1.赤髪の用心棒(1)
フォルテン、という町の名を聞いて、顔をしかめる者は多い。
大陸中央からやや東寄りにあるこの町は、コーラン、ルダスタン、セルランドという三つの国の国境にあった。
山脈や渓谷、森林、河川などの険しい地形が多いこの地域に珍しい平地にあり、過去において三国が交易の要所として奪い合った町でもある。
だが――
攻めやすく守りにくい地形のうえ、三国の軍事力が拮抗していたこともあって、結局は長期にわたってフォルテンを治めた国はない。
そして、長年の戦乱は大量の流血と屍の山を築き、町は何度も戦禍にまきこまれた。
それでも、各国の王たちはあくまでフォルテンを自分の掌中に収めようと、兵を送りこんではその命を散らすことを是とした。長年の戦争のなかで複雑によじれていた対立感情が、和平への道筋を閉ざしていた。
その愚行を止めた人物がいる。トラリアという名のその男は、ルダスタン王国の高官だったが、彼は自国を通して三国に妥協案を打ち出した。
それはごく簡単に言うと、『取り合うより、緩衝地帯として共同の領地にしてしまえばいいのではないか』というものだった。
提案者――トラリアの奔走と身を削るような努力により、フォルテンとその町を中心とした一帯はどこの国にも属さない独立領という名目の元、三国の緩衝地帯として機能し始めた。
町の再建費用と人材は三国から平等に出され、領主も三国から交代で赴任させることが決定した。
当初、この案は平和と平等という名の元のすばらしい案のように思われた。事実、功績が認められ初代領主となったトラリアは善政を敷き、その間、町はめざましい発展を見せる。
だがそれ以降――
トラリアの思想を受け継ぐ者が領主になることはなかった。功績が評価されにくい国外の領地に、好んで赴任したがるような人物などいなかったのだ。
次第に、フォルテンは政治的な僻地、出世競争から弾き出された人物の行く先として定着してくる。そのような人物に、統治に関する熱意など期待できようはずもない。
領主からしてそのような態度だから、その下にも同じような人材が集まっていく。
官吏は平然と賄賂を要求し、警吏は犯罪者の取り調べよりはいかに自分たちが美味しい汁をすするかに腐心する。
町は荒れ、三国のみならず周辺国家の犯罪者の逃げこむ温床となっていった。犯罪率は増加し、善良な人々は家も私財も投げ捨てて逃げ出した。
いつのころからか、フォルテンには異称がつく。背信の町――平和と町の繁栄を願ったトラリアの遺志を裏切り、もはや誰が裏切るかもわからなくなったこの町にふさわしい異称であり、その異称とともにフォルテンの町の悪名は大陸中に広まっていった。
三国が過去において奪い合った土地は、いまでは裏切りと絶望に満ち溢れた精神的な荒れ地となっている。
もはや、かつてトラリアが志した平和な町の姿は、跡形もなく消え失せていた。
そして、それを嘆く者も、もういない。
どんな善人でも、過去に罪を犯したことが皆無ということはありえない。また、だれからも目を背けられるような悪人にしても、善行を為したことがないとは言い切れない。
それと同じように、いかに悪名高いとはいえ、フォルテンの住人すべてが犯罪に関わっているわけでもなく、またすべての場所で犯罪が横行しているわけでもなかった。
町の所々に存在する貧民街などは、一歩踏むこんだだけで命を落としかねない無法地帯だが、領主の館のある中央部は“比較的”安全とされていた。
その中心部にはいくつかの大通りが存在する。数少ない安全地帯なだけに、人の通りは多い。住民以外にも、かつて交易の要所として争われた経緯を持つだけに、旅人、商人などの姿もあった。
彼らにまぎれるように、大通りのひとつをひと組の男女が歩いていた。
「あなたは――本当にわかっているんですか?」
すぐ横から発せられた険の混じった問いかけを、ギルダス・ソルードは内心でウンザリしながら聞いていた。
昨日からもう何度目になるかわからない質問をしたのは、ギルダスの雇い主であるリゼッタ・マルフィンだ。
大通りを歩きながらの会話なので、声こそ控えめになっているものの、そこにこもった怒りははっきりと伝わってくる。それでなくても響く声質だ。耳を塞いでやり過ごしたいところだったが、実際にそれをやれば怒りがさらに増すことは目に見えていた。
救いがあるとすれば、外套をまとっていることか。頭を覆っているフードのおかげで、ギルダスより背の高いリゼッタからは表情が見えないはずだった。
ギルダス・ソルードは傭兵を生業としている。赤い髪と、額の傷跡が特徴の、どう見ても十五に届かない外見年齢の持ち主だった。
まだ成長しきっていない顔立ちと、肉体の年齢にしては小柄な体つきのせいでよく“駆け出し”に間違われるが、実際の傭兵経験は十九年――もうすぐ二十年を超えようかという熟練の傭兵でもある。
もっとも、旅装束である栗色の外套に包まれている体を見て、そのことを信じる者はまずいない。出来の悪いハッタリだと、鼻で笑われるのがオチだった。
「聞いているんですか?」
「聞いてるし、わかってる」
再度の念押しに、ギルダスはちらりと視線を走らせて応じる。風になびく金髪と、青い目が視界に入った。その身にまとった純白の法衣は、この町ではいかにも浮いて見える。
リゼッタはフォルテンの町では少数派にあたる、大陸西部人の一般的な特徴の持ち主だ。人形のような顔立ちのせいで、いまいち年齢がはっきりしなかった。見ようによっては十代にも、二十代後半にも見える。
細い眉、すらりとした鼻筋、小ぶりな唇。整いすぎていて無表情でいれば人間らしさを忘れたように見える顔に、いまは怒りを浮かべている。と言っても表情を大きく歪めてはいない。感情が表に出にくい性質なのだ。だがいまは、それがかえって彼女の秘めた怒りを強調していた。
「ついてきてください、と言いましたよね? 私は」
「……言ってたか?」
「言ったんです!」
ギルダスのとぼけた物言いに、リゼッタの語気が荒くなる。
どうやらギルダスの現在の雇い主の怒りは、一日ではおさまらなかったらしい。朝から思い出したように小言を繰り返している。
もっとも、ギルダスにしてみれば一年以上の付き合いだ。怒られたところで恐縮するほど殊勝な性格でもないし、今さら――といったところだ。
ただ、延々と小言を聞かされるとさすがに参ってくる。
……面倒くせえ。
指先で、額にある傷跡をなぞる。
こんなことなら、昨日大人しくついていけばよかった。
遅すぎる後悔に捉われながらも、ギルダスはリゼッタの小言にただじっと耐えていた。
リゼッタは昨日、領主の館を訪れていた。事前に会う約束を取り付け、そのときに昼食を一緒をどうかと招待されたのだ。
本来ならそこにギルダスも行くはずだった。だが、ギルダスは館へ行く道の途中で姿をくらませている。
リゼッタが領主の館を訪れたのは、ある情報を得るためだ。ギルダスが同席する意味はほとんどない。
加えてギルダス自身、領主や貴族といったお偉方と食事をするという『オカタイ』席を苦手としていた。作法など知らないし、なにより、ギルダスは抱えの料理人が作るような高級料理よりも、落ち着きのない食堂で出てくる大衆料理の方が舌に合った。
数秒の黙考の末、ギルダスは領主の館が見えてリゼッタがそれに気を取られた隙に、そっと姿を消すことにした。リゼッタのギルダスを探す戸惑いの声を耳にしながら、そそくさとその場を後にしたのだ。
ギルダスが勝手にいなくなった結果、リゼッタは一人で領主の館を訪れている。事前に二人で行くと伝えてあったから、そのことをまず謝罪しなければならなかったはずだ。
もっとも、それだけならリゼッタの怒りもここまで長続きしなかっただろう。
「しかも、騒ぎまで起こして……」
「悪かったって言ってるだろうが」
この町で厄介事に関わるな――町に着くなり、そう忠告したのはギルダスだった。その当人が真っ先に厄介事に関わったのだ。言い返せることではない。
ただ、非は認めていても、ギルダスにも言い分はあった。
「仕方ねえだろ? それともあれか? おまえは困っている奴を見捨てろって言うのかよ?」
「そうは言ってませんが……」
ギルダスのふてぶてしい態度に、リゼッタは言葉を詰まらせた。
昨日、靴についていた血痕を見つけられ、原因を問い詰められたギルダスは、あっさりと自分が関わった事件を白状していた。
いわく――街中をぶらついていたら、見るからに悪人然とした男たちに囲まれている少女を目にした。当然、見過ごせるわけもなく、悪人どもを叩きのめし少女を助け出した。もし自分の行動がなかったら、今頃少女は悪人どもの毒牙にかかったあげく、その幼い命を散らせていたかもしれない――と。
話し終えたギルダスを、リゼッタは白い目で見つめた。ギルダスが付け足した憶測を無視した上で、さらに八割がた信じていなさそうな目だった。
少女を助けたのは事実だが、自分に都合のいいように脚色をしているだけに、このときはギルダスもわざとらしく目を逸らしている。
乱闘騒ぎを起こしたのは、少女を助けるためというよりも足を止めてしまったところでガキ呼ばわりされたことに腹を立てたことが理由だ。
足を止めたのも、ギルダスの意思ではない。そうさせたのは、いまの体の本来の持ち主――普段は体の奥底で息づくだけだが、時折思い出したようにギルダスの行動に影響を与える少年の意思によるものだった。
「ですが、そのことが原因で余計なことに巻き込まれたらどうするんですか?」
「そいつは大丈夫だろ」
リゼッタの追及に、ギルダスは楽観的な答えを返した。
そうならないために、わざわざ顎を砕いて自分のことを話せないようにしている。もっとも、そのことはリゼッタに話す必要はないと思っていた。その必要もないし、話したところで火に油を注ぐだけだ。一年にわたる付き合いで、過剰な暴力を嫌うリゼッタの性格は把握していた。
横から突き刺さる疑いの眼差しに気づかないフリをしながら、ギルダスはひとつだけ気になっていたことを思い出した。
……ま、顔を見られたのはまずかったかもしれねえけどな。
囲まれていた少女の顔を思い浮かべながら、ギルダスは顔を撫でた。
いまの体も、それほど特徴的な顔立ちはしているわけではない。ただし、それも額にある傷跡を除けばの話だった。普通なら顔立ちよりもまず先にこの傷跡に目がいくだろう。そして、この傷跡を覚えられていることをギルダスは確信していた。
だが、さすがに襲われていただけの少女を力づくで口止めするわけにはいかない。ギルダスは少女がただの被害者であることを確認したうえで、その場から立ち去っていた。
とはいえギルダスも深刻には考えていない。相手は助けた側である。叩きのめした側ならともかく、あの少女に顔を覚えられていたとしても、面倒なことにはならないはずだった。
「で? おまえのほうはどうだったんだ? 領主と話して、収穫はあったか?」
放っておいたらいつまでも小言を続けそうな様子だったので、ギルダスは強引に話題をすり変える。露骨な話題転換にリゼッタは押し黙ったが、すぐに答えを返してきた。
「ダメですね」
不機嫌さをますます強調するように、リゼッタの眉間にしわが刻まれた。
「なにも知らない様子でした。それに、『できるかぎりの協力はする』などと口では調子のいいことを言っていましたが、実際に手伝ってくれそうな態度ではありませんでした」
「だろうな」
「ずいぶんと冷めた態度ですね」
「そりゃあ予想してたからな」
フォルテンに赴任してくる領主のほとんどが、統治よりも金集めに心血を注いでいるというのは有名な話だった。当然、街中の治安に関する情報にも疎い。リゼッタの訪問とその用件は、面倒事でしかないだろう。
ギルダス自身はこの町を訪れたことはなかったが、ここに来る前に傭兵ギルドで情報収集をしている。そのときに、嫌と言うほど腐り具合を聞いていた。なにしろ、話を聞いたギルドの人間からも、行くのを止められたほどだ。
『背信の町』という異称の一端を、まじまじと実感した瞬間である。
「協会の勢力がここにも及んでいれば、少しは対応も違ったかもしれませんが……」
悔しそうに唇を噛むリゼッタを見て、ギルダスは黙って肩をすくめた。
リゼッタは聖封教会という組織の、司祭という立場についている。『精錬者』――『魂精装具』を具現化できる人間の管理と監視を目的とした組織だ。その実態には不明なところも多いが、大陸ではかなりの勢力を誇っている。もしリゼッタが聖封教会に所属していなかったら、領主に会うこともできなかっただろう。
「ないものねだりしたって仕方ねえな。それより、このあとはどうするつもりだ?」
「この町に『アレ』が存在するのは間違いありませんから。探すしかないでしょうね」
「……気の長ぇ話だ」
呆れながらも、ギルダスは周囲に目を向ける。
通りを歩く住人の半分は、刺青や傷跡をこれ見よがしに見せつけるカタギとは言えない種類の人間だ。強盗、詐欺師、人買い、挙句の果てには人殺しまでもが、平然と闊歩していると聞く。壁や石畳に時折見かける黒いシミは、もしかしたら血痕かもしれない。
どことなく空気も殺伐としているように感じるのも、それらを見たあとの錯覚ではないだろう。
「あまり長居したくねえ町だな。聞こえてくるのも下品な会話ばっかりだ」
「あなたの口調も似たようなものでしょう。ギル」
「ハッ。その通りだ。返す言葉もねえな」
ギルダスはわざとらしく口端を吊りあげて笑い、すぐに真顔に戻した。
「おまえよ。その顔は隠しておいたほうがいいぞ」
リゼッタが気づいているがどうかはわからなかったが、ギルダスは彼女がさっきから人目を集めていることを知っている。
人形めいた印象の持ち主とは言え、リゼッタがかなりの美人だということは間違いない。この町なら下手をしなくても、襲われた挙げ句にさらわれてもおかしくはなかった。
それにギルダス自身も見た目は子供だ。
美貌の女とその隣を歩く外套に身を包んだ子供。よからぬ考えを持つ者には、いかにもおいしい獲物に見える。
幸い、リゼッタは顔を隠すのにおあつらえむきな品を持っていた。
ギルダスはさりげなくリゼッタの胸を見る。
全体的に細身の体つきをしているリゼッタだが、そこだけは不自然に膨らんでいた。顔を隠すのに適した物がそこに収められている。
「なぜです? 私の顔になにかついています?」
心底不思議そうにリゼッタは問い返してきた。
「なぜって、おま……」
ギルダスにとっては信じがたいことに、リゼッタは自分が人目につく容姿をしていることを自覚していない。知識としては理解しているのだが、自分が一際整った容姿であることに納得していない様子だった。
領主が昼食に招いたのも、リゼッタの美貌に釣られてのことだろうが、本人は自身の立場が理由だとしか思っていない。だからいまのようなことを言われても、本気で理由がわからないということが多々ある。
その無自覚さを、ギルダスが苦々しく思っていた。雇われてから一緒に大陸を回っている間、それが原因で何度か面倒なことになったことがあるからだ。
説明しようと口を開き、ギルダスは思いとどまった。
……ま、いいか。襲われてそのまま好きにされるようなタマじゃねぇし。一度襲われれば考えも変えるだろ。
そう思いなおし、口をつぐむ。リゼッタが不思議そうに首を傾げるが、気づかないフリをしてやり過ごした。
ギルダスは前へ向き直り、誤魔化す意味合いも含めて、これからの方針を打ちたてた。
「とりあえずは聞きこみだな。領主なんぞより、町で生活している住人の方が知っていることもあるだろ」
「どこか心当たりがあるんですか?」
「まずは酒場に行ってみるか」
途端に、リゼッタが顔をしかめる。ギルダスは慌てて弁解した。
「酒を飲むつもりはねぇぞ。ただ、酔っぱらいの方が口は軽いからな」
「いまは昼間ですよ」
「こんな町だからな。開いてる店もあるだろ」
「昼間から酒をあおるような者の話が信用できるんですか?」
「さあな。だが闇雲に探し回るよりはマシだ。この町に傭兵ギルドの支部があればそこで訊くんだ、が……」
渋面のままでいるリゼッタに、ギルダスの説明が尻すぼみになっていく。
「……なにかマズイことでもあったか?」
仕方なく訊くと、リゼッタは重々しく口を開いた。
「いえ、ただ……酒場へ行くと、しつこく声をかけられるので」
「あー……まあ、そりゃあな」
「しかもなぜか声をかけてくるのは男性ばかりです。それならまだいいのですが、態度がやけに馴れ馴れしいのが気に障ります。一緒に飲もうと誘ってくるだけならまだしも、いきなり肩に手を回してくるような軽薄な輩と、なぜ私が酒を飲み交わさなくてはならないのですか?」
「……俺に訊かれてもな」
ギルダスにはそのときの光景が、簡単に想像できた。リゼッタの憤りはわかるが、その『馴れ馴れしい』男たちの考えもギルダスには理解できる。
見た目がいい女と酒を飲みたいというのは男として当然の感情だろうし、それ以上を望む気持ちもわからないこともない。ただ残念なことは、リゼッタがそうした男の感情をまるで理解していないことだった。声をかけてくる男たちからしてみれば空回りもいいところだ。
「まあ、我慢してくれ。酒を飲みにいくわけじゃねえんだ。収穫がなさそうだったら、すぐに出ていけばいいだけの話だろ?」
「そうですね……。わかりました。私も代案があるわけではありませんから」
渋るリゼッタをなだめ終えたギルダスは、ほっと胸をなでおろした。訊く側に美女がいれば、それだけで口の滑りが違う。もちろん、それで目当ての情報が得られるとは限らないが、万が一ということもある。もし手がかりが見つかれば言うことはないし、なくても問題はない。どっちにしても、なにもしないよりはマシだろう。
ギルダスにしてみれば、その程度の気持ちで提案したことだった。
――だが、そんなふうに呑気に構えてられたのも、大通りから一本外れるまでだった。
ギルダスは眉根を寄せた。自分たちに集まる視線の種類が、さきほどまでのものから明らかに変化している。
……さて、こいつぁ――
裏道に入ってまだ数歩も歩いていない。それなのに、リゼッタに向けられていた好色の視線がなくなり、代わりに肌がピリつくような殺意があたりに充満している。それも、一人ではない。複数の人間が、ギルダス達に向けて殺気を放っていた。
「ここらへんは貧民街じゃなかったはずだが……」
ギルダスが顔を動かさずに視線を走らせていると、リゼッタが身を寄せてきた。
「それ以前に、さっきは大丈夫だと言っていませんでしたか?」
冷たい目をしながら囁やいてくる。明らかに責めている口調だったが、たしかにこうなった心当たりはひとつしかない。間違いなく、ギルダスが起こした騒動が発端だった。
「そのつもりだったんだがな」
ギルダスは目を細めながら思案した。
叩きのめした男たちが、口を聞けない状態なのは間違いない。可能性としては、仲間が近くに潜んでいて一部始終を見ていたということだろうが……あのとき、それらしい人物はいなかった。ギルダスはさらに詳しく記憶を掘り起こしかけ――止めた。
……いや、今は見ている奴らをどうにかするのが先だな。
「仕方ねえ……」
ギルダスは外套の中の腕をそっと背中に回した。そこにある短剣の柄を、軽く握る。
「どうするつもりですか?」
「適当に蹴散らす。ひとり捕まえて、どいつが頭か訊き出す。で、そいつと話をつける」
「本気ですか? 何人いるかわかりませんよ。一度、大通りに戻ったほうがいいのでは?」
「それで諦めるような奴らだったら俺もそうするけどな。諦めずにこれ以上増える可能性もある。なら、そうなる前に片をつけておいたほうがいいだろ」
「ですが……」
「まさか、話し合いでどうにかなるなんて考えちゃいねえだろうな?」
視線にこめられた殺気は本物だ。そんな剣呑な目つきをした相手に、話し合いが通じるとは思えない。
リゼッタは逡巡する素振りを見せたあと、深々と息を吐いた。
「わかりました。ただし、できるだけ早く終わらせてください。あまり騒ぎを大きくしたくありませんし、仲間を呼ばれたらキリがありません」
「言われなくても――」
言い終える直前、ギルダスの耳が近づいてくる音をとらえた。蹄が石畳を蹴る音と、車輪が石畳の上を転がる音だ。
――なんだ?
後方から近づく音を警戒して振り向くと、猛烈な勢いで馬車が近づいてくる。乗合馬車などとは違う、装飾の凝った二頭立ての馬車だ。
そのまま通り過ぎるかと思いきや、馬車はギルダスたちの真横で急停止した。
「っ! 新手か!?」
反射的に身構えたギルダスの目前で、馬車の扉が開かれた。中に乗っていた女が、身を乗り出す。馬車に見合った、華美な服を着た女だ。
「乗りなさい」
その口から飛び出した言葉は、ギルダスの予想から外れたものだった。
「……あ?」
「早くっ」
躊躇っているギルダスたちに再び声がかけられる。手招きをする女の視線は、走り寄ってくる男たちに向けられていた。
さっきまで隠れてギルダスたちを見ていた男たちだ。突然の馬車の乱入に、実力行使に出ることにしたらしい。それぞれが手に武器を持ち、顔を殺意で歪めている。ギルダスが思っていたよりも数が多い。
リゼッタは黙って見ている。いままでの旅路の中で、自然と急場での判断はギルダスの担当と決まっていた。今回もギルダスに任せるつもりなのだろう。
「……ちっ」
迷っている時間はなさそうだった。
ギルダスは足をかけると馬車の中に飛びこんだ。外套から引き抜かれた手には、抜き身の短剣が握られている。リゼッタが馬車に乗りこむと同時に、女の首に刃をそえた。
女が目を丸くしてギルダスを見つめた。
「いきなり出てきた女を信用するほどお人好しじゃないんでな。安心しな。下手なことしなけりゃなにもしねぇよ」
「……用心深いわね」
さすがはフォルテンの住人というべきか。混乱して悲鳴をあげてもおかしくない状況のなか、女はすぐに納得がいった表情で頷いた。艶然と微笑む。下品に見えない程度の濃い化粧と露出度の高い服が、女の正体をそれとなく現していた。
女が馬車を出すように命じ、御者の老人が鞭を打ち鳴らした。すぐに馬車は走り出し、男たちを振り切りながら街中を疾走した。