29.終幕を担う(1)
キィン――!
「っ……」
灰色の刃と白い刃の一瞬の接触のあと、ギルダスは弾き飛ばされたように後ろにさがった。
スレイの立ち位置は、刃をぶつけ合った場所からほとんど変わっていない。
得物の重さでは勝っていた。体格はスレイのほうがいい。斬撃の速さでは――スレイが圧倒していた。
共闘した時には頼もしく思ったが、敵となると恐ろしい。
次の一手を考える暇も与えずに、肉迫したスレイの斬撃がギルダスに迫る。
振り下ろされる刃をギルダスは頭の上で受け、
――軽い?
そう思った次の瞬間には、ギルダスは驚きに目を見開いた。
受けて弾いたと思っていた剣が、空中で反転し、くるりと回って今度は横から襲いかかってくる。
「なっ……ぐぅ!」
曲剣を立てて受けるが、間を空けずに別方向から斬撃が襲ってくる。
巧みな剣さばきを感心する暇もなく、ギルダスは劣勢に追い込まれた。
「っ! くっ! くそっ!」
辛うじて受けは間に合うが、反撃する暇もない。けたたましく刃を噛みあわせながら、戦いの場所をリゼッタたちから遠ざけていく。それが精一杯だった。
「がっ! ちっ!」
速すぎる斬撃は流す余裕もなく、離れて一息つくこともできない。
魂骸種のような並外れた力はないが、そのかわり技があるし、斬撃の速さに限ればスレイのほうが速い。
常に重心を崩さないスレイの剣技は奇抜さこそないが、無駄もなかった。
じりじりと後ずさりしつつも、ギルダスは十分にリゼッタたちからスレイを引き離したことを確認すると、今度は壁を背にして後退していく。
すぐにこれ以上後退しようがないほど追い詰められたギルダスは――それまで受けにだけ使っていた魂精装具を振りかぶった。
当たり前のように、がら空きの胴体目がけて白刃が迫る。
「――来いっ!」
ギルダスは柄から片手を離し、もう一本の魂精装具――柄から刀身まで赤で統一された短剣を具現化する。
赤い短剣で白い刃を受け止め、ギルダスは曲剣をスレイの肩に振り下ろした。
ガギィッ!
必殺を狙った一撃は、スレイがひるがえした片刃剣に弾き返される。
ギルダスは目を見張りつつも、自由になった短剣をスレイの胸に突き入れた。
ギャリィッ!
それすらも高速で動く刃に遮られ、軌道がずれた。接触した刃の間から火花が散り、赤い刃はスレイの脇腹を浅く裂くにとどまる。
「チィィ!」
ギルダスは短剣の魂精装具だけ消しながら、急いで距離をとった。その胸を、白い片刃剣の刃が切り裂く。
致命傷ではないが、浅くもない。動くたびに痛みは走るが、無視できる範疇だ。
スレイ相手には特に思うところもないので、もうひとつの感情に引きずられることもない。
それよりも魂精装具を二つ同時に出したことで、ギルダスは軽い目眩を覚えていた。
いま来られたら――
脳裏によぎった死の予感を無視して、よろけそうになる足を石畳で踏みしめながら、ギルダスはいつもより重く感じる曲剣を持ち上げた。
追撃は――ない。
「……?」
怪訝そうに見ると、スレイは膝をついていた。片刃剣を杖のようにして、体をぶるぶると震えさせている。
攻めれば反撃してくるだろうが、向こうから攻めてくる余裕はなさそうだった。
……なんだ?
脇腹につけた傷は浅手で、少しは火傷になっているかもしれないが、とてもあれほどの反応を見せる怪我とは思えない。
理由がわからずに、ギルダスは内心首をかしげた。
「――攻撃を防いだ時の衝撃で、魂精装具にヒビが入りました。そのダメージが、彼に反映しているのでしょう」
ぎょっとして、振り向く。
いつの間に来ていたのか、すぐ後ろにはリゼッタがいた。ギルダスの内心の疑問に、こともなげに答えを返す。
「おまえいつの間に――って、ヒビ? あの程度でか?」
「元からそこまで強度が低いわけもありませんから、操られているのが関係しているのかもしれません」
魂精装具が傷つくと、そのダメージは使い手の精神に“痛み”となって伝わる。
だが通常、魂精装具は普通の武具とは比べ物にならないほど頑丈だった。
そもそも、魂精装具が簡単に傷ついて使い手が行動不能になったら戦うどころではないし、壊れたら廃人になることを考えると、リスクが大きすぎて誰も使いたがらない。
だからこそギルダスは驚き、リゼッタは操られているのが関係しているかもしれないと推測したのである。
「ようするに、仕掛けるなら今ってことか」
「待ってください」
踏み出しかけたギルダスの腕を、リゼッタが掴んだ。
「彼は操られているだけです。正気にさえ戻せば、戦う必要はありません」
「そりゃあそうだが……方法はあんのか?」
「魂精装具を狙ってください」
「あァ?」
「あの道化師は魂精装具を介して、彼を操ったと言いました。事実、『魂精装具』から彼の体に流れこむ異様な力を感じます。ですから魂精装具に今以上の衝撃を与えれば、元に戻る可能性があります」
「……やりすぎたらどうする?」
もし『魂精装具』が壊れたら、スレイは魂を失って廃人になる。リゼッタもそんなことは今さら言われなくても知っているはずだ。
「取り返しがつかなくなる前に、私が治します」
「……できるのか?」
「粉々にでもならない限りは、可能です」
断言するリゼッタをまじまじと見つめる。案としてはありかもしれないが――
「そこまでしてあいつを助ける義理はねぇぞ」
魂精装具を狙うより、スレイ本人を狙ったほうがはるかに楽なのだ。
加えて命がけでスレイを助けるような理由は、自分にはない。
だが――
「いいから――」
直後、ギルダスは自分の失言を悟った。
リゼッタの白い顔が、真っ赤に染まっていく。
……やべ。
気づくべきだった。さっきまで爆発寸前だったリゼッタの怒りが、収まっているはずもないことぐらいは。
「いいから――やりなさい!」
ギリギリまで抑えられていたリゼッタの怒気が、ギルダスに叩きつけられる。
「お、おい?」
たじろぐギルダスに、リゼッタはたて続けにまくし立てた。
「あなたは、あの道化師とかいうふざけた男の目論見どおりにするつもりですか! あのふざけた男のせいで、これ以上、犠牲者が増えるのを見過ごせと!? それを私に許容しろと、あなたは言うんですかっ!?」
「あ、いや、男って決まったわけじゃ――」
「男だろうと女だろうと関係ありません!」
「いや、ま、そりゃそうだが……。はぁ……わかったよ」
嘆息して、ギルダスは頷いた。
ここで断れば、後が怖い。
幸い、スレイの魂精装具は頑丈ではない。やり方によってはできるかもしれなかった。
「――私にも、手伝わせてもらえないか?」
新しく聞こえた声に、今度は二人揃って振り向いた。
トラリアの姿を見た時の衝撃から立ち直ったらしい、元通り落ち着いた態度のローグがいた。ただしその眼差しは、今までにないほど真剣なものになっている。
「スレイは大切な部下だ。いま失うわけにはいかないのでね」
「……いや、手伝うって誰がだよ?」
ローグの部下の姿は見当たらない。もっとも、いてもあの程度なら、さっきと同じように瞬殺されて終わりだろう。
「彼らはサフィーナにつけておいた」
ギルダスの探るような視線の意味を理解したローグが先に答える。そして、手に握っている鞘ぐるみの剣を持ち上げてみせた。
「実戦用に剣を持つなど久しぶりだが……」
言いながら鞘から剣を引き抜く。戦場ではめったに見かけることのない細剣だった。
「ここにきて足を引っ張られたくないんだがな」
辛辣な口調で言うと、ローグは水平に構えた細剣を引き絞り、真っ直ぐ突きを繰り出す。目にも止まらない、というほどでもないが、その動きは素人のそれではなかった。
「……そこそこやるみたいじゃねぇか」
「まったくやらないといった覚えはないよ。だが、決闘ぐらいしか実戦経験はない。ままごとのようなものだ」
剣を戻しながら、ローグは自嘲の笑みを浮かべた。
「スレイが心に空洞を抱えていたのは知っていた。知りながらそのままでいさせたのは、そのほうが都合がよかったからだ。それが今の事態を招いたのなら……責任を取らないわけにはいくまい」
半ば独り言のようなその呟きは、ギルダスには意味のわからないものだったが、ローグが自分を責めていることだけはわかった。
曖昧に頷き、最後に警告だけはする。
「なんだか知らねぇが……まあいいさ。だが死んでも知らねぇぞ」
「構わない。そこで文句を言える立場でもないだろう?」
言いながら苦笑を浮かべたあと、
「だが――まだ死ぬつもりもない。やるべきことが残っているからな」
ローグは決然と宣言した。