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23.少女と傭兵の心の淵(2)

 最初に感じたのは驚きだった。

 あんな化け物が他にもいるということ。そしてギルダスが、その化け物と戦った経験があるということに対する驚きだ。

 あんな化け物と戦って生き延びていることがまず信じられなかったし、リゼッタの口ぶりは、彼がまるで化け物に勝ったことがあるかのようなものだった。

 次に感じたのは、恐怖だった。

 平然と化け物の存在を受け入れているリゼッタは、リリーネの目には化け物と同列の、“得体の知れないもの“として映った。

 身をよじって、抱擁ほうようから逃れる。体を反らせた拍子に頭を軽く塀に打ったが、その痛みすら感じず、衝撃だけが伝わってきた。

「な、なんなんですかアレは……あなたたちはっ!?」

 気づいたら叫んでいた。

 リゼッタの目がすっと細められる。さっきまであった感情が消えて、リリーネの顔を映す鏡のようにその目は澄んでいった。

 その眼光に射すくめられた気がして、リリーネを駆りたてた激情がしぼんでいく。

「あなたが知る必要はありません」

「え……?」

「巻き込まれた当事者だからといって――いえ、だからこそ、知らないほうがいい。今夜のことも、忘れたほうがあなたの身のためです」

 明確な拒絶の意思が、リリーネから言葉を奪う。

 そこまで拒絶されてなお問い詰めるだけの気力は、彼女にはなかった。

 呆然としたリリーネを気遣ってか、リゼッタの声音がほんの少しだけ和らぐ。

「ですが――それでもどうしても知りたいというのなら、あなたになら・・・・・・教えましょう。ただし、知ったら最後、今までのような日常には戻れませんよ」

「……なんで、わたしになら教えてもらえるんですか?」

「あなたが私たちの求めている人材だからです」

「わたしが……?」

 いきなり思いもよらなかったことを言われて、リリーネは混乱した。

「自覚していないでしょうが、あなたは他の人間にはない“力”を持っています。その力は特殊なもので、どれだけ努力しても身につけられるものではありません。その力を使いこなすだけの才能が、あなたにはあります」

 ……何を、言っているの?

 いきなりそんなことを言われても信じられるわけがない。まるで、他人の評価を耳にしているようだった。

「――その力のことも含めて、あなたが求めるようならすべてを教えます。ただし――その後は、私たちと一緒に来てもらいますが」

「どこに……ですか?」

「この町の外へ――もちろん、あの娼館からも出てもらいます」

 リリーネは生まれてこのかた、フォルテンの外へなど一歩も出たことがない。

 ましてや、『背徳の楽園』から出ていくなど考えたこともなかった。

 怯えに、瞳が揺れる。

「……それを知ったら、わたしに、何をやらせるつもりなんですか?」

「あなたの持つ力がなければ、できないことをです。詳しいことは言えませんが、あなたが見た化け物と戦わせるわけではありません。そういうことは専門の者がやりますから。ですが、戦わないまでも接する機会は多くなります」

 そんな……。

 話の途中から、喉がからからに渇いていた。真っ直ぐ自分を見つめてくる目から、顔を逸らすことができない。

「……」

 重苦しい沈黙の中、先に目をそらしたのはリゼッタだった。

「決めるのはあなたです。今すぐに答えを求めるつもりはありません。私たちがこの町を出ていくまでの間に、決めておいてください。そう遠くない話ですが」

 リゼッタの目は、すでに塀の中にある建物に注がれていた。

「今まで通りの日常を送りたいと言うのなら、それでも構いません。その場合はあなたの問いには答えられませんし、見たことも忘れてもらいます」

 すべてを見なかったことにするか、知って引き返せないところまで踏み込むか――なんの準備もないまま突きつけられた選択肢に、リリーネは返事をすることもできない。

 気がつけば、リゼッタは背を向けて門のある方向に歩きだしていた。その足が途中で止まり、振り向かないままに言葉が投げかけられる。

「それと、あなたのしたっていたミリという女性のことですが――」

――その瞬間、氷の刃で胸を貫かれたような錯覚を覚えた。

「彼女は亡くなりました。私もギルダスも、死体を見ています。……間違いではありません。彼女はもうこの世にはいません、絶対に」

 かすかな希望すら摘むような、そんな言い方だった。

 そんなことないとは思えない。耳を塞ぐこともしない。

 かわりにリリーネの胸中に、ふさいでいたふたから少しずつ染みだすようにある感情がこぼれ出てくる。

 それは哀しみではなく、諦めにも似た感情――

 ……やっぱり、そうなんだ……。

 心の奥底ではわかっていた。自分のしていたことが、ただの見苦しい現実逃避でしかないことは。

 わかっていても、認めるわけにはいかなかった。

 それを認めたら、自分の中のなにかが欠けてしまうから。

――リリーネの心の支えになっていたミリの存在が、急速に消えていく。

 座っているはずなのに、もたれた塀や尻の下の石畳の感触もはっきりしないものへと変わっていった。

 底なし沼に体を引きこまれるような、寄る辺を失って水中に沈みゆく船のような、そんな感覚。

 視界がぐるぐると回る。吐き気もこみ上げてくる。きっといま目を閉じたら、自分は気を失う――

 薄れていく意識を繋ぎとめたのは、脳裏に浮かんだ赤髪の少年の姿だった。

 彼も――同じだったんだろうか?

「ギルダスさんも、そうなんですか?」

 思うのと、口に出すのは同時だった。

 すがるような声音に、リゼッタが怪訝そうに振り返る。

「あの人もわたしと同じような選択肢を突きつけられて、今の道を選んだんですか?」

 指針が欲しかった。誰でもいいから、どうしたらいいのか教えてほしかった。

 もし、あの少年が同じような経緯をたどってきたのなら、リリーネは彼と同じ選択をするつもりだった。

 だが――

「違います」

 答えを得る機会を一つ失い、リリーネは失望に顔をうつむかせた。

「彼には……選ぶべき選択肢もありませんでした」

「……?」

 その時のリゼッタの声が、リリーネには後悔の念に包まれているように聞こえた気がして、上目づかいにその顔を覗き見る。

「……あなたには、ギルダスが特別な人間に見えているんですね」

 その瞳には、憂うような感情が宿っている。

 今度のそれは、さっきのものと違って決して威圧的というわけでもない。なのに、目を逸らすことをためらうような、そんな眼差しだった。

「――あなたのことは聞きました」

リゼッタはため息まじりに言った。

「あなたは、私の知っている人に似ています」

「え……?」

「その人も過去に大事なものを失い、それから別のものを拠りどころに生きてきました」

「……その人は何を失って、何を新しい拠りどころにしたんですか?」

「失ったものは言えません。その失ったものの“代わり”として、新しく拠りどころにしたものは……傭兵としての自分自身です」

「傭兵としての……自分?」

 意味がわからず、リリーネは目をしばたたかせた。

「正確には、傭兵としての生き方です。“彼”は傭兵としての“代価を貰って依頼を果たす”行為にこだわっていましたが、それにさらに固執こしゅうするようになりました。その行為自体が、“彼”にとっての新しい拠りどころでした」

「その人って……ギルダスさんのことですか?」

 傭兵――その単語を聞いて直感的に浮かんだ疑問は、

「“彼”がそうなったのは、十年以上前のことです」

遠回しに否定された。

 さすがにギルダスが十年以上も前から傭兵をやっていたとは思えない。

 ギルダスのことでないとわかって半ば興味を失いながらも、自分と同じような過去を持つ人物がどうなったのかは気になった。

「それから、その人はどうなったんですか?」

「一年前のある出来事をきっかけに、過去の失ったものへの想いを断ち切りました」

 思い出したのは、今でも時おり夢に出てくる両親との別離――

「忘れられたんですか? 過去のことを?」

「忘れてはいません。ただ失ったものへの想いを引きずるのを、止めただけです」

 リゼッタは再びため息をつく。前よりも深く長いそれを終えたあとで、言った。

「拠りどころにすがりつくことと、拠りどころを支えとすること――その二つは、似ているようで違うんです」

 リリーネの言葉が、リリーネの胸中をすっと抜けていった。

 その言葉が誰に向かって放たれたものか――わかったからこそ、リリーネは顔を背けた。

 まるで、責められているような気がした。

「それと――あなたが見た化け物は、ギルダスが倒しますから安心してください。それが私が彼に依頼したことですから。彼は依頼されたことは・・・・・・・・・・、依頼者が裏切らないかぎりは成し遂げます・・・・・・

 ……え?

 ハッとして顔を向けると、リゼッタは話は終わりと言わんばかりに、すでに背を向けていた。

「あの、それって――」

「ただの戯言ざれごとです。忘れてください」

 最後にそう言い置いて、リゼッタは門のある方へと歩んでいく。

 恥じることを言ったあとのように、その足取りは速い。

 その姿が塀の中に消えようとしたその前に――複数の人影が、彼女を取り囲んだ。

「リリーネ!」

 その人影の中から、聞き覚えのある声がした。

 リゼッタの横をすり抜け、こちらに駆けてくる人影の輪郭は、何度も目にしたことのあるものだった。

「リリーネ!」

 もう一度名前を呼ばれて、リリーネは怯えながらも覚悟を決めた。

 怒られるかもしれない。叩かれるかもしれない。最悪、『背徳の楽園』を追い出されるかもしれない。

 それも仕方ない。自分は、それだけの迷惑をかけたのだから。

「あの――」

 謝罪の言葉を口にするよりも早く――

 リリーネは駆け寄ってきたサフィーナの、暖かい腕の中にいた。


 ◆


「どうやら、私たちは無駄足だったらしい」

 リゼッタの肩越しにある光景を眺めながら、ローグはこともなげに呟いた。

 彼だけではない。すぐ横には例によって感情のない瞳を持つスレイがいる。それ以外にも、ローグは数人の部下を連れていた。

 ローグの視線の先には、サフィーナに抱きしめられているリリーネの姿がある。

 彼らも、リリーネを探していたのは明白だった。

「……なぜここが?」

 心中の動揺を押し隠しながら、リゼッタは問いかけた。

 まさかこの件に、ローグ自身が足を運ぶとは思ってもいなかった。

「こんな時に、彼女のような少女が一人で外を出歩いていたんだ。嫌でも人目は集める」

 ミリの死んだ場所に自分たちが向かったのを知り、ローグは目撃者の情報をたどることでリリーネの行方を追ったのだろう。

 さすがに対応は的確だが、今このタイミングでここに来られるのは都合が悪い。

「君たちこそ、なぜここに?」

「聞いていた場所にはいませんでしたから。あとは、あなたと同じようなものです」

「――そうか」

 リゼッタのついた嘘に、気づかないはずもない。それでも疑いの眼差しを向けることなく、ローグはあっさりと頷いた。

「ところで――」

 次いで、周囲をゆっくりと見渡した。

「“彼”が見当たらないようだが」

「それは――」

 リゼッタが口を開くと、間の悪いことに、ギルダスのいる建物の中から派手な破砕音が響いてきた。

 瞬間、場の空気が引きしまる。

「……レイゾか?」

 ローグの声音も、重いものに変わっていた。

 少し迷ってから、リゼッタは頷いた。ごまかしてもすぐにばれることだ。

 代わりに、今にも動きだしそうなローグの部下たちを遮るように、門の前に立つ。

「なんのつもりだ?」

「あなたたちが行っても、犠牲者を増やすだけです。数だけではどうにもならない――この中にいるのは、そうした存在です」

 挑むような眼差しを、ローグに向ける。

 本音だったが、魂骸種コルスには対峙させたくないという思いもあった。ここまできたらその存在を秘匿ひとくするのは無理だろうが、目撃者は一人でも少ないほうがいい。

 見定めるような眼差しを返される。

「……ここまで来て、なにもしないというわけにもいかないのでね」

 ……ダメか。

「――とはいえ、むやみに部下を死なせるのも愚かしい」

 拍子抜けするリゼッタをよそに、ローグは首を巡らせる。

「おまえたちは合図するまでここで待て。誰かが入ろうとしたら止めろ。レイゾが出てきたら足止めに徹しろ。無理して捕らえようとしないでいい」

 男たちは不満げな顔をするでもなく、一様に頷く。そうしておいて、再びリゼッタに向き直った。

「私とスレイだけで行く。それなら構わないだろう?」

「……わかりました」

 できれば全員ここで待っていてもらいたかったが、さすがにそれは望めそうもない。

 ローグの妥協案を拒否すれば、今度こそここにいる全員で乗り込みかねない。それに、スレイのことはギルダスも警戒していた。もしかしたら魂骸種コルス相手でも、戦力になるかもしれなかった。

「ですが、彼女たちはどうするつもりですか?」

 リゼッタはローグから視線を外し、抱き合っているサフィーナとリリーネに移した。 

「本当なら、すぐにでも送り返したほうがいいんだろうが……」

――邪魔をするのも気が引ける。

 ローグはそう言いたげな苦笑を浮かべて、追加の命令を下した。

「彼女たちのことも任せる。もし望むようなら『背徳の楽園』にまで送るように」

 座っているリリーネは、陰になってどんな表情を浮かべているかもわからない。

 あるいは、彼女はこの町に残ることを選ぶかもしれなかった。

 もしそうだとしても、リゼッタはその選択を尊重するつもりだった。教会に報告する気もない。

 それが魔装具を回収できずに魂骸種コルスをのさばらせ、リリーネの心と体に傷を負わせたことへのリゼッタの償いだった。

――なんにしても、彼女には気づいてほしいと思う。

 リリーネは前の拠りどころ――実の親に捨てられたことで、拠りどころを失うのに過剰な恐怖を覚えている。

 それこそ、そうならないためにはなんでもすると思いこむまでに。新しい拠りどころの象徴でもあったミリの死が信じられず、危険な町を徘徊したのがその証拠だ。

 自分がどうにかなった際に、周囲の人間がどういった想いを抱くのすら考える余裕もない。

 決別させる意味で、はっきりとミリの死を伝えたのだが、彼女が急に生気を失っていくのは見ていなくても感じとれた。

――リリーネは、拠りどころの本質が心の支えであるということも忘れて、ただその存在だけを求めている。

 その過ちに気付かないようでは、彼女にはいつまでたっても心の安寧は訪れはしない。

「――では、行きましょう」

 思考に区切りをつけると、リゼッタはローグをうながした。

「わかっていたことだが、君も行くのか」

「もちろんです」

 相手が魂骸種コルスとなれば、自分が行かない理由がない。

 それに、彼らの魂骸種コルスを見た時の反応次第では、念を押して口止めする必要もでてくる。

 スレイを先頭に、リゼッタ、ローグの順に三人は門をくぐった。

――ひとつ、懸念けねんもあった。

 ギルダスのことだ。彼の実力は知っているし、信頼もしている。問題は精神面のほうだった。

 以前からその傾向はあったが、一年前と比べると明らかに甘く・・なっている。

 サフィーナの話を聞いてから、ギルダスはリリーネという少女に対して態度を変化させた。

 リリーネにはぼかして話したが、リゼッタの知っているギルダスの過去はリリーネのそれに近い。

 だがそれが理由で彼女に親近感を抱いてたとしても、一年前の彼ならここまではしなかったように思う。

 それがギルダス自身の変化によるものなのか、彼のうちに混ざった少年の影響によるものなのか、リゼッタにはわからなかった。

 ギルダスも時おり発作的に起こす行動への違和感は抱いているようだが、芯のところで自分が変わったことへ気づいているのか――それすらもわからない。

 ただ、一人の人間として見た場合、今のギルダスはどことなく歪な気がする。

 行動が一貫していない。ともすれば、混ざりきって・・・・・・いないのか――そんな印象すら覚えた。

 そして、そんなギルダスの甘さが、魂骸種との戦いにまで影響を及ぼすのか――それはリゼッタにも予想できるものではなかった。

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