28.糸を引く者(3)
「なら道化師。もう一度訊きます。なぜ細工をした魔装具をこの町に持ち込んで、被害を広げるような真似をしたのですか?」
淡々と問いかけるリゼッタを、ギルダスはヒヤリとしながら視界の隅に置いた。
いつものように、意識して抑えた声ではない。怒りがいき過ぎた時の、爆発寸前の声だった。
「ふむ……正体も見破られたことだし、もう教えても構わないか」
道化師は顎に指を添えて、口を開く。
「端的に言うとだ、趣味と実益を兼ねた実験、といったところかね」
ピクリ、とリゼッタの肩が震える。
「趣味、と言いましたか?」
「言葉が悪かったかな? ならば言いなおそう。“遊び”だよ。ほんの少しの介入――たった一つの魔装具の存在で、どれほどの被害が出るか? そしてその間に起こる生の愛憎劇を見たかった。疑心暗鬼が広まり、精神的に追いつめられた人間がどういう反応をするかを見たかったのだよ。実のところを言うと、魔装具に制限をかけたのもそういう理由だ。そうしないと事態の進行が早くなりすぎてしまうからね。それではおもしろくない。……もっとも、十分に楽しめる前に、あっさりと終わってしまったがね。正直、拍子抜けと言うしかない」
あからさまにがっかりした体を装い、道化師は両手を広げて頭を左右に振る。嘆息すらともなうその動作が、ギルダスの殺意を駆りたてた。
「――ギル」
冷やかなリゼッタの声が、それを止める。
声をかけられるのが一瞬遅れたら跳びかかっていた――そういうタイミングだった。
「実験とも言いましたね。それはどういった趣旨のものですか?」
気持ちよく喋らせて、出来るだけ情報を吐き出させるつもりなのだろう。リゼッタは話の続きを促した。
「大したことじゃない。君たちが魂骸種と呼んでいる存在。あれを少し変わった条件で誕生させただけだ。自我を崩壊寸前にまで追い詰めた人間は、依り代になりえるのか否か? もしなった場合の普通の魂骸種との相違点は? いくつかの答えを得ていくつかの発見があったが、やはりあれは使いものにはならない」
「と、言うと?」
「結論として、自我を失わなくても人間は依り代になり得る。依り代の感情や記憶が残っている点はおもしろかったが、そのせいで恐怖や怯えといった精神面での弱みも備えてしまった。――ああ、ところで言っておくが、私は標的の指示まではしていないよ。殺されたのはこの町の有力者ばかりだったという話だが、おそらくこれはレイゾという男の、妬みそねみといった感情が原因だろうね。これは嬉しい誤算だった。と言っても、最後がアレなら意味はないが」
道化師は嬉々として、口を動かす。
道化師にとって、この町の住人は決して同格ではない存在なのだろう。でなければ、戯盤上の駒のような扱いはできない。戯れで、人の生死は操れない。
リゼッタが深々と息を吐き、押し殺した声を紡いだ。
「最後の質問です、道化師。これは、あなた自身の考えでやったことですか?」
途端に、滑らかに動いていた道化師の口が止まる。
「……そうとも言えるし、そうでないとも言える。さて、どちらだろうね」
「戯言にはもう飽きました――ギル」
「くたばれ」
石畳を蹴って、ギルダスが跳躍した。一瞬で道化師を間合いに入れ、横薙ぎに斬撃を見舞う。
道化師が軽やかに跳ねて、刃から逃れた。空中で宙返りを見せて着地すると、小さく肩を揺らす。
「おっと、今さら舞台に上がる気はないよ」
「知るか……!」
距離を詰めて突き、斬り上げ、払う。その全てが避けられる。決して俊敏ではないのに、人間離れした動きでギルダスの斬撃をことごとく空振りさせていく。
「私が憎い? おやおや、それ残念。道化は人を愉快な気分にさせるのが役目だというのに。ああ、私に斬られろというのはナシだよ。そうすれば君らは愉快になれるかもしれないが、私がそれを確認する術もなくなるのだから」
それでいて息があがる様子も見せずに、囀り続ける道化師に、ギルダスは吠える。
「いい加減……黙りやがれ!」
「道化に対してそれは無理というものだよ。だが、そろそろ引き上げ時か」
一跳びで大きく距離を空けて、道化師は両手を広げた。
「このまま消えてもいいが、それではあまりに尻すぼみ。君には万が一の予備としてとっておいた“障壁”に立ち向かってもらうことにしよう」
「何を言って――!」
言葉の途中で背後からの殺気を感じて、ギルダスは斬撃の勢いのままに転がった。目も眩むような光が広がり、直後、鋭い斬撃がギルダスのいた空間を通り過ぎる。
起きあがりざまに振り向き――ギルダスはそこで魂精装具を構えているスレイを睨みつけた。
「なんのつもりだ、テメェ……!」
唸りながら問い詰めるが、スレイの瞳はギルダスを映していない。
そんな夢現のような状態ながらも、全身からは殺気を放っていた。
「スレイ!」
ローグの呼びかけに、スレイは一瞬だけ体を揺らせる。だがそれだけだ。
道化師が含み笑いをもらす。
「無駄だよ。いま彼はおまえを認識していない」
「いったい、何をした?」
「なに。少々、魂精装具を介して操らせてもらっているだけだ。ずいぶんと我の薄い魂をしていたのでね。仕込みは存外に楽だった」
嫌味たらしく話す道化師を庇うように、スレイは位置を変えた。さすがにこうなると、ギルダスもうかつには近づけない。
「ギルダス・ソルード」
余裕を見せつけるように、道化師はゆったりとした口調で話しかけてくる。
「君とは個人的に話したいこともある。だが今の状況でそれを望むのは、さすがに厚顔かな?」
「遠慮するこたねえ。話し合おうじゃねェか。徹底的に面ァ突き合わせてな」
ギルダスが獰猛な笑みを見せると、道化師はおどけて怖がったふりをした。
「怖い怖い。近づくと問答無用で斬り捨てられそうだ。それはご容赦願いたいので、私はそろそろ退散させてもらおうか」
「待ちやがれっ!」
ギルダスの叫びなど歯牙にもかけないといった様子で大仰に頭を下げて、道化師はローグに向き直った。
「私は二度も舞台に同じ場所を選ぶつもりはない。つまりは目の前のこの難敵さえ打ち破れば、この町は安泰というわけだ。是非そのためにも派手な幕引きをしてもらいたいが、結末まで見届けられないのは残念至極。それでも結果から経緯ぐらいは想像させてもらうよ」
言い終えると同時に、道化師の姿が闇の中に遠ざかっていった。
「ふざけんなっ!」
「逃げてんじゃねえ!」
堪りかねたように、ローグの部下が二人、あとを追いかけようとする。
「待てっ!」
制止の声は、遅すぎた。
男たちはスレイの横を通り過ぎて、五歩もいかないうちに血を噴き出しながら倒れる。
いつ仲間が斬られたかわからず、残った男たちはそろって蒼ざめた顔をした。
「スレイ……」
「クソがっ……」
スレイが立ちふさがっていては、ギルダスも見逃すしかない。
噛みあわせた歯を軋ませながら、ギルダスは道化師が消えた方向を睨みつけた。
スレイが魂精装具を正面に構える。
ギルダスは苦々しく顔を歪めたまま、切っ先を地面に向けた。
次の瞬間――魂精装具同士がけたたましい音を立ててぶつかりあった。