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22.少女と傭兵の心の淵(1)

 リリーネのまぶたが、うっすらと開かれていく。

 その奥にある瞳が光を取り戻していくのを見て、ギルダスは彼女に声をかけるのを止めた。

――まだ、壊れていない。

 ここに駆けつけてくるまでの間に、何があったかぐらいは想像がつく。

 その上で表情が消えたリリーネの顔を見て、ギルダスは焦りを覚えた。いき過ぎた恐怖は、人の心を修復不可能なまでに壊す。

 だが、まだそこまではいっていない。

 その事実が、血を流すリリーネを見た時に湧きあがった焦燥感を取り除いていく。

 ぐったりとしたリリーネをリゼッタに預け、ギルダスは元はレイゾであった存在に目を向けた。

 斜めに斬り裂かれた背中に長い腕を回し、呻き声をあげている。その様子は、痛みに悶絶しているかのようにも見える。

 リリーネの首を締めあげているところに忍び寄り、がら空きの背中を斬りつけた結果だった。

 レイゾの着ていた魔装具である鎖帷子は、今や肉体に同化し、皮膚に浮き出た模様のようになっている。

 本来ならギルダスの斬撃も通用しないところだったが、その効果は発揮されていない。

「不意打ちは効くみてぇだな」

 独りごちたが、二度と使える手ではない。

 視界の端では、リゼッタがリリーネの肩を担ぎながら、場を離れようとしているところだった。ギルダスに一瞥いちべつを送って頷くと、小走りに走りだす。

 それを尻目に見送って、ギルダスは唇を舐めた。

「さて……」

 その眼差しは、まっすぐに目の前の『魂骸種コルス』に注がれている。

「一年ぶり、か」

 頭と左腕に、今はないはずの痛みを覚えて、ギルダスは口元を引きつらせた。


魂精装具ソレスタ』を神から授けられた奇跡と位置づけ、それらを生み出す者たち――『精錬者』を管理することを目的のひとつとした組織、聖封教会。

 その聖封教会が、禁忌としている存在が二つある。

 一つが、元はただの『魂精装具ソレスタ』が、持ち主の死に際の感情を吸い上げて物質化する『魔装具』。

 そしてもう一つが、その魔装具がなんらかの依り代を得て誕生する、『魂骸種コルス』である。

 あくまで武具でしかない魔装具に比して、殺戮衝動のままに人間を襲う『魂骸種コルス』は、はるかに脅威と言える存在だった。

 その存在は、現世に現れた神話の中の魔物さながらに、人々の心に絶望をもたらす。

 ただし、一般の人間にはその存在は知られていない。

 存在が確認され次第、聖封教会の手の者に抹殺されているし、その情報も広まらないように操作されている。

魂骸種コルス』の発生件数が、魔装具よりもかなり少ないというのも要因の一つだ。

 元々は魔装具がないと生まれえない存在であるし、依り代もなんでもいいというわけではない。

 自我の薄い動物、あるいは、なんらかの原因で自我を失った人間がそれにあたる。

 もっとも、こうした情報がいま『魂骸種コルス』と相対しているギルダスに役に立つわけでもない。

 問題は、『魂骸種コルス』は依り代にした生物の身体能力を強化し、肉体からして戦いに向いたものに変質させているということだ。

 さらには、魔装具自体の能力が上がっている場合も多い。

 並みの人間ではとうてい太刀打ちできず、たいていは被害者が出てから聖封教会に情報が入る。

――ギルダスもかつては、その“被害者”のうちの一人だった。


 暗闇の中で向かい合う二つの影は、静止したように動かない。

 そのうちの一つ――魂骸種コルスの傷からの出血は、すでに止まっていた。決して浅手ではなかったにも関わらず、普通の人間なら考えられないほどの短時間でふさがりかけていた。

 ……早ぇな。

 前に戦った個体よりも、傷の治りが早い。

 以前に戦った魂骸種コルスの本体――魔装具は剣だった。

 単なる個体差かもしれないが、もしかしたら防具系の魔装具の魂骸種コルスは、再生能力にはけているのかもしれない。

 爛々(らんらん)と輝く白い眼が、ギルダスに匂い立つような殺気を放った。

「……へっ」

 せせら笑う。

「少し見ないうちに、えらく人間離れしやがったじゃねェか」

 嘲りをこめて吐きだすと、魂骸種コルスは唸り声とともに身を震えさせた。

 野生の獣を凌駕りょうがする、重圧に満ちた唸り声。もうあれは人間ではない。見た目に面影が残っていても、中身は別物だ。

 深く息を吐いて、魂骸種コルスを見据えた。

 感情に任せるつもりはない。思考を研ぎ澄まし、なおかつ意識は目の前の敵に集中する。

 魔装具の能力は知っている。あとは、魂骸種コルスがどういった戦い方をするかだ。無策で斬りかかっていい相手ではないことは百も承知だった。

 切っ先を魂骸種コルスに向けたまま、少しずつにじり寄る。

 細身なのは、速さ重視だからか? あの長い腕をかいくぐるのは苦労しそうだ。

 夜の闇に、黒い姿は捕捉しにくい。目印となるのは、あの白い眼くらいか……。

 外に誘き出すつもりはなかった。外に出れば、月明かりで少しは戦いやすくなる。だが、追い詰めた段階で逃げられてもたまらない。

――ここで、決着ケリをつける。

 ギルダスの意思に反応して、魂精装具ソレスタが鈍い輝きを放つ。

 腹の中を、熱い塊が渦巻いていた。

 リリーネが人質に取られた時と、同質のものだ。

 リリーネの傷はどれも浅く、死ぬほどのものでもない。痕も残らないだろう。

 それでも――傷だらけのリリーネの姿を見たときから、ギルダスははっきりと自分のなかの怒りを感じていた。

 その怒りは、自分のものではない。付き合いの浅い赤の他人が傷つけられたからといって、怒りを覚えることもない。

 他人のものだ。体のうちのある、ギルダスのものでない魂が訴えてくる怒りだ。

 ……なんてェな。

――サフィーナの話を聞く前だったら、そう結論づけていただろう。

 ギルダスにも、魂骸種コルスに怒りを覚える理由はいくつかある。

 サフィーナからの、無事にリリーネを連れ戻すという依頼を、もう少しのところで取り返しがつかないものにしてくれたということもある。

 この町についてから今まで、散々に引きずりまわされた借りも返さなくてはならない。

 それに――認めたくはなかったが、リリーネを傷つけられたことに対しての怒りも、はっきりと感じていた。

 頭が真っ白になるような二重の怒りを、少しずつ純粋な殺意へと変換していく。

 リリーネが人質に取られた時とは状況が違う。

 内なる感情とギルダスの意思が相反するものであれば、足を引っ張られる。下手すれば、あの時のように暴走しかねない。

 だが今、その二つは同じ方向を向いており、ともに魂骸種コルスへの殺意へ直結していた。


 ◆


 冷たい感触を背中越しに感じて、リリーネは目を開いた。

 一度は取り戻した意識も、酸欠と失血の影響で朦朧もうろうとしたものになっている。

 空を見上げると、そこには青と黒の中間にあたる色が広がっていた。その中ほどに月が浮いている。

 遮るもののない風が、体を冷たく撫でまわしていった。

 すぐ目の前で、誰かが自分を覗きこんでいた。ぼんやりとした視界が、少しずつ焦点を取り戻していく。

 ……綺麗な人だな……。

 その女性は、『背徳の楽園』で働く誰よりも整った顔立ちをしていた。同性の自分が見ても、思わずハッとするほどだ。

 ……誰だっけ?

 どこかで見た覚えがある――と思っていたら、ここ数日、『背徳の楽園』で寝泊まりしている女性だった。たしか、リゼッタとかいう名前だったと思う。

 ふと、違和感を覚えた。

 あれ……? いつもは、もっと無表情で……。

 人形みたい――そう揶揄やゆされるほど表情のない女の人だったはずなのに。

 表情こそ変わっていないものの、初めて正面から見るその瞳は、いたわるような優しさに満ちていた。

「……あれ?」

 リリーネの意識が、現実へと引き戻される。

「っ……!」

 同時に、左のほおに痛みを感じた。手が添えられている。目の前のリゼッタのものだ。

「痛みますか?」

 事務的な声音だった。目に宿った感情とはちぐはぐなその声に、リリーネは戸惑いを隠せない。

「あ……」

 声を出そうとすると、喉が痛みを訴えてくる。

「あ……の、わた……し、は……?」

「無理に声を出そうとしないで。あと、動かない方がいい。傷は浅いものばかりですが、数が多い。安静にしてください」

 手が離れ、リリーネは首を巡らせた。乱雑とした町並みが、月明かりの下に広がっている。

――見慣れたフォルテンの景観。

 どうも自分は、どこかの家の塀に背を預けて座っているらしい。左右には長く石壁が続いていた。

「ギルダス……さんは?」

「彼は中です」

 中? この塀の中という意味だろうか?

「なんで、ここに?」

「サフィーナに、あなたを連れ戻すように依頼を受けました」

 連れ、戻す? なんで? 

「……っ!」

 頭にかかっていたもやが、その瞬間、一気に晴れた。

 同時に怒涛どとうのようによみがえった記憶が、リリーネの心を激しく揺さぶる。

 自分をもてあそぶ、黒い化け物。爪が閃くたびに痛みが増えて。その手が、首を掴み――

「え、あ、夢じゃ……あ――い……いや、いやあぁああああっ!!」

「落ち着いて! ここにあの化け物はいません!」

 恐怖がぶり返し、リリーネは目を見開いて叫び声をあげる。

 その肩をリゼッタが掴んで、落ち着かせようと声を張り上げる。その指から逃れるように、少女は体を揺らした。

「いやだっ! いやぁあああ!」

「……っ」

 抵抗するように叫び続けるリリーネの体が――直後、強く抱きしめられた。

「いやあぁ……あ……え?」

 目を白黒させるリリーネの耳元で、そっとささやき声がした。腕に込められた力とは裏腹な、優しさを感じる声。

「大丈夫ですから。もう、大丈夫……」

――なぜか、ミリに抱擁されたときと同じ気持ちになった。

「ほ、本当に?」

「ええ。今は、ギル……ギルダスが、中でくい止めています」

「そんな――」

 安堵したのもつかの間、狼狽ろうばいしたようにリリーネは、声を荒げる。激しく頭を振って、リゼッタにしがみついた。

「くい止めるなんて……無茶です! 早く……みんなで逃げなきゃっ!」

 リゼッタがゆっくりと首を横に振った。

「あれは、ここで倒さなければなりません。これ以上、被害を増やすわけにはいきません」

「無理です! あんな、あんな……!」

 あの化け物の姿を思い出すだけで、震えが止まらない。

 あれは戦うとか、くい止めるとか、ましてや倒すとか言っていられる存在ではない。

 根本的に違う。あんなのに、人間が勝てるわけがない。

「大丈夫です」

 平静を失ったリリーネの叫びを、毅然きぜんとした声が遮った。

「彼がああした存在と戦うのは、初めてではありませんから」

 唖然としてリゼッタの目を見る。その目は、嘘を言っているようには見えなかった。

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