30.終幕を担う(2)
魔装具から反映したスレイのダメージは、徐々に薄れているらしい。
ギルダスとローグが近づくと、まだ少し苦しそうにしながらも剣を構えた。
ギルダスの目眩も治まり、リゼッタは後ろに控えて自分の出番を待っている。
「あんたのことまで面倒は見きれねぇんでな。足手まといと思ったら見捨てるぞ」
「ああ。ぜひそうしてくれ」
短く言葉を交わすなり、まずギルダスが攻撃をしかけた。
今まで使う機会のなかった背中の短剣――鋼で出来たそれを抜いて、投げ放つ。スレイがそれを弾く間に距離を詰め、曲剣で斬りかかった。
その一撃はあっさりと受け止められるが、反撃しようとしたスレイにローグが横から近づき、腕を狙って突きを放つ。
スレイは身をひねりながら細剣を弾き、二人の初撃をしのいだ。
大きく飛びのいたローグを無視して、スレイはギルダスを狙ってくる。
スレイが連続で斬りつけ、ギルダスが辛うじて受ける。さっきまでと同じような攻防だったが、スレイはダメージから完全に立ち直っていないのか、その動きはさきほどと比べたら精彩を欠く。
反撃できるところまではいかないが、少しは楽になっていた。
スレイの隙を狙って、ローグが突きかかる。大抵はかわすか弾かれていて傷は与えていないが、一撃が防がれたとわかると、すぐに身を引いて距離を置く。
その様子を見て、ギルダスはニヤリと笑った。
自分の実力が、ギルダスとスレイの戦いに割りこむだけのものでないことを知っているからこそのやり方だった。
ローグが広げた隙を狙って、ギルダスが反撃に出る。そのほとんどは剣で止められるか流されるが、今回に限って言えばそれでよかった。
狙いはスレイではなく、その魂精装具である。
キシィ――
何度目かの反撃のとき、ギルダスは刃物同士がぶつかり合う甲高い音にまぎれて、何かが軋む音を耳にした。
「っ……」
スレイの顔が、大きく歪んだ。魔装具に出来た傷が、その精神を圧迫する。
畳みかけようとギルダスが踏み込んだのと同時に――スレイが顔を歪ませながら、初めて後ろに下がった。
そのまま魂精装具を横に構える。初めて見せる、溜めの姿勢。
嫌な予感が、ギルダスの動きを止めた。
「っ!?」
それを受け止めることができたのは運だった。
魂骸種の突進と同じ、見えない攻撃。今までの斬撃の中で、一番速い。
とっさに構えた曲剣で防いだものの、ギルダスは大きく体勢を崩す。
「くっ……」
ギルダスの窮地を知ったローグが、突きを放つ。直後、スレイが跳ね上げた魂精装具が、細剣の刃を途中から断った。
慌てて下がったローグには目もくれずに、スレイはギルダスに斬りかかる。
さっきのような見えない斬撃ほどではないが、それでも速い。速すぎて受けが間に合わない。
致命傷は避けているが、ギルダスの体にどんどん切り傷が増えていく。
くそっ、どうなってんだ!
スレイの斬撃の速さは、常軌を逸している。
必死に攻撃をさばきながらも、ギルダスはスレイが苦悶の表情を浮かべていることに気づいた。額には脂汗も滲んでいる。
まさかこいつ――捨て身か!?
思いついた可能性に、ギルダスの肌が粟立つ。冷や汗が背中を流れた。
斬撃の速さから、スレイの魂精装具の能力はギルダスにも見当がついていた。
『加速』――魂精装具自体が、慣性を無視して使い手の振った方向に加速する能力。地味に思えるが、実戦での有用性は高い。その分、扱いも難しかった。
その能力を使った場合、体にかかる負担は、通常の比ではない。熟練者でもこの能力を連続で長時間使うことには耐えられない。ある程度加減をして、それでなお短期で決着をつけようとする。
スレイは、その能力を全開にして使っていた。
負荷がかからないはずもなく――おそらく、このままいけば魂精装具の効果が切れる前に、肉体の限界が訪れるはずだった。
――ギチィ、と。
左肘から嫌な音が鳴った。
激痛がはしり、魂精装具を取り落としそうになる。
もしかしたら、使い物にならなくなるかもしれない――そう客観視しながらも、スレイの霞がかった意識は、それがそうしたとさえ思う。
仇を討ってからの日常は、それまでよりも空虚だった。
何もやることが見つからず、ただローグにつき従うだけ。唯一、命のやりとりをしている瞬間が、生きていることを実感できる数少ない時間だった。
それでもローグには感謝している。
自力で仇を見つけて全てを終わらせていたら、きっと今以上になにもない日が続いていたはずだから。
だから――今はローグの命じたとおり、視界に入った全ての人間を斬る。
体が壊れても構わない。その代償として死が待っていてもいい。死んだとしても――後悔するような要素など、自分には何ひとつ残っていない。
「っ!」
肩を浅く斬られた。鋭い痛みが、一瞬、体中を駆け巡る。
スレイの自分を犠牲にしての猛攻は、いまだ続いていた。
ギルダスは肉を斬られながらも、なんとか凌いでいる。だが、それがスレイが自滅するまでもつかはわからない。
たった一つ――いまの窮地を打破する術はあった。
ただそのためには、一度、具現化している魂精装具を消さなければならない。
今そんなことをすれば、間違いなく斬り殺される。
焦燥に唇を噛んだギルダスの曲剣が、そのとき予想より大きく弾かれた。
しまっ――
無防備になったギルダスを、スレイが見下ろす。ひるがえした白刃が軌道を変え――二人の間に割り込む影があった。
刀身が折れた細剣を握りしめたローグは、迫る白刃を細剣で受け止め、流す。その試みは途中までうまくいったが、刀身が折れていることが仇になった。
完全には流しきれず、いくらか勢いをそがれた白刃がローグの腕に喰いつき――わずかな停滞のあと、それを斬り飛ばした。そのまま胴にまで喰いこみ、止まる。
「ぐっ……」
回転しながら空中を舞う自分の腕には見向きもせずに、ローグはギルダスを見る。その顔が、かすかに頷いたようにギルダスには見えた。
腕一本――その代償を払って作られた好機。
「へっ……」
口端を歪ませる。
灰色の魂精装具を自身の中に戻した。
そして、新たな魂精装具を具現化する。
ギルダスの意思に応じて、虚空から染み出すいくつもの光の粒子。灰と黒と赤のそれらは、乱舞し、無規則に交錯しあいながらもただ一点へと集中していく。
高速で移動する粒子が線となり、幾つもの粒子が重なり合って出来た光の渦へと飛びこんでいく。
異常に気づいたスレイが、ローグから刃を引き抜いて向かってくる。
「――遅え」
ギルダスがぽつりと呟いたその瞬間――スレイを囲むように炎の壁が噴き上がった。
魂骸種相手に出現したものとは異なり、その壁は渦巻く風のようにスレイを囲んで旋回する。勢いもはるかに強い。
喉を焼かれないようにスレイは呼吸を止め、首を巡らせながら周囲の様子を探る。
炎の渦――その先にいるはずのギルダスを探すために、意識を集中する。
その研ぎ澄ました感覚が燃える壁の奥、刃の届く位置に、ゆらゆらと揺れる人影のようなものを捉えた。
「……フッ」
呼気とともに、斬撃が閃く。
腕を炎で焼かれることもいとわない、今まで生きてきた中で間違いなく最速の一撃。
間違いなく必殺のはずだった。
――そこに、ギルダスがいれば。
手応えが、ない。スレイが振り抜くと同時に、周囲の炎が四散した。
そしてスレイは、自身の横で見覚えのない魂精装具を振り下ろすギルダスの姿を認めた。
その魂精装具は、優美な外見をしていた。
刀身は両刃でゆらめく炎のように波打ち、柄は片手と両手、どちらでも扱える程度の長さをしている。
地味な外見だった曲剣や短剣に対し、その剣は実用性を損ねない程度の装飾が施されていた。柄頭には紅玉がはめ込まれ、ほのかに赤い光を放っている。
刃を彩るのは灰と、黒のまだら模様。以前と同じようにも見えるが、光を当てればうっすらと赤みがかかる。
一見、実用性のない飾りのような外見をしているそれこそが、ギルダスの“切り札”であり、“奥の手”だった。
二つの魂精装具の融合品であり、備えている能力もそれぞれにものを兼ね合わせる。
一年前――最初に遭遇した魂骸種に、止めを刺した時も、これを使っていた。
久々に手にとるそれを振りかぶりながら、ギルダスはどこか冷めた眼差しでスレイを見下ろす。
そのころになってようやくこちらに気づくが、もう遅い。
ギルダスの全力の一撃が振り下ろされ、
ギィ……ン――
戦いの終幕を告げるには高く澄んだ音が、フォルテンの夜に響き渡った。
――ドサッ。
スレイが崩れおちる。
その手に握られた魂精装具には、刃を横断するようなヒビが入っていた。断続的な音をたてながら、そこからさらにヒビは広がっていく。
「く……リゼッタ!」
「はい!」
駆け寄ってきたリゼッタが膝をつき、崩壊寸前の魂精装具に手で触れた。
青い光が、白い片刃剣を包み込んでいく。損傷の進行が止まり、逆にヒビが消えていく。
リゼッタは真剣な眼差しで、その様子を見下ろしていた。唇を引き結び、意識は魂精装具にだけ向けられている。
リゼッタの持つもう一つの能力、『槌の癒し手』によるものだった。その力は魂精装具を癒し、あるいは破壊する。
「ふう……」
それほど時間もかからずに手を離した。青い光も消え、そのころにはスレイの魂精装具は傷一つない状態に戻っていた。
ぽつぽつと白い粒子に還りながら、虚空へと消えていく。
リゼッタは深く息を吐いて、額に噴き出た汗を拭った。
「歪な力の流れは断ち切られました。これで――元に戻ったはずです」
「上等……だ」
そう言うギルダスの目の前は、早くも暗くなりかけていた。
体力も気力も、根こそぎ持っていかれたような状態だ。立っているのも限界だった。
二つの魂精装具の融合などという荒技を行った代償である。強力だが、一瞬しか使えない。
腰を下ろすよりも早く、ギルダスは前のめりに倒れた。
石畳が目の前に迫る。
ぶつかると思ったその瞬間、柔らかい何かに受け止められた。
「お疲れ様でした」
労いの言葉は無愛想だが、真情がこもっていた。
――まったく、だ。
返そうとした皮肉は言葉にはならず、心の中で囁くだけに終わる。
気を失ったギルダスと、それを抱き止めたリゼッタの周囲を、色とりどりに光る粒子が包んでいた。