3.赤髪の用心棒(3)
サフィーナに振る舞われた夕食を済ませ、あてがわれた部屋に入ったギルダスはすぐにベッドに身を投げ出した。
外はすでに暗くなっている。このまま寝てしまいたいところだが、そうもいかない事情があった。
ギルダスはベッドに寝そべったまま、もうすぐ来るはずの来客を待ちかまえる。
案の定というべきか、それほど待たずにノックの音と同時にドアが開けられた。
「よう」
来客に手を上げて、体を起こす。
静かにドアを閉めた後、リゼッタはいつもどおりの足取りでギルダスのいるベッドのそばまで近づいてきた。そのまま、感情を消した顔でギルダスを見下ろす。
「ギル……」
「あ?」
瞬間、なにも読み取れないように見えたリゼッタの目に、はっきりとした感情が宿った。
「――あなたは、なにを考えているんですか!?」
真上から降ってきた怒声に、ギルダスは身をすくませる。
「や、まあ、落ち着けって」
「落ち着いていられますか! 私たちがここに来たのは娼館の用心棒をやるためではないんですよ! それなのに……」
「仕方ねぇだろう? こんなことになったんじゃ、『魔装具』を探すどころじゃ――」
「そもそもの原因が、誰にあると思っているんですか!」
押し殺していた感情を一気に吐き出しているのだろう。リゼッタの怒りはとどまるところを知らず、さっきまで無表情だったその顔には、はっきりと怒りの感情が刻まれていた。
……ダメだな、こりゃ。
冷静さをかなぐり捨てて怒りを撒き散らすリゼッタを見て、ギルダスは“今”の彼女とまともに話すことを諦めた。
後のことを考えたら、できれば取りたくない手段だが――
「……はぁ」
「ため息をつきたいのはこっちで――って、きゃあっ!?」
ギルダスはリゼッタが身を乗り出した瞬間に、ベッドから跳ね起きた。そのままリゼッタの背後に回りこみ、素早く腕をひねり上げて抵抗を封じる。その手を、襟から服の中へ滑らせた。
「ちょ……なにを――」
「悪ぃな。少し我慢してくれ」
「や、やめ――」
はたから見たら強姦魔と誤解されそうな振る舞いで、ギルダスは胸元をまさぐった。顔を赤らめて、リゼッタは身をよじる。
ギルダスの指先が、目当てのものに触れる。さらに深く手を差し込み――
「や、いやぁ……え?」
「……っと」
――そのまま引き抜いた。
抜き出したその手には、白い仮面が握られていた。そのままそれを、唖然としているリゼッタの顔へ近づける。
紐も耳にかける部分もないその仮面は、リゼッタの顔に接触すると磁石のように吸い付き、皮膚に密着した。
「……!」
リゼッタの体が硬直し、一瞬後には力が抜け落ちる。だらりと弛緩した体を、ギルダスはとっさに支えた。
「……落ち着いたか?」
「……ええ。腕を放してもらえますか」
声をかけると、感情のない声音で返事があった。
ギルダスが拘束を解くと、リゼッタは乱れた襟を直してからゆっくりと振り返った。
「――少し、取り乱していたようですね」
その挙動からはさっきまでの怒りが嘘のように、感情が抜け落ちている。
その顔を覆う白塗りの仮面が、さらにその印象を強くしていた。
仮面自体は、どこにでもありそうな安っぽい造りのものだ。額から鼻までを、隙間なく覆い隠している。目にあたる部位の黒い硝子が、まっすぐにギルダスに向けられていた。
見た目はごく普通のその仮面の効果――それは、着用者の感情を抑制するというものだった。
そんなものをどうやって作ったのか、なんでリゼッタが持っているのか。ギルダスはなにも知らない。知りたいとも思わない。
ただひとつ言えることは、これが激情的な部分を前面に出したときのリゼッタを抑えるのに、役に立つということだった。
「それでは――理由を聞かせてもらいましょうか」
余計な前置きなど一切なく、リゼッタは本題を切り出した。
サフィーナの用心棒になってほしいという依頼を、ギルダスは引き受けていた。リゼッタが訊いているのは、その理由である。
本来ならやらないことだ。
いまはリゼッタに雇われている身だし、同時に二つの依頼をこなすほど、ギルダスは勤労意欲に溢れているわけでもない。
だが――
「いまのおまえなら、説明するまでもねぇだろ」
「たしかに彼女の話には筋が通っていましたが、信用できるのですか?」
「さあな」
無責任な返事をしたが、実のところ選択の余地はなかったと思っている。
ギルダスたちが選べるのは、サフィーナの話に乗るか、断って無法者たちを正面から敵に回したまま目的を果たすか――
後者は、あまりに現実的ではなかった。
だが問題は、サフィーナの依頼を受けても、娼館にこもっていては目的を果たせないということだ。
『あと十日。それだけ経てば、状況が変わるわ』
サフィーナはそう言った。
いまはフォルテンを留守にしている、裏街で最も権勢を誇る人物が帰ってくるらしい。
『彼が帰ってきたら、ここへの嫌がらせじみた行為は止めさせるでしょうね。あなたたちへの手出しも――これは依頼を引き受けてくれた場合だけれど』
その話はあまりに都合のいいものだったが、真偽は十日を過ぎればわかることだ。そんなに簡単にばれるような嘘をつくとは思えなかった。
ただそれは、ギルダスたちが本来の目的に関して、なにもせずに十日間過ごすということにもなる。
ギルダスは依頼料に色をつけることを条件に、用心棒になることを承諾した。
上乗せする依頼料は、自分たちが捜しているもの――『魔装具』に関する情報だ。
「依頼を引き受けることは仕方ないにしても、『魔装具』のことまで話してもよかったのですか?」
『魔装具』は、聖封教会が秘密としている存在だった。リゼッタが懸念しているのは、今回の件を通じて情報が洩れることだろう。
「一から十まで説明したわけじゃねえ。おまえの心配はわかるけどよ。のんびりしてる間にどこかに消えたら、そっちの方が大変だろ。それに――」
サフィーナと依頼を受ける直前に交わした会話を、ギルダスは思い出す。
ギルダスが依頼を受けるか決めかねているときに、サフィーナに訊いたことがあった。
俺みたいなのが、用心棒として役に立つと思っているのか――と。
いまの体になってから散々見くびられた経験を持つだけに、外見の持つ重要性をギルダスは身に沁みて知っている。だからこそ、なんの抵抗もなく依頼を持ちかけてきたサフィーナを、逆に疑っていた。
妖艶に笑って、サフィーナは答えた。
『こんな町に住んでいるんですもの。人を見る目は、自然と養われるものよ。特に、男を見る目はね』
そのときのサフィーナの目を見て、ギルダスある種の“怖さ”を覚えた。それは、戦場で強者と対峙したときの“怖さ”とは別種のものだ。
目の前の女は娼婦には違いないだろうが、こんな町でものし上がるほどの観察眼としたたかさを持っている。
話を鵜呑みにして動いても、下手をすれば都合よく使われるだけかもしれない。だが、うまくやればこちらの利を得られる存在だ――ギルダスは短いやり取りの中で、そう感じた。
だからこそ、サフィーナには自分たちがこの町に来た理由の一端を明かしていた。
「――表の権力は当てにならねぇんだ。だったら、裏の力で捜してもらうのが効率的じゃねぇか?」
言葉の随所に本音を滲ませて、ギルダスはリゼッタの目を覗きこむ。
「……わかりました。事態がここまで進展してしまったら、もうあなたの考え通りに進めるしかないでしょうね。私としても『魔装具』が回収できれば言うことはありません。ですが――」
リゼッタが目を合わした気配がした。黒硝子越しでも、その冷え冷えとした眼差しは想像できた。
「次からは独断せずに、私にも相談してください。それと、今回このようなことになったのは、あなたの軽挙な振る舞いが原因です。……失点は確実に取り返してください」
責めているような台詞だが、口調はあくまでも淡々としている。それがかえって言いようのない迫力をかもし出していた。
「……ああ」
浅く頷くと、リゼッタは身をひるがえして部屋から出ていく。
それを見届けてから、ギルダスは再びベッドに身を預けて息を吐いた。
「……疲れるぞ。あいつの相手は」
一年前、こんな体になって以来の付き合いだが、ああなったときのリゼッタにはいまだに慣れない。
とはいえ、元の性格についてはわかりやすかった。
直情的で、“クソがつくほど”生真面目。普段は冷静さを装っているが、その実は激情家。使命感が厚く、それにこだわって足元が見えなくなるときがある。
疎ましく思ったことはあるが、それでもギルダスはリゼッタから離れられない。
感情的な問題ではない。この体に、リゼッタは必要不可欠な存在だった。
今のギルダスの体は、本来の彼のものではない。元々の体は、もうすでに壊れている。
今の体は、ギルダスが一度死んだ事件で関わった少年のものだ。そして、ギルダスの魂をその少年の体に転移させたのがリゼッタだった。
リゼッタのそうした処置もあり、ギルダスは体を失いこそしたものの、死ぬことはまぬがれた。もっともその処置はかなり強引なものだったらしく、いくつかの制約を課せられる結果にもなっている。
それから一年、リゼッタはギルダスと共にいる。ギルダスの雇い主として。そして、その体の『調整』をするために。
その間、衝突もあったが、ギルダスはリゼッタのことを良心的な雇い主として見ている。傲慢に過ぎることもなく、金の払いもいい。半ば命を握られているような状態ではあるが、ある意味では傭兵などそれが常だから、慣れれば気にならない。
こんな状態がいつまで続くがわからないが、ギルダスはリゼッタに見限られるまで、あるいは、『調整』がいらなくなるまでは、一緒にいるつもりだった。
――リゼッタに雇われた傭兵として。課せられた依頼を、果たしながら。
控えめなノックの音が聞こえたのは、ギルダスがうとうととまどろみかけたときだった。
「……あ?」
仮面を外したリゼッタが怒鳴りこんできたのかとも思ったが、それにしては静か過ぎる。すぐに入ってくる様子もない。ドアの前で逡巡している気配が感じられた。
「入っていいぞ」
「……失礼します」
半身を起こして声をかけると、ようやくドアが開かれた。
そこに立っていた少女を見て、ギルダスは目を瞬かせる。少し経ってから少女――リリーネの名前を思い出し、首を傾げた。
「リリーネ、だったか? なんか用か?」
「あ、あの……ありがとうございましたっ」
リリーネは、なけなしの勇気を振り絞ったかのように、深々と頭を下げた。
「あん?」
「その、あのとき助けていただいて」
「……ああ、別に気にすんな」
若干の間を置いて、ギルダスは応えた。リリーネを助けたというよりも、腹の立つ奴らを叩きのめしたという意識が強かったので、礼を言われるような心当たりがすぐに思いつかなかった。
「で、んなことをわざわざ言いに来たのか?」
リリーネは首をふるふると振った。
「あの私、お姉さ――サフィーナに、世話役を言いつけられまして――」
「世話役?」
「はいっ。それで、なにか不都合とかありませんか?」
「不都合、なぁ」
ギルダスは室内をぐるりと見渡してみる。
ギルダスの部屋は、三階の階段を上がってすぐにある一室だった。普段は娼婦の一人が使っているというその部屋は、たまに使う安宿などに比べるとはるかに清潔で、快適に思える。化粧品の匂いが若干気になるところだが、我慢できないほどでもない。
あまり贅沢を言うつもりもないし、ギルダスにしてみれば屋根とベッドがあるだけで十分だった。
「いや、特にねぇな」
「あ、はいっ。あと、お食事は一階の食堂じゃなくて――」
「ここに直接運んできてくれるんだろ? さっきサフィーナから聞いた」
「そ……そうですか」
やけに上擦った声で話すリリーネを、ギルダスは半ば呆れて見ていた。別に取って食ったりする気もないのだから、もう少し普通に喋ってほしいと思う。
「それで、あの……」
そう思っていたから、というわけでもないだろうが、リリーネは急に口ごもった。
「……?」
「う……あ……」
顔中を真っ赤に染めて、餌を求める魚のように、口をパクパクと開閉させている。なにかを伝えたいが、口に出して言うには抵抗がある。そんな様子だ。
「……まだ用があんのか? 俺ァ寝たいんだが」
あくびをしながら先を促すと、リリーネは大きく息を吸い、勢いよく顔を上げた。
「あの、それで……夜のお世話は、必要でしょうか……!」
「……は?」
一瞬、ギルダスは耳を疑った。
「今、なんて言った?」
「いえ、ですからその、夜のお世話は――」
「あー……夜の世話ってのは……」
「夜伽の、こと……です」
最後の方はほとんど聞こえなかった。
リリーネは、口をつぐんで俯いてしまっている。
ギルダスは頭を掻き回して、目を泳がせた。
……こいつも、サフィーナの指図か?
一瞬、女を使って籠絡させる、という古典的な方法を連想したが、それほど長く必要とされているわけでもない。
それに、目の前の少女はそうしたことをやらせるのは、まだ幼すぎるように思えた。体つきも貧相で、こういうことにも慣れていない気がする。
あるいは、単なる好意かもしれないが、それにしても人選を間違っているとしか思えない。
「あの……」
沈黙に耐えられなくなったのだろう。
リリーネが恐る恐る、といった様子でギルダスの顔色をうかがう。その様子は自然で、わざと不慣れを装っているようにも見えなかった。
ギルダスは嘆息し、
「いや、いらねぇ」
あっさりと断った。
サフィーナがなにを考えているかわからないが、それにつき合う義理はない。そもそも、リリーネを情欲の対象として見るのは、明らかに無理があった。
「……そうですか」
リリーネの体から力が抜けていく。その表情から、ギルダスは安堵と落胆を読み取っていた。 安堵はともかく、なぜ落胆までされるのかギルダスにはわからなかったが、たいして気にもとめなかった。
「では……失礼します。なにか用があったら、呼んでください」
「ああ」
何度も振り返りながらも、足早にリリーネは部屋を出ていく。最後に一礼して、そっとドアを閉めた。
なんだったんだ、ありゃ……?
思っていたよりもあっさりと引き下がったことに、ギルダスは疑問を覚えた。なにがしたくてあんなことを言い出したのか、まるでわからない。
「……寝るか」
気を取り直して、自分に言い聞かせるように呟く。
リリーネとの会話で少し目が覚めてしまったが、体は睡眠を要求している。肉体的にはさほどでもないが、精神的には疲れていた。
娼館の用心棒――成り行きで引き受けた依頼とはいえ、手を抜くつもりはない。そのためにも、疲れは引きずらない方がいい。
ギルダスが毛布にくるまると、すぐに睡魔が訪れた。抵抗することもなく身をゆだね、ギルダスの意識はすぐに闇に閉ざされた。