31.それぞれの岐路(1)
「調子は良さそうですね」
「悪くはないよ。まだ起きあがれそうにないが」
ベッドに横になったローグが、かすれた声で返事をする。
一連の出来事から十日後のこと――ようやくローグは話せるまでに回復していた。
片腕を失う重傷を負い、今までほぼ昏睡状態にあった。発熱が治まらず、一時は生死をさまようところまでいったらしい。
その間、融合させた魂精装具を出した副作用で二日間眠り続けていたギルダスも目を覚まし、傷も胸のもの以外はほとんど癒えていた。
リゼッタはギルダスの目覚めを確認したあと、事件の発端となった魔装具を、『槌の癒し手』の力で破壊している。
そして今日――ローグとの話を終えれば、二人がこの町に留まる理由もなくなる。
ローグの目覚めを聞いて、リゼッタがギルダスとその部屋を訪れたのは昼下がりの陽気な時間帯だった。
部屋に入るなり、ギルダスはベッドの脇に立つスレイを見て、一瞬警戒する素振りを見せたものだが、スレイのほうはギルダスと死闘を繰り広げたことなどなかったように無反応だった。
今はギルダスも拍子抜けしたように、壁に背を預けている。
「今日、この町を発ちます」
「それは……また急な話だが、そんなことをわざわざ言いにきたわけじゃないだろう?」
「ええ。ひとつ、あなたに伝えたいことがあります」
一拍おいて、リゼッタは続けた。
「今回の事件は魔装具が関わっていたものとして、私には聖封教会に報告する義務があります。その際、私はあなたたちのこともその一部として伝えます」
ローグは黙ってリゼッタの話に耳を傾けている。
「あなたたちは知りすぎました。ただの噂程度ならともかく、ここまで知ってしまったものを黙っているわけにはいきません」
聖封教会が秘匿している、魔装具、魂骸種、そして、リゼッタにも正体のわからない自称“道化師”。
それらが関わった事件の全貌を、ローグとスレイは知ってしまっている。さすがにそれを見過ごすわけにはいかなかった。
「そうか……」
一度目を閉じてから、ローグは頷いた。
「わかった。わざわざ教えてくれたことに礼を言う」
「……いいんですか?」
「ダメだと言っても聞いてもらえないだろう? それに、予想はついていたことだ」
だが、ひとつ頼みごとがある――そう前置きしてから、ローグは言った。
「この町や私のことを報告する際、『聖封教会には最大限の協力をする』――私がそう言っていたと伝えてくれないか」
リゼッタは目を細めて、ベッドの上のローグを見下ろす。
「伝えるのはかまいませんが、あなたの思惑どおりにいくかはわかりませんよ?」
あえて恭順の意思を示すことで、今の立場を守ろうとしている――リゼッタはローグの言葉の意味をそう理解した。
「私に敵対する意思がない――そう伝わればそれでいい。むろんそれですべてが収まるとは思っていないが、ことさらに事実を吹聴しなければ、すぐには乱暴な手段には出ずに監視程度にとどめるはずだ。そうしておいて、私を抱きこむことが有益かどうか判断するだろう。違うかな?」
――どうだろう?
問いかけられてリゼッタは思案する。
そこらへんは上のほうでの話し合いで決まるだろうが、フォルテンには今まで聖封教会の手は届いていない。
それもこの町の混沌とした情勢が原因だが、それが手に入るかもしれない好機を、みすみす逃すとも思えない。
少なくともすぐに荒っぽい手段には出ないという部分は同意出来た。
「私にはなんとも言えません」
言葉を濁し、それでも伝えることだけは約束する。
「……で、結局ローグってのは偽名なのか?」
それまで壁にもたれて、黙って話を聞いていたギルダスが口を開いた。その口調から、興味本位の質問だとわかる。
「概ね、あの“道化師”の言っていたことは事実だよ」
過去を思い出したのか、ローグは力なく笑った。
「故国を追放されて、この町に流れ着いた時にはのたれ死ぬ寸前でね。そこをサフィーナに助けられた」
「命の恩人ってわけか」
「それだけじゃない。立ち上げた組織が軌道に乗るまでにも何度か力を貸してもらっている。そういうわけで、私はサフィーナには一生かかっても返しきれない恩がある」
今までの経緯を振り返って、リゼッタは納得した。ローグとサフィーナのいまの関係も、そうした過去が積み重なって出来たものらしい。
「その恩返しをこの町で、ってか?」
「サフィーナ個人への想いもあるが、住んでいるうちに愛着も湧いてきてね。どのみち私はあまり表舞台には立てない人間だ。そういう人間にとって、この町は居心地がいいんだよ」
ローグはやつれた顔で苦笑した。
「だからというわけでもないが、この町を少しでも住みやすい場所に変えようと思ってね。幸い、この町を実質統治しているのは、裏の勢力だ。領主は一部区画の治安維持と、利益の吸い上げしかしていない。それとなく統治するのはさして難しくない話だよ」
彼が生まれた国で、どんな罪をかぶせられたのかリゼッタにはわからない。だが、その口調は過去を悔やむよりも、未来を見据えようとしているものだった。
◆
ギルダスたちが退室した部屋の中で、ローグはベッドの横になって天井を見上げていた。
リゼッタにはああ言ったが、自分のやろうとしていることがどれほど困難なことかは知っている。
いくら裏の組織でのし上がっても、しょせんは砂上の楼閣だ。三国の力関係如何で、たやすくその地位も失われる。
フォルテンの交易で得られる利益をカードにして三国の内政に干渉し、バランスをとっていけば今の状態を保つこともできるが、それは常に綱渡りをしているのと変わらない。
そして、フォルテンなりの統治の仕方も考えなければならない。他の町の法でこの町を縛っても、反発されるだけだ。
他にも考えることは山ほどある。
「……いや」
そこまで考えて、ローグは頭を振った。
その前に、やることがあった。
「スレイ」
声をかけると、スレイがこちらに顔を向ける。
無理をした代償か、目を覚ましてから見るスレイの挙動はどことなくぎこちない。腕には火傷の痕が残っていた。
「すまなかった」
何を謝られているのかわからない――そんな態度で、首を傾げられた。
そんな態度を見せられると、スレイに綺麗ごとを投げかけておきながら、道具のようにしか扱っていなかった自分が愚かしく思える。
力の入らない腕を伸ばして、ローグはすぐそばの本棚から一冊の書物を取りだした。その本は何度も読みかえされた痕跡を残すようにぼろぼろになっている。
トラリア・フォルテン――その生涯をつづった本だった。
十年以上前――共に腐った国を変えようと誓い合った友を殺され、その罪を着せられ追放されてからも追っ手を差し向けられた。
この町に流れ着き、無力感に苛まれていたローグは、この書物を読んで初めてトラリアのことを知った。
その生きざまは、故国で腐った政治家ばかり見てきたローグにとって、畏敬の念を抱くに余りあるものだった。
それこそなんの縁もないのに、彼の遺志を継ごうと思うまでに至った。故国で成し遂げられなかったことをこの町で――そういう想いもあっただろう。
それからは目的に向かってつき進むあまり、それ以外のものをないがしろにしてきた。
今思えば、余裕を失っていたのかもしれない。
だからトラリアの偽物が現れた時に、生前の彼があんな暴挙に出るはずがないということも忘れて、動揺してしまったのだろう。
――だが、手遅れになる前に気づけた。
片腕は失ったが、それよりも大事なものは失わずに済んだ。
「いや……これからもよろしく頼む」
もう一度首を傾げるスレイの顔を見てから、ローグは目を閉じる。
どうも自分は、少し急ぎ過ぎたらしい。
久々に心の底からの穏やかな気持ちに浸りながら、ローグは眠りについた。