され、挙句にガキ呼ばわりされる――ギルダスの機嫌は、これ以上ないほど悪くなっていた。

 幸いというべきは、機嫌を晴らすのにうってつけの相手が近くにいることか。遠慮する要素など、どこにもない。

「おい、ガキ」

 ギルダスから最も距離を置いていた男が、声をかけてくる。その途端、他の男たちの声が止んだところを見るとリーダー格なのかもしれない。だが、ギルダスには他の男たちと同じようにしか見えなかった。

「てめえがベックたちを痛めつけてくれたのか?」

「名前なんぞ、知らねぇよ」

 たったそれだけのやりとりで、男たちは殺気立つ。短気にもほどがあるが、今のギルダスには好都合だった。

 言葉を交わす気はない。今やるべきことは、男たちを痛めつけて追い払うことだ。リゼッタやサフィーナの相手をするよりも、はるかにわかりやすいし、やりやすい。なにより、“性に合う”。

「……さっさと片付けるか」

 ギルダスの呟きは、男の耳には入らなかったらしい。

「いい度胸じゃねぇか。そんなクチ聞いてどうなるか――」

 男の陳腐ちんぷな脅し文句に、ギルダスは聞く価値を見出さなかった。

 右腕を持ち上げる。脅しを口にしている男に、真っ直ぐに伸ばした。その手は、なにかを握るような形をしている。

「……あ? なんだそりゃ?」

 リーダー格の男が、顎をしゃくる。

 それに従って他の男たちが動き出し――そして、そろって体を硬直させた。

 なにもないはずの空間から、ぽつぽつと光を放つ粒子が湧き出てくる。

 その色は、灰と黒。湧きだした無数の粒子は、最初は緩慢に、だんだんと早い動きで、渦を巻きながらギルダスの右腕の延長線上に収束していく。粒子同士が集い、結合し、光を失いながらひとつの物質を形作っていく。

 光の舞踏が終わったとき、ギルダスの右手には一本の剣が握られていた。

 通常の剣ではありえない、切っ先から柄頭まで灰色の両手剣。歪曲した幅広の刀身には黒のまだら模様が散らされている。

「……フッ!」

 ギルダスは体躯に不釣り合いなその曲剣を一振りして、刃にまとわりつく最後の燐光を振り払った。

「ソ……『魂精装具ソレスタ』……?」

 信じられないようなものを見る目が、ギルダスの具現化した曲剣――『魂精装具ソレスタ』に集中した。

魂精装具ソレスタ』――人の魂の具現化した物。この世界のただひとつの奇跡。それは、男たちの侮っていた赤髪の傭兵の手に、たしかに存在していた。

 誰かのつばを呑む音が、静まり返った空間に響き渡った。

「てめえ……『精錬者』だったのか?」

 リーダー格の言葉に、ギルダスは陰惨いんさんな笑みを浮かべる。

「だったらどうした? やるこたぁ変わらねえだろ」

 言葉が終ると同時に、石畳を蹴る。なんの気負いも見せないその行動は、男たちの不意をつく結果となった。

 最もそばにいた男に肉迫にくはくし、その腕へ曲剣を叩きこむ。

――カッ。

 軽い手ごたえを残して、男の腕が分断され、

「……へ?」

 呆然とした男の目の前で、をえがきながら宙を舞った。

「あ……が、ぎゃぁああああぁあっ!」

「うるせぇ」

 遅れてやってきた激痛に泣き叫ぶ男を足蹴にし、ギルダスは残りの三人に向き直った。

「来いよ。遊んでやる」

 青ざめていた男たちの顔が、一瞬で真紅に染まった。

 唸り声をあげながら、右と左の両側から二人が同時に斬りかかってくる。

 後退し、二本の刃をやり過ごしてから右の男の懐に踏み込んだ。とっさのことにのけ反った男の指先で、斬線が閃く。

 二人がすれ違った後に、男の剣とそれを握っていた指が数本、まとめて落下した。恐慌状態で這いつくばった男の面前で、ギルダスは落ちていた指を思い切り踏みつぶす。男が悲痛な叫びを上げた。

 その動作を隙を見たのだろう。

 初撃をよけられた男がギルダスの背後に回りこみ、剣を振り下ろした。

 ギルダスはそれを片足を引く最少の動作でかわす。その動きをそのまま斬撃に繋げ、振り下ろした状態の両腕に見舞った。

 なにが起こったのかわからないといったように、男は自分の両腕を見る。肘から先が、消えている。剣を握った状態で、地面に転がっていた。


 すべてが一瞬で終わった。

 悲鳴をあげてのたうち回る三人の男を、ギルダスは冷やかに見下ろしていた。誇る気持ちもない。戦慣れした傭兵と無法者ゴロツキが戦えば、こうなることは目に見えていた。

 残ったリーダー格の男は、目の前の光景が信じられないかのように固まっている。

 ギルダスは血の滴る切っ先を、その男の眼前に突きつけた。

「よかったな。最後で」

「ひっ……!」

「ゼノに伝えろ。俺のことは忘れろってな。あと、ここにも手出し無用だ」

 主の名を耳にして、男の目から怯えが薄れた。

「な……何者だ、テメェ……?」

「“ここ”に雇われた用心棒だ」

 肩越しに、背後の『背徳の楽園』を指さした。そのあとで悲鳴を上げる男たちを視線で示し、

「こいつらも連れて帰れ。血止めすれば死ぬこともねぇだろうよ。それと、もし次に来たら――」

 ヒュッ!

 横薙ぎに振った曲剣から飛び散った血が、男の顔面を赤く彩る。

「言うまでもねぇよな?」

 男は恐怖に震えたまま、カクカクと頭を上下に振った。

 すっかり戦意を喪失した男をつまらなそうに見て、ギルダスは身をひるがえした。

 戦いとも呼べない一方的な結果に目をみはっている老人の脇をすり抜け、『魂精装具ソレスタ』の具現化を解く。曲剣は元の灰と黒の粒子に戻って、虚空へ消えていった。

 ……さて、どうなるかね。

――最初にある程度の実力を見せつけて、つまらない小細工や嫌がらせはなくす。

 それがギルダスの狙いだった。あえて『魂精装具ソレスタ』を使ったのも、そのためだ。

 いたぶるような残虐な演出も、鬱憤うっぷんを晴らすことだけが目的ではない。過剰に痛めつけられれば、そのとき感じる恐怖はより大きなものになる。その恐怖がゼノやその手下たちに伝われば、ここへも簡単に手出しできなくなる。

 もちろん、これはギルダスの思惑通りにいった場合のことだ。実際にうまくいくかまではわからない。

 ま、時間が経てばわかることだな。

 たいして深くも考えずに、ギルダスは『背徳の楽園』の扉を押し開いた。


『キャアアッ!』

――直後、歓声に包まれた。

「……あん?」

 唖然としたギルダスを、娼婦たちが取り囲んでいく。みな満面に喜色を浮かべていた。

「すごいじゃないの、キミ。あいつらを軽々と追い払って」

「どうやったのさ、アレ。あんた何者?」

「胸がスッとしたわぁ。さすがに姉さんの見込んだだけはあるわねっ」

 注目を一身に浴びて思わずたじろぐギルダスに、次々と声がかけられる。

 そのほとんどはギルダスへの賛辞と質問だったが、そもそも答えなど期待していないのではないかというほど切れ目がない。

「ちょっ、おい。離れろっ……」

 いい気がしないでもなかったが、ここまで多いとうるさいとしか感じられなかった。抗議の声も、あっさりとかき消される。

 囲まれて身動きもとれず、いい加減うっとおしくなってきたときだった。

――パンッ、パンッ。

「はい。そこまで」

 階段上にいたサフィーナが、手を打ち鳴らして注目を集めた。

「午後からはお客さんが来るわよ。朝食を済ませて、お迎えの準備を。料理の下ごしらえもね」

『はいっ』

 階段を降りながら、サフィーナは娼婦たちに指示を与える。女たちは素直に応じて、それぞれの役割を果たすために動き始めた。何人かは一階に残って厨房の奥に向かうか食堂の掃除を始め、残りは階段を昇って階上へと消えていった。

 波が引くように離れていった娼婦たちのかわりに、サフィーナがギルダスの前に立った。隣には、リリーネもいる。娼婦たちのあまりの変わり身の早さに呆然としているギルダスに、サフィーナがねぎらいの声をかけてきた。

「お疲れ様。よくやってくれたわね」

「あ、ああ」

 サフィーナはギルダスの視線の先にあるもの――嬉々として働いている娼婦たちを見て、小さく呟いた。

「ここ数日お客さんが来なくてかなり溜めこんでいたから……本当に感謝するわ」

「……礼を言われることじゃねぇな。仕事だ」

 無愛想な返事を気にした素振りも見せず、サフィーナは笑顔を向けてくる。サフィーナ自身もうれしかったらしく、浮かべる笑みも本心からのものに思えた。

「それにしても、まさか『精錬者』だったとはね」

 ギルダスは肩をすくめた。隠していたつもりはない。言う必要がなかったから、言わなかっただけだ。

「そんなことよりも――」

 探るような眼差しを無視してギルダスが鼻をうごめかすと、早くも香ばしい匂いが漂ってきた。どうやらここでは娼婦手ずから料理をしているらしい。今は、自分たち用の食事の支度をしているのだろう。

「メシ、もらえるか? 腹が減った」

 ギルダスの腹を擦りながらの言葉に、近くにいた娼婦たちが苦笑する。

「ええ、準備させるわ。でも、その前に……」

 さっそく上がろうとするギルダスを、サフィーナが制止した。指が、足元を差している。

「靴に付いた血を、落としてもらえるかしら?」

 体に返り血はなかったが、靴底は指を踏みつぶした際にたっぷりと血を吸っている。地面には、足跡が赤くくっきり残っていた。

 リリーネが、おずおずと布を差し出してくる。

「これで拭けってことか?」

 あからさまに面倒くさそうなギルダスの問いにも、サフィーナはただ微笑を浮かべているだけだった。その笑顔になぜか怖気を感じて、ギルダスは呻く。

「……う」

 サフィーナから発せられる逆らいがたい無言の圧力に負けて、ギルダスは渋々と布を受け取った。手早く靴を拭いて、突き返す。

「ほらよ。これで文句はねぇだろ?」

 あら、とサフィーナが首を傾げた。

「最初から文句なんて言っていないけれど?」

 口元を引きつらせたギルダスが睨みつけても、その笑みは崩れない。少しの間、睨み合い、結局、先に目をそらしたのはギルダスだった。

 そのとき、じっとこちらを見据えているリリーネが視界に入った。伏せがちな顔を上げて、まるで観察しているような眼差しを向けている。

 居心地が悪くなるような眼差しだったが、それも数秒のことだった。

 ギルダスと目が合ったことに気づくと、リリーネは慌てて顔を伏せた。そのまま血に汚れた布を持って、足早に厨房へ走っていってしまう。

「……なんだ、ありゃ?」

「さあ」

 楽しそうに笑うサフィーナを、ギルダスは怪訝に見た。

 なにか隠してそうな気もしたが、あえて問い詰めようとまでは思わない。

 ……昨日のことを、引きずっているだけかもしれねぇしな。

 騒がしくなり始めた食堂を後にして、ギルダスは自室へと引き上げていく。

 ギルダスの意識は、すでに運ばれてくる予定の朝食に切り替わっていた。

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